4 取り戻したいもの
その言葉ほど彼女の明確な外見に不相応で、不明瞭な内面に相応しいものはない。曖昧でありながら、絶対的な力と存在の象徴たるその言葉は、心歌という少女を言い表すためにあるようにさえ思えた。
それほどまでに、しっくりきた。
パズルのピースが埋まったような、そんな感覚が彷徨にはあった。
「魔術師の理想は知ってる?」
「いや」
「そうだよね。僕たち魔術師は《神界》に到達しようとしているんだ。そこに至ることで、この世界のすべてを知ることができる。そう言い伝えられてきて、僕たちはその理想を目指しているんだ」
底知れぬ知識欲を満たすために、すべてを知ろうとしている。魔術師という名前から作り話のような、御伽話のような突拍子のない話に思えるが、しかし言い換えれば彼らは研究者と同じなのだろう。それこそ彷徨の父である遼遠と同様に、未知に踏み込み、そしてその正体を暴こうとしている。
ただ方法が違うだけで、道は同じ。
どちらも人間の持つ欲を満たそうとしているだけ。
「人間はそういうふうにできている。僕たちは意識的に、きみたちは無意識に《神界》に至ろうとしている。差異は、生まれたときにその話をされたかどうか、くらいなものだと思う。あとはみんな同じさ。好きに生きている」
好きに生き、そして生涯を終える。そこにどんな物語があろうとも、好きに生きているわけでなくとも、死を恐れていたとしても、必ず始まりと終わりは訪れる。
彷徨は足もとに広がる魂の光を見た。経験と知識――記憶がそこには溢れている。かつて現実世界で生きていた人間たちのものが底に満たされていた。あの中に、彼らの理想を果たせた魂はあるのだろうか。あったとして、それを見つけ出すことはできるのだろうか。
「既視感ってあるだろ? あれがあるのは、魂のサイクルのためなんだ。少なからず僕たちの魂には先人たちの記憶が刻まれているってわけ。科学者的に言えば、遺伝子ってやつに刻まれている」
魔術師の説明に、彷徨は少しも疑問を抱くことはなかった。純粋な子供のように、与えられた知識を貪欲に吸収している。満たされている感覚はない。ただ身体が拒絶を起こさない以上、それを取り込まない選択はなかった。
必要なことでなければ、心歌が魔術師を用意するはずもない。
「魔術師は、このサイクルに干渉できるものなのか?」
「それができたなら、もうそいつは魔術師じゃないよ。人間のできる範囲を、人間の限界を超えてしまっている。だからあのクソガキちゃんを《神》だと、僕は見ている。世界を創ったとか、このシステムを創ったとかじゃなく、《神界》に到達した人間って意味だけど」
どうやら心歌を「外側の存在」と考えたのは、あながち間違っていないようだ。彷徨の考えでは「外側から来た存在」だったが、魔術師の考えは「外側に到達した存在」である。
世界の理を知らない者と知っている者の差が出ていることは明らかだ。彷徨の方が突拍子のない考えであり、魔術師よりもよっぽど御伽話、空想の話をしている。魔術師という存在を認めてしまっている以上、彼らの技術は科学と同様に考えられ、そのために彼の仮説は現実味を帯びていると言えなくない。
「魂のやりとり自体はそんなに不思議なことじゃない」
ごく当たり前のように魔術師は語るが、しかし彷徨にはそれが不思議でないとは思えなかった。
「悪魔と契約する際にも行われるし、魔力を生み出す装置だから、それそのものを対価にすることで強力な魔術を発動させられる。こんなふうに僕たちの『世界』ではわりと知られている技術なんだよね」
今までの話を総括すれば、科学よりも魔術の方が優れている。想像を現実にする技術が明らかに上だ。魔術ではできて科学ではできないことは数多そうだが、その逆は少ないように思えた。
それなのになぜ魔術が広まらないのか。
どうして魔術ではなく科学が世界に蔓延っているのか。
彷徨のその疑問に、魔術師は答える。
「魔術師たちは自分の研究を露見させるようなことはしない。だから広まらないんだよ。科学は確立したら公に発表するだろう? 魔術師はそんなことをしない。自分がなにより優れ、誰よりも先に人類の理想を果たしたいと考えている。科学が大衆のためにあるのだとしたら、魔術は自分のためにあるって感じかな」
「だとしたら、お前たちはどうやって進歩していくんだ」
「魔術師たちを統括する機関もあるけど、まあだいたいの場合は“奪う”かな。機関自体が動くこともあれば、個人で動くこともある。血流なくして進歩なしってね。こんなんだから《裏の世界》なんて呼ばれるんだろう」
その言葉で連想するのは、魔術師たちのことではなく、むしろ悪行を働く者たちだ。けして魔術師たちが住む世界のことではない。それが今までの彷徨の常識だった。魔術を知らなければ――心歌に出会っていなければ、それが覆ることはなかっただろう。
彷徨の人生において、心歌という存在は静寂に投じられた一石だ。彼女がいなければあの街以外のことを知ろうとはせず、ただ研究所の被験者として過ごす日々が続いていた。そしてそれはそう長く続かない。
あの現実世界は、もうすぐ滅ばされてしまうのだから。彷徨が姫ノ宮学園で助けた顔も知らない少年によって。
しかし、と彷徨はその少年のことを考えた。心歌が《神》またはそれに匹敵する力を持っているとして、それでも世界を守れないのはいったいどういうことなのだろう。
影響力について考えてみても、それならば世界のシステムに干渉するのは愚策だ。たとえそれが彷徨の能力を開花させることに必要だとしても、手を出したものの大きさは計りしれない。そのため影響力の大きさで、目的を果たせないわけではないと思い至れる。
ならば、その少年の方が上の存在とでもいうのだろうか。
ただでさえ論外である心歌よりも上位だとすれば、それこそ想像外であり、考えるだけで無駄だ。
いずれその少年と相対しなくてはならない。能力が開花したからといって、その力が通じるとは思えなかった。心歌に放った《欠片の力》のように無効化される。そっちの方が想像に易い。
彷徨が黙って思考している間にも、魔術師は話を続けていた。白枝のように受け答えを事前に聞いているのなら、話を聞いていない彷徨に対して指摘をするだろう。しかし彼はそんな素振りも見せない。
「僕はね、自分をよく知っているんだ。だから正直に、自分を偽ることなく行動できていた。周りの奴らは環境に流されて仕方なく、なんて逃げ道を作っていたけどね。僕は違う。やりたいからやった。殺したいから殺した」
自分語りを一向に切り上げない。彼自身がどんな人間で、どんな魔術師だったのか。周囲の人間をどういう目で見ていたのかなどをこれでもか並べ連ねる。
魔術の話やその関連の話ならば、耳を傾けることもしただろうが、魔術師の自分語りとなれば、聞く耳を持つ必要がなかった。
時間という概念がはたしてこの場所にあるのかはわからない。だが、このまま魔術師に語らせるのは時間の無駄だと判断して、次の話題に移行する。
「ところで」
「心が、そのまま思考に直結して――ん?」
魔術師は一方通行の会話を止めた。
「今さらなんだが、さっきの奴らは――あの影たちはどうして俺を襲って来たんだ? お前には興味も示していないようだった」
「あれ、この場所のこと聞いてない?」
「失ったものを取り戻す場所だと聞いている」
名前と、どういった者たちが集められたのかという理由も聞いていたが、それは魔術師の質問に対する答えではないと判断して告げなかった。
彷徨の答えに、魔術師は「なんだ知ってるじゃないか」とつまらなさそうに言った。まだ話し足りないとでも言いた気だ。
「きみもそうであるように、彼らもまた失っているんだよ。だからそれを取り戻そうとしている……いや、正確にいえば取り戻すんじゃないけど」
「よくわからないな。どうして俺なんだ。お前と俺の違いはなんだ」
彷徨も魔術師も、そして白枝も、目に見えて影たちと異なるのは、自分を保っていられていることだ。白枝の言葉を借りれば、取り戻せていること。彷徨には自分が自分でなかったときの記憶はないが、もしかしたら意識が途切れた一瞬に失っていた可能性もある。
その一瞬は、一瞬じゃない可能性だって大いにあるのだから。
魔術師の返答は、考えてみれば当然の差異だった。彷徨と魔術師、彷徨と白枝、彷徨と影たち。彷徨にはあり、彼らにはないものがたしかにあるのだ。
ただそれはこの世界では見えるようで見えず、あるようでない。だからそこに気付くことができなかった。
「僕たちには、現世で生きる身体がない。すでに失われている。だから影たちが求めているのは、現世の身体であり、新たな器であり、存在そのものだ」
誰もがきみになろうとしている。
なり変わろうとしている。
魔術師は楽しそうに、そう言った。




