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悠久の世界は月のために  作者: 鳴海
第3章
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2 その犠牲は養分

 天野川高校襲撃から一夜経ったが、リースたちを発見することはできなかった。また彼女たちによる大きな動きも表面に浮かび上がっていない。まるで遊び疲れた子供が眠ったかのように、街は落ち着いていた。


 事務所の方が彼女たちを見つけたのなら、月宮から連絡があるはずだ。つまり事務所もまだ発見には至っていない。


 リースたちは月宮湊を狙っている。夜にこそ襲撃するチャンスだ。むしろ襲撃するのなら夜こそ相応しい。月宮の住むアパートは路地に入っていく人目のほとんどない場所にある。それでもなにも起きていない。


「――せんぱい」


 音無はこの起伏を不気味に思っていた。この静けさのあとには、必ずと言ってなにかが起こる。レオルは体育館を破壊し、リースたちは高校を襲撃したように。


 都市警察は総力を上げてリースたちの捜索をしている。しかしこれが実るのは難しいと思えた。発見した傍からやられてしまう可能性が高いからだ。都市警察に所属した人間は訓練を積み、努力をし、それなりの実力を持っている。だが、それ以上に彼女たちは強い。


「音無先輩!」


 大きな声で名前を呼ばれて、音無は思考を中断させられた。語調の強さからして何度も呼んでいたのは明らかだ。急いで振り返る。


 そこにいたのは、羽切亜芽はきりあめだった。音無が振り向いたのを見て、少し表情が和らいだ。それでもまだ針で刺すような空気を彼女から感じられた。


「やっと振り向いてくれた……」


「ごめん、考えごとしてた。なに?」


「私のことわかります?」


「えっ……。うん、わかるよ?」


 羽切亜芽を知っている。それは嘘じゃない。だがそれは「羽切亜芽」としてではなく「白枝畔の後輩」としてだ。羽切は白枝と同じ第三支部に所属し、そして誰よりも白枝を尊敬している人物だ。


 憧れよりも崇拝に近いかもしれない。


 白枝が「正義」を信じるように、そんな白枝を羽切は信じていた。


 話した回数は多くない。挨拶と、ほんの二、三言程度のものばかりだろう。白枝と会ったとき、彼女はいつもそのうしろにいて、音無に観察の目を向けていた。羽切にとって白枝以外の人間は疑うべき相手なのだろう、とその視線を受けるたびに思っていた。


「それなら自己紹介はいりませんね」


「それで? なに?」


「さっきの天之弥あまのみさんの発言についてです」


 ああ、と音無は瞬時に思い当たっていた。


 音無たちは朝早くに都市警察本部に集められた。《欠片持ち》として街の脅威にどう対処するのか、またそのたち振る舞いについて聞かされた。それを話したのが天之弥司あまのみつかさ。都市警察のナンバー2だ。


 音無は何度も会っているが、そう顔を合わせることはない。上層部の人間でもかぎられた者しか面会できないなどとまことしやかに語られるほどだ。


「きみたち《欠片持ち》は貴重な人材だ。勝てない戦はするな。《欠片持ち》以外を犠牲にしてでも生き延び、彼らのむくろの上でその正義を貫け」


 天之弥から放たれる研磨された空気が、その場での反論を許しはしなかった。それこそが正しいのだと、力強くその言葉を心に捻じ込んだ。


 あの場では誰もが、それを受け入れるしかなかった。


 だから解散した今こそ議論をするのだ。よく聞けば、周りにいるその他の《欠片持ち》もそのことについて話している。


 天之弥の言葉とおりにするのか。


 羽切はその相手に音無を選んだのだ。


「どう思いましたか?」


「骸は言い過ぎって思った」


「それだけですか」羽切は驚いたように目を見開いた。


「うん。まあ、わたしは数回会ってるから、あの人の考え方は知ってる。羽切さんはどう思ったの?」


「私たちを侮辱していると思いました」


「まあ、友達を見捨てろって言ってるからね」


「そうじゃないです」羽切は食い気味に否定した。「《欠片持ち》を特別視するのは組織として当然のことですから、私は概ね天之弥さんに同意です」


 意外とも思えたが、しかし羽切亜芽のことを――白枝畔のことを考えると、別段不思議な発言ではなかった。


「私が言いたいのは、天之弥さんは、私たちが『悪』に敵わないと思っていることです。相手が『巨悪』だろうと『正義』は必ず勝ちます。そのための訓練です。敵を前にして逃亡なんてありえないと思います」


 語るその姿が白枝畔と重なった。もしかしたら彼女も天之弥のことを軽蔑していたのかもしれない。《欠片持ち》と一般人の優劣などではなく、「正義」であるはずの都市警察に逃走の選択を促すことに嫌悪していたかもしれない。


 白枝畔は逃げない。


 たとえ一人であっても逃げ出すことはしない。


 しかしだからこそ、そこを狙われた。


 見る人によってはそれを蛮行だと、愚行だと評価するだろう。けれど、羽切亜芽はそんな白枝の蛮行や愚行を、神の行いとして崇めている。だから白枝畔がいなくなっても、その「意志」を引き継いだつもりになっている。


 白枝の間違いさえも、間違いだと思わずに。


 訂正したいと思うが、音無の言葉はきっと届かない。羽切の思想の根幹、基盤である「白枝畔」が欠けても揺るがなかったどころか、さらに強固になってしまったのだから「言葉」では無意味だろう。


「みんながみんな、あなた“たち”のようじゃないの。同じ『正義』を掲げていても、同じように『行動』できるわけじゃない」


「なら、先輩はどうしますか?」


「わたしは誰も切り捨てないよ」


「……守るためなら、逃げることもすると?」


「それがわたしの『正義』だから」


「そうですか。残念です」


 敵意にも似た感情を一瞬だけ向けて、羽切は本当に残念そうな表情を見せた。


 音無を白枝にしようとしていたのかもしれないが、それは不可能だ。彼女ことを尊敬し、意識していたのはたしかだ。けれども同じ道を進めると思ったことはなかった。


 ただ一度として。


 そして。


 ただ一度として対立することもなかった。



     ※



 街の警戒レベルは跳ね上がり、緊張の面持ちをしたいくつかの集団があちらこちらで見かけられた。一目で彼らが都市警察であることはわかるが、いささか怪しさも感じられる。鋭い目つきで見回りをする彼らを、一般人が必ず一瞥はしていた。


 その様子を見て、ヴォルクはただただ思った。


 操りやすい、と。


 警戒心が高まりすぎているために、ほんの些細なことも見逃せなくなってしまっている。小石の転がる音のような、普段気にも留めない音にさえ過敏に反応してしまう。それがましてや人影であれば、なおさら放ってはおけない。


「どうだ、街を守ろうとする意志が、自分を苦しめる気分は」


 ヴォルクが話しかけたその都市警察の青年には、最初にあった正義感に満ちた表情はない。なにが起きているのかわからない――そう言いたげな顔だ。


 その男は四人組のうちの一人だった。残りの三人は、すでに戦意を喪失している。もっと言えば、心が砕かれていた。歯を鳴らし小さく屈んでいる者、仰向けで放心状態になっている者、嘔吐を続ける者。彼らにはもう「正義」はない。


「俺たちに、なにをしたんだ……」


 怯えるその瞳に、ヴォルクの姿が滲み映っていた。自分の瞳に浮かぶ欠片の光をよく見ることができた。


「抑え込まれていたものを解放してやっただけだ」


「かい、ほう……」


 地べたに座り込んだ青年の手足は、まるで別の生物のように動いていた。地面を掻きむしり、立ち上がろうと足を曲げてはそれができずに伸ばしてしまう。見るからに不気味で、明らかに滑稽な姿だ。


 能力の調整がまだ甘かったのか、他の三人の心は簡単に砕けてしまい、こうはならなかった。あまりにも齟齬がはっきりとしてしまうと、拒絶反応も早いことがわかった。


「そうだ。お前は今、この場から『立ち去りたい』と考えている。一刻も早くこの場所から『逃げ出したい』と。しかしお前は都市警察だ。その心には立派な『正義』がある。都市警察として正義を果たさなければならないという義務がある」


 青年には見えていないが、彼の胸部にはヴォルクの埋め込んだ「能力の種子」がある。その種子が、青年の「これまで」を破壊していた。


 思うようにならない。


 考えたようにならない。


 青年の身体と心は、青年の意思ではどうにもならない「別の誰か」に成り果てた。


 だからこそ齟齬が発生し、壊れる。


「お前はその正義を『逃げたい』という気持ちで抑え込んだ。だから俺が『解放』させた。その結果、身体は逃げ出そうと動くが、心はその正義のためにこの場に残ろうとする」


「お前が《欠片持ち》を!」


「そのとおり。調整と実験を兼ね、あいつを動かすために必要なことだった」


「お前の……」青年は唇を噛み、血を流した。能力に抗おうとしているのだろう。本心が変わろうとしている証拠だ。「お前のせいで、俺の仲間は傷ついた!」


「そうか」


「お前が操らなければ!」


「俺が命令したわけじゃない。もともとそいつのそういう心があっただけだ。規則や常識、教育によって抑え込んでいたそれを、俺が解放しただけに過ぎない」


「ふざけ――」


 青年の身体がぐらりと力なく倒れ、そのまま地べたに伏した。その様子をヴォルクはただ静かに見下ろしていた。


「動け! 動けよ!」


「所詮、お前の行動は心と思考が一致していないということだ。紛い物、偽物、演技、茶番。それらがお前にふさわしい言葉だ」


「この想いは嘘じゃない!」


「想いだけだ」


 ヴォルクは屈んで、右手の人差指と中指で青年の左腕に触れた。すると、水風船が割れるように血が飛び散った。千切れた左腕は一度跳ね上がり、音を立てて着地した。


 青年は声になっていない叫びを上げる。痛みを訴え、身体をよじらせた。


「そうだ。それが心と思考の一致だ」


 叫び声もそうだが、四人組と連絡が取れないことで、事態に気付いた者たちが現れるころだろう。実験体が増えるのは望ましい。けれど、多過ぎるのも問題だ。


「なん、だ、その力は……」


 その問いに答える代わりに、ヴォルクは青年の首に指を当てた。今度はあまり吹き飛ぶことなく、切り離すことができた。調整も十全とはいかないまでも、それに近いところまできていた。


「あと二、三人ってところか」


「まだ続ける気か」


 都市警察の早い到着だとも思ったが、しかしそれにしては第一声が不自然だった。そのため声をかけてきたのが都市警察じゃないことを瞬時に理解した。


 ヴォルクは「人間だったモノ」から目を離し、振り向きながら立ち上がる。


 裏路地に立つその男に見覚えがあった。


「――雪柳彷徨」


「俺を知ってるのか」


 この街で動く以上警戒と注意をしなければならない相手がいる。その一人が雪柳彷徨だ。「重力」を操る《欠片持ち》。その能力だけでも最強の称号を得られるだろう。


 いずれとは思っていたが、まさかこんなにも早く遭遇してしまうとは予想外だった。それだけにここで闘うという選択をとることは自殺行為に等しかった。摘んでおきたい――この機会を逃さんとする気持ちを抑える。


 静電気のような一瞬の刺激を、ヴォルクは肌で感じ取った。その瞬間、すぐさま能力を使いその場から離脱した。


 四階建てほどのビルの屋上のへりから雪柳彷徨を見下ろす。


 能力だけの《欠片持ち》だと思っていたが、その能力の発動速度はヴォルクたちとなんら遜色ないものだ。実戦、あるいは実験、もしくは訓練を行っていなければ、そうはならない。《欠片の力》は使う数を重ねるほどに、多彩な色を見せるようになる。


「さすがは『雪柳』というところか」


 もしかすれば《欠片持ち》の“真相”にも――。



     ※



 停止していた時間が動き始める。


 彷徨は止まっていた呼吸を再開し、あの男がいた場所を凝視した。地面には押し潰しかのような穴ができている。この場から離脱した跡。


 その男の目を見たとき、彷徨は能力を使わずにはいられなかった。まともに相手をしてはいけない、言葉を交わしてはいけない、相対していてはいけない――そう心が警鐘を鳴らしたのだ。


 その眼差しを受けたときの感覚を、彷徨は知っていた。


(あれは――)


 魂を掴まれる感覚。


 存在を脅かされる感覚。


 彷徨が自分を取り戻した「あの世界」で何度も味わったものだ。まさかそれを目が合っただけで思い出させられるとは思いにもよらなかった。


「そんなに見ても、戻ってこないよ」


「――そうか」


 答えながら振り返ると、心歌が生きている三人の様子を確認していた。


「どうなんだ、そいつら」


「それを“見る”のが彷徨の役目」


「心が壊されている。叩き壊されたというより、パズルのように組み上げられたものが崩れたって感じだ」


「そうだね。彼らは『人』であることを否定され、またその『正義』も弄ばれた。まず尊厳、次に主柱、それによって基盤が脅かされ、根源まで到達しかけた。かろうじて、というより、わざと『人』として残したんだろうね」


 相変わらずどんな技を使って、心を覗いているのかはわからない。彼女にとって彷徨の《欠片の力》など造作もない芸当のうちの一つなのだ。


「どういう意図があってそうするんだ」


「練習」


「だから、あと二、三人か」


 同種の力を持った相手だと思っていたが、しかしあの離脱を見るに、今までの認識を改める必要があるようだ。「解放」だけでは説明がつかない。似て非なる力だ。あるいは「解放」が能力の一部である可能性もある。


 そんなことより、と心歌は彷徨の思考を読んだかのように、それを中断させた。おそらく彼女は件の男についても当然知っているのだろう。そして彼女が気にも留めないということは、今の彷徨には考える必要のないことでもある。


「さ、彷徨。三人の心を再構築してあげて」


「そんなことしたことないぞ」


「だからやるの」心歌は言う。「大丈夫。いつものようにサポートはしてあげる」


 彷徨は静かに息を吐き出し、気持ちを引き締めた。仰向けで放心状態になっている人物の近くに寄り、作業に取り掛かる。

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