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悠久の世界は月のために  作者: 鳴海
第4章
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10 その真実は災厄

 それは赤い記憶。


 すべてを飲み込む「赤」から逃げ、その「赤」から守り、そして辿り着いた先にも「赤」は現れた。あのときからそれは絶望の象徴となっている。


 その熱を肌はまだ憶えている。


 焦げた臭いを思い出すことがある。


 その中にいた少女を夢で見ることがある。


 天使のような白い翼を広げた彼女を。


 悲しそうに微笑むあの子を。


 月宮はゆっくりと瞼を開いた。逃げるように。


 光がほとんどない場所にいるようで、視界は薄らとしている。両手は拘束され、能力が封じられている。音や質感で鎖だということがわかった。足も足首で拘束されている。十字架にでも磔になっているらしい。


 蝶番の軋む音がした。人の気配がする。


「誰だ」


「あれ、起きてたんだ」


 その何者かはそう言いながらも歩くのをやめなかった。月宮が起きたことに驚いた様子はなく、むしろこのタイミングを知っていたかのようだった。


 歩く音がなくなると、途端に光が差し込んだ。月宮は思わず目を細めた。カーテンが開かれ、月の青白い光が差し込んでいた。舞う埃が星のように輝いている。


 窓の形や部屋の調度品などからして、どうやらここは洋館らしい。荒廃はしていないが、それでも充分な古さを感じさせる。長テーブルも、それを囲むように並んだ椅子も、燭台も、暖炉も、絨毯も。


 だが、自分がどこにいるかよりも重要だったのはその声の主だ。カーテンを開け放った人物は、椅子の背もたれを掴むと、月宮の前に置き、そこに腰を下ろした。


 月宮はその人物を――その「黒」を見下ろす。


「星咲……夜空……!」


「そう。僕の名前は星が咲く、夜の空で、星咲夜空だ。よく覚えていたね」


 星咲夜空という魔術師を、月宮が忘れるはずがない。


 姫ノ宮学園を崩壊させたどころか、そこの人間を使った魔術を発動した男。ただ魔術を発動したいがために、ほぼ全員の命を奪った。その言動の真偽の境界は曖昧で、正しさも誤りも混ざり過ぎて黒くなってしまっている。


 掴みどころがないのではなく、掴むことに拒絶を覚えてしまうほど。


「またお前の仕業だったのか」


「勘違いしないでほしいなあ」星咲はへらへらと笑う。「『また』じゃなくて『ずっと』だよ。『ずっと』僕の仕業だ。きみの周りで起きていたことはね」


「な、に……?」


「姫ノ宮学園に救いの手を伸ばしたのも、ミゼット・サイガスタの背中を押したのも、裏組織に仕事を与えたのも、アナトリア姉妹を導いたのも、全部、僕がやったことだ」


 その言葉に月宮は声が出なかった。


 驚いたからじゃない。


 星咲の言葉がまるで「利用したわけじゃない」と言っているようだったからだ。あくまで彼らの意思だったと。


「きみにはいろいろ知ってもらう必要があったんだ。魔法の域を、精霊の力を、冥界の冷たさを、古の時代を」


「なんのために」


「《理想の世界》を創るため」


 ヴォルクも同じようなことを言っていた。月宮の力を使い、この世界を破壊し創り直すのだと。失敗しても、何度も繰り返し、理想に至るのだと。


 まるで御伽話。


 まるで神話。


 誰が聞いても、できるはずがないと断言するはずだ。あまりにも規模が大きすぎる。あまりにも人間の枠を超えている。世界を創り直すなど、人間の所業ではない。


「できるはずがない――そう思ってるんだろ?」


「当たり前だ。俺の持つ力はそこまで大きくなんかない」


 たしかに月宮は「神の力」を使える。ただしそれは「神だと名乗った者から渡された力」であって「神になれる力」ではない。たしかに魔術や《欠片の力》など「破壊」することはできる。だが、その規模は決して広くはない上に、人間にはその効果はない。


 武器を生み出す「創造」も、それだけしかできない。生物や植物を創り出すことができなければ、月宮が構造を知っていて、月宮よりも小さなものしか現出できない。


 仰々しい名前なだけで、本当は魔術師にも《欠片持ち》にも劣る力だ。


 ヴォルクたちもその欠点を突いた。


 星咲もそれを知らないわけじゃない。


 それでも彼らはその力を信じている。


 瞳が揺らぐことはない。


「いいや、大きいよ」星咲は帽子を手で弄ぶ。「小さくしているのはきみだ。きみという『器』が『人間』であろうとするために、宿す能力も小さくなってしまっているだけなんだ」


「人間であろうとする……?」


「そう。きみは恐れてる。怖がっている。自分が得た力の大きさを知っている。だから魔術師や《欠片持ち》と変わらない『程度』に『調整』してしまっている。そうだろ?」


「そんな器用なことができるか。お前が言うように『大きな力』だとするなら、俺が調整できるはずがないだろ」


「否定しても、きみが調整したという事実はある。姫ノ宮学園の一件――僕が発動した魔術に対して、きみは普段の出力では壊せないと理解すると、その力を強めて相殺しようとした。精霊の欠片を相手にしたときもそう。《冥界の巫女》のときも、アナトリア姉妹のときも。魔術師や《欠片持ち》以上だと理解したとき、きみはそれを上回るように調整してきた」


 流暢に紡がれる言葉が、床を照らす月の光のように、月宮に浸透していた。青白い事実は受け入れるまでもなく、ずっと自分の中にあったものだ。


 認めたくはないが、認めるまでもない。


 目を背けていただけのこと。


 星咲が背もたれに体重を預けると、木の軋む音が室内に響いた。月宮の無言がその音を妨げなかったために。


「そして、きみの勘違いをここで正しておきたい」


「勘違い?」


「僕はきみが『人間であろうとする』と言ったけど、これは『大きすぎる力では人間の枠を超えてしまう』と言っているわけじゃないよ」


 逆だ、と星咲は言う。


「実際は『なる』でなく『戻る』ことを拒絶しているんだ」


「ふざけるな。それじゃあまるで――」


「きみは人間じゃない」


 否定はいともたやすく肯定された。


 かたちになる前に潰された。


「どういう……ことだ」


「そのままの意味だよ」星咲の瞳は揺らぐことなく月宮に向けられる。「当然のように受け入れているようだけど、人の身に『神の力』なんて収まるわけないだろ。《冥界の巫女》でもぎりぎりだ。あれは《暴食》が自らの意思で収まっているからできることであって、それ以上の力を人間ごときが制御できるわけがない」


 どうしてそこまで知っているのか。


 その驚きを飲み込み、月宮は反論する。


「それが理由だとするなら、こうも考えられる。俺が使っている力が『神の力』じゃない。人の身に収まる力だったってことだ」


 初めから疑わしかったことだ。


 月宮が能力を使えるようになるきっかけになった男も、ただ神と名乗っただけでしかなく、本当にそうだったかなど誰にもわからない。


 そんな反論も想定したのだろう。星咲は瞼をただ静かに閉じていた。


 しばらくの沈黙のあと、


「きみ、母親のこと憶えてる?」


 と唐突に切りだした。


「それがなにか関係あるのか」


 星咲は構わず続けた。


「母親がいた記憶はあっても、母親の『顔』の記憶はないんじゃない?」


「ないわけな――」


 思い出そうとして、月宮の思考は止まった。たった二年ほど会ってないだけの母親の記憶がなかった。正確に言えば『ある』のだ。ただそれは『ある』だけで、母親という存在を知っているだけで、星咲に言われたように『顔』がない。


(な、んだ、これ……)


 だから困惑を隠しきれない。


 黒く塗り潰されているのならどんなによかっただろうか。


 シルエットが描ければどんなによかっただろうか。


 月宮の記憶にいる母親は「空白」だった。記憶の映像で追う彼女の姿は「無」でしかなく、月宮はそれを母親だと思ってしまっていた。


「父親の記憶なんてもとよりない。意識もしたことないだろう。きみに必要だったのは『なぜこの街にいるのか』だけなんだからね」


 言われなければ、いつまでも月宮は「空白」を母親だと思っていた。父親の記憶もそうだ。言われて初めて、それがないことに気付いた。


 過去が崩れていく。


 そして記憶の始まりが明確になっていく。


「きみという存在は偽りだ。月宮湊という人間はこの世界にはいない」


 頭の中を直接触れられているかのような激痛の中で、それでも月宮は星咲の言葉を聞き、答えに辿り着こうとしていた。


 記憶の始まりにいるのは誰か。


 自由に記憶を作れるのは誰か。


 過去が崩れたことで、それに繋がる記憶もまた断絶していく。自分を作り上げていたはずの過去がなくなり、今を保てなくなっていた。これまでの行動と思考が、本当に「自分」だったのかがわからない。


 始まりが偽りだからこそ、そこから続いたものも偽りに感じる。


 誰がなんのために、なにが誰のために。


 砕けていく記憶と自己。


 その一つひとつがガラス片のように輝き、その景色は星空のようだった。月宮はそれを見上げながら、手を伸ばした。


 本物を見つけるために。


「じゃあ俺は……。俺はなんなんだ……」


「きみは人間じゃない」星咲の言葉は酷く優しい。「そして『神の力』をその身に宿すことができる。魂を対価は正しくもあり間違いだった。人間としての魂を削るたびに、きみは『それ』に戻っていくんだからね」


「だから! 俺はなんなんだよ!」


 その一言が欲しい。


 もう自分では答えを見つけることはできない。


 自分の中は他人でできるのだから。


「《終焉の厄災》――それがきみの正体だ」


 全身の力が抜け、思考が止まっていく。


(俺が《終焉の厄災》だって?)


 かつて世界を絶望の淵に追い込んだ災害。


 多くの信仰者を生み出し、殺戮と虐殺を呼んだ現象。


 その実態は、まだ解明されていない。


 それが人間の姿をしていたなんて考えられない。考え付くはずもない。だが月宮の視界には多くの死が映し出されていた。血の臭いを、破壊の音を、月宮は知っている。


 綺麗な記憶の中に隠されていた淀んだ記憶。


 その記憶の最後にいたのは、アイリスだった。


 偽りの始まりにいるのもまた、彼女。


「《終焉の厄災》は神判だ。それそのものが『神の力』であり、だからこそきみは『神の力』を使うことができるんだよ」


 アイリスたちに作られ、星咲に導かれる。


 否定や反抗、抵抗や拒絶が正しいのかもしれない。けれどもそれですらアイリスの意向であり、星咲の思惑なのだろうと思え、なにもできない。


 酷い浮遊感。


 水の中にいるような息苦しさ。


 なにかに掴まなければ溺れてしまう。


 偽りの記憶。


 崩れる自己。


 もがきながら、自分を保つための「欠片」を探した。


 どんなに小さくてもいい。


 僅かな温もりでもいい。


 偽りだったとしても、作られたものだとしても、用意されたものだとしても、どこかに「月宮湊」だった証があるはずだ。


 たとえそれが悪夢だとしても。


(美、空……)


 月宮が赤い記憶を掴もうとしたとき、


「そういえば、火衣操ひごろもみさおに子供たちを救えるかもしれないって助言したのも僕だ」


 と、星咲が見計らったように告白した。


 伸ばした手が止まり、月宮の意識は外側に向いた。


「星咲いぃぃ!」


 急激に湧き起こった怒りが、すべてを掻き消した。


 火衣操は「春の大火災」が起きた原因の一人だ。何人もの少女を焼き殺し、その最後の標的の一人が秋雨美空だった。その火炎は多くの「命」と、そして「心」を焼き尽くした。月宮も、秋雨も、そして火衣自身でさえ。


 まるで救いのなかった事件。


 けれども、救えたかもしれない事件でもある。


 もしも星咲の言葉で、火衣が狂ってしまったのだとしたら、月宮は星咲を許すわけにはいかない。


 手足を拘束する鎖を引き千切ろうと力を込める。いくら武器を創り出しても掴むことができずに、ただ床に落ちていく。少しでも持つことができれば、鎖など壊せるのにそれができない。


 歯を噛み締め、星咲を睨む。


 手が砕けてもいい。


 足が折れてもいい。


 ただ目の前にいる魔術師を殺すことができるのなら、たとえ自分を失ったままでも構わなかった。


 月宮の怒りに対して、星咲はただ笑みを浮かべる。


「僕が許せないだろう? 憎いだろう? 殺したいだろう?」


 それを世界に向けてほしい、と星咲は言う。


「今度は堕ちてもらうよ。そのために姫ノ宮学園の人間の魂を使って『鍵』を作ったんだ」


 途端、月宮の身体から黒い霧が溢れ出した。内側から喰い破られるかのように身体が張り裂けそうだった。それに、「神の力」を使ったときと似た感覚。しかしそのときとは違い、そこに自分の意思が存在しない。


 心がなにかに支配される。


 黒々しいなにかに。


 月宮は声にならない声を上げる。それは月宮の声だけじゃない、老若男女さまざまの声が入り混じった悲鳴のようだった。


 黒に支配される。


 死に飲まれる。


 悲しみが。


 苦しみが。


 妬みが。


 恨みが。


 月宮の身体と精神を塗り潰していった。



     ※



「皮肉なものだよね、湊くん。きみが秋雨美空にしたことが、まさにきみがされていたことなんだから」


 星咲は帽子を深く被り、視線を床に落とした。


 叫びと瘴気が月明かりに照らされていた部屋に充満していく。どんなに神秘的な青白さであっても、混沌とした黒の前では無意味だ。


(今日も星が綺麗だった)


 少し欠けた月と、それを囲む星々。


 目を閉じ、今日の夜空を思い描く。


 月宮を浸食する「闇」をその身で感じながら。

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