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悠久の世界は月のために  作者: 鳴海
第3章
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6 その同調は汚染

「チビすけ! あぶねえだろうが!」


 そんな怒号で、如月は銀髪の男の近くに茜夏がいることに気付いた。いつもは見下ろしてくる茜夏が眼下にいることで、如月は優越感に浸ることができた。


(なんなら一緒に消えてくれればよかったのに)


 そうすれば面倒事が一気になくなる。


 ただ思ったよりも銀髪の男の動き出しが遅かったため、さっきの魔術がどちらかに直撃することはなかっただろう。もう少しなにかがずれていなければならなかった。


 ずれが発生した要因として、銀髪の男が発する悪意に似た空気もある。あまりにも濃いためにその中心を捉えられず、これまで経験した濃度に身体が反応してしまうのだ。充分に狙いを定めれば中心を撃ち抜けたかもしれない。しかしその時間で銀髪の男に勘付かれる可能性もあった。


「――って、あれ!?」


 銀髪の男の空気、そして茜夏の陰に隠れていて気付けなかったが、よく見れば彼の背後に秋雨が立っていた。彼女の視線もこっちに向いている。


 構図から考えて、茜夏が秋雨を守っているのだろう。それがなぜかはわからない。けれど、秋雨を守っているのなら、彼を攻撃するわけにはいかなかった。


 如月は不用意な攻撃を反省する。まさか秋雨がすでに蚊帳の中にいるとは思っていなかった。ここまで早く辿り着くとは想像していなかった。完全に読み違え、危うく秋雨を攻撃していたかもしれない。


 胸の鼓動が速まり、汗が滲み出てきた。最悪のケースが脳裏に浮かんでは、そうならなかったことに胸を撫で下ろす。その連続だ。完全に切り替えるのに数秒の時間を使ってしまうほど、如月は動揺していた。


 落ち着きを取り戻しつつ、状況を整理していく。銀髪の男は秋雨を狙い、その秋雨を茜夏が守っている。そこに如月たちが割り込んだかたちだ。普段はいがみ合っている間の如月と茜夏だが、今回は目的が一致している。悪くない構図だった。


 相手の能力を度外視すれば、の話だが。


 如月は長月、そして茜夏に目配せをする。長月はやることをすでに話し合っているため語る必要はない。茜夏はもともと裏組織の人間だ。その筋のプロならば、目配せをすれば充分理解してくれるだろう。


 できなければそれまでだ。


 予想どおり茜夏は気付き、真剣な面持ちに変わる。しかし彼が気付けたということは、同じく如月を見ていた銀髪の男も同様だ。


 銀髪の男が動き出す直前、手筈どおりに長月が飛び出した。ほんの少しの時間を稼ぐためには無謀だと知っていてもそうしなければならない。


 その隙に如月は魔術を使う。秋雨がいることは想定外だが、気にしてはいられない。魔術を知られてしまうが、所長代理がどうにかしてくれるだろう。


 前面にいくつもの魔法陣を展開させ、そこから魔力を放出させる。


 霧のように。


 微細な魔力の粒が光り輝き、地面へと降り注ぐその光景は、まるでテーマパークの催し物のようだ。そしてそれと同じように攻撃性はない。強さもなければ、持続性もない。地面に到達するまでに消えてしまうほど弱々しい。


 だがこれは銀髪の男の能力に対抗する手段だ。


 如月の魔術に対して、立ち止まった銀髪の男に魔力の霧が降り注ぐ。だが、当然その《欠片の力》により彼自身に直撃することはない。霧はすべて弾かれる。


(あとは運次第――)



     ※



 如月の魔術が問題なく発動されたことで最初の段階を超えることができた。デコイとして長月が飛び出したが、もしも銀髪の男が「魔術主体で戦うと想定される」如月を狙えば、そのまま全滅していたかもしれない。


 いまだ銀髪の男の《欠片の力》の正体は掴めない。それだけならまだいい。問題なのはその能力が「視認」できないことだった。魔術を跳ね返し、鉄槌を破壊し、そしておそらく如月の動きを止めたのも同じ能力だ。


 絶対防御でいて、回避不可能。


 それを攻略するにはまず、視認できなければならない。その策として如月の魔術だ。彼女は魔力の扱いに長けている。普段使っている魔術のように凝縮させることも、また今のように霧状にして散布することも、容易にできてしまうのだ。


(思ったとおりですね)


 降り注がれた魔力の霧を、銀髪の男はその身に触れる前に弾いていた。どうやら自身の周囲に膜のようなものを張っているのだろう。


 どこを攻撃しても弾かれるだけだ。その防御力を示すように、銀髪の男は長月に目を向けていなかった。魔力の霧を観察している。なにも知らなければ、どんな効果があるかもわからないため、警戒しているのだろう。


 警戒。


 その意味は、防御が絶対でないこと。銀髪の男にとって最も厄介なのは、一度しか見ていない魔術だ。たしかに一度は防ぐことができた。しかしたった一度だ。それではまだ魔術への防御を確信できない。


 如月が言ったとおりだ。


 銀髪の男は《欠片の力》を試すために実験を繰り返していた。繰り返すということは、一度の検証では信頼できないということ。だから魔術をもう一度使われたとき、彼はその性格から「見」に回る。


 余所見をしている隙をつき、長月はその鉄槌を振り下ろす。しかし手応えはない。柔らかい感触があり、そのまま弾かれる。

 攻撃されたことに気付き、銀髪の男の目が向けられる。その目は敵対心に燃えたものではなく、あくまで観察をするものだ。


「あなたではなにもわかりませんよ」


「それはどうだろうな。だが、お前の攻撃が通らないことはわかる」


「これでも魔術の心得はあります。もしかしたら、どれかがその防御ちからを透過するかもしれません」


 長月は鉄槌を魔術で取り出し、空いていた手で握った。


 これはブラフだ。たしかに長月は魔術の心得がある。ただできるのは二つ。鉄槌を転移させる魔術と人払いの魔術だけだ。どれも銀髪の男に勝てるものではない。


 だが、魔術を知っているというアドバンテージがある。今、魔術を見せたことで、銀髪の男は長月が他の魔術を使える可能性を視野に置いただろう。それだけで充分なのだ。どんな効果を持ち、いつ使われるのかが不明な状態が続くことが、今は望ましい。


 さらに多種の魔術を扱えることを示すことで、如月の魔術を魔術で防いでいると勘違いさせることもできる。有害な効果を持った霧を、魔術で防いでいる。事前に打ち合わせているのだからそれくらいはしているはずだ。そう思うだろう。


 それでいい。


 その勘違いで足を止め、考えさせる。


 長月は勝たなくていい。


 これはそういう闘いだ。


「なるほど。そういうことか」銀髪の男が別方向に目を向けた。「お前の相手をしている間に秋雨美空を逃がすつもりだな」


「そのとおりです」


 ここは飾らずに肯定した。否定するにも、茜夏がすでに動き始めているため、事実として成立してしまっている。茜夏が勝手に行動したと認識されるよりは、連携がとれていると思わせた方が得だ。不測の事態でも対応できる姿は見せておいた方がいい。


 もちろん、もともとそのつもりでもあった。如月と長月が銀髪の男をしている間に、茜夏と秋雨は事務所を目指す。この程度のことならば、アイコンタクト程度で意思の疎通がとれる。


「俺が追いかけないと思っているのか」


「追いかけません……いえ、あなたは追いかけられません。攻撃、防御、移動のいずれかを同時に行えないことはわかっています」


 普段なら敵と言葉を交わすことは望まないが、今は少しでも時間を稼ぐために、意識をこちらに留めておくために話すしかなかった。


「あなたの行動には、必ず“区切り”があります。鉄槌を破壊した攻撃、魔術を防ぐ防御、秋雨美空らを捜索する移動。こちらの動きを封じたのも攻撃と捉えていいでしょう。ならばどうして今その攻撃をしないのか。それは単純にできないからに他なりません」


「あくまで推論だろう」


「そうです。ですが、あなたがそこに留まり続けるほどに、その推論の正しさが証明されていきます」


 長月はあえて両腕を大きく広げた。敵の前でする行動ではない。だが、リスクを受け入れなければ、すべてが崩壊してしまう。


 守れるものも守れなくなる。


「できるというのならどうぞ、やってみてください。その防御を解き、この魔術の霧をその身に受けてもいいというのなら存分にやって構いません」


 いつも力技だけで窮地を乗り越えてきた長月にとって、この心理戦はかつてない緊張感を伴うものだった。


 もの一つ壊すことのできない「言葉」が、無害な魔術に危険を付随させ、敵の行動を制限できる。その状況を作り出すためには、相手に言葉を信じ込ませるためには、それなりの場が必要ということもあるが、それでも話すだけというシンプルさは衝撃的だ。


 会話は誰にでもできる魔術。


 今まで忘れていた如月の言葉が、そのときの情景とともに思い出される。あのときはただ相槌を打っただけだった。


 まさかそれを実感できる日がくるとは思いもしなかった。


「まあいい」


 銀髪の男は一度瞼を閉じ、再び開いたとき長月に向かってきた。視認できているため、能力を使っての移動ではない。


 男が伸ばした手を、長月は回避する。彼の能力で弾かれた魔力の粒子が消えていく様を間近で見ることができた。


「秋雨美空は事務所に向かっているだけだ。お前たちを始末してから追えばいいだけの話だ。どうせこっちの能力を攻略できたわけじゃない」


 まさにそのとおりだった。足止めはできるに至ったが、どうすれば《欠片の力》を突破できるのかは見つかっていない。


「よく考えられた作戦だな」男は本当に感心したように言う。「たった一度の邂逅でここまえの対策を練られたものだ。この霧も俺の能力の全貌を想定している。たしかに反射する力を思うままにできる。だが、この霧の一粒一粒は酷く脆く、反射の力を強めても途中で消えてしまうだろう」


 長月は敵の様子を訝しんだ。情報によるアドバンテージについてわからない相手ではない。あえて自ら能力の一端を開示するという行為。それが危険の前触れにしか思えなかった。


(――っ!?)


 一瞬、反応が遅れた。まるで意識の隙間を突いてきたかのように、銀髪の男が攻め込んできた。危うくその手に触れられしまいそうになったが、間一髪のところで回避する。


 続けて攻撃を仕掛けてくると思ったが、銀髪の男は立ち止まり、長月を見据えていた。


「配役も悪くない。上の奴が常に俺を狙うことで意識を分散させ、感情が表に出にくいお前が俺の相手をする。魔術を知らない俺からすれば、上の奴が最も脅威だ。お前も魔術は使えるんだろうが、上の奴ほどではない」


 そうか、と長月は言い知れぬ不安の正体に気付いた。


 銀髪の男が歩み寄ってきているのだ。


 入り込んできている。


 這い寄ってきている。


 すり寄ってきている。


 長月たちの作戦を言葉にしていくことで、こちらと同調してきている。それは白い紙に落とされた墨汁のように、じわじわと塗り潰す。白は黒へとその色を変え、もとの状態には戻れなくなる。つまりこのままでは長月たちの作戦が崩壊する。


 理解され始めているために。


 しかもただ作戦が理解され始めているだけではない。長月たちの実力も見抜かれようとしている。まだ完全に測り切れたわけじゃないだろうが、しかしそれも時間の問題のように思われた。


 それは、まさに今、長月の心が握り取られようとしているからだ。すでに虚を突かれてしまっている。彼自身言っていた。長月は感情が表に出にくい。そのはずが、彼は表に出ていない揺れ動きを見切った。


 どうにかしなければ。


 その思いが一層強くなる。ただ足止めをしているだけでは壊滅させられてしまう。


 しかしそれとは裏腹に、銀髪の男の頭の位置が下がる。


 すぐさま臨戦態勢に入る長月。別段動きが速いわけじゃない。鋭さはあるものの、避けられないほどではない。


 掌底。


 回し蹴り。


 流れるように撃ち出される攻撃を、長月は避けていく。やはり避けられないほどではない。基本的な身体の動きを理解していれば、だいたいの予想はつけられた。


 だが、それもすぐに破綻する。


 少しずつ。


 少しずつだが、銀髪の男の攻撃が予測からずれ、長月の回避から確実性が失われていった。基本的な流れの中に異物を混ぜられることで、長月は先読みでの回避ができなくなっているのだ。


 しかも銀髪の男の《欠片の力》の都合上、長月は相手に触れることはできない。触れた瞬間に鉄槌と同じく砕かれる可能性が充分にある。


「どうした、動きが鈍くなっているぞ」


 そう言う男の側頭部に、魔力の矢が直撃した。無論、直撃してもそれは弾かれるだけで、男に致命傷を与えられるわけじゃない。


 今の援護射撃でわかったのは、男の眼中にあるのは長月だけということ。


 そして“時間稼ぎ”の限界が近づいてきたことだ。


 銀髪の男は「見」の状態を解き、目の前の邪魔者を排除に移行した。想定より早い。魔術の解析、魔術への耐性の調査にもっと時間をかけると思っていた。


 霧による行動制限は意味を成しているようだが、しかしそれだけだ。


 最初に左手にあった鉄槌、最後に右の鉄槌。


 目くらましにでもなると思って手放してみても、ただ砂の城のように簡単に壊れていくだけだった。


 如月が重ねる援護も無効かされる。銀髪の男に直接当てるのではなく、地面に当てることで足場を崩そうとしても、それを見越して男はわざわざ直撃しに行く。恐ろしいほどの研ぎ澄まされた感覚だ。魔力の感知もできずに反応できるものではない。


 長月たちは逃げられない。逃げる選択はない。あくまでこの策を貫き、時間を稼ぎ続ける。霧を放出し続けるために如月は銀髪の男から距離をとらなければならない。長月はデコイとしてその役目を果たさなければならない。


 だから長月は、その魔の手をギリギリで回避する。


 あと少しで届くという事実が、相手に勝ちを急がせようとする。


 終わりに執着させられる。


 しかしそれは、いつまでも続けられることではない。あと一歩で終わりになるのだから、その一歩のための試行回数を増やしてしまう。


 だから、そのときは確実に訪れる。


 そう遅くないときに。


(――っ!)


 長月の腕に、男の手が掠った。掠っただけだが、まるで刃物で切られたかのような傷跡ができる。溢れ出る血液。触れたのが一瞬だったからこの程度だったのだろう。もしも掴まれていれば腕を落とされていたに違いない。


(仕方ありませんね)


 銀髪の男の手を弾くために、傷ついた左腕を振るう。


 大切な人の大切なものを守るため。


 腕一本の代償で済むのなら安い。


 いや、きっと命を捨てても構わない。


 長月はこれまでそうやって生きていた。長月だけじゃない。あの十二人全員がそうだった。たった一人の少女を守るために、その命をかけてきた。


 届かないとしても。


 無意味だったとしても。


 意表を突けるのなら、その価値はある。


 あるはずだった。


 思わない出来事に驚いたのは、長月の方だった。長月の振るったその左腕。それはたしかに男の手と接触したが、しかしその能力で引き千切られるのではなく、普通に払われたかのように弾かれた。


 終わりへの執着。


 終わらせるための一歩。


 それは、ただ冷静に踏み込むこと。


 身体が開いた長月の首元に、その手が迫る。


 男の目は酷く冷たいものだった。


 いや、すでに長月を見ていない。次の標的である如月に向けられている。


「トモ! 来ないでくだ――」


 きっと彼女はそうしてしまうだろう。


 彼女は勝利よりも「人」をとる。


 そんな彼女を止めるために叫んだ。


 止まってくれ。


 そう込めて。


 途端。


 長月の視界に影が映り込んだ。


 想いは届かなかった。


 そう思った。


 金属の弾かれる音。


 続けて聞こえてきたのは、奇怪な音。


 なにかが壊れ、なにかを裂いた音。


 長月が見たのは、銀髪の男の腕に突き刺さったナイフだ。


「こいつに触れるな。触れれば殺す」


 月宮湊は冷たくそう言い放った。


 長月たちの想いが結実した瞬間だった。

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