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悠久の世界は月のために  作者: 鳴海
第4章
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4 戯れる黒色

「如月ちゃんが上手くやってくれたおかげで、日神ちゃんは無事に保護されたよ。よかったね、月宮くん。姫ノ宮学園の目論見は崩れた。これで晴れて、きみも家に帰れる」


「なにが目的だ」


「目的? あー、目的ねえ……」


 星咲は小首を傾げる。


「暇を潰したかったのかな? 暇は人を殺すって言うからね。たぶん、僕は殺されそうだったんだよ」


「それで姫ノ宮学園に手を出したのか」


「うん。そうだよ」


 星咲は頷いた。


 不気味だとは思わなかった。ただ目の前にいる、少女にも少年にも見える中性的な顔立ちをした人間を、理解することができない。壊れているのでもなく、欠けているのでもなく、優れているのでもなく、終わっている人間なのだろうと月宮は思った。


 自分と同じように、終わっているのだろう。


 星咲は足元に落ちている白い剣を拾い上げ、倒れている水無月を見下ろす。水無月を指差し、指でなにかを描くと、水無月を中心に、地面に魔法陣が描かれた。そして魔法陣は光り輝き、そこから一気に魔力の塊を放出した。水無月の体が一瞬で見えなくなり、魔力でできた柱が消えると、そこに倒れていた水無月も消えていた。


 月宮はその場を動くことができなかった。


 ただ見ているだけだった。


「使えなくなったおもちゃは捨てないとね」


 星咲は振り向いた。


「この剣は僕があげたものなんだけど、水無月ちゃんはよく使いこなしていたね。僕じゃきっとあんな使い方はできない」


「それがどんな仕組みかわかるって言うのかよ」


「知ってるもなにも、作ったのは僕だからね。作ったというか、この形にしたのが僕だ。エクスカリバーって聖剣があるんだけど、知ってるかな? 結構有名で、ゲームとかにも出てきたりするんだよ」


 星咲のもの言いだと、知っていて当たり前と言っているようだが、月宮はまったくといって知らなかった。ゲームなんてやったことがない。生きて帰れたのなら、調べてみようと思った。


「剣は刃毀はこぼれをせず、その鞘はどんな傷をも治す。オリジナルはもちろん存在しないんだけど、どこの博物館だっけなぁ……、そこに忠実に再現したものがあってね、それを元にして、僕が作ったんだ」


 星咲は淡々を語る。


 水無月のことはなかったように。


「展示してあるものにオリジナルのような力はない。けれど、信仰の力が大きく、それなりの力を持っていたんだ。すごいよね、信仰というのは。どんな模造品にもそれなりの力を宿してしまうんだから」


 くるくると器用に回される白い剣には、月宮が今まで見てきたような脅威は感じられなかった。ただの――そう、ただのおもちゃのように、どうしようもなく惨めな存在にしか見えない。


「結論から言って、この剣は、僕がエクスカリバーを作ろうとして失敗したものだ。刃毀れのしない剣にはできたんだけどね、その鞘を作ることができなかった。変な形で『永遠』を手に入れちゃったんだよ、これ。うん? そうじゃないか。完全な『永遠』になるには、周りを補強しなくていけなくなったのかな」


「補強?」


「聞いてないかな? これにはデメリットがあるって。まあ、人によってはデメリットでもなんでもないんだけどね」


 星咲は、その手で白い剣を握り壊した。壊れることもなく、色褪せることもないその剣は、その身に宿す意味を打ち砕かれた。


「この剣は、関係性を餌に『永遠』を手に入れることができるんだよ」


「どういうことだよ」


 月宮は訊く。


「そのままの意味だ。交友関係とか敵対関係とか、そういうものを断ち切るんだよ。記憶からも抹消される。『永遠は孤独であるが、孤独は永遠でなし』って言葉、聞いたことない? この思想の力と錬金術の力で、この剣はようやく『永遠』を宿すことができるんだ」


「じゃあ、あいつは――水無月は、孤独だって言うのかよ」


「そうだよ。まあ、より正確にいえば、孤独に近づいただけなんだけど。持っていた関係の糸をゼロに近づけることによって、永遠に近づかせた。器用だよね、本当に」


「如月や、長月は」


「長月ちゃんは資料での情報しか知らなかったはずだ。『6』と呼んでなかったかな? 家族なのにこれはおかしいよね? 如月ちゃんは『水無月ジュン』と呼んだよね。あれは僕が教えてあげたからなんだ。物語を円滑に進めるためにね」


「円滑に進めて、今が終盤ってことか」


「そうだよ。僕の目的はきみだ。姫ノ宮学園はきみを巻き込むのには丁度よかっただけ。都合がよければ、別にこの学園じゃなくてもよかったんだよ」


「俺が目的にされる理由がわからないな」


「いやいや、わかってるでしょ? きみが二つの能力を持っていることは、充分に標的にされる要因になる。『創造』と『破壊』の力――実に魅力的だ」


 月宮は、目の前の魔術師に驚愕した。能力でナイフしか作り出さなかったのは、「ナイフしか取り出せない」という固定概念を植え付けるためであり、その本当の力は見せていない。


 そして、今回は例外だが、もう一つの力は「創造」の力と併用したことはない。それは「創造」の力を隠すためだ。そしてその能力を「切断」だと思わせるために、ナイフを使っていたのだがそれも看破している。


 的確に能力の本質を見抜いてきている。


「そんなに驚かなくてもいいと思うんだけどな」


 星咲はコートのポケットに手を突っ込む。


「情報なんてものは、漏洩して当たり前なんだ。秘密なんてものも、いつかは明かされる。本人が知らないだけで、案外周りの人間は知ってるもんだよ」


「そうだな、その通りだ」


 月宮は頷いた。


 水無月の倒れていた場所は、少し黒ずんでいた。魔力による熱で、地面が焼けたのだろう。水無月は焼き消された。胸を貫かれたのだ、元々助かる見込みはなかったのかもしれない。


 月宮はもう少しだけ、水無月と話したかった。彼女は、月宮と似ていたからだ。自分の守りたいものが明確にわかっていて、それでも守れないと諦めた彼女と、昔の月宮はまったくと言って同じだった。もう少し話していれば、お互いに「終わり」から抜け出せたのかもしれない。


 逆に、星咲とは話しをしたくなかった。星咲は月宮と同じだからだ。鏡に映った自分と話しているようで、水面に映った自分に語りかけているようで、ひどく嫌悪している。顔が似ているわけでもない。纏っている雰囲気が同じというわけでもない。けれど月宮は、星咲に対してもう一人の自分を、自分そのものを見ているように感じた。だから、このまま星咲と関われば、月宮は「終わり」から抜け出せなくなる。


 水無月は過去の自分。


 星咲は現在の自分。


「だけど、秘密を知った者は排除されるのが、この世界の道理だよな」


 月宮は、星咲にナイフを向ける。目の前の人間を「敵」と再確認するために、日神を救うという目的から目の前の魔術師を倒すという目的に変更するために、その切っ先を向けた。


 星咲がそれで動じることはなかった。


 あくまで、余裕を披露している。


「きみは、それを理由に僕と戦おうとするんだね」


「どういうことだよ」


「僕が姫ノ宮学園を悪用したことでもなく、水無月ちゃんを目の前で消したことでもなく、ただ能力を知られたからという理由で、僕と戦うんだねって言ってるんだよ」


「間違ってないだろ。それに、姫ノ宮がどうとか、水無月がどうとか、俺には関係ない。問題はお前が目の前にいるってことだ」


「うん、そうだね」


 星咲はあっさり肯定する。


「僕がきみでもそう思うよ、きっと。だから僕は思うんだ」


 静寂な夜に、星咲の言葉が響く。


 はっきりと。


 それ以外の音は掻き消され――


「きみは、本当は日神ちゃんを救う気なんかなかったんじゃないの?」


「……なかったとして、お前に関係ないだろ」


「否定しないんだ」


「否定して欲しいのか?」


「別に。ただ、本当にきみは僕と同じなんだと思って――そう思うとすごく気持ち悪くて、殺したくなる」


「同感だ」


 月宮は、その場から飛ぶように避ける。それとほぼ同時に、月宮のいた場所を狙って、無数の棘が地面から伸びた。容赦のない一撃。当たれば串刺しどころではない。その根元には小さな魔法陣が光っていた。


 そしてその棘は、月宮は追いかけるように地面から生えてくる。しかしそれを避けるのは簡単なことだった。棘が出現する前に魔法陣が現れるのだから、出現位置を把握するのは容易なことだ。


「逃げるばかりじゃ勝てないんじゃない?」


 星咲が楽しそうに言う。


 魔法陣が月宮を囲むように地面に描かれる。いくつも重なっていて、その数を把握することはできない。線で描かれた円のようだった。


 中心にいる月宮に向かって一斉に棘が出現する。


 お互いに潰し合いながら、目標に向かって伸びていく。


 それだけではない。


 円の中を塗るように、新たに魔法陣が描かれた。そしてそこからも同様に無数の棘が出現する。


 外側から見れば、檻のようだった。そこから逃げ出せないように退路を塞ぎ、その中は猛獣でもいるかのように危険を孕んでいる。そこに入れられた者を確実に殺せるような万全の状態。


 が、突如、その檻に無数の切れ目ができる。


 檻が崩れ落ち、月宮の目に星咲が映る。いやらしく微笑む魔術師に、その赤くなった瞳を向ける。


「魔術も破壊しちゃうんだね、その能力は。本当に面白い」


 あくまで星咲は微笑んでいるだけだ。その場から動こうとしない。


 なんの前触れもなく、星咲の頭上、左右に大量の魔法陣が出現する。その魔法陣は、水無月を消し去ったものと同じ陣だった。


 月と星にだけ照らされていた薄暗かった空間を、目を細めるほどの光が包み込む。


 魔力射出の魔術。


 一つ目が射出される。


 月宮は、それに構うことなく星咲に向かって駆け出した。先ほどの魔術で十五メートルほどの距離が開いてしまっている。多少の無理も承知の上だ。


 一つ目の魔術を月宮はナイフで切り裂き、破壊する。粉々になった魔力が、星のように輝きながら地面に降り落ちていく。


 そして続けて二つ目、三つ目と破壊して、距離を縮めていく。


「いやいや、その能力は便利だね。このままだと僕の身が危ないよ」


 星咲は言葉とは裏腹に落ち着いていた。


 月宮は思わず声を漏らした。星咲の魔術が月宮にではなく、月宮の進んでいた先に射出されたのだ。地面が吹き飛び、その衝撃が月宮に直撃する。


 身を翻し上手く着地した月宮に、さらに追撃が与えられる。星咲の魔術はもう月宮を狙ってはない。その周りの地面を、足場を狙って来ている。


 機関銃のように放たれる魔術。


 絵に描いたように月宮の周りを撃ち込んでいく。


 月宮が処理すべきは、衝撃とそれに乗って飛んでくる土石だった。土石は、左右と正面から無差別に飛び交う。


 ときにはナイフの刃の側面で受け流し、大きいものは破壊した。


 まるで長月と再戦しているようだった。長月と戦っているときの再現と言った方が正しいかもしれない。あちらの方は一発の強さが銃弾のようだったが、こっちは一発の威力は低いが飛んでくる数が多かった。


 星咲の魔力切れを待とうにも、魔術師がそんな失態を犯すはずがない。初歩中の初歩、基本中の基本であるそのことを、これほどの魔術師が失念するはずがないのだ。


 多少の無理ではなく、相当な無茶をしなければ星咲に辿り着くことはできない。


 月宮は、決心し再び駆け出した。


 足場は不安定で、踏みどころを誤れば足を負傷してしまう。そしてさらに、星咲の魔術により、先の足場は現状を維持しない。一歩間違えれば、本当に機動力を削がれてしまう。現状を見るのではなく、読めるはずのない地形の変化を読みながら、進むしかなかった。


 宙に描かれている魔法陣の数は、おおよそ二十個。まともな魔術師ならば、展開するはずのない数だ。それらから、星咲の魔力を圧縮したものが射出される。


 ただ、それだけの数を操り、把握するのは、常識破りの星咲でも難しいのか、ある規則性があった。一度にすべてが同時に射出されることはないのはもちろんのこと、魔術は外側から順に使用されている。つまり攻撃の瞬間を見ておけば、ある程度の予測は可能だった。


 一つ一つをしっかりと見極め、月宮は確実に距離を縮めて行った。地面も、宙も気にしながら進むのは神経を使った。


 それでも、衝撃などに負けずに、月宮は駆けていく。


「ん? ケータイ鳴ってないかな?」


 星咲はそう言って、すべての魔法陣から一斉に魔力の塊を射出した。月宮と、月宮の周りを一気に巻き込むほどの攻撃が、姫ノ宮学園を照らした。


 月宮は自分に直撃するものだけを捌いて、その場をやり過ごした。同時攻撃のためナイフ一本では当然足りてなかったが、星咲の魔法陣がすべて光り出したときに、用心のためにもう一本取り出していたおかげで、魔術を捌き切ることができた。


 荒れた姫ノ宮学園の大地、そこにいる二人の間に沈黙と静寂が生まれた。

着信音を除いては。


「ほら、やっぱり、ケータイ鳴ってるよ。出ないの?」星咲が月宮に促した。それと同時に攻撃をしないという意味なのか、すべての魔法陣が消えてなくなった。「出たほうがいいよ、如月ちゃんからだから。彼女もきっときみのことを心配してるよ」


 月宮は星咲を視界から外さずに、携帯電話をスラックスのポケットから取り出す。ディスプレイには、念のために登録した如月の名前が表示されていた。


 ボタンを押し、応答した。


「もしもし、つっきー!?」如月は少し慌てた口調だった。


「おちつけ。そっちは大丈夫なのか?」


「大丈夫だよ。はーちゃんも見つけて、今は姫ノ宮学園の外だよ。と言っても、門の前なんだけど」


「つまり、姫ノ宮の件は終わったんだな」


「うん。わかってると思うけど、もう零時を回って、日付も変わってる。私たちが勝ったんだよ」


 如月に言われ、携帯電話に表示されている時間を確認すると、たしかに時刻はすでに零時を回っていた。


 いつから時間を気にしていなかったのだろう。


 如月に日神のことを任せてからだろうか。


 それは彼女を信頼していたということだろうか。


「はーちゃんも会いたがってるよ。いっちゃんもね」


「そうしたいのは山々なんだが、今こっちは取り込んでるんだ」


「……黒い魔術師と戦ってるんだよね?」


 如月は少し沈黙したあとにそう言った。


「私も助けに行きたいんだけど、魔力も体力もない。それに、たとえあった状態でも力にはなれないんだ。私の心では、もうその魔術師の前に立てない。……ごめんね、本当にごめんなさい」


「お前が気に病むことはないさ。こいつは俺が目的で――俺の能力が目的でここにいるんだから、お前にはなんの問題もない」


「でも……」


「お前は日神や長月と一緒に、ここから一歩でも多く離れるんだ。あとは俺に任せて欲しい。お前たちのことはなんとかする」


 星咲は暇そうに、帽子を指に乗っけて回していた。月宮を待っているのだろう。本当になにを考えているのかわからない。


 如月はなかなか返答を返さなかった。


「如月。お前ならわかるだろ。ここは黙って頷いてくれ。俺の心配をしてるのなら、ほっといてくれ。お前たちには関係ない。恩人だと思うこともない。俺はやるべきことがあるからここに残ってるんだ」


「…………わかった」


 長い沈黙の末に、如月は同意した。


 通話が切れた。


 これで、如月たちは姫ノ宮学園から解放されることになるだろう。月宮の理想とは少し違ったが、それは星咲と会った時点ですでに崩れ去っていたから気にしていない。どんな形であれ、如月たちは自由になれたのだ。もうこの地に戻る必要もない。振り返らず、手に入れた今を喜べばいい。


 残る問題は、星咲だけだ。


「終わった?」


 星咲が帽子を被り直しながら言った。


「これで彼女たちの逃走劇は終幕を迎えたね。実にめでたいし、僕がもう少し感傷深い人間だったら涙の一つでも流していたかもしれないね」


「奇遇だな、俺もそう思ってたところだ」


 月宮はスラックスのポケットに携帯電話をしまった。


「嘘だね。きみはそんなことすら思わないよ」


「お前が言うのか、嘘吐きのくせに」


「僕だから言うんだよ。嘘吐きだからこそ、嘘吐きに意見できる」


「世界には、自分に似ている奴が三人はいると聞くが、お前は違うみたいだな」


「そうだね。きみと僕は似ていない。さっきも言った通り、同じなんだ」


「運がいいのか、悪いのか」


 月宮は溜息を吐いた。


 稀有な体験といえば、そうだろう。鏡に映った自分と争うなんてこと、どんな人生を送れば出会えるのだろうか。それにただ鏡に映っている相手ではない。


 可能性としての自分。


 そうであったかもしれない自分。


 それが月宮にとっての星咲で、星咲にとっての月宮だ。


 生き移しでも、生まれ変わりでもない。


 だから、そんな存在が気持ち悪かった。


「そういえば、『姫ノ宮の件が終わった』って言ってたけど、もしかして気付いてるのかな? 姫ノ宮学園にはもう人がいないってことに」


「当たり前だ。これだけの騒ぎで水無月しか現れなかったのは不自然だ。お前がやったのか?」


「うん。僕」


 星咲は微笑んだ。


「途中で数えるの、やめちゃったから詳しい数はわからないけど、大体二、三千人は殺したと思う」


「……そうか」


「きみになにを話したのかまったく憶えてないんだけど、まあ、ご存知の通りほとんど嘘だから、忘れちゃって。僕って不思議なことに、真実と嘘を混ぜて話しちゃうみたいなんだよね」


「魔術書のことも嘘だったのか」


「魔術書の存在は本当。でも内容は嘘。これは間違いないよ。だってこの魔術書は」


 そう言いながら星咲は空間に手を突っ込んだ。正確には、宙に現れた黒く淀んだ穴に手を入れ、一冊の本を取り出した。


「ああ、そうだ。これも言い忘れてたけど、僕、能力者だから」


「そんなことはわかってる」


 星咲と出会ったあのとき、月宮には違和感があった。たしかに足音は月宮の通った裏路地から聞こえていたはずなのに、星咲は背後にいた。音もなく、気配もなく――まるで、そこに初めからいたように現れた。


 月宮は魔術こそ使えないまでも、魔力感知くらいはできる。魔術を使えば、確実に気付ける。それに距離もそんなに離れていなかったのだから、尚更だ。


「そう、凄いね」


 星咲は思ってもないことを言った。


「この力はね、どこにでも繋がるんだよ。あ、どこにでもって言っても、未来とか過去には繋がらないよ。時間までは操れないからね」


 星咲の口から出る情報の一つ一つが、月宮にとって信じられないものだった。どこまで信用していいのかわからない。どれが嘘なのかも判別できない。月宮と星咲が同じ類の人物であるのなら、嘘だけ話すことはしない。それが嘘を他人に信じ込ませる常套手段だからだ。


 能力者である、というのも嘘かもしれない。《欠片持ち》特有の現象が起きていない以上、疑う以外にないのだが、しかし彼の中での能力者がなにを指しているのかによって、それもまた変わってくる。


 世界には月宮の知らない神秘が数多く存在する。全人類の知識を持ってしても、すべての神秘を理解できるわけでもない。《終焉の厄災》が今でも原因不明のように、星咲もまた理解を超えた場所にいるのかもしれない。


「えっと……で、話は戻るけど、これは僕が書いたものだから、間違いないよ。内容が嘘だったことも保障するよ」


「で、それは、本当はなにをする魔術書なんだ」


 目の前にいる魔術師が書いた本というだけで、面倒なことが起こることは間違いない。たとえ、駅前で聞いた内容が嘘だとしても、それに近いことが起きるのだろう。


 しかし。


 次の瞬間、月宮は耳を疑った。


「さあ? まったくわからないよ」


「……バカなのか?」


「うん、そうみたいだ。書いてみたものはいいものの、なにが起こるかわからなくて、適当に二、三千人の生贄を用意して、どのくらいの魔術が発動するのが見たかったなんて言えないよ」


 再び、月宮は耳を疑った。


 二、三千人の生贄……?


「だからさ、僕はこの魔術できみを殺そうかなって。二、三千人の命を使ってるから、まあ、この街が、この国が吹き飛ぶくらいの威力はあると思うよ」


 星咲はそそくさと――逃げるように続ける。


「いやあ、本当に僕はバカだ。穴があったら入りたいよ。ん? なんだ、あるじゃないか、大きな穴が」


 そう言った星咲の背後に、先ほどの穴よりも大きな穴が出現する。その先がどこに繋がっているのかわからない。その穴は、ただただ漆黒だった。


「じゃあね、月宮くん。僕は恥ずかしいから穴に入るよ」


「嘘を吐くんじゃねえ」


 月宮がナイフを投げるが、星咲はいとも簡単にナイフを指で挟んだ。


「僕はさ、嘘吐きだから、本当はきみにも、きみの能力にも興味はなかったのかもしれないね。天災みたいな奴なんだよ、僕は。だけど、これだけは言わせて」


 星咲を包み込みながら、黒い穴が塞がっていく。


 じわじわと、外側から。


 星咲は月宮を見て、微笑む。


「健闘を祈る」


 完全に穴が消滅した。星咲がどこに行ったのかは、本人にしかわからないが、きっとこの街の周辺にはいないのだろう。もしくは、この国からすらいなくなっている可能性だってある。


 たとえ、月宮が星咲に駆け出したとしても、星咲には辿り着けなかっただろう。それは先刻までの攻防でわかっていたし、あの穴の塞がるスピードがあんなにゆっくりなわけがない。星咲はわざと――月宮に「健闘を祈る」と言いたくて、遅くしてだけなのだ。


 本当に、天災みたいな魔術師だった。


 まったくといって合理的ではない。


 適当に生きているのだろう。瞬間で生きている。能力に興味があったから、魔術を試したいから――そのどれもが嘘で、真実なのだ。親に叱られる子供のように、その場を逃げ出したいがために、簡易な嘘をつく。言い訳をして、罪から逃れようとする。


 収集のつかない話に、無理矢理終止符を打つ。


 月宮は星咲までいた場所まで歩いた。そこから水無月をどういう風に見ていたのかを知るためだ。


「ん?」


 そこには一冊の本があった。星咲が書いたらしい魔術書。赤い表紙に、中心には黒い丸があり、そこからは四方八方に枝のようなものが伸びている。本屋に並んでいれば、まず手に取ることのない装飾である。


 魔力反応もないため、手に取り、適当にページをめくる。


 なにも書いていない。一文字も書かれていない。


 月宮に過ぎるのは、星咲の言葉が嘘であるということ。本当になにもかもが茶番で、姫ノ宮学園の人間が無駄に死んだだけという物語。


 人間の命をなんだと思っているのか。


「あいつなら、『人間の命は人間の命だよ、それ以外のなんでもない』とか答えそうだな」


 本を閉じ、改めて不気味な装飾を見る。


 ふと、違和感があった。


 心なしか、枝のようなものの数が減っているような気がした。数えていないし、憶えてもいないから気のせいかもしれないと月宮は思ったが、それを決定付けるものが目に映った。


 中心にあった黒い丸が消えていた。


(どういうことだ?)


 裏と表を間違えたのかもしれないと、念のために反対側も確認したが、それが見つかることはなかった。まさかと思って、ページをめくったがなにも書かれていない。


 途端、月宮に悪寒が走った。


 星咲を見たときの気持ち悪さではなく、ひどい寒気が月宮を襲っていた。突き刺さるような寒さ――いや、冷たさが月宮を包む。


 あまりにも寒さに、月宮は片膝をつき、地面を見下ろした。


「なんだこれ……」


 月宮の目に映ったのは、黒く塗り潰され、溶解したような地面だった。不規則に波打ち、次第にそれは弱まっていった。そして、だんだんと小さくなり、最後には消えてなくなった。


 月宮はこの黒いものから、あるものを連想していた。


 寒気は消えない。むしろ、さらに寒さは増しているようだった。


 月宮が立ち上がると、それを待っていたかのように、地面に黒い魔法陣が描かれた。その大きさは、目測でも姫ノ宮学園の敷地全体を覆うほどであろうことは、容易に予測することができた。


 遠くの方で鳥が鳴いていた。一羽ではない。相当な数である。


 また、盛大に葉の擦れ合う音が、木々のざわめきが聞こえてくる。


 それと連動するように、周りの家屋が揺れ、音を立てている。


 多少だが、地響きも起きているようだ。


 月宮は、上からは星明かりに照らされ、下からは黒い魔法陣に照らされていた。


 突如、赤い瞳に激しい痛みが走った。これまでに感じたことのない痛み。月宮はなにかに惹き付けられるように、空を仰いだ。


 直径にして、十キロメートルはくだらない黒い球体が、魔術の影響で赤く染まった空を割っていた。それも降下してきているようである。


 月宮は連想していた言葉を思い返す。


《終焉の厄災》の名を。

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