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悠久の世界は月のために  作者: 鳴海
第3章
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2 砕かれる殻

「魔術師、殺人鬼、魔導師、そして《欠片持ち》と影。これらにきみが出会うことには大きな意味がある」


「それはなんだ」


 きみの纏う殻を壊す。


 魔導師ははっきりとそう言った。


「きみの世界はあまりにも小さいと聞いている。特定の誰かとしか関わらず、その他大勢に見向きもしない。人と関わらなさ過ぎている」


 以前に心歌にも指摘されたことだ。小さな世界に閉じ籠っている。そんな意味の言葉を言われた。自宅は当然として、買い出しに行く商店街、稀に行く学校、そして遼遠のいる研究所。彷徨の行動範囲はそこまでであり、それだけしかない。


 小さな世界。


 子供のように、小さな世界だ。


「そう、きみは子供のままなんだ」魔導師は見透かしたように言う。ただそれは魔導師の言葉じゃない。心歌の言葉を彼が代弁しているだけだ。「身体だけが成長し、知識だけが蓄えられただけの、ただの子供だ」


「それを成長って言うんじゃないの?」白枝が訊いた。「そうすることが大人になるということでしょう?」


「白枝畔、きみには両親がいたかな?」


「当たり前でしょう」白枝は困惑の色を示す声を出した。両親がいて当然。それは人間であれば、絶対のことだ。「今もたぶん生きてるわ。まさか雪柳にはいないの?」


「彼にもいるさ。なあ?」


 どんな境遇にいるかも、魔導師は当然知っているだろう。心歌からすべて聞いているはずだから、ここで彷徨に話を振る必要はない。


 どうして心歌が彷徨の過去を知っているのかは、今はもう考えるだけ無駄だ。方法はどうであれ、彼女ならそれくらいやっていてもおかしくはない。初めて出会ったあのときから、あの出会いが始まる前から、彷徨のことを知っていた。


 おそらく彷徨以上に。


「……父親は今も生きている。母親は物心つく前に死んだ」


 声も、その温もりも憶えていない。ただ母親だという人物の写真を持っているだけだ。彷徨が持っている唯一の写真でもある。遼遠は彼女について語らないため、他にはなにも知らない。どんな人だったのかもわからないままだ。


「それが俺になにか意味があるのか?」


「そもそもの原因はそれだ」魔導師は簡単に答えた。この受け答えも、心歌が想定していたものだからだろう。


「なに?」


「愛情がどうとかって話なの?」白枝も訊いた。


「そうとも言えるな」


 私が聞いたかぎりでは、と魔導師は付け加えたあとに続ける。


「幼少時代――つまりは過去の自分とは、現在の自分に対する影響が大きい。どんな人間でも必ず過去に体感した、体験したことが、そのあとの未来を決める要素となる。雪柳彷徨が子供のままと言ったのも、このことがあるからだ。きみの中にはまだ子供のときの“きみ”がいる」


「俺の中に、昔の俺が?」


「現在の雪柳彷徨を縛っているのは、過去の雪柳彷徨だ。これは、たとえば白枝畔や私に言い換えたとしても同じことだが、しかしきみと私たちは違う」


 そして魔術師や殺人鬼とも違う。


 過去と現在が繋がっているようで繋がっていない。


 魔導師の言葉が――その裏にいる心歌の言葉が、彷徨に突き刺さる。思い当たる節はないはずなのに、核心を突かれたような感覚があった。これまでの言葉とは違う。彷徨ではない誰かが大きく反応を示す。


 彷徨の中にいる別の誰かが。


 別の自分が。


 たしかにその言葉に反応した。


 強固な殻を通過し、その内側にいる“彼”に届いていた。


 そして彷徨はこの感覚を知っていた。魔術師のときも、殺人鬼のときも、今ここにいる彷徨ではなく、別の彷徨が感じていたものだったのだ。


「私が言えるのは、ここまでだ。むしろここまで聞いて思い出せないのが不思議だと思えるのは、きみが失っているものを知っているからだろうか。もし違うのなら、失って当然だったのかもしれないな。だからこそ、取り戻せないかもしれないと彼女が危惧しているんだろう」


 彼らはけして答えを言わない。それには自分で辿り着かなければ意味がないからだ。


 彷徨が向き合わなければならない。


 自分の中にいる、もう一人の自分と。


 こうして指摘されなければ、その存在に気付くこともできなかった。たとえ現実世界で心歌に同じように指摘されても、今のような姿勢ではいられなかっただろう。


 彷徨が自分の中の存在に気付けたのは、魔術師と殺人鬼と言葉を交わしたためだ。二度同じ感覚に触れたからこそ確信できた。


「そういえば、白枝はなにか伝えるように言われてないのか?」魔導師が訊いた。「それとももう伝え終えたのか?」


「まだね。私自身の話をするように言われているけど、気が乗らないのよ。なにが悲しくて死んだあとに未練がましく過去を振り返らないといけないのかわからない」


「奇遇だな。私も同じことを言われているし、同じ気持ちだ」


 殺人鬼の会話はすぐに思い出せたが、魔術師もそうしたかを確かめるのには少し時間がかった。魔術師の場合、勝手につらつらと話していたため、あまり印象に残っていなかったのだ。それに彼自身の話など、あのときはあまり興味がなかった。


 しかし、もしも全員がそうするように言われているのなら、興味がなくともはっきりと思い出さなければならない。そして比較しなければならない。


 自分と彼らを。


 誰でも持っていて、しかし彷徨は持っていなかった。今は取り戻したようだが、それがなにかわからない。これが問題だ。殺人鬼は目を大事にしろと言った。だから《欠片の力》を取り戻したのだとも考えたが、その感覚はない。白枝も特に変化はないと言っていた。


 つまり眼球自体に変化があったのではない。瞳の色や瞳に欠片が宿ったわけじゃない。もっと根本的な、見えない変化があった。


「ただまあ、私には振り返るような過去はないんだがな」


「そうなの? 魔導師なんて波乱万丈そうな人生じゃない」


「なら《欠片持ち》だったきみは波乱万丈だったのか?」


「そうじゃなかったら、こんな場所にいないわよ。そうね……、都市警察に入ってなかったら、まだ生きていたんじゃないかしら」


「どうして危険だとわかっている組織に属したんだ。警察と言うばかりには、きみも正義感が人一倍強かったのだと推測できるが」


「当たり」白枝は自分自身に呆れるように言う。「自他共に認めるほど、正義感が強いわ。困っている人は助けたいし、悪いことをしている奴は許せない。もう本当に、絵に描いたかのような感じよ」


 それが不幸を招くことはわかっていたのに、と白枝はやはり自虐的に言う。周りからも言われ、自分にも言い続けたことなのだろう。


「でも、それがきみだったのだろう?」


「ええ。それが偽りのない私だった。だから後悔はない。たとえ追い掛けていた犯人に謀殺されたとしても、なにも言うことはないわ。相手を憎いだとか、自分を馬鹿だったとかなんて思わない。こういうのは頭で考えて、とはいかないもの」


 白枝たちの会話の中で、なにかが気にかかった。それは違和感ではなく、逃してはいけない言葉を逃してしまったような感覚だ。白枝の言葉なのか、それともそれに連なる一連の会話によって生まれた言葉なのかはわからない。


「――っと、余計なことを喋ったわ。あなた以外と聞き出し上手ね」


「きみが勝手に喋っただけだ」


「いいえ、あなたのせい」白枝は睨むように、魔導師を見た。「私も話したんだから、あなたも話しなさいよ。そう言われているでしょう?」


「ふっ」魔導師は微笑する。「さっきまでとは言っていることが変わっているじゃないか」


「私だけ言いなりになるのは不公平でしょう。同じ気持ちだったんなら、同じ気持ちになりなさい」


「とんだ言い分だな」魔導師はそう言うが、しかし話し始めた。「私は普通の家庭に生まれ、古本屋で魔術書を見つけたことで人生が大きく変化した。そのことに気付いたのは――《裏の世界》にどっぷりと足を踏み入れていたのに気付いたのは、両親が殺害されてからだ」


「魔術絡みだったの?」


「そのとおり」魔導師は頷く。「私が魔術書を読み解き、魔術を使ったせいで、機関に属する魔術師に見つかった。《裏の世界》は神秘を《表の世界》で公開することを許していない。だから踏み外していた私を排除するために、家族そのものを消そうとしたんだ」


「どうして助かったの?」


「独学で魔術書を読み解いたからだ。魔術の才能を見抜かれ、機関に所属することになった」


「両親を殺されて、なにも思わないの? 私ならきっと憎むし、然るべき罰を与える」


「なにも思わないこともなかった。だがそれよりも――その現実をそんなことと言えるほどに魔術に興味を持ってしまった。頭ではわかっていても、それには勝てなかった。だから感謝していたさ。魔術師としての人生にも悔いはない」


 魔導師の話を聞き、彷徨の中に光が差した。光は次第に大きくなり、彷徨の中にある強固な殻を打ち破っていく。


(俺が失ったものは……)


 魔術師、殺人鬼、白枝畔、魔導師。彼らの話を聞いたことで、彼らの話の意味を理解できた――心歌がなにを求めているのかが見えた。一人ひとりが独立した話をしているようでそうじゃない。四人とも同じことを話していたのだ。


 特に魔術師は、心歌の言うことをなに一つ聞かずに答そのものを言っていた。それに嘘つきでもあった。心歌に対する復讐として彷徨にヒントを与えたが、しかしそれは少し違う。彷徨に対しても復讐をしていたのだ。迷わせるために、惑わせるために、余計な一言を残していっている。


(取り戻さなければいけないのは)


 白枝ではなく魔術師が出てきた理由を考える必要などない。それこそが答のような言い方をしていたが、それが罠だった。


 魔術師ははっきり“それ”を言葉にし、殺人鬼はその有無と“それ”を見る目を、魔導師は在り方と在り処を、白枝畔は自分を形成していたものとして語った。


 すぐに思いつかなかったのは、やはり欠如していたからだろう。


 失っていたから、失っていたことにも気付いていなかったから、そこに至ることができなかった。


 強く反応を示し、痛みを感じる。心臓ではないなにかで、そこは子供のときの――過去の彷徨がいる場所だ。


 影たちにもあったように、


 彷徨にもあって当然なのだ。


 魂と記憶。


 人間の中にあるものはそれだけではない。


 誰もが持っていて当たり前のもの。


 それは――。


 心。

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