7 その修正は強制
背後からガラスを踏み割る音が聞こえ、月宮は咄嗟に回避をした。いくつかのガラス片が壁を貫き、手から零れ落ちた携帯電話を突き刺していった。。
「電話をする余裕がまだあるとはな」
月宮はナイフを作り出し構える。
二人の周囲にあった建物はほとんどが倒壊し、まるで爆撃されたかのような景色が広がっている。ヴォルクがその能力であらゆるものを武器として使い、月宮が迎撃で破壊してきたためだ。
「それとも、余裕がないからこそ、か?」
周囲に目を向け、使えるものはないかを探す。ヴォルクの能力との衝突で弾かれた武器はどれも瓦礫の下に埋まっているようで、再利用は難しい。新たに創り出していくしかない。
身体はまだ動く。
痛みも耐えられないほどじゃない。
月宮は一歩踏み出そうとして踏み止まった。左右から軽自動車が飛び込んできたのだ。ナイフを振るい、勢いすら破壊し尽くす――破壊し尽くすことができた。
能力もまだ死んでいない。
「まだ抗うか。そんなに今の世界が大事か? この腐敗仕切った世界に、お前の身を滅ぼすほどの価値があるのか?」
ヴォルクが一瞬で間合いを詰め、その手を伸ばしてきた。月宮は咄嗟にナイフで防御する。
刃を包む破壊の力と、手を覆う反発の力が衝突し、稲光を起こした。
破壊することはできないが、相殺できないほどでもない。
強い光の中でもはっきりと見えるほど妖しく輝くヴォルクの欠片。異質な輝きは他の誰のものとは違う。
「世界は今度こそ、『終焉』を迎えるべきだ――迎え入れるべきだ。そうすれば、正しく再構築される」
「まさかお前……!」
「《終焉の厄災》を再びこの世界に出現させる」
それは名前のとおり、世界中に終わりを予感させた現象だ。突如現れた黒球によって、十三の国と人類の三十パーセントがこの世界から消滅した。
その禍々しさと神々しさは、数多くの信仰者を生み出すほどだった。
思い出すと「黒」がちらつく。
すべてを飲み込む「黒」が。
衝突していた手を弾き、もう片方のナイフを振るう。
しかしヴォルクは悠々と刃を掴んだ。しかも今度は拮抗するはずの力を押しのけて掴み砕いた。
「本来ならば、我ら《欠片持ち》がこの世界の頂点に立つはずだった。裏世界の魔術師を裏のままにし、、表世界の連中を黙らせることができた」
新たにナイフを創り、攻めの態勢崩さない。
相手にペースを掴ませない。
能力どうしの強い衝突。
甲高い音が、まるで刀を打っているかのように何度も響く。
「誤りを正す。これになんの問題がある、なにを否定することがある。お前も、お前が守ろうとしているものも、この箱庭で実験動物のように飼い慣らされているだけでいいのか?」
「飼われているなんて思ったことはない」
「だろうな。誰もがそう思っていたなら、反乱が起きていたはずだ。牙を牙と思わせない教育――いや、洗脳が当然のように行われ、誰もそれを疑問に思わない。間違いを間違いだと認識できない。それは酷だろう」
自分の力を知り、自分で選択をする。
それこそが「人間」だとヴォルクは言う。
世界が嫌った誰もが持つわけでもないその力は、見方を変えれば「才能」だ。後天性では身につかないもの。そんな「才能」があることは常識で、誰もがそれを知っているはずだった。
けれども、世界は《欠片持ち》を嫌った。
小さな世界に閉じ込めた。
閉じ込めた挙句、その「才能」を封じ込めた。
それが間違いだとヴォルクは言っているのだ。同じ人間で、同じく不平等に才能を持っているはずなのに、なぜ《欠片持ち》だけが――と。
「だからといってどうして《終焉の厄災》なんだ」
「あれは魔術師たちの干渉外だ。世界がただ受け入れることしかできない絶対的な現象。だからこそ、世界を壊すのにふさわしい」
「世界を壊し尽くし、人類――世界そのものが消滅することになるかもしれないだろ。世界がお前たちの理想郷になりえないことだってあるはずだ」
制御できる代物であるのなら、世界がただ受け入れるだけではなかったはずだ。それすら許さないからこそ《終焉の厄災》が信仰の対象になったのだから。
人間にはどうすることもできない領域。
それがわからないヴォルクじゃないはずだ。絶対的と言うほどなのだから、その力の理不尽さを熟知しているはず。
なのに、彼の目は揺るがない。
「そしたらやり直せばいい」
「なに?」
ヴォルクの能力が強まり、月宮の身体が大きく後退する。すぐに追撃に対する構えになったが、しかし彼は動いていなかった。
「失敗したら、また同じことをすればいいだけだ。そのために、お前が必要なんだ、月宮湊。お前のその『神の力』があれば、世界を壊し、再構築することができる。破壊と創造を繰り返し、理想へと確実に進む」
まるで夢を見る子供のようだった。張り詰めた空気も、彼から感じられる威圧感も、それではないはずなのに、なぜかそう思えた。
おそらくそれは”彼ら”と同じだからだ。
一途に、ただ一途に、その先を見ている。
「俺たちの理想のために沈んでもらう」
「お前が沈め!」
ヴォルクに向かって駆け出す。
両手に持ったナイフを強く握りしめた。
決意の表れじゃない。
力を込めなければ滑り落としてしまいそうだからだ。
普段当たり前にできるようなことに意識を向ける。その当然が成り立つ状況ではない。呼吸も、瞬きさえも「自分自身」が操縦しているかのように行う。
できるかどうかではなく、やるのだと言い聞かせながら。
手に持ったナイフの感触を失いながらも、月宮はヴォルクに迫った。
ヴォルクを倒すには「一瞬の勝負」に勝たなければならない。月宮は当然として、ヴォルクもまた「神の力」が充分に発揮できないことがわかっている。
そして従来の性能を取り戻すことができるのも。
それが一瞬だ。
もうそれだけしか耐え切れない。
だからその一瞬に刺し込む。
だが、その道のりは険しい。ヴォルクは瞬時にその間合いを詰めて、懐に潜り込んできた。虚を突かれたわけではないため、身体は反応できている。問題なのはヴォルクの態勢が低いことだ。
月宮の能力は有能だが万能ではない。「破壊の力」が付与できるのは手に持った武器だけであり、それ以外は裸同然である。
対するヴォルクの能力は、彼自身が纏うことができる。どこを攻撃するにしても、月宮はナイフなどの武器で攻撃しなければならない。
新たに武器を創るのは論外。
かといって回避も間に合わないだろう。
故に選択は一つだ。
月宮は身を翻し、足を蹴り上げた。そして“靴に仕込んでいた刃”を剥き出しにする。爪先から現れた銀色のそれには能力など宿っていない。「反発」の前では無力。
けれども――。
「――っ!」
ヴォルクは咄嗟に身を引くように回避をする。
彼ならばそうすることが、月宮にはわかっていた。拮抗するまでになっていても「神の力」は「神の力」だ。充分に注意を払うべきものだ。ただ使われるだけなら今までどおりの対応をするだけ。しかし、予期せぬ行動をされたとなれば話は変わる。
たとえそれが小さな疑惑だとしても見過ごすことはできない。
ただの棘なら傷つくことを恐れないだろう。
だが、その棘には猛毒があるかもしれない。
用心深さと執念深さを兼ね備えたヴォルクのことだ。月宮についての調べはある程度ついているはずだ。どこから得たかは考慮しないとして、これまで月宮が見せてきた行動から予測と推測を済ませているだろう。
手に持った武器にしか「破壊の力」は宿っていなかった。
だから靴に隠されていた刃など《欠片の力》で対処できる。
一度はそう考えたに違いない。
けれど、最終的に行き着いた答えは「回避」だ。そこに至る最大のピースは「どうしてこの状況でその行動をとったか」だ。
ヴォルクはその意味を迎撃可能だからだと解釈した。
今まで見せなかったのはできなかったからではなく、奥の手として隠していたからだと。
都合良くそう思ってくれた。
再び地に足を着けたとき、仕込み刃を靴の中に戻す。
「まさかそんなものがあるとはな」
これは射干玉いのりがアナトリア姉妹のときに見せたものを参考に作ったものだ。いつかは役に立つと思っていたが、思ったよりも早くそのときがきた。
流れを断ち切ったことで、月宮はヴォルクに向かおうとする。
だが、それを拒むように四方から瓦礫が飛んできた。ナイフで斬り落としていくも、その弾数の多さはほとんど無限に近い。ヴォルクの能力である「反発」は物体であろうと心理であろうと効果を発揮する。
留まっていれば動き出し、抑えつけていれば解放される。
月宮はナイフを捨て、ハルバードを創り出す。頭に浮かべるのは、月宮に「力」を教えた男の姿だ。雄々しく豪快でありながら、流麗な動きを見せる彼の姿を自分に重ねる。
ただ振り回すだけでは捌き切ることはできない。彼ならばそうすると思いがちになるが、そうじゃない。あの男なら一つひとつを確実に叩き落としていく。
手で、腕で、足で――身体全体で、ハルバードを扱う。
そして、なにより模倣すべきは――。
月宮はその瞬間を見逃さず、中心点から一気に飛び出した。
ヴォルクにハルバードを振り下ろす。しかし振り下ろしたそれを、ヴォルクは踏みつけた。飛び出てくることを読まれていた。あるいは飛び出すように仕向けられた。
だが、退かない。
ハルバードを捨て、ナイフで斬りかかる。
激しい能力のぶつかり合いに、空気が震えていた。
金属音のような耳障りな音が何度も響き。
その度に衝撃波が生じる。
ヴォルクの能力に負けないために「破壊の力」に意識を回しているためか、創り出す武器は脆く、数度の打ち合いで砕けた。
そしてそれらは月宮に襲いかかる。
ヴォルクの体術は、能力の付与もあってレオルよりも数段鋭い。月宮は武器でしか彼に触れることができない――「神の力」でしか攻撃も防御もできない。それに加えて、周りに落ちているすべてが銃弾のように飛びかかってくるのだ。
小石のようなものから、二トントラックほどの瓦礫まで。
悲鳴をあげる身体を動かし、感知の手が届く領域をかぎりなく広げる。
異能力が満足に使えないのなら、自身の能力の限界を超えるまで。
(これまでのことを思い出せ……!)
事務所に入ってからの日々を。
魔法に近い魔術を相殺し、
精霊に立ち向かい、
《冥界の巫女》と裏組織を相手取り、
吸血鬼と死闘を繰り広げた。
そしてなにより。
ただの人間のままで《欠片持ち》に挑んだ春がある。
無力のまま、無知のまま、無謀に、無茶をしたあの春。
彼女を守るために自分のできること以上を発揮した。
それをすればいいだけだ。
今度は約束を守るために。
ただひたすらに足掻けばいい。
その想いが結実していくように、月宮の動きは精錬されていった。まるで未来を見ているかのように的確に行動と思考ができていた。ただ武器を創るのではなく、その耐久度、そのときどきに合ったものを選択する。その答えを導くのに時間はいらない。
能力の衝突による甲高い音も福音にように思えた。
ヴォルクに対応しているのではない。
ヴォルクを圧倒できている。
もっと速く。
もっと鋭く。
もっと必死に。
考えるより早く動き、動くよりも早く考える。
矛盾した机上の空論を実現させる。
そして、その機会は訪れた。ヴォルクの攻撃を掻い潜り続けたことでできた初めての隙。おそらくそれは、何十、何百と交わした攻防の中で自然と作り出したものだ。ヴォルクの思考と呼吸を知り、どう動けばどう動いてくるのかが読める。
ヴォルクの表情に、ようやく焦りが見えた。
ただその焦りを原因は月宮のことだけではない。
途方もない力の波動が押し寄せてきたのだ。
ヴォルクはそれを感じ取り――自分たちの計画にはなく、知識と情報にもない「例外」を感じ取ったがために、虚を突かれたかのように硬直してしまう。
きっと誰もがそうだっただろう。
これほどの力を感じれば、心を揺さぶられる。
意識を向けてしまう。
だが、月宮はそれを無視できた。たしかに感じ取り、異質さを理解したが、それでも月宮の身体はただヴォルクに一撃を入れるだけのために動いた。
たとえそれが「神の力」に似ているからだとしても、
心を揺さぶってくるほどの圧倒的な力だとしても、
彼女との約束を果たすための障害を――目の前にいる《欠片持ち》を沈ませられる好機の前では取るに取らないことでしかない。
間合いを詰め、ナイフを振るう。
一撃必殺を狙ったそれは、ヴォルグの首を横一閃に斬り開く。
花が開くように広がる血飛沫。
(――くそっ!)
その量の少なさが、傷の浅さを物語っていた。
掴み取った感覚はあった。
だがそれは、するりと手の中から零れ落ちていく。
(まだだ――)
月宮はその様子をただ茫然と眺めなかった。零れ落ちていくのなら、また掴めばいいだけだ。砕けてはいない。まだ掴める距離にある。
それならば諦めるのは早計だ。
身体を縛っていた確信と安心の鎖を引き千切る。振るったナイフを逆手に持ちかえ、その重い一歩を踏み出した。
届かなかったなら届かせればいい。
無理だと決めつけていたのは他でもない自分自身だ。
まだ戦える。
まだ動ける。
まだ“壊れる”ことができる。
限界を噛み殺し、約束を振り抜く。
今度こそ終わらせるために。
しかし身体はぴたりと動きを止めてしまう。今まで積み上げてきたものが激しく音を立てて崩れていくかのように。
ヴォルグの背後。
いるはずのない姿。
秋雨美空がそこにはいた。




