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悠久の世界は月のために  作者: 鳴海
第3章
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8 その温もりは不変

 無闇に銀髪の男を追うは危険だと判断し、如月たちは事務所に向かった。報告が必要だと思ったのもそうだが、やはり秋雨の安否が心配だった。茜夏が一緒だったとしても、あの男の仲間に襲撃を受けることもある。


「あ、如月ちゃん。無事でよかったよ……」


 事務所で傷一つない姿を見て、如月はたしかに安堵した。しかしその“様子”を見て、別の心配が生まれる。


 声に力はなく、顔には疲労が見えている。髪は汗で頬や額に張り付いていた。逃げるという慣れない行為、精神的不安によって、身体と心に強い負担がかかってしまったのだろう。


 ソファに座っているというよりは置かれている状態。


 笑顔を無理やり作っている。


「それはこっちのセリフだよ!」如月は駆け寄って秋雨の隣に座る。「なんともない? 無理してない?」


「大丈夫。ちょっと疲れちゃっただけ」


 嘘の臭いを感じて、部屋にいた茜夏に目を向けた。


「精神的負担がかかったんだろ。一度ぶっ倒れたがそれ以外はなにもなかった」


「倒れた……?」


 如月はすぐに向き直す。秋雨は消えそうな笑い声を零した。そして「でも大丈夫。今はなんともないから」と説得力のない語調で言う。


 胸がずきりと痛んだ。


 後悔が湧き起こる。


 こんなことになるならもっと早く秋雨のもとに向かえばよかった。少し考えれば彼女の行動を読めたはずだ。秋雨は本当に「一般人」だ。平穏な世界に生き、命の危機とは無縁だった。普通の女子高生でしかない。他の住民たちと同じように、危機回避能力が低くてもおかしくはない。ましてや自分が狙われるなんて考えられるわけもない。


 無関係だから。


 無関係だとしか思えないから。


 如月は自分を責め続けた。こんなだから誰も守れないのだと。長月のこともそうだ。失いかけてしまった。浅はかな思考で構築した策で、仲間を――家族を殺してしまうところだった。


(嫌なのに……。なんで、上手くいかないかな……)


 視線が床に落ちそうになったとき、頬に温かさを感じた。


 見れば、それは秋雨の手だった。


「如月ちゃんは悪くないよ」秋雨は笑みを浮かべる。誰よりも辛い思いをしたはずなのに。「ありがとう」


「そうですよ、トモ」長月の手が肩に置かれた。「あなたはよくやりました」


 頷くことはできなかった。納得もできなかった。温かい言葉に触れて自責の念は和らいだが、それでも自分を許すことはできない。


 けれど、如月は笑ってみせた。


 嘘で作り上げた笑顔。


 それでもきっと、二人を安心させることくらいはできるだろう。


 嘘を吐くのには慣れている。


 嘘と血で塗り固められた人生だ。


 背後で誰かが動く気配がして如月は振り向いた。茜夏が月宮に話しかけている。月宮が頷くと二人は部屋から出て行った。



     ※



「あいつもなにかあるのか?」


 屋上に着いたのと同時に茜夏は月宮に訊ねた。如月たちの前で訊いてもよかったのだが、しかし本人のこととはいえ秋雨がいる前で話すことは躊躇われた。きっと彼女はなにも知らない。知らされてはいない。そんな気がした。


 茜夏の言葉を受けて、月宮は少し驚いた表情を見せた。そしてそれが答えだった。


「やっぱりなにかあるのか」


「どうしてそんなことを訊く」


「事務所に向かっている途中のことだ」茜夏はあの景色を思い出す。「あいつはいきなり痛みを訴えた。立てないくらい苦しみ、呼吸もままならなくなった。これだけでも異常だっていうのに、そのあと背中からいくつもの羽根が噴き出たんだ。あいつが『普通』であるのなら、こんなことありえないだろ」


 月宮の様子は、まるで壁にでも話しかけている気分にさせられた。反応が皆無だ。


 それだけならまだ許せる。しかし返答を待っても、答える素振りを見せない。それが気に入らなかった。


「きっと天使だからだろうな」


 茜夏の視線が月宮の背後に移る。そこにいたのは茜奈だ。多少衣服や髪が乱れているが、まずは生きていることに茜夏は密かに安堵した。銀髪の男にやられた可能性は充分にあった。ありえないと考えていても、茜夏の前に現れた以上浮かび上がる可能性だ。


「お前、無事だったのか」


「無事になった、という方が正しい」茜奈は茜夏と月宮の間に立った。三人を頂点とした二等辺三角形が描ける位置だ。「ヴォルクという男は凄まじかったよ。右腕が吹っ飛んだ」


「あぁ?」


 銀髪の男の名前を知ったことよりもまず、右腕のことが気になった。吹き飛んだとは言うが、茜奈の右腕はたしかにある。月宮も同じように茜奈の右腕を注視していた。


 なにかの比喩だろうか、と茜夏は考えていると、茜奈は詳細を話し始めた。自分の右腕を――右手を見ながら。


「どうやら私の右手には『冥界の巫女』という者が住んでいるらしい」


「なんだそりゃあ」


「私が聞いた話をわかりやすくすると、私たちが言う『あの世』が《冥界》で、そこの主である《冥王》に仕えているのが『冥界の巫女』だ。七人……と言ってもいいのかわからないが、とにかく七人いるうちの一人が私の右腕に宿っている」


「どうして」と月宮。


「さあね」茜奈は肩を竦めた。「それは訊きそびれた」


 訊けなかったのだろう、と茜夏は察した。茜奈はその右手で人生が崩壊している。「冥界の巫女」という疫病神が宿っていなければ、両親に捨てられることも、祖父母を失うことも、ましてや茜夏に出会い道を踏み外すこともなかったのだ。


 言いたいことしかないはずだ。


 暴言や恨み辛みを吐き出したかったはずだ。


 でもなにも言えなかった。それはきっと崩壊させられたとしても、崩壊させられたあとの人生でなによりも頼りにしてきたものでもあるからだ。右腕の修復のことも、おそらくヴォルクを撃退したのも「冥界の巫女」だからなにも言えない。


 茜夏は心中で嘆息した。そういうとき真面目になってしまう彼女に。


「いや、お前の話はあとでいい」茜夏は話を戻す。「今はあの女の方だ」


「だから秋雨ちゃんくらい天使なら羽根の一つや二つ出てきてもおかしくはないだろ」


「お前は少し黙ってろよ」


 思わず強まってしまった語調に茜奈は驚いたがすぐに肩を竦めた。


 睨むように月宮を見る。しかし彼は動じない。


「話せよ。なにか知ってんだろ」


「お前たちには関係ない」


 その言葉で、茜夏は怒りを隠せなくなった。胸の底に沈んでいたのそれは一気に湧き出し、自制が効かなくなる。


 月宮に近寄り、その胸倉を掴んだ。それでも月宮は表情一つ崩さない。


 ただ受け入れる。


 ただ茜夏を見据える。


「関係ない? ふざけんな! 関係あるだろ! 今日あいつのために戦った奴がいるんだぞ! このままなにも知らないで済まされることじゃねえだろ! あいつになにかあるのなら――《欠片持ち(おれたち)》以上のなにかがあるのなら、それを守る奴も被害を受けるんだぞ!」


 たとえば茜奈がそうだ。彼女は知らずに能力を持ち、そしてその能力で家族を失った。自覚があれば絶対に防げたとは言えない。だが今の環境に身を落とすことはなかったはずだ。もっと温かい場所にいられたかもしれない。


 なにも知らないままでいるわけにはいかない。


 未知は脅威だ。なにかを間違えれば、誰かが間違えれば、それだけで周囲を呑み込み、喰い潰し、根絶やすこともある。


 それをわかっていて、月宮は隠している。


 だから苛立つ。


「お前、まさか一人で抱え込めることだと思ってんのか? できてねえのに、まだそうしようっていうのか?」


 胸倉を掴む手に、さらに力がこもっていく。


 まるで揺らがない瞳。こっちが間違っていると言わんばかりならまだしも、言いたいことはそれだけかと煽ってくるようであった。


「まあまあ」茜奈の手が茜夏の手を抑え込む。「一人で抱え込むのは茜夏もやったことじゃないか。その点は同じだろう。それはただの同族嫌悪だ」


「同族だとしても、俺とこいつは違う。俺は守りたいものを犠牲にしようとは思わない」


 最初からただの駒として扱おうと言うなら茜夏もここまで怒りを見せることはなかっただろう。非情に徹し、平気で切り捨てる人物であれば、気に入らないとしても受け入れることはできた。


 だが月宮湊はそうじゃない。


 姫ノ宮学園にいたという如月たちも、裏組織にいた茜夏たちも、惨劇と惨殺を繰り返したアナトリア姉妹も、すべて掬い上げている。最初は利用するためだと思っていた。しかし月宮が茜夏たちに闘いを強要することはなかった。


 そのときには選択することができた。


 自分たちで選ぶ道が残されていた。


 それが優しさだと言わないのならなんだと言うのか。


「二人とも優しいからぶつかり合ってしまうんだな」茜奈は笑みを浮かべながら言う。「どっちの言い分も根っこは同じ。誰かを想っている。どちらも間違ってはいないんだ」


「こいつは間違ってる。一人のために他を犠牲にする気がないのなら、こいつのやろうとしていることは破綻してる」


「つまり茜夏が言いたいのは『お前のしたいことはわかる。力を貸してやるから情報をくれ』ってことか」


 茜夏は舌打ちをして、掴んでいた手を放した。どうも茜奈といると調子が狂う。とぼけた態度でいるくせに、核心を突いてくる。


「だそうだが。どうだ、月宮くん」


 お前たちには関係ない。


 またそう言われるのだと思った。月宮の眼には変わらず、なにを見ているのかわからないような黒々しさがあった。


 しかし。


「約束なんだ」


「約束?」


「あいつが『普通』でいられるように、俺はしなければいけない。どこにでもいる一人の女の子として過ごさせてやらないといけないんだ」


「だったら尚更話せよ」


 月宮は首を横に振った。


「話せば『普通』じゃなくなる。あいつを見る周りの目が変われば、あいつ自身がそれに気付いて異変を感じてしまう。それは避けないといけない」


 たしかに秋雨美空の秘密を知れば、彼女の周囲にいる人間の目はこれまでと同じではいられない。秋雨をよく知らない茜夏でさえ、もう今までの目で秋雨を見ることはできないだろう。どこにでもいる一人の女の子ではなくなってしまっている。


 知る人間が少なければその変化は気付きにくい。しかし傍にいる如月たちが知ることになれば――。


 約束。


 普通でいてほしい。


 どこかで聞いた話だ。


 誰かが望んだ話だ。


(本当に嫌になる)


 茜夏は息を一つ吐き出して、そのまま歩き始めた。もう月宮と話すことはない。目的とは違うが「知る」ことはできた。


「どこへ行くんだ、茜夏」


 背後から茜奈に声をかけられても足を止めない。


「戻るんだよ。話は終わりだ」


「これからどうするつもりだ」


「今までと変わらねえよ。目の前に現れたものをどうにかするだけだ」



     ※



 音無は街中から感じる歪な風を辿っていた。《欠片持ち》だけではない。アナトリア姉妹のときに感じた「三つ」の風が異様に漂っている。


 一つは外の力の風。


 一つは黒服の女の風。


 一つは月宮の風。


 ただ後者二つは、かつて感じたものとは大きく異なり、別物のようにさえ思えた。黒服の女のものは誤差かもしれない。だが、月宮の風は違う。最近の彼のものとは思えないほど変容してしまっている。


 そう言う彼女に、導向日葵は訊ねた。


 どう変わっているのかと。


 すると音無は答えた。


 ただ一言。


「人間味が感じられない」


 音無の世界を知らない導にとって「人間味」がどういうものを指しているのかは判然としないが、彼女の焦りからして相当に危険な状態と言えるのかもしれなかった。


 月宮湊の秘密。


 それに触れてはならないことは導にも理解できていた。不思議なもので、人間と言うのは理解できない言葉を聞いたとしても、それが自分にどんな害をもたらす可能性があるのかをある程度察することができる。聞いたときの空気、言葉の響き。それらから情報を組み上げ、その正体を作り上げる。


 危険度で言えば、月宮の秘密は最高域だろう。どこに繋がっているかわかったものではない。どこか動いてしまうのか。


 たとえば世界そのものを敵に回すこともあるかもしれない。


 知らないことが数えきれないほどあり、知ってはならないこともまた数多くある。音無の言った「三つの風」がそれに当てはまる。


 ではレオルたちはどうだ。今この街を混乱に陥れている彼らのことは知ってもいいのだろうか。月宮たちの話によれば《欠片持ち》ということだが、しかし三人ともノーナンバーだ。まさに「街の闇」である。


 すべての《欠片持ち》が管理されている。それを覆す問題だ。「人体消失事件」のときからその信頼は崩れている。あのときは一人。今回は三人。もしかしたらそれ以上のノーナンバーが入ってきているのかもしれない。


(入ってきている?)


 まるで外から来たかのように考えた自分に、導は嘲笑した。


 動かしていた手を止め、カップに入ったコーヒーを飲もうとした。


「あれ?」

 

 しかしカップの中は空だった。いつもならウェイトレスよろしくイヴが勝手におかわりを注ぎ入れる。だから常に入っているものだと思っていた。


「イヴのが一番美味しいんだけどな」


 イヴはすでに帰らせてある。今のこの街に安全な場所はないが、それでも自宅にいた方がいいだろう。少なくとも「なにも持たない」イヴが誰かに狙われる理由はない。組織として狙われる都市警察にいるよりはよっぽど安全だ。


 給湯室に向かおうと立ち上がったところでカップを置いた。自分で作る味の悪さはわかっている。それなのにわざわざ作りに行くのは阿呆のすることだ。スカートのポケットに手を入れて小銭を取り出す。二百五十三円。喫茶店でもないかぎりコーヒーは飲める。


 自動販売機はほんの三十秒もかからない場所にあるため、施錠していく必要もないだろうと鍵をかけずに向かった。


 コーヒーを買い終わり、ふと周りに目を向けてみた。なんの変わりのない日常風景があった。天野川高校が襲撃を受けたのに変わらないのも不思議なことだ。無駄に警戒して「日常」が壊れてしまうのが怖いのだろう。


 なにも間違いじゃない。


 誰も間違ってはいない。


 面倒だと思いながらもこうして都市警察の仕事をしている導も、だからまた間違ってはいないのだ。家で大人しくしているよりも、音無たちの力になることを選んだだけだ。


 原動力となっているものを思い出し、支部に戻る。


「おかえり」


 そう部屋の中で告げたのは見知らぬ女。


 だが、導はすぐに察した。聞いていた情報どおりだ。


「鎖」の能力者。


 リースの瞳に欠片が浮かび上がった。


「そして、さよならだ」


 直後、スチール缶の落ちる音が響いた。

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