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悠久の世界は月のために  作者: 鳴海
第1章
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3 埋もれた記憶

 最初、それは幻聴だと思った。消えゆく中で聞いた一種の走馬灯のようなものだと。そう思わせたのは、その声が白枝のものではなく、男の声だったからだ。遠くから聞こえ、反響するように聞こえ、そのために、最後に聞いたのはいつだったのかを思い出せないほど記憶に埋もれていた父親の声を、彼と過ごした微かな時間を一瞬だけ思い出していた。


 父親。


 雪柳遼遠ゆきやなぎりょうえん


 雪柳研究所の所長であり、《欠片の力》の研究の第一人者。


 彷徨の記憶に、彼と過ごした日々はほとんどない。憶えているかぎりの記憶を引き摺り出しても、それは一時間にも満たない。とにかく家に帰らない父親だ。

記憶にある彼が本当に父親なのか。それを疑い始めたのは、そして疑い止めたのははたしていつだったのかもまるでわからない。


 そんな遼遠の声が聞こえてきた。


 聞こえたような気がした。


「こんなところで終わるのか?」


 そんなふうに問い掛けてきたような気がしたが、しかしそれはやはり幻聴だった。自身の終わり、存在そのものの終わりを遮ったのは遼遠の言葉ではなく、黒い男だった。黒い空間で黒いコートを着て、フードも被っているために、ほとんど影と同じに見えた。


 しかしそうではないと気付けたのは、その伸ばされた手が彷徨の腕を掴んでいたからだ。「影」と接触しても身体を掴まれる感覚はない。あるのは呑まれる、奪われる感覚だけだ。


 腕を引っ張られ、彷徨は「影」たちの捕食から逃れる。前後左右がある造形ではないが、しかしなぜだか「影」たちが一斉に彷徨を振り向いたような気がした。


「やれやれ。なんで僕がこんな役目を……」


 黒コートの男はそう呟くと、握っていた斧を「影」たちに向かって軽く投げた。斧は一瞬光を放ち、それから透明な爆発を起こした。爆風、衝撃波と呼ばれる類のものが「影」たちをその場から消滅させるが、しかし彷徨や黒コートには微風すらない。


 ほんの二、三秒で、そこには黒い空間だけが残った。


「あいつらは消滅したのか?」


「いや、そんなことは僕にはできない。ただ遠くへ飛ばしただけさ」


 彷徨は黒コートに視線を移し、礼を告げた。フードの奥を確認してみたが、洞穴のように暗く、この場所の色と合わさり、中身がないように見えた。


「助かった。礼を言う」


「感謝されても困るんだけどね。僕はあくまで与えられた役割をこなしているだけなんだから」


「誰に与えられたんだ? 心歌か? それとも白枝か?」


「もちろんあのクソガキだよ」


 心歌のことだろうと彷徨は判断した。白枝のことでも構わなかったのだが、彷徨にとって「クソガキ」に相当するのは心歌であり、白枝をそう言うにはまだ性格を掴み切れていない。


 言うなれば、どちらでも構わない質問をしたのだ。心歌であろうと、白枝であろうと、二人のうちどちらかと接触しているのなら、彷徨の敵ではないことはたしかだ。今のところは――だが。


「というか、これだけ話してるのにまだ僕が誰だかわからないのかい?」


 彷徨はその言葉に驚きを示し、そして思考を巡らせた。ここで出会うような知り合いがいただろうか。《乖離世界》は、現実世界において「存在しない力」によって命を落とした者が到達できる場所だ。つまり彷徨のように心歌に無理矢理ここに落とされるか、白枝のように現実世界にいる「化物」に殺害されなければならない。


 心歌が彷徨以外と関わったことはほぼないため彼女との共通の知り合いを除外すると、残るは彷徨だけが知っている人物だ。だがいくら思い出そうとしても、知り合いで命を落とした者などいなかった。


「ま、そうだよね」黒コートは肩を竦めた。「僕たちは知り合いってほど知り合いじゃないし。知られて、憶えられることなく、殺された」


 そう言って、黒コートはフードを取った。彷徨はその髪を見て、すぐに彼が誰であったかを思い出した。切り揃えられた金色の髪を持った人物には一人しか心当たりがない。彼の言ったとおり、顔を合わせたが憶えることをしなかった。なぜなら彷徨がその場で殺したからだ。


「あのときの魔術師……」


「ようやく思い出してくれた?」魔術師は金色の髪を払った。


 魔術師と出会ったのは、先の姫ノ宮学園でのことだ。姿を消した心歌を追って辿り着いたその場所に、彼はいたのだ。たしか、と彷徨はさらに記憶を掘り下げる。魔術師の目的は《欠片持ち》と戦うことだった。念願を果たせたのかはわからない。彷徨は魔術師と対面した直後に《欠片の力》で殺害したからだ。


 しかしそうだとすれば、引っかかることがある。


「俺はお前を殺した」


「そう」魔術師はあっさり頷く。「だからここにいるんだよ」


「いや、だったらここにいるのはおかしい」


 彷徨の言いたいことを察してか、魔術師は平然と答えた。


「《欠片の力》で殺されたんだからここに来られるはずがない――そう思ってるんだろ? まあたしかにおかしいね。だけど、そこにあのクソガキという要素を加えれば、なにも不自然じゃなくなる」


「あいつはお前を理から外したのか? 俺がお前を殺したあとに」


「そういうこと」


 そんな素振りはなかった。あのときのことを思い出してみるが、しかし心歌になにか「術」を使った様子はまるでない。いつだってそうだ。《欠片の力》を無効化してみせたときも、彼女はなにかを使う動きをしない。


 捉えきれない。


 彼女という存在を。


 あまりに不明瞭で。


 白枝の言葉を――白枝が心歌から受けた言葉が頭の中で蘇り、反響し始めた。観測する者によって、誰であるかは変わる。それは本当に彼女を観測できると言えるのだろうか。裏を返せば、自分はそこにいないと言っているようでもある。


 誰でもない存在。


 存在しない存在。


 規格外でも、想定外でもなく、論外。


 外側の存在。


 意味がわからない。彷徨は思考を中断し、魔術師に訊ねることにした。白枝には訊きそびれてしまったが、《乖離世界ここ》でのことを任されているというのだからいずれまた会えたときに訊けばいい。


「魔術師」


「ん?」


「お前の目から見て、あいつはどう映る」


「それは魔術師の目ということ? それとも僕個人の目ということ?」


 どちらでも構わない、と彷徨は答えようとしたが、それよりも早く魔術師は自答した。


 どちらも同じこと、と口の端を上げて。


「あれは俗に言う《神》だ」

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