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悠久の世界は月のために  作者: 鳴海
第1章
171/179

7 災月不待 - 7

 星咲夜空という男がただそこに、傍にいるだけで心をざわつく。心の中に広がる空を見てしまったからだろう。自然と不自然が鏡映しのように存在していた。天高く月が昇っているはずなのに、それを映す水面では太陽になっている。


 月と太陽はなにを表しているのか。


 その疑問も気になるが、彷徨が注視しているのは「空」の方だった。正確に言えば、空の「深さ」に飲み込まれかけている。気を緩めれば、果てのない空の深みに墜ちてしまいそうだ。そうなれば、彷徨の心は溺死してしまうだろう。その明確なイメージが走馬灯のように走り抜ける。


 厄介なのは、彷徨が心を見なければいい、というレベルの話ではないところだ。星咲は心を隠していない。むしろ誰でも迎え入れられるように開け広げられていた。まるで食虫植物が獲物を待っているかのごとく。彷徨はその能力故に敏感に反応してしまう。能力がなくても、人の心を感知できる才能があれば、同様の危険性が生じる。


 そのことを星咲は理解している。


 そういう見せ方をしている。


「お前、どういうつもりだ」


 如月のその声は、彷徨を一気に「深み」から救い出した。抑え切れぬ怒りと憎しみが声色に表れていた。態度にこそ出ていないが、冷たく光るナイフの刃を突き立てかねない空気だ。爆発しかねない感情に、彷徨は身構える。


 対して、星咲は意に介さない様子で隣のテーブルについた。如月の感情を瑣末なものだと言わんばかりだ。


「どういうつもりって?」星咲は帽子を外した。「ここに来たのはご飯を食べにきたからに決まってるじゃないか」


「違う!」如月は勢いよく立ち上がる。「あれだけのことをしておいて、なんで私たちの前に出てこられるんだって聞いてるんだ!」


「もしかして寄せ集めの家族もどきを殺したことを怒ってるの? それはお門違いってやつだ。僕程度の男に殺されるきみの家族が悪いし、僕程度からその家族を守れなかったきみのせいだろうに。他人に当たる暇があるなら、少しでも努力をしたら? そっちの方がよっぽどその感情に意味が出る」


 そう言い終えると、星咲は店員呼んでオーダーをした。


 星咲の言葉には偽りがない。本心から自分が悪いとは考えていないし、如月を想って助言をしている。人の生き死にが関わっていなければ、あるいはスポーツの話であれば、もっともな意見だったかもしれない。だが、一言目ですでに破綻している。とてもじゃないが、助言をする立場だとは思えない。


 家族を殺しておいて、感情の矛先を否定し、努力を促す。


 そんな話があっていいのか。


 やはり星咲は他とは大きく違う。おそらくは価値観が乖離しているのだ。誰かによる教育の賜物なのか、経験による成長なのかは不明だが、常人とはかけ離れた思考を持っているのはたしかである。


 心の情景が、あるいはその両方を表しているのかもしれない。秋雨のように心が複数あるのではなく、一つの心に二つの景色があるのは、どちらも星咲夜空であるが、しかし別の星咲夜空として分けているから。


 太陽と月。


 どちらも空にあり、そして空の先にあるもの。


 それぞれの星咲夜空が見上げている“誰か”なのかもしれない。星咲夜空を象徴する二人だと考えるのは早計だが、しかし否定するのも安易だ。感性や常識が他者と違うからといって、すべてが複雑に組み上がっているわけじゃない。


 たったひとつの信念でさえ、突き進み過ぎれば理解から遠ざかる。


 しかし、と彷徨は新たな思考を始める。星咲夜空を見てからか、妙な違和感が心で囁き続けている。どこかで聞いたことのあるその声。そのときはたしかもっと大きなものだった。


 その答えは、星咲夜空によって示された。


「それと、あまりお店では騒がないようにね。僕が魔術を使っていなかったら、注目の的になっていたよ」


 違和感の正体を知ったことで、どこで聞いた声なのかも思い出した。異常事態が発生したのに、誰も気付いていない。それはまさにこの街全体で起きたものと同じだ。多くの心が傷つき、消滅したはずなのに、何事もなかったかのように街は活動していた。


 如月の声に誰も耳を傾けず、目を向けていない。誰も反射行動をとらないのは、ありえないことだ。


「てことは、お前を消しても誰も気付かないんだ」


「きみ程度にできるならやってみてほしいものだよ」星咲は無邪気な笑みを見せる。「まあできなかったから、今もこうしていられるわけだけど。その点は感謝してるんだ。ありがとね」


 感謝の意は本当にあるようだ。微弱ではあるが、それは感じられた。


 ただそれは如月には煽りにしかすぎず、彼女の感情がまた膨れ上がる。そして感情が行動に移り変わる。身体が感情に支配されるのだ。ただ行動に成るということは、物理的に抑え込むことができるということ。如月のそれは長月によっていともたやすく妨げられた。


 長月がいてくれてよかった。


 そう思う反面、危惧してしまう。


 彼女の理性が感情に負けてしまったときのことを。


 いまは如月が感情を剥き出しにしているために、長月は理性的でいようとしている。それを止めたとき、如月以上のものが解放されることになる。


「冷やかしにきたのか?」彷徨は率直に訊ねる。


「まさかそんな。ただご飯を食べにきただけだよ」


「それ“だけ”ではないだろ。他の要件があるなら早く言えよ。どうやら俺はお前に用があるみたいだからな」


「――なるほどね」


 星咲は彷徨を見据えながらなにか納得した様子を見せた。


 得体の知れない発言に対して、だ。


 彷徨は疑問を抱いた。まるでそれでは、彷徨がここにいることを不思議に思っていたかのようではないか。如月たちがここにいることは知っていて、彷徨がいることは知らなかった。


 どこかで見ていた?


 その仮定はすぐに棄却される。彷徨は如月たちとこの店に入った。それどころかこの店に来るまでに少しの間だが行動していた。見かけたり、監視していたのなら、彷徨がいたことを知らなかったのはおかしい。


 仮に。


 仮に心歌やアイリスと同じような存在であるならば、星咲にも未来さきが見えているのではないだろうか。その未来と彷徨のいる今が異なっていたため、その差異に納得した。そう考えることもできる。


 未来への干渉ができる者が多くいるとは思えない。それでも彷徨の周りにこうも集まってくるというのは、やはりそういうことなのだろう。


「いやね、僕の方が一段落したから、きみたち――如月ちゃんたちが知りたいことを教えてあげようかなと思ったんだ」


「私たちが知りたいこと?」


「月宮湊はもういないよ」


 その瞬間、如月たちの心が止まった。抑え込まれていた感情も、曝け出していたそれも、ページが欠落した小説が急激な場面転換をするかのように跡形もなく消え去った。固まった顔がやがて驚きを表し、戸惑いへと淀みない変化を見せる。


 如月がそうだったように、長月もまたそうだった。ただ彼女の場合、顔ではなく心だけが揺れ動いていた。


 そして、それは彷徨も同様。


「え……、いや、えっと……どういう意味?」


「そのままの意味だよ」


 如月がやっとのことで言葉にした疑問に、星咲は間髪いれずに返答する。予測できる問いを待ったのは、彼なりの会話をしようという意思なのだろう。まくしたてるような説明をされていたら、情報の整理はおろか、情報そのものを聞き入れることができなかったに違いない。


 それだけの衝撃が、星咲の一言目にはあった。


「でもそうだね、もう少し詳しく説明するなら、きみたちの知っている月宮湊がもういないって言った方がいいのかな」


「彼は……月宮湊はどうなったのですか?」


「きみたちのよく知る存在――《終焉の厄災》になろうとしているところだ」


 星咲が言葉を発するたびに、如月たちの心は酷く動揺する。信じたくない、信じられない、といった当然の感情がそれを抑え込もうとしているが、彼女たちは受け入れてしまっていた。


 強い怒りと憎しみを抱いた相手だからこそ、荒唐無稽な信じ難い言葉でも否定ができないのだろう。如月たちは経験している。いつかはわからないが、おそらく近い過去に触れた星咲の力が、そのまま言葉を信じさせているのだ。


「きみたちは知らないだろうけど、月宮湊はきみたちの一件で取り返しのつかないことをしている。それは自らの存在を、別の存在に変異させること。姿かたちを変えたわけじゃない。もっと根源的なモノを自在に変えてみせた」


 理解は追いついていない。


 理解をしようとはしている。


 だが想像が至らない。


 かたちにならない。


 ひとりの少年の成し遂げた――成し遂げてしまった行動が想像を絶していた。


「姫ノ宮学園の二人は察したかな? そう、彼は日神ハルと同じ異能を得た。あらゆる可能性を注ぎ込む《うつわ》としての異能をね」


 日神ハルに感じた異質感はそれか、と彷徨はここにはいない日神に意識を向けた。星咲が天空だとすれば、日神は深海だ。光は届かず、他者を受け入れない。それでいて、すべてを引き込もうとしている。


 それが《器》という異能なのだろう。


 本来の彼女と異能によって矛盾を孕み、歪みが生じる。それは周囲を、環境すら巻き込む大きな歪みだ。だからそれを防ぐために、あるいは隠すために、日神は歪みを正そうとしている。それすら異常な行為だというのに。


 きっとそうするしかなかったに違いない。


 そうしなければ得られなかったものが、


 そうしてでも得たいものが、


 日神ハルにはあったのだ。


「ただ、その異能は完全じゃない。こと、彼に関して言えばね。彼は、人の身でありながら『神の力』を持っていた。それ自体がすでに《器》の許容量を超えていたんだ。身に宿しているだけでも壊れていくのに、彼は再三にわたってその能力を行使してきた」


 思い出したのは、姫ノ宮学園だった。


 彷徨がここではない世界を知った場所。


 心歌と出会い、魔術を知り、精霊の力に触れた。あのとき、あの瞬間に彷徨の生き方が大きく変化した。思い出の場所といえばそうだが、ある意味では因縁の場所でもある。


 そこで、月宮湊という少年は精霊と相対していた。魂が震えるほどの大きな力というものを初めて感じたのは精霊だ。あれか、あれと同等の存在と戦い続けたのだとしたら、身体も精神も持つはずがない。それは本人こそ理解しているはずだ。危険だということ、危険に身を刻まれていることに。


 それでも月宮湊は茨の道を進み続けた。


 如月たちは、その姿に覚えがあるようだ。顔色が蒼白になり、瞳が震えている。


「今の彼は、その《器》が壊れ、『神の力』が溢れている状態だ。仕方ないよね。無茶ばかりしちゃうし、させられちゃったんだから。きみたちがもっと彼のために動けていたら、こうはならなかったかもしれない」


「――それは嘘じゃないか?」


 彷徨は口をはさんだ。


 姫ノ宮学園で心歌が告げた言葉を思い出していたからだ。


「如月たちがどう尽力したところで、今と同じになっていただろ。それがあいつの運命――辿る道であるはずだ。遅かれ早かれ、耐え切れるはずもなかったんだ。そうか。お前がそこに導いたんだな?」


「大正解だよ」星咲はいとも簡単に肯定した。「きみの言うとおりだ。僕が彼を壊した」


「なんで……」如月がこぼす。「なんでお前は私の大事なものばかり……」


「別にきみに嫌がらせをしたいわけじゃないんだ。悪く思わないで。最初から僕は月宮湊をこうしたかったんだ。そのために、たまたま姫ノ宮学園を利用して、精霊を呼び出させて、巫女と引き合わせ、吸血鬼を使って、彼を壊しただけ。ただそれだけなんだ」


「それだけで、彼が壊れるとは思えません」長月の言葉に強い信頼が感じられた。「あなたは他に決定的ななにかをしたのではないですか?」


 長月の問いを聞いた瞬間、彷徨は今までのことを思い返していた。心歌に出会ってからの記憶のフィルムが濁流のように脳内を駆け巡る。そして気づいた。星咲の言葉がたしかなら、長月の言うとおり足りないものがある。


 すべて繋がっているのだとしたら、


 つい先日の事件も繋がっているはず。


 そこで彷徨が関わったのは――。


「心を、壊したのか」


「彼の《器》がそれまで壊れなかったのは、強い心があったからだ。成し遂げようとする意志と、その根源にあった後悔が、彼を彼として保ち続けた。本当に厄介だったよ。自分がどの程度で壊れるかを知っている人を壊すのは」


 星咲は一息つくと、おもむろに立ち上がった。


 そしてそのまま店を出ていこうとする。


 まだなにか語ると思っていたため、彷徨は呼び止めるのに一呼吸遅れた。それは如月たちもまたそうだった。


「どこに行く」


「え、帰るんだけど。やることやったし」


「今のを話すためにここに来たのか?」


「最初は違ったけど、ここに来てそういうことになった。僕はきみたちに、きみたちのこれからを指し示す役目を与えられたみたいだからね。ただまあ、ここである理由は他にもあるんだろうけど」


 星咲の視線が心歌に向けられていた。


 続けて、如月と長月を見て言う。


「如月ちゃんと長月ちゃんは間違えちゃいけないよ。きみたちがどうすればいいのかを履き違えちゃいけない。よく考えて答えを出すことだね。おっと、答えを教えてほしいなんて言っちゃいけないよ? いくら僕でも超えてはいけない一線があるんだから」


 それと、と彷徨を見やる。


「ただ心を解放するだけじゃあ、なにもできないのと変わらないよ」


 生きていればまたどこかで。


 人の心を掻き乱すだけ掻き乱し、そうかと思えば未来への道を照らした星咲は店をあとにした。誰かに一瞥をくれることもなく。


 ふと、星咲のいたテーブルを見れば、明らかに多すぎる料金が置かれていた。迷惑料だとでもいうのだろうか。


 掴めない。


 手を伸ばすことでさえ許されないかのように、


 まるで星咲を理解ができなかった。



     ※



「そういうことね」

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