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悠久の世界は月のために  作者: 鳴海
第1章
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2 始まりと終わりの光

 彷徨は《乖離世界》と呼ばれる場所を観察した。周囲は黒く、どこまで続いているのかはわからない。足をつけている地面の遥か下には、光の粒子の塊が流れていた。それは渦巻いているようにも見え、粒子はその群から離れたり、交わったりしている。この塊もまたどこまでも続いていた。


 手を伸ばしたくなるほど温かく、しかしその反面、距離をとりたいほど冷たくもあった。心が異様に揺さぶられる。いや、と彷徨は思った。心とは別のなにかが、光の塊に呼応している感じだった。


「その光は魂の光」


 白枝が説明する。


「魂?」


 顔を上げて、白枝を見た。


「人間であるという存在の証なんだってさ」


「どうしてそれがあそこに溜まってんだ」


「始まりと終わりの場所だから」


 白枝は視線を光の塊に落とした。


「人が命を落としたとき、その魂はすべてあの場所に還る。そして経験と知識が蓄積されていく。人が生まれるときは、あの場所から新たな光が旅立つの」


 光の粒子が離れたり、交わったりしているのはそのためか、と彷徨は情報を整理していた。光が離れれば新たな命が誕生し、光が交われば一つの命が失われたということ。短い時間に、それは数えきれないほど行われていた。


 数えられないが、見たかぎりでは塊に戻る光の方が多いような気がした。


「ならどうしてお前はここにいるんだ」


 それも光ではない。人間のかたちをして、言葉を話している。それは彷徨も同じだ。ここが死後の世界というのなら、どうして彷徨たちは光の粒子とならず、かたちを保ち、自我を持っていられるのだろう。


 白枝の視線が、彷徨に移される。


「ここは死後の世界だけど、普通の場所じゃないの。さっきも言ったけど、私は化物に殺されて命を落とした。それはあの世界にはない力で、だからこそ魂のサイクルから外れ、こうして《乖離世界》にいるわけ。あなたも、私とは違う別の力でここに落とされたんだと思う」


 あの世界にはない力、別の力。その言葉で連想させられるのは、やはり心歌だった。得体の知れない力によって《欠片の力》を無効化していた。魔術も彷徨の知らなかった力ではあるが、心歌によれば“世界にある秘匿された力”であるため、白枝の言ったものとは違う。


 そして心歌と化物も違うだろうから、つまりあの世界には心歌と同種の存在がいるということになる。


「お前はどんな奴に殺されたんだ?」


 白枝がくるりと踵を返し、歩き始めた。彷徨はそれに付いていく。


「簡単にいえば悪魔らしいわ」


 振り返らずに彷徨の問いに答える。


「それにぱくりと食べられちゃったのよ」


「それはまた貴重な体験だな」


 そう言うと、白枝はぴたりと立ち止まって振り返った。探るような目を向けられている。そのことがわかっても、彷徨はなにも言わなかった。


「……悪魔とか信じちゃうんだ」


「信じてはないが、まあいても驚きはしない」


 心歌の登場の方がよっぽど驚いた、と彷徨は思った。《欠片の力》を動かずとも無効化できてしまうなど、前代未聞だ。それに魔術のことや、未来視、そしてこの現状から考えれば悪魔よりも信じがたい。


「お前は違うのか?」


「私は信じてない方だった。悪魔とか天使とか神とか馬鹿らしいと思ってた。だけど、殺されて、気付けばこんな場所にいて、見知らぬ浴衣の女の子にあれこれ説明されたら、今まで私が否定してきたことは、ただ私が知らなかっただけなんだって知ることができた」


 私の知らない場所で、知らないことが起きていた。


 ただそれだけのことだった。


 白枝はそう言ってまた歩き始めた。


 どれだけ歩いても、黒い空間が変化することはなかった。青い空や緑の大地などが現れることはない。足もとから感じる温かい誘惑と冷たい危機感もまた同様に変わらずそこにあった。ときどき視線を落としてみると、魂のサイクルが行われていた。


「あいつ――心歌についてなにか知ってるか?」


 彷徨には話さず、白枝に話していることがあるのではないかと訊ねてみた。あの小さな体に詰まっているものが、途方もなく、想像しがたくありつつあったからだ。《欠片の力》や魔術に精通しているだけでなく、魂の行方すら思うがままだ。


 彼女に知らないことは、できないことはない。そんなふうに思いたくもあるが、しかし彷徨のもとへ来たことがそれを否定する。彼女にできず、彷徨にしかできないことがあるから、雪柳家に訪れた。


「誰でもない存在だって言っていたわ」


「どういうことだ」


「観測する者によって、あの子が誰であるかが違うみたいね。まあつまり私とあなたでは、彼女の認識の仕方が違うってことかしら」


 ますます心歌に対する謎が深まるばかりで、進展はなかった。個人によって認識が異なるというのなら、御津永もまた彷徨とは違う心歌を見ているということになる。外見が異なって見えていることはないだろう。浴衣を着た少女として、御津永が彼女を認識していたことは少なくない。


 ならば、異なるのは心歌の内側にあるもの。あるいはそこから発せられている空気や雰囲気に違いがあるのかもしれない。


 彷徨は考える。自分の目には、あの少女に中にあるものがどう映っているのか。


「あなたがここでなにをするのかは聞いている?」


「ああ」


 実際は聞いていないが、ここでなにをすべきかを知っている。それが彼女の目指す世界平和に繋がることであり、彷徨の興味を惹きつけることでもあった。


「だから、お前が今なにをしようとしているのかがわからない。ただ歩いているだけじゃないのか、これは」


「まあそうね」


 白枝はいとも簡単に肯定した。


「でもこれは必要なことだと言われてるから、私の一存で中断することもできないのよね」


「どういう目的があるんだ」


「あなたをこの世界に馴染ませるための時間を作ってるのよ。彼女の話だと、あなたも私たちと同じように姿かたちを失っているはずだったんだけど、そうじゃなかった。だから無意味な時間に感じるだけの話」


「姿かたちを忘れる」


 彷徨は復唱し、足もとに広がる光の渦を見た。彷徨とあれらの光は同じようで違う。彼らにはすでに人間だったときのかたちが失われている。身体と魂が別離したことによるためなのか、それとも記憶を持たないためなのか。


 いや、と彷徨は自身の考えを否定した。白枝は言っていた。すべての魂はあの場所に還るのは知識と経験を蓄積させるためだと。それは換言すれば「記憶」ではないだろうか。すべての人間の記憶が、あの場所にはある。


 還る魂には記憶が宿っている。それならば「自身」という個を忘れるはずがない。


 彷徨たちと「彼ら」の違い。それはやはり死に方にあるのだろう。どの力に命を奪われたかで、その後の在り方が異なる。


「あなたが考えていることは概ね正しい」


 白枝は彷徨を見ずに言う。


「あの世界の理の範囲内で命を落とせば、きちんとあの場所へ行ける。誰かに自分を思い出させてもらうことなく、なんの邪魔も入らずに、個を失い、全に還ることができる」


「……どうして俺の考えていることがわかる」


「それは簡単よ」


 と彼女は振り返った。


「あの子が言っているとおりになっているから。ただそれだけのことなの。私に秀でた能力があるわけじゃないから、そんなに警戒しなくてもいいと思う」


「全部、あいつの筋書きどおりなのか?」


「一つだけ異なるとすれば、あなたが自分を失わず、その姿かたちでいられたことだけは予定外だったみたいね。だから私も驚いたわ」


 その一つを除けば、それ以外は行動も思考も予測されている。そのことに彷徨は憤りに似た感情を抱いていた。それが誰に対して、なにに対してのものなのかは判然としない。


 彷徨は白枝を静かに見据えていた。この感情の正体も、彼女は心歌から聞いているのだろうか。だとすれば問えば、その答えが返ってくる。すでに用意されている返答を、白枝はすればいいだけのだ。


 しかしどうしてかそうしようとは思えなかった。ただ問いを投げかけ、その答えを訊くだけではいけないような気がしたのだ。


 もちろん、こうなることも心歌は知っていたに違いない。


 考えることを放棄すると、心が落ち着いてきていた。心歌の人外、超人の域に達した能力には呆れることしかできない。いや、諦めたのかもしれない。少しばかり抵抗を試みて、彼女を出し抜こうと考えていたのだろう。


 彷徨の中で一つの答えが出ると、白枝は口を開いた。彼女の裏に、あるいは中に、心歌の影を見ることができる。


「ここはつまり“自分を取り戻す場所”でもあるの。失ったもの、忘れたものを、もう一度手に入れることができる」


「なるほどな。それで俺はどうすればいい」


 そう言うと、白枝はすっと彷徨に指をさした。なにを言い出すのかと思い構えたが、彼女はなにも言わない。それでようやく指し示されたのが自分ではないことに気付いた。彷徨は振り向き、その先にあるものを追った。


 そこには影のような、泥のような曖昧な存在があった。


 ゆらゆらと揺らめきながら、それでいて融解しているかのようでもあるそれとの距離はわずか一メートルもない。


「なんだ、これは……」


 彷徨は一歩後ずさった。


「私たちと同じよ。あの世界にはない力で、ここに来た。ただ違うのは、彼らは自分を取り戻せなかった」


 言われてみれば、二つの点は双眸のようでもある。ただあまりにも影や泥に近過ぎて、ときどきしかそれを窺うことができない。


「俺にこいつらを倒せとでも言うのか?」


「あなたには、彼らをこの世界から解放させて欲しいの」


「どうすればいいんだ」


「それはもう知ってるでしょう?」


 異変を感じ、彷徨は振り返る。そこに白枝の姿はなく、代わりに同じような影が無数あった。彷徨を取り囲んでいた。まるで気を窺っているかのようにその場から動かない。


 これらを倒す方法を、彷徨はもう知っている。白枝はそう言ったが、心当たりはなかった。初めて見るものに対する策など持っているはずもない。ただわかるのは、もう逃げ道がないということだけだった。


 一つの影がじわりと彷徨に寄り始めたのを口火に、他の影たちが一斉に動き始める。


 彷徨は《欠片の力》を使う。思い付かない以上、彷徨にできるのは生まれ持ったその異能でこの場を乗り切ることくらいだった。


「なに――」


 しかし、《欠片の力》が発動されることはなかった。いつもの感覚がない。


 影たちが迫り、逃げ道も、対抗手段もない彷徨は、成す術もなくその影たちに呑み込まれていった。圧迫感はないが、なにかを奪われていく感覚があった。


 その最中に、彷徨は気付く。


 ここは《乖離世界》。


 自分を取り戻す場所。


 失ったもの、忘れたものをもう一度手に入れる場所。


 影たちが自分を失ったのならば、


 彷徨が失ったのは《欠片の力》。


 やがて意識は静かに消えていく。

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