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悠久の世界は月のために  作者: 鳴海
太刀風の迷い子 終章
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1 黄昏

 音無が都市警察第五支部にきちんと顔を出せたのは、あれから四日後のことだった。


 その日のうちに戻れたのはよかったのだが、アナトリア姉妹のことが解決した安堵と、事務所員たちを前にした緊張が解け、導とイヴの顔を見た瞬間、意識を失ってしまったのだ。


 それから音無を襲ったのは高熱と筋肉痛。頭が割れるように痛み、身体は自分の意思で動かそうにもほとんど動かなかった。アナトリア姉妹に出会ったことで街の外を知り、この街にはない技術を視覚と触覚で感じ、これまでにない《欠片の力》の効果と運動能力を発揮したせいだろう。


 両親やイヴと導には迷惑をかけてしまった。導は面倒だ、怠いだと言いつつも、一日に何回か見舞いに来てくれた。イヴは両親よりも付きっきりで看病をしてくれ、なぜだか終始笑顔だった。もしかしたら看護の道が向いているのかもしれない、と朦朧とする意識の中で考えもした。


 だがやはり気になるのはアナトリア姉妹のことだった。この街にいられるように手配してくれるとアイリスは言った。よく考えてみれば聞き捨てならない台詞だ。いったいどんな手回しをすれば、そんなことができるというのだろうか。事務所についての謎は深まるばかりである。


 それだけに、この街で暮らせる、という言葉に裏があるのではないのかと勘繰ってしまう。平穏に暮らせるかどうかは明言していないし、研究所通いを強制されている可能性もないとは言えない。


 彼女たちは街の外から訪れ、街の外の力を持っている。


 珍しくないわけがない。


 そう思うところもあるが、しかし月宮の発言から考えて、事務所にとっては既知のものなのかもしれない。なんでも屋、便利屋として知られているが、それは街の住人だけではなく、街の外の住人にもそうなのかもしれない。


 考えれば考えるほど、遠く、そして巨大な存在だ。


 アイリスや白いローブの女には本能的に戦ってはいけないとわかるし、月宮や眼鏡の女は《欠片の力》ではない能力を有し、黒コートも「人払い」という不思議な技を使っていたらしい。それにあの銃撃の相手もいる。


 いつか訪れるかもしれない戦いの日を思うと、重い溜息しか出なかった。都市警察がこの街を守っていくのには、あまりにも力が足りていない。


「どうしたんですか、溜息なんて」イヴが麦茶を運んできた。放課後であるため、服装は制服のままだ。


「そりゃあ溜息も出るよ」とパソコンを見ていた導が、顔を向ける。「上の奴らが舞桜の報告を今か今かと待っているからね」


「街の監視カメラを全部止めただけじゃない」


「その理由を求めてるんだよ。私はどうでもいいけどね、そんなこと」


「でもどうしてそんなことを頼んだんですか?」


 イヴの純粋な瞳で見られると、答えなくてはならないような気がしてくる。この手の尋問の方法があってもおかしくない。


 なんと言えばいいのか、と音無は考える。


 その隙をついてか、導が代わりに答えた。


「そんなの簡単だよ。監視カメラが防犯のためにあるのだとしたら、それを止める理由なんて一つしかない」


「一つ? 一つだけですか?」


 しばらく頭を悩ませたあと、イヴは導の言わんとしていることに気付き、それに喜んでから、その答えに不満を持って怒り出した。


「舞桜さんはそんなことしません!」


「えー、どうかなあ」


「しないったらしないんです!」


 当たり前の日常から一歩でも脱却すると、それがとても大事なことだと痛感する。今までもそれはわかっていたが、それ以上に身に染みてわかる。そして同時に、日常の脆さも知った。


 イヴから受け取った麦茶を呑み干し、音無はソファから立ち上がった。


「どこか行くんですか?」とイヴ。


「ええ。人と会う約束をしてるの」


 そう告げて、扉に手をかけると、背中に声をかけられた。ぴたりと動きが止まる。


「現実逃避できるのは今日までだよ」


「いってらっしゃいですっ」


 音無は静かに微笑んでから、第五支部をあとにした。


 夏休みが終わったからといって、途端に気温が下がるわけではない。夕暮れ時とはいえまだじめつく暑さが肌に纏わりついた。


 音無の携帯電話に、電話がかかってきたのは、寝込んでから二日目のことだ。非通知でかけられ、不審に思って出てみると、相手はルーチェだった。内容は、住む場所が決まったこと、会って話したいとのことで、音無はそれを了承した。心配はかけまいと、高熱で寝込んでいることは伏せ、時間が空いたらそのときに会いに行くと告げた。


 住所は記憶していた。ルーチェが何度も文字を読み間違え、言葉を噛み、最初からやり直すため、嫌でも叩きこむことができたのだ。


 アパート住まいになったらしいが、近所の人とはやっていけるのだろうかと心配しているとあっという間に目的地に着いた。


「あ、お姉ちゃんだ」


「ほんとだ、お姉ちゃんだ」


 どこかの民族衣装に包まれた、二人の白髪の子供が音無に気付いて声をあげた。今の彼女たちからは憎悪も殺意も感じられない。ただの無邪気な子供だ。


 音無は彼女たちに近づき、そっと頭を撫でた。


「元気にしてた?」


「私たちはいつでも元気だよ」とルーチェ。


「元気だから私たちなんだよ」とフェリチタ。


 けらけらと笑う姉妹。そういえば二人がまともな状態で揃っているのを見るのは初めてだった。ルーチェは敵対する前に少しだけ見ていたが、フェリチタは月宮たちと戦っていたため、まともな状態とは言えない。


 アイリスや白いローブの女と相対したときは、怯えていたため、普段の彼女たちとは言うはずもない。


「ここには二人で住んでるの?」


 見たところ、普通のアパートだ。住人がいても不思議ではない。いきなり子供の姉妹が暮らし始めると聞いて、驚くことは間違いないだろうし、この住宅街にその情報が出回るのも当然といえる。


「そうだよ」


 当たり前の日常を送らせてあげたいとは思っていたが、まさかいきなり放り出されるとは思っていなかった。ある意味では依頼どおりなのだろうけど、適当すぎやしないだろうかと不満が募る。


 そんな音無の心中を察してか、大丈夫、とフェリチタは言う。


「ここにはお兄ちゃんもいるから」


「お兄ちゃん?」


 顔を上げ、改めてアパートを見ると、ちょうどその一室から男が現れた。黒いスラックスに、白いカッターシャツ。見覚えのある横顔。


 まさかこんなかたちで彼の居住地を知ることになるとは。


「月宮湊……」


 階段を下り、音無に気付いても彼は特に驚く素振りはなかった。


「依頼は果たしたからな」


「そうみたいね」


 話があるからと言って、アナトリア姉妹をひとまず離れさせた。彼女たちは頬を膨らませたが、膨らんだ風船が破裂したように笑い、アパートの前を駆け回り始めた。


 音無と月宮は、アパートを向いて立った。


「お兄ちゃんってなによ」


 なぜだか最初に零れた言葉は、それだった。なにを話そうか、なにを訊こうかと考えていたのに、勝手に零れ出てしまったのだ。


「お前だってお姉ちゃんだろ」月宮は自然に返答してきた。


「なんだ、呼ばせてるわけじゃないんだ」


「誰がするか」


「まあわかってるけどね。私も初めからお姉ちゃんって呼ばれてたし、年上はみんなそう呼ぶんでしょ」


「俺たちと他では意味合いが違うけどな」


「どういうこと?」音無は横にいる月宮を見た。


「あいつらにとって、あの場所にいた俺たち四人は身内らしい。命がけで自分たちを守ってくれた存在――家族みたいなものだと思っているようだ」


 それから、アナトリア姉妹とその両親について、月宮は話した。二人かそのどちらかから伝え聞いたのだと思ったが、それだと違和感があった。まるで“誰かが彼女たちの両親を監視していた”かのようだった。


 それは音無の勘違いかもしれないし、月宮の話し方でそう聞こえただけなのかもしれないため、疑問を声に出すことは躊躇われた。もしも月宮がまったく同じ話を聞いていたら、彼も気付くはずだと思えたのも声にしなかった理由の一つだ。


「同情しようにもできない話ね」


 想像とは似て非なる話だった。しかし、事実と想像では湧き起こる感情がまったく異なる。想像はあくまで想像でしかなく、そこに誰かの感情を添えたところで、それもまた音無の知っている感情でしかない。


 事実には、音無の知らない感情がある。両親を殺されたこともなければ、監禁され暴行を受けたこともない。どんな感情が心を支配するかなど想像もつかない。


 あの小さな二つの身体には、音無以上にいろんな“もの”が詰め込まれている。


「彼女たちに『力』の使い方を教えてあげられない?」


 今のままでは、邪魔者を排除するために無闇やたらにその力を発揮しかねない。目的である街の住人になることは達成されたが、新たに目的を見つけたとき、誰かを傷つけるかもしれなかった。


「そのあたりは大丈夫だ。平穏な日常を得るには、自由を失うことを教えておいた。誰かを傷つければ、自分たちも傷つくことになることも」


「それなら安心……なのかな」


「今のところな。いざというときは知らない」


 もしものときは、と月宮はあえて言葉を濁した。


 冷たい視線。


 言わんとしていることを察した。たぶんそれは条件なのだということも、なんとなくだが理解できた。誰が守りたい存在であろうとも、事務所が再び危険だと判断すれば、彼女たちは今度こそこの街どころか、この世界にいられなくなる。


 だからこそ、傍にいてあげなければならない。


 人の温かさを教えなければならなかった。


「ちゃんと見守っていてあげて」


「それはお前がやるべきことだろ。本当ならな――いや、これはいいか」


 なにかを言いかけた月宮に、音無は首を傾げた。


 本当なら。


 本当なら、もうここにはいないはずだった。そう言おうとしたのだろうか。もともと彼の仕事はアナトリア姉妹を殺害することだ。それなら言いたいこともわかる。だが、事務所の意向に逆らうと決めたのは彼自身だ。その月宮がそんなことを言おうとしたとは思えなかった。


(いったい、なにを言いかけたのかしら)


 話が一段落ついたのだろうと思ったのか、ルーチェたちが近寄ってきた。この間の姿が別人のようだ。不気味でもあるが、やはり嬉しかった。彼女たちにはこうなって欲しいと思ったのだから。


「影踏みしよ、影踏み」ルーチェが手を引っ張る。


「わかったから引っ張らないで」


 音無は嬉しい悲鳴を上げながら、訊こうとしていたことを思い出す。今がそのタイミングにふさわしいかどうかはわからない。まだ早過ぎるのはわかっている。

それでも、言葉で聞きたかった。


「二人は今、幸せ?」


 アナトリア姉妹は、同時に返答した。


 二人から温かい風が吹いていた。

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