7 その知らせは誘い
「朝だぞ、お兄ちゃん!」
「朝なんだぞ、お兄ちゃん!」
まるでその声が押し開いたかのように、扉が勢いよく開け放たれる音がした。しかし実際には外開きの扉であるため押し開くことはできない。彼女たちがいつものように扉の耐久度を度外視した開け方をしただけだ。
どたどたと忙しない足音。
その音が最も強くなったそのとき、月宮はベッドから転がるように下りた。視線を上げれば白髪の少女が二人、今まさにベッドに飛び込もうとしていた。二人はベッドに落ちると、仰向けになって笑い始める。
これが最近の月宮の朝だった。
「毎朝飽きないな」
「おはよう、お兄ちゃん」
「おはよう、お兄ちゃん」
双子であるためか、二人の声はよく揃う。そして重なった声はよく響いた。
アナトリア姉妹はよく笑う。それは出会ったときから変わらない。ただ今は狂気が消え、年相応の表情になっている。憑きものが落ち、家族と呼べるものを得たことで、そうなれたのだろう。
実にこの街に馴染み始めている。民族衣装的な服も、最近はめっきり着ていなかった。今はゆったりとしたワンピースを着ている。ルーチェが白、フェリチタが黒。当たり前のことだが、双子でも好き嫌いは異なるようだ。わかりやすくてもとの服よりはいい。
「昨日はどこに行ってたの?」
「仕事」
「仕事楽しい?」
「楽しくはない。ただやらなきゃならないことがあるんだ」
昨夜、事務所の方に連絡をとってみたが、魔術師が街に入ってきた情報はなかった。どうやら向こうも《欠片持ち》の荒れ具合を調べているらしい。謹慎処分を受けているため、それ以上は知ることができなかった。いや、謹慎処分でもそれだけ教えてくれたアリスには感謝しかない。たまたま機嫌がよかったのだろう。
「楽しくないなら、私たちと遊ぼうよ」
「私たちと遊ぶ以外に、大切なことなんてないよ」
「お前たちがなんと言おうと、俺のやるべきことはやる。終わったら好きなだけ遊んでやる――音無が」
それを聞いて、アナトリア姉妹は喜びの声を上げながらベッドの上を飛び跳ねた。こういうとき便利なのが「音無舞桜」だ。彼女たちの中では音無と月宮の存在が大きい。だから月宮が埋められない穴を埋められるのは音無しかいなかった。
言い換えれば、月宮の身代わりになるのが音無だった。
今日は何時に起こされたのかと、時間を確認する。六時半。思ったよりも遅い時間だった。アナトリア姉妹の来訪から、まだ四時か五時くらいだと思っていたが、今日はそれなりに常識的な時間だ。起床してから二人で遊んでいたのかもしれない。
制服に着替え、朝食をとる。月宮は食パンとコーヒー、アナトリア姉妹にはコーヒーではなく牛乳を与えた。
その他準備を整えていると、部屋が静かなことに気付いた。目をやればアナトリア姉妹がベッドで寝ている。これから出かける身としては都合が良かった。駄々をこねられてその相手をしたために遅刻するよりはいい。
なるべく音を立てずに移動し、部屋から出て扉に鍵をかけた。
そこでようやく一息つく。これもいつもどおりだ。彼女たちのエネルギーにはいつも圧倒される。まだ敵対していたときの方が、扱いが楽だったかもしれない。そう考えて、そんなわけがないと自分の考えに呆れた。
階段を下ったところで、視線に気付く。敵意や殺意、監視のためのような視線ではない。ただこちらを見ているだけのものだ。
見れば、そこには音無舞桜が立っていた。現ヶ原大学付属高校の夏服を着て、なにをするでもなくただ誰かを待っている。
「なにやってんだ」月宮は近づいてから訊いた。「あいつらなら今寝たぞ」
「用事があるのは月宮よ」
「そうなのか」
アナトリア姉妹に用事があると思っていただけに、予想外だった。考えられるのは仕事の話だ。放課後の見回りについて変更があったのかもしれない。都市警察の本部から連絡がくるのは音無だけだ。月宮は音無を通してでなければ情報を得ることができない。
「それで、その用事っていうのは?」
「あなたを守りに来たの」
「――は?」
一瞬なにを言っているのか理解できなかったが、やがてそれは追いついてきた。昨日のことがあってのことなのだろう。あのときあれだけで引き下がったのはこのためだったのだ。月宮になにを言っても無駄ならば、音無自身が勝手に動けばいい。そう判断したのだ。
必要ない。
そうはっきりと言おうとしたが、
「私がやれることはやるわ。たとえ月宮に拒絶されようともね」
と、先に言われてしまえば、なにを言っても無駄だということは誰にでもわかる。音無も音無で相当頑固だ。アナトリア姉妹のときもそうだった。けして揺るがない瞳を、あのときと同じように向けてきていた。
「勝手にしろ」
「そうさせてもらうわ」
月宮が歩き出すと、音無はその三歩後ろについた。近過ぎず遠過ぎず、護衛としては最適な距離感だ。ただ天野川高校付近になると、やはり音無舞桜の存在は目立つ。姫ノ宮学園には劣るが、現ヶ原大学付属高校もそれなりに有名だ。さらに都市警察としての音無もまた有名であり、どうしても人目を集める。
それを監視の目として利用しているのなら、なかなか侮れない策だ。たとえ人払いの魔術を使われたとしても、天野川高校には魔術を感知できる者がいる。それを白仮面は知らないかもしれないし、知っていればなおさら使ってこない。
「ありがとな」
正門前に着いたところで、月宮は振り返って音無に感謝の言葉を述べた。勝手にやられたことだが、それでも護衛してもらったことには変わりない。
「何事もなくてよかったわ」音無の表情が緊張を解き、柔らかくなる。「放課後もくるわ。何時頃に終わるの?」
「二時」
「四時くらいね。わかった」
「……俺から嘘をついてる風でも吹いてたか?」
「あなたはこういうとき呼吸するように嘘をつくからすぐわかるわよ。それに天野川高校は進学校よ? 二時なんて早い時間に終わるわけないじゃない」
なるほど、と月宮は思った。音無は月宮の嘘を見抜いたのではない。初めから日程について調べてあったのだ。月宮がまともに答えるのかを試しただけ。なにを測ろうとしているのかは知らないが、もう少し嘘をつくのが上手くなった方がいい。
表情に出さないようにしても、その意図が滲み出ている。彼女は嘘をつくとき、人の目を見ないように瞼を閉じる。嘘だと悟られないように、瞳の動きを隠す。見ようによっては仕草の一つにしか見えない。だが、ここ最近付き合いの濃くなってる月宮には、それが手に取るようにわかった。
しかしわかったところで、指摘はしない。いずれ使えるときが来るかもしれない。それを考えるともったいなかった。
月宮は踵を返して、昇降口に向かった。背中から彼女の視線を感じながら歩いていく。辿り着いたところで振り返ると、ちょうど音無も踵を返したところだった。
世話好き、というよりは、おせっかいだ。
いつか身を滅ぼすに違いない。
教室に入ったとき、ふと彼のことが気になった。虹凪四季だ。しかし虹凪の姿は教室にはなかった。座席に鞄がないため、まだ来ていないのだろう。
月宮が自分の席に着き、白仮面等のことを考え始めようとした。そのとき廊下から急ブレーキのようなけたたましい音が響いた。廊下の床と中履きの靴底のゴムが勢いよく擦れたのだ。学校の廊下で誰が走って、滑るように停止しようとしたとしても興味は一切なかった。
だがそのあとすぐに、
「つっきー!」
と、その暴走車の正体が判明する声がした。月宮が振り向くよりも早く、声の主である如月トモが月宮のもとまで来ていた。
「朝から元気だな」
「誰と一緒に学校に来たの!」
そんなことが知りたくて校内を爆走したのかと、月宮は悟られないように呆れた。もっと有意義な体力の使い方があるだろう。ただ如月の体力がこの程度で大きく消費されるはずもない。息切れ一つしていないのがその証拠だ。
隠すこともないため、月宮は正直に答えることにした。
「音無だ。音無舞桜」
「音無……舞桜……?」如月は顎に手を当て、首を傾げた。本気でわからないらしい。
「アナトリア姉妹のときにいた都市警察だ」
「――ああ、あの女か」握った右手で左手をぽんと叩く。「でもなんで都市警察とつっきーが一緒に登校するの? 全然意味わからないけど」
「俺とあいつとの繋がりはアナトリア姉妹だけだろ。つまりそういうことだ」
「なるほどね」如月の顔が輝いた。「てっきり第二の通い妻が現れたのかと思って心配しちゃったよ」
月宮は「第二の通い妻」の意味を訪ねようとした。しかし、ちょうど秋雨たちが教室に入ってきて、如月の意識はそっちに移ってしまう。だから中断し、破棄した。この話題が浮上することはない。
「如月ちゃん、速いよぉ」秋雨は息を切らしていた。別に走って追う必要ななかったのではないか、と月宮は思った。「おはよう、月宮くん」
「おはよう、秋雨」
「ごめんごめん。買い換えたばかりの足が勝手に動いちゃってさ。不具合かな?」
「えっ? 義足だったの?」秋雨の目が大きく開かれ、視線は如月の足に落とされた。「本物の足みたいだよ」
「本物の足ですよ、秋雨。騙されちゃいけません」
「そうなんだ……。びっくりしたよ」
「あっきー。変な人に騙されそうだよね――あっ」如月はまた手をぽんと叩いた。「聞いてよ、つっきー。昨日ね、あっきー告白されたんだよ。告白というかプロポーズ」
「プロポーズ……」
秋雨がどうというよりも、高校生にプロポーズをするという事実が、寝耳に水の話だ。如月の話す様子からしてそれが愛栖愛子ではないことは明らかである。愛栖なら平気でしそうではあるものの、しかし彼女では話題に上げるほどでもない。
「も、もちろん断ったよ!」
ね、ね、と秋雨は如月と長月に同意を求めた。しかし二人とも素直に頷かない。長月は肩を竦め、如月は月宮の机に倒れ込んだ。
「断れてはないんだな」
「そうなのっ? あ、だからファミレスで謝ってたんだ……」
「いえ、結婚という馬鹿な話は回避できました」長月が淡々と説明する。「ただ相手が折れてくれなかったんです。むしろ燃え上がってしまいまして」
「あんなはずじゃあ……」と如月は頭を抱え込んだ。
どうやら秋雨にプロポーズした人物というのは、相当にポジティブな性格をしているようだ。拒絶されても、それを越えるべき試練とでも思ってしまう。悪い意味で「いい性格」をしている。
「名前は……、名前はわかってるのに……。居場所さえわかれば、燃やすなり埋めるなり、いろんな対処ができるのに……」
如月が調べようと思えば、その人物について調べ上げられることだろう。パソコンを駆使して街の監視カメラを「借りた」くらいだ。それに、事務所にも街の住人の情報がそれなりに揃っている。誰かの個人情報は常に手の届く場所にあった――あったのだ。
ただ現在月宮たちは謹慎処分を受けており、事務所に立ち入ることができない。事務所にある情報に触れられないだけじゃなく、設置したパソコンも使えないのだ。
他のパソコンを使えばいいのにと、その筋に疎い月宮は思う。だが如月がそうしないのにはそうできない理由があるためだということも、疎いながらにわかっていた。
そのリスク管理ができていながら、その人物を消すことに対して躊躇いがないのが実に如月らしい。
「名前はなんて言うんだ」
「如月トモ」
「誰もお前の名前なんか聞いてない」
「『なんか』って酷いなあ」如月は机に倒れたまま、月宮に顔を向けた。「これでも大切な名前なんだよ」
「わかったわかった。それで、そいつの名前は?」
「レオル・ハイランド」
「聞いたことないな」
これまで見てきた資料でもその名前を見た憶えはなかった。無論、月宮がこの街の住人すべてを把握しているわけではないため、知らなくて当然ではある。
その点、事務所の所長であるアイリスはすべてを把握しているだろう。
この街のことだけじゃない。
そして「今」だけでもない。
魔術師としても、一人の人間としても規格外だ。月宮自身も「神の力」を借り受けられるようになり常識外、異端ではあるものの、それでもアイリスには劣っている。
すべてを知っている彼女は、それこそ「神の力」を持っているように思えた。
脱線した思考を本線に戻す。レオル・ハイランドという名前を、本当に見聞きしていないのか。
「髪は黒っぽい金色で、肌は小麦色。見るからに軽薄そうな顔をしてるよ。ああいうのは女遊びとかひどいに決まってる」
「好青年に見えますけどね。プロポーズを除けば、困っていた秋雨を助けただけです」
「そこは除けないよ」如月は起き上がって腕を組んだ。「あれがあいつのすべてを物語っていると言ってもいいね」
「私もいい人だと思うよ」秋雨が長月に同意する。「ちょっと変わってるだけだよ」
「ちょっとじゃない。変人極まりない」
やがてHRの始まりを知らせる鐘が鳴る。秋雨たちは自分の席にそれぞれ着いた。とはいえ、秋雨は月宮の前であり、如月はその右、長月は右前であるため、話は継続して行われる。愛栖は今日も今日とて遅刻をしているようで、なかなか現れなかった。
月宮は一度レオル・ハイランドについて考えることを中断して、廊下側に目をやった。
廊下に一番近い列の前から三番目。
虹凪四季のいない空席があるだけだった。
※
現ヶ原大学付属高校の三年二学期はほとんど自主登校である。生徒たちがそれぞれの目標に向かうための期間となり、学校側はその手伝いをするが、歩み寄ってくることはない。あくまで自主性と目標への姿勢を重んじているのだ。
大学と隣接していることもあって、授業を開いてくれるのは高校の教員だけではない。手の空いている大学教員も特別授業を行ってくれる。
そのため、自分の弱い分野を重点的に補っていくこともできるし、得意な分野を伸ばすこともできる。
勉学に励もうとする姿勢さえあれば、好きなだけ学ぶことができた。
一学期には付属大学へのシフトが決まっていた音無は、そのことを踏まえれば登校する意味はほとんどない。内部進学確定組は、それ相応の学力を認められているため、定期テストもあってないようなものだった。
そんなもので躓くようなら推薦の話は来ていない。
音無は都市警察で同じ第五支部に所属する導向日葵に、自分の通う高校のシステムについて説明した。
「なにそれ、自慢?」
「あなたが聞いてきたんでしょう……」
「じゃあなに、今はなんの時間なわけ? 休み時間?」
「なんの時間でもないわよ。どこかの教室に行けば授業が開かれてるし、勉強する気分じゃなかったら休み時間よ」
「うわぁ、羨ましい。きっちりと組まれているクソ怠い時間割よりもよっぽどいいよ、それ。うちの高校も採用されないかねえ」
「そしたら向日葵は授業に出ないでしょうが」
与えられれば仕事でも課題でもこなす導だが、それは与えられなければなにもしないということだ。自主性の欠片もない。目標へ向かう姿勢も見せないだろう。
誰かになにかを与えられて能力を発揮する――それが導だ。だから彼女がどんなに愚痴を零そうとも、密かに都市警察の仕事を回していく音無だった。
ただ最近は他の都市警察の人間が彼女に頼り切っている節も見受けられる。身体を壊さない、適度な仕事量を与えたいのだが、これが意外と難しい。
「まあ、そうだよね。私にはこの窮屈な学校があってるんだろうよ」
そういえば、と導は話を切り替えた。
「月宮湊とはどうなのさ」
「どうって?」
「依頼をしたって言ってたじゃんか。だからそれからどうしたのかってこと」
絶対に違う、と音無は風を感じるまでもなく、導の内心を知ることができた。彼女が訊いているのはそういうこと“だけ”ではない。
音無に向かって小さく手を振りながら、クラスメイトが前を通り過ぎた。音無も携帯電話を持っていない手でそれに応える。本当はクラスメイトの手助けをしたくて学校に来ているのだが、まだそれができていない。
「別になにもなかったわ」
昨夜のことを導に話すことはできない。「白い仮面の人物に出くわした」と「街の外の技術」については語らなければ平気なようにも思える。だが、その「白い仮面」が意味するところを音無は知らない。たとえばその手形のような模様。紫色のそれが、儀式に必要なものであれば、その特徴を話すことが「街の外の技術」に繋がってしまう。
話せないことばかりが増えていく。
それだけ、音無は「普通」から逸脱してしまった。だから見える景色も、感じる風も、出会う人間も今までとは違う。
「なーんだ、つまんね」
しかし話せないとしても、導はそれを理解してくれる。察してくれる。それが申し訳なくもあり、ありがたくもある。本当にいい仲間であり、友人だ。
思わず笑みが零れそうになるが、なんとか抑える。
「つまらなくてもいいの」
「私は嫌だけど」
人通りが多くなってきた。これから授業を受ける者、授業を終えた者などさまざまだ。音無はその中にある人物を見つけた。廊下を折れて、姿が見えなくなる。
「――舞桜? 聞いてる?」
「ごめん。ちょっと用ができた」
「いてらー」
通話の切られた携帯電話をしまい、音無は廊下を走った。まだ追いつけるだろうか、まだどこかの教室に入っていないだろうか――そんなことを考える。
廊下を折れると、階段に続いていた。上か下か。その判断を瞬時にし、音無は階段を下る。ただの勘だ。彼なら下るだろうと、なんの説得力のない考えで、音無は下りを選んだ。音無がいた場所が二階だったのが大きな要因だったのかもしれない。
階段を下りた廊下の先に、彼のうしろ姿を見つけた。何度も見たことはあるが、追い掛けたことは一度もない。
まだ近くにいたことに胸を撫で下ろしつつも、彼に向って走っていく。
そして、追いついたところでその肩を掴んだ。
彼は――雪柳彷徨は静かに振り返る。
「誰かと思えば、音無か」
「いきなりごめん。でも話したいことがあって。ちょっと時間いい?」
「急いじゃいない」
雪柳は廊下の端に移動した。音無も彼に倣う。
「今日は授業を受けに?」
「まあ、そんなところだ。今までほとんど来なかったからな」
導入として軽い話から始めてはみたが、まさか雪柳がちゃんと答えるとは思っていなかった。そんな話がしたかったのか、と冷たく言い離されることも覚悟していたのが、どうやら杞憂だったらしい。
今まで学校で見てきた雪柳が、あまりにも他人を突き放していたために色濃くこびり付いた印象のせいだろう。それを拭い去ることは簡単ではない。
「進路は決めてるの?」
「いや、まだだ」雪柳は遠くを見ていた。「この先があるか――なにがあるかわからないからな。今はまだ将来のことは考えてない」
言い直しが気になったものの、音無はそれを言及しなかった。ただ言葉が足りなかったから訂正しただけだ。そんなことで会話に水を差すのも悪い。
「それで? 本題はなんだ。まさか本当に俺の将来が気になったわけじゃないだろ」
「――ええ。今起きている事件のことは知ってる?」
「なるほど。研究所の情報を知りたいわけか」
「……ごめん。都市警察として研究所に求めることだけど、少しでも早く情報が欲しいの。なんだか、とても嫌な予感がして――」
心に抱いていた不安が芽を出したかのように、白い仮面を付けた者たちが現れた。なにかはもう始まっていて、おそらくそれに本来なら関係のない《欠片持ち》が巻き込まれてしまっている。
放っておけば、原因を突き止めなければ、今後多くの《欠片持ち》、そして一般人が犠牲になってしまう。
そのために情報が欲しかった。一刻でも早く事態を収束させるために。
雪柳は目だけで音無を見た。その視線から逃げることなく、自分の意志を示すように音無はその瞳を見せつける。
「俺が知っているのは、騒ぎを起こした《欠片持ち》の胸部に、誰かの《欠片の力》が埋め込まれているってことだけだ」
「埋め込まれている……? じゃあ波動を検知できたのね」
「だが、登録されている《欠片持ち》の誰とも一致しなかった。ノーナンバーってやつだ。この街の目から上手く隠れている奴がいるらしい」
以前の音無ならそれで納得しようとしたが、今は違う。この街の目から逃れられているわけじゃない。その可能性を考えることができる。この街では当然のように存在する《欠片持ち》だが、しかしこの街の“外”ではどうなっているのか。
たとえば姫ノ宮学園。あの組織は特殊で、幼少期からの入学からしか認めていない。それも家族ごとの移住も校則で定められている。
それと同じように。
この街そのものを、姫ノ宮学園とするならば。
自分たち《欠片持ち》が“外”から集められているのだとしたら、この街に住む《欠片持ち》が登録されていることも頷けるし、ノーナンバーという存在がいてもおかしくない。
アナトリア姉妹のように来訪したのなら――。
(そういえば、あの子たち変なこと言ってたわね)
どうやってこの街に入ってきたのかと訊ねたとき、彼女たちは「気付いたらここにいた」と言っていた。そんなことが果たしてできるのだろうか。《欠片持ち》がいるという特殊性から街の入出は簡単ではないと聞いていた。
音無の頭に痛みが走った。微かなものだが、鋭利な痛みだ。
街の周囲には高い壁と入出を管理するゲートがある――と聞いている。行ったことも、見たこともある。しかしそのときのことを、音無は憶えていなかった。感覚としてあるだけで、記憶には残っていない。
おかしい、と記憶を呼び起こそうとするが、鋭利な痛みがそれを阻止する。
「大丈夫か?」
「ええ……」音無は痛みから逃げるように、記憶を辿るのをやめた。「違う人物の波動があったってことは誰かに操られているってことよね。それは厄介だわ」
「俺に言わせれば、あれは操っているんじゃないな」
「どういうこと?」
雪柳彷徨は、自分の意見を語る。