3 その完成は悪化
天野川高校が休学となり、時間があり余ってしまった如月トモはレオルたちを捜すために長月イチジクと共に街を徘徊していた。月宮湊から連絡もなく、また彼が自宅にはいないようだったため二人きりだ。
「こういうのって捜すと見つからないんだよねえ」
朝早くから行動してみても、成果はまるでない。会いたくもないときにかぎって向こうから現れたのに、こっちから会おうするとそれはなかなか叶わない。
本当に不公平だ。
「不思議と情報もありませんね。彼らは幽霊なのかもしれません」
「笑えないね」
その冗談に笑えないのは、ただ捜索が上手くいかないからだけじゃない。捜索の最中に《欠片持ち》の相手もしたからだ。無駄に敵意を撒き散らし、無駄に暴れる彼らを気絶させるのに、無駄に体力を使ってしまった。
都市警察もかなりの人員を割いて動いているようだが、まるで人手が足りていない。いや、容量が悪いというべきだろう。たった一人や二人を相手するのに相当に手間取っているようだった。
敵意を向けている以上、それは「敵」だ。情けをかけているようでは無関係の人間を傷つけることになる。
被害は広がるばかり。
それがわからないのなら問題外、わかっていて行動に移せないのも論外だ。
本当の危機に直面して、都市警察という組織のメッキが剥がれてきた。住民たちの不満が爆発するのも時間の問題だろう。
その前に事態が収束しかねないが。
笑えない如月を他所に、すれ違ったグループが談笑していた。天野川高校が襲撃を受けようとも、そんなことをする犯人が街にいようとも、彼らの日常は変わらないのだろう。
きっと「日常の外側」で起きているとしか考えてない。
傍にあるのに。
寄り添っているのに。
彼らにはそれは見えないもので、無関係のものなのだ。
「トモ。駄々漏れですよ」
「平和は好きだけど、それに浸かり切ってる奴は嫌い」
言いながら、気持ちを静めた。談笑していたグループから目を離すだけでそれは簡単にできた。
「仕方ありませんよ。それに、それを言うのなら秋雨もそうでしょう」
「むっ。卑怯な正論を……」
「正論を卑怯だと思うのなら、その考えが間違っているんです」
またも正論を言われ、如月は口を噤んだ。
談笑していた彼らが気に入らなかった。きっとそんな子供みたいな理由で不機嫌になってしまったのだ。あれが秋雨たちであれば、そうはならない。それがわかってしまうから、長月の正論が突き刺さる。
話題に出てきて、ふと如月は思った。
「あっきーはちゃんと家にいるのかな」
その言葉に、長月はぴたりと足を止めた。それだけで彼女の至った考えはわかる。
間違いなく如月と同じ考えだ。
「秋雨の家に行ってみましょう」
「そうだね」
拭えない不安を胸に、如月たちは秋雨の家に向かうことにした。「たぶん大丈夫だろう」では落ち着かない。「きっと大丈夫」でも納得することはできない。
確実な安心が欲しい。
危険だからといって外出を避けるような子ではないことは、以前に愛栖から聞いていた。姫ノ宮学園の一件のとき、秋雨はあろうことか姫ノ宮学園に向かおうとしたという。
それだけ危うい。
月宮が秋雨しか見ていないように、秋雨もまた月宮しか見ていないのだ。彼らは決して自分を見ない。自己犠牲のごとく、相手を想い続ける。
踵を返したそのとき、如月は思わず振り返った。
全身の産毛が逆立ち。
背筋が凍るような感覚。
まるで突然背後から首に手をかけられたかのようだった。
「見つけた」
「あれですね」
長月とほぼ同時にその“元凶”を見つけた。いや、見つけ出すまでもなかった。
その銀髪の人物は自身の異質さを隠していない。その禍々しく、黒々しいオーラが目に見えるようだ。一般人ですらそれに気付いているほどだ。誰もがその人物を只者ではないと感じ取っている。
ならば逆に、感じ取られていることも気付いているはずだ。
それなのに抑えることもしていない。
唐突に感じられるようになったことから、それまで抑えていた可能性も充分にある。だがその人物にいたってはそうじゃないと断言できた。
きっとなんらかの方法で、そこに現れたのだ。
その人物が動き出すと、その周囲にいた幾人かもまた動きを見せた。おそらく彼らは都市警察だろう。異様なオーラを感じ取り、目をつけた。
如月は長月に目配せをして、彼らを追うことにした。予感が正しければ、追跡する都市警察の命はないだろう。彼らを助ける気はないが、銀髪の人物をこのまま無視することはできない。
しばらく追跡を続けていると、銀髪の人物は人通りの多い道から、街の死角に歩いていった。数人の都市警察も慎重にそのあとを追っていた。
「始まるかも」
殺人鬼であればその手法を、魔術師であれば系統を、《欠片持ち》であればその能力を見ておきたい。
角を曲がった銀髪の人物を追う都市警察の姿が見えなくなってから、如月たちは一気に近づき、物陰からその様子を窺った。
だが、そのときにはすでに終わっていた。
(やるなぁ……)
十人足らずの都市警察が地面に転がっていた。その衣服は赤く染めあがり、四肢を欠損している者も何人かいた。誰一人生き残ってはいない。悲鳴を上げることも、ましてや声を出す間も与えられずに殺害されていた。
狭い空間に血の臭いが充満している。建物の壁には水風船をぶつけたかのような血の跡が残っている。
その中心にいるのは銀髪の男だ。静かに死体の一つを見下ろしている。見るかぎりでは彼に返り血はない。
無残に散った都市警察も、無駄な死ではなかった。銀髪の男の瞳には欠片が浮かび、妖艶な輝きを見せている。《欠片持ち》とわかっただけでも充分な情報だ。欲を言えば、もう少し善戦をしてほしかったが。
「いい加減出てきたらどうだ」
銀髪の男の鋭い眼差しが、如月の方へ向けられた。直感ではなく確実に気付いている。
撤退の選択もある。しかし問題は銀髪の男の狙いだった。尾行してきたから都市警察を排除したのか、それとも殺害するなら誰でもよかったのか。人気のない場所に誘い込んだとも、もとより人気のない場所に行き、そこにいた誰かを殺すつもりだったのかもしれない。
その矛先が誰に向けられるかわからないのなら、当然、「彼女たち」に向けられる可能性も充分にある。
故にここは無視できない。
彼でもきっとそうするはずだ。
如月は長月と視線を交わしてから物陰から姿を露わにした。
「なんだ、ハズレか」
「ハズレとは酷いね」
念のため、長月にはまだ隠れてもらっている。ここは姿を現さずに二人とも捕捉されるよりは、一人でも「いる」ということを証明した方がいい。
「あんた何者?」
「いや、ハズレと思いきや見たことある顔だ」男は如月の言葉を無視して言う。「こっちの藪も突いてみるか」
男の発言に、如月は訝しんだ。「藪を突く」という表現を使ったからには、その目的は「蛇」である。そして「こっち」ということは都市警察もまた「藪」だった。
そこから出る「蛇」とは。
また如月たちを藪に見立てることで出てくる「蛇」とは。
「あんたの目的はなに」
「月宮湊」
その返答は如月の推測どおりであり、そして同時に出てきて欲しくない名前でもあった。
「都市警察と行動をともにしているというからちょっかいを出しているが、なかなか当たりを引けない」
「わざとじゃないの?」
目の前の男から感じるものが、標的に届かないとは思えない。如月を知っている様子であるため、彼の周りも調べ上げているだろう。どんな方法を使ってでも、情報を得たはずだ。
だから当たりを引けないのではない。
ハズレを引きにいっているのだ。
そしてそれが彼にとってメリットになっている。最終的に月宮に繋がるからこそ、時間と労力を惜しむことがない。
誰かを殺めることで得られるメリット。
蛇が現れることも望んでいるだろうが、藪を突くこと自体にもなんらかの目的がある。
たとえば練習。
数をこなすことで、より繊細な能力の行使をできるようにする。また、自分の能力がどのレベルにあるのかを知ることもできる。
そうか、と如月は気づく。
(藪はこの街全体なんだ)
数をこなす、生きている人間を実験体のごとく扱う、その能力を使っている節がある。それらに当てはまる事件が、この街でまさに起きていた。
そこに到達した瞬間、如月は銀髪の男を排除対象と認定。
一瞬で片を付けるために魔術を発動した。
如月がよく使うのは魔力の放射だ。初歩的な魔術であるが、調整の仕方では多様な攻撃をすることができる利点がある。しかし如月が気に入っているのはそこではない。
相手を包み込むほどの一撃ならば、その姿を灰も残さずに消滅させることができる。その後処理の楽さがいいのだ。
今回もそのつもりで魔術を使った。傍にいた都市警察の残骸も巻き込むことになるが、それは別段気にすることではなかった。
薄暗い空間を切り裂く閃光。
周囲のものが焼けつく臭いと音。
「――っ!?」
異変を感じ、すぐさま魔術を切り替える。相手の姿を埋め尽くすほどの閃光は利点もあるものの、大きな欠点も当然ある。それは相手の姿が見えないことだ。反撃の瞬間を捉えることができない。
しかしだからこそ、いつでも防御ができるように構えられる。
防御魔術が閃光を割いた。
まるで如月が放ったような魔力が、そのまま返ってきている。
光が消えると、あの男はやはり平然と立っていた。
その瞳に欠片を浮かばせ。
「なるほど、これが魔術か」
傷一つないだけならまだしも、どうやら魔術を知っているようだ。ただの《欠片持ち》ではないとは思っていたが、まさか《裏の世界》のことも知っているとは。
ますます放っておくことはできない。
下手をすれば魔術機関と繋がっているかもしれない。月宮湊は稀有な能力を持っている。研究対象としては充分な素材だ。狙う理由として充分に考えられる。
「意外と大したことないんだな。魔術師が《欠片の力》を嫌悪する理由もわかる」
ふいをついたにも関わらず対応しただけではなく、実際に魔術を目の当たりにしたことがないような口振りだ。「反射」の能力を持っているように思えるが、それでは事件の説明がつかない。
(だったら――)
今度はその能力が発動している様子を視認するために、指の太さほどの魔力を放射した。
空気を穿つ高い音は短く、すぐに相手に届く。
そして、男に直撃する瞬間、さっきとは似て非なる音が鳴った。高く、短いのは同じだが、明らかに違う音。
さらに魔術と男の境になにか薄いものが見えた。
(盾……? 膜……?)
その正体は不明だった。わかったのはやはり「反射」に似た性能を持っていることだけだ。
弾き返された魔術が、そのまま如月の右肩付近を貫く。防御魔術を使うと、視界に余分な情報が混ざってしまうため、あえて使わなかった。
「次に繋げようとする意思は認めよう」
「――なっ!」
意識の狭間を抜けたかのように、銀髪の男が目と鼻の先まで移動していた。
「だが、それは次が確実にあるときにとる手だ」
これまで何度も窮地に立たせられたことはあった。しかし「あの一度」を除いて、それを乗り越えてきた。
死にたくない。
生きたい。
その意志で。
しかし今はその意志すら湧いてこなかった。相手との圧倒的な実力差に諦めているわけじゃない。あのときとは違う。もっと別の要素が如月を行動させまいとしていた。
その瞳から――欠片から感じる威圧感。
伸ばされる手は恐怖そのものだ。
(なんで!? なんで動かないの!?)
動こうとしない自分に抵抗するが、まるで効果がない。むしろそれが強くなるほどに、身体は硬直した。
「トモ!」
隠れていたはずの長月の声。如月の異常に気付き、出てきてしまったのだろう。長月らしいといえば長月らしい。
だが――。
「仲間想いだな」
男の視線と手が、上方へ向けられる。
視界に長月の鉄槌が映った。彼女の体重の二倍以上の重さはあるだろうそれを、長月は跳んで振り下ろしたのだ。
常人ならば防ぎようのない一撃。
しかし《欠片持ち》ならば話は別だ。
男の手に接触した鉄槌は、グンッと弾かれ戻される。そしてその勢いに耐えられずに柄から折れ、さらにその巨大な頭がパズルのように砕け散った。
如月はチャンスだと思い、反撃――追撃を試みようとする。相手の意識が上にある今ならば、足もとを狙うのが定石だ。
だがその試みは実行されなかった。
魔術を使おうとしたとき、身体が一気に後方へ引っ張られたからだ。長月に襟を掴まれたまま、男との距離が広がる。
「まだ足りません」長月は男を見据えたまま言った。
足りないことはわかっている。反撃の一手に出たとしても、そのあとが続かない。もっと情報を得る必要がある。
しかしそれを見定めている猶予がないのもたしかなのだ。それを許してくれる相手ではない。ただ魔術を弾くだけでなく、鉄槌を破壊し、如月の動きを止めることもできる。
逃げることも許されない。
助けを待つしかできない。
ただ銀髪の男に対抗できるのは、月宮レベルの異能力を持っている必要がある。彼が狙われている以上、最も有効な助けは茜奈だ。彼女の右手ならば《欠片の力》など関係ない。
けれど、そんな希望には縋ってられない。これまでそうしてきたように、自分たちの力で切り抜けなければならなかった。
「この程度でもダメか」銀髪の男は平らかな声で言う。「それならば、他をあたることにしよう」
男は追撃をかけることをせず、踵を返した。敵を前にして背を向ける行為。それは如月たちが取るに足らない相手だと言っているようなものだった。
如月はただその背を見ていた。追いかけず、目に焼き付けるように。
その胸中にあるのは悔しさではない。
疑問だ。
どうして如月たちが無事だったのか。
それがわからない。
都市警察は虐殺して、如月たちをそうしないのはどうしてなのか。見たかぎりの情報では二人を殺すなど造作もないだろう。そう時間もかからず、労力もないはずだ。
(運が良かった……?)
ただの相手の気まぐれによるもの。たしかにそうとも考えられるが、如月は納得できなかった。
だから自分の仮説を信じる。
街で起きる暴走事件。
実験。
調整。
そこから導き出された答えは、しかし如月たちの運の良さを示すものでもあった。
都市警察の死をもって、実験と調整が終わったのだ。
そして如月たちを追い詰めても月宮が現れないために、別の「藪」のもとに向かった。
男の言う「他」とは。
如月たちよりも月宮が現れる可能性があるのは。
「やばい!」
「どうしたんですか?」
「あいつが次に狙ってるのは、あっきーだ!」