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悠久の世界は月のために  作者: 鳴海
第2章
176/179

2 巨細悪報

 油断をすれば死んでしまう。ただそれだけのつまらない時間だった、と茜奈は地面で黒い煙をあげるドローンを蹴飛ばした。無機質な軽い音を立てて、他の残骸とぶつかり合う。茜奈が相手取った機体は姿かたちを残していない。茜夏だけでも数十体は破壊したようだ。

 もしもこれが生身の人間であれば、且つ好みのタイプであれば、どれだけ充実した時間を過ごせていたかと思うと虚しさが積もるばかりだ。


 見ていても面白くない。地面を見下ろすのもやめ、茜夏の方を向く。服の裾で顔の汗を拭っていたため、魅力的な腹筋が露わとなっていた。事務所に入り、殺されない訓練を半殺しになりながら受けてきたおかげだ。

「なあ」

「あ?」前髪を掻き上げながら茜夏が目を向けてきた。

「誘ってるのか?」

「バカはあとで言え」

 飄々と躱されてしまい、茜奈は肩を落とした。

 またあとで言うことにしよう。


「さて、これからどうする? まだ《蒼月》を待つか? もしかしたらまたこのおもちゃに襲撃されるかもしれないが」

「引き上げるぞ。どうせ《表の世界》(れんちゅう)はもう来ないが、状況が変わったことは報告しねえとな」

「それなら電話で――」

「帰るぞ」

「了解した」


     ※


「それは事実か?」

 部下の報告に、キルスヴェンは驚愕を隠しきれなかった。それは部下も同様で、任務中の報告は抑揚のない語調の彼らから焦りと驚きが溢れ出ていた。それもそうだろう。魔術師たちは自分たちが《表の世界》よりも優れていると思い込んでいる。それはキルスヴェンも例外ではない。

 ただキルスヴェンはいつか同じ域に到達されるとは思っていた。意識的にしろ、無意識的にしろ、『科学の発展』や『神秘の解析』と言葉を変えていたとしても、人間が目指すものは同じだ。より強い『探求心』と、より強い『願望』さえあれば、想像を上回る時間の超越など可能だろう。


(まさかあれを?)


 彼らの性質上考えにくいが、しかしありえない話でもない。未来だけを夢見てきた科学が、未来を生きた過去に目を向けたのなら、過去の遺物、贋作と嘲笑わなかったのなら、魔術師たちが出し抜かれても当然だ。

「戻ろう。みなに撤退だと伝えてくれ」

 部下は頷き、じんわりと闇に溶けた。

《蒼月》との激戦から三十分は経っていた。そのときの汗は引いていたが、また別の汗が一筋頬を撫でた。《表の世界》が水面下で動くことはわかっていた。《裏の世界》にしても、こうして《蒼月》をモノにしようとしている。

 同じ考え、ではないだろう。もっと別の意思が感じられる。


 キルスヴェンが知っている彼女ではない。


 別の誰かが《表の世界》を動かしている。


     ※


 事務所に戻った茜奈は、扉を開けてすぐに立ち止まった。いつもと変わらない光景の中に想像もしてなかったものが混在していたからだ。

 琴音がソファの背もたれに力なく身体を預けていた。眠っているのだろうか、瞼は閉じられている。ただ呼吸をしているようには見えなかった。まるで写真を見ているのかと思うほどに微動もない。

「死んでるのか?」

 冗談みたいな状況にふさわしく、冗談で訊いてみた。

「触ってみれば?」

 部屋の奥、窓際の席に座っている、事務所の所長代理を務めるアリスが心底好奇心を揺さぶる冗談を返してきた。


 たしかに無防備な琴音対して右手が疼かないわけがない。触るのならばいまが絶好のチャンスだ。この機会を逃せば一生この隙が生まれることがないと断言ができる。やるしかない。そう覚悟を決めたとき、疼いていた右手が左腕を掴んでいた。

 どうやら“右手の彼女”は茜奈の本能に反対らしい。

 彼女がそう言うのなら仕方ない。茜奈は名残惜しいが気持ちを切り替えた。

「いや、やめておこう。私とて馬鹿じゃない」

「それにしては逡巡してたわね」


 琴音の座るソファとテーブルを挟んで置かれたもうひとつのソファには充垣が腰かけている。彼も疲れている様子ではあるが、琴音ほど酷く疲労しているわけではないようだ。察するに、やはり当たりを引いたのは彼らのようである。

「そっちはなにかあった?」

「ラジコンが――」

「ドローン」と茜夏。

「ドローンと戯れた」

 すぐに訂正した茜奈。

 もう一つ報告すべきことがあったが、これも逡巡してしまう。彼のことを思えば伝えるべきではないのだろうが、しかし同様に彼を思えばこそ伝えなければならないようにさえ思う。


「あんなのが来るとは聞いてないが?」

 茜夏の助け舟に、茜奈はとっさに頷いた。

 アリスの目は疑いの色を光らせていたが、一度瞬くとそれは消え去っていた。ひとまず疑念を収めてもらえたようだ。姉に劣るとはいえ、しっかりと心に釘を刺してくる。多くの《欠片持ち》にも言えるが、年齢とは不釣り合いな威圧感だ。

「やっぱりね」

「やっぱり?」

「充垣たちの方には魔術師が現れたらしいわ。だからあなたたちの方にも魔術師か、もしくは《表》が現れたんじゃないかって話してたところよ」

「《表》? あれらがそうであるとどうしてわかる」

「わかるわよ。いい? この件で私たちに押し付けられたのは解決できなかったときの責任なの。《表》と《裏》にとってこれ以上ない好都合な状況を作らされているわけ」

「わからないな」茜奈は言う。「聞いたところによれば《蒼月》は相当危険な存在なのだろう? わざわざ関わる得がない。ただただ被害が増えるばかりだ」

「ずいぶんとお気楽思考をしているわね……」

 アリスの呆れた様子に、茜奈は首を傾げる。いたって普通の発想をしたつもりだったためその反応は予想外だった。


「天秤がそっちに傾いてないってことだ」

 茜夏の説明を受けてなお、茜奈は問う。

「犠牲を払って得られるのは名誉くらいだろう? そんなに重要か?」

「そんなもの欲しがってるわけないでしょ。欲しいのは《蒼月》から得られる『未知』に決まっているじゃない」

「ああ……」茜奈はぼんやりと思い出す。「解明して《神域》とやらに行けるのか?」

「本当に馬鹿ね。それを確かめるのが目的なの。それが確かめられるのなら他はどうでもいいの」

 世界の闇、人間の闇が大きく蠢いていると思うと規模の大きさに身震いする。どんな犠牲を払ってでも『未知』を得ようとする心に、この右手が通用するのだろうか。そもそもその『未知』に対しても通用するかわからない。

 思えば、この気持ちはあのときに似ている。

 初めて『彼の力』を目の前にしたあのときと。


 だからこそ問わねばならない。

「私たちだけでどうにかなるのか?」

 初めからそうだったと言えば違わないのだろうが、しかし実際の状況はさらに深刻であり、実力がどうこうの話ではないように思える。単純に数で負けている。《蒼月》が一体だとしても、魔術師やドローンといった機械類の数はそれよりも圧倒的に多いことは考えるまでもない。それを一つの街の小さな事務所がコントロールできるはずがない。

 茜奈たちには知らされていないだけで、知る必要がなかっただけで、得策があるのだろう。あるに違いない。そうでなければ無謀というものだ。

「死にたくなければ、どうにかすればいいだけじゃない」


 まさかの根性論に、茜奈は言葉が出なかった。

「別に意地悪で言っているわけじゃないわよ。そうできると判断されたから姉さんに認められてここに置かれているんじゃない。少なくとも姉さんはできると“知って”いる。もし死んだとしたら、あなたたちの生き残ることに対しての執着不足。ただそれだけ」

 事務所に所属することになったとき、その存在意義を聞かされた。《世界》のバランスを保つためにあるのだと。街の小さな組織が大仰なことを言うものだ、と最初は思った。しかしそれは茜奈の見識が狭かったからだ。世界を知らなかったためだ。

 街の小さな組織でもひとつの世界を背負っている。

 小さくとも、大きな二つの間で潰されることなく存在している。

 それを知らなかった。

 人材は少なくとも、質の高さが規格外であり、それを成せる説得力はある。なにより所長であるアイリスひとりでさえ成し遂げてしまいかねない。

 そんな彼女に認められたから事務所に所属できた。

 そんな彼女が、茜奈たちが生き残れると知っている。

 そう聞けば、不安は霧が晴れるように晴れていく。


「おい、騙されるなよ」と茜夏。

「騙されているのか!?」

「当たり前だろうが……。考えてみろ。俺たちが二つの世界と戦えるとしても、《蒼月》は三つの世界と戦えるだけのポテンシャルは確実にあるんだ。どう考えてもパワーバランスが釣り合わないだろ」

「そうか。いまの話には《蒼月》が加味されていないのか。危うく意気揚々と死ぬところだった」

「茜夏、所員のやる気を削ぐのやめてもらえるかしら」

「生き残るための執着ってやつだ」

 騙されはしたが、茜奈はアリスの言葉を振り払わなかった。生き残れるかどうかは別として、あのアイリスがただの戦力として迎え入れたとは思えない。未来を見たかのような彼女だからこそ、未来に対する警戒が強いのかもしれない。

 たとえば、いま、あるいはこの先で、茜奈たちに与える役目を見出しているなど。

(まあ、捨て駒という線も捨てきれないが)


 どう世界が転んだところで、鍵となるのはアイリスなのだろう。世界を語れば、彼女の姿が必ず現れる。いまはどこにいるのかは不明だが、この事態を終息させるために動いているに違いない。

 いや、と茜奈は思考を止めずに続ける。

 彼女のことだ、次の局面を見据えているのかもしれない。

 それと同時に腑に落ちないことも浮かび上がる。こんな混戦の中でどう世界の均衡を保つというのだろう。《表》も《裏》も犠牲を対価に『未知』を得ようとしている。それをどちらかが成したとき、それを成せなくとも、世界のバランスは大きく傾くことは間違いない。

 まさかな、と茜奈は閃いてしまった考えを嘲笑した。考えすぎだ。アリスの話に充てられて思考が穿ってしまっただけだ、と。

「話を戻すけれど、茜夏たちがやることは変わらないわ。頑張りなさい」

「聞けば聞くほど私たちにどうにかできるとは思えないが善処はしよう」


 いまは命令に従う他ないだろう。個人的に優先したいこともあるが、しかし個人的に動くよりも事務所に従っていた方が“彼ら”に近づける。直感が――右手にいる彼女がそう言っているような気がする。

《蒼月》を捕縛することが不可能だとも。

 死なないように善処するしかない。


     ※


「月宮のこと言わなくてよかったのか?」

 茜奈たちが部屋を出て行ったあと、充垣はアリスに訊ねた。茜夏はどうか知らないが、茜奈は月宮のことが相当気がかりのようだ。どこでなにをしているのか、安否はどうなのかなどと事務所の人間と顔を合わせるたびに訊いているのを見かけたことがあった。

「不確定要素を話しても仕方ないでしょ」

「所員のやる気を出させるんじゃなかったのか?」

「躊躇ってもらっても困るもの。手加減できる相手じゃないのは充垣もわかってるじゃない」

 どちらも規格外の力だからこそ本気で衝突しなければ意味がない。琴音がそうしたように、茜奈にも同様の役割が与えられている。だからこそ手加減は許されない。余計な情報を与えたことで、こちらの手札を失うわけにはいかない。そういうことだろう。あれでも琴音の代用品になるかもしれないのだ。


 ただいまのところ、代用品には程遠い。


「あいつらの言っていたドローンってのは厄介そうか?」

「“見た”かぎりではたいしたことないわね。飛んで刃物を振り回すだけなら、何体いようがゴミ同然。まだ試験段階ってところかしら。人間じゃないっていう利点を活かし始めてないもの」

 百聞は一見にしかず。

 アリスは『記憶』の《欠片持ち)だ。他人が見たものをわざわざ伝え聞く必要がない。能力を使って同じ光景を見ればいいだけだ。それなのに彼女は初めからそうしない。忠誠心を試しているのか、あるいはただ報告者がどんな言葉でその光景を伝えるのかを楽しんでいるのか。それは彼女にしかわからないが、おおかた後者に違いない。

 こんな能力を持ったから、アリスはこんな性格になってしまったのだろう。声にしてしまえばアリスに筒抜けになってしまうため言わないが、誰もがそう思っているはずだ。

 充垣たちのこともアリスは追体験している。だからこそ、《蒼月》は月宮である、という充垣の意見に疑問を呈しているのだ。


 ふいに琴音が身体を起こしていることに気付き、充垣は肩を震わせた。常に視界の端にいたはずなのに動きがまったく見えなかった。毎度のことであるが、慣れることはない。

「大丈夫か?」

 充垣の心配を無視して、琴音は「来るよ」と言った。主語がなくとも、なにが来るのかは当然察することができた。

「来るってもうか? 想定より早すぎるじゃねえか」

「いつ来るの?」と冷静に問うアリス。

「いますぐではないけど、今日中には確実に戻ってくる」

 言われて、充垣は壁に掛けられた時計を見た。あと七時間もすれば日が変わる。あと七時間もあると見るか、もう七時間しかないと見るかだが、想定していたよりも早いこともあり余裕があるとは言えない。


 琴音が《蒼月》を『虚無』に送ったのは、あの濃密かつ膨大な力を削ぎ落とすためだ。時間の経過に比例して力が衰える想定だっただけに、早すぎる復帰は望むところではない。

 しかし充垣は、戸惑いはしても焦りはしなかった。

 アリスの冷静さが“想定された想定外”だということを物語っていたからだ。

「次はどこに現れるのかしらね」

 あの子も、とアリスは付け加えたが、それが誰かは充垣にはわからなかった。


     ※


 キルスヴェンは魔術機関に戻り、ファウストのもとに向かうと別部隊が報告をしていた。報告者は開いた音でキルスヴェンに顔を向け、その疲れ切った表情に並ぶ二つの目を丸くした。キルスヴェンがいたから、というよりは、装束の損傷と生傷を見たからだろう。

 報告者はファウストに向き直って報告を再開し、一礼をして部屋をあとにした。すれ違いさま、彼からは濃い血の臭いがした。彼も傷を負っていたが、それだけでは考えられないほどの濃厚さだ。

「当たりを引いたようだな」ファウストは薄く笑みを浮かべた。「どうだ、世界の脅威は凄かったろう」

「ええ、本当に。聞いていた話とは全然違いましたよ」

「聞こうじゃないか」


 キルスヴェンは《蒼月》との一戦、そして《表の世界》による奇襲の報告をした。ファウストはそれをキルスヴェンの目から視線を外すことなく聞いていた。相槌もない。

「――以上です」

「ご苦労だった」

「《蒼月》を手に入れるためには、より多くの魔術師が必要となります。同時にそれに近しい犠牲も避けられません。それに《表の世界》が《回帰遺物》を使用している可能性があります。そちらでも犠牲が出るでしょう」

「早急に手を打ちたいのは《回帰遺物》の方だ。別部隊がほぼ壊滅させられた」

「やはり……。こちらも《蒼月》を目の当たりにしていなければ多くの者がやられていたでしょう。未知の不気味さに心を蝕まれていたからこそ生き残れたのだと思います」

「問題はそこじゃないんだ」

「と、言いますと?」

「部隊は壊滅したが、遺体がほとんど残っていない。混乱に紛れて、人為的に回収された痕跡があったようだ」

 心情的には口にするのも憚れるが、そうは言っていられない。

 キルスヴェンは率直に訊ねる。


「消えたのは“遺体”だと言っていましたか?」


 ファウストは無言でキルスヴェンを指さした。どうやら指摘は正しいらしい。

「《回帰遺物》の破壊を優先したいところだが、いかんせん最主力メンバーは別任務から離すわけにはいかん。奴らも放ってはおけない。悪いが、お前は《蒼月》ではなく《回帰遺物》の方に回ってくれ。こっちの犠牲者は勘定に入っていない。被害を最小に抑える」

「承知しました」


 魔術師たちも人間だ。犠牲になることを望むはずもない。ただ、魔術師である以上危険は付きまとう。たとえ教員であろうとも現場に駆り出されることもあるくらいだ。研究だけで一生を過ごせることなど皆無に等しい。

 生死を常に意識している。だからこそその矜持に傷をつけられたくないのだ。《蒼月》関連であれば生き残っても命を落としてもそうなることはない。誰もが《蒼月》の脅威を理解しているからだ。しかし《表の世界》が相手では話が違う。たとえ《回帰遺物》を使っているからとはいえ、かねてより下に見ていた彼らに負けたのであれば一族は笑いものとなる。ファウストはそれを少しでも減らそうとしているのだ。

 命を落とすことは立派であるとは言えない。

 だが命を落としてまで戦い抜いたことは誇れる。

 誰が相手だとかは関係ないはずなのだが、数百年以上をかけて積み上げられた伝統とも言えてしまうそれが魔術師たちの意識の変革を邪魔している。


 それこそ全員の記憶を書き換えでもしないかぎりは変わることがないだろう。


 だがもしも《回帰遺物》の実態を認知させることができれば、魔術師たちの末路を広めることができれば、それも変わるかもしれない。

 魔術を理解する機械兵器。

 理解しているのは本当に機械なのか。

 魔術師たちは《表の世界》も脅威であることを知らなければならない。

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