No.7
「――……ん……」
目を開けると、まず最初にベージュが目についた。どうやらそれは天井の色の様で、つまり、俺は寝ていたという事になる。
……俺は何をしてたんだっけ。殺されたと思ったら蘇ってて、しかも時間が飛んでて、コウタと牡丹が死んでて。二人を殺したPKの集団……名前は何て言ったか、《疵物》、だっけ。ソイツらを殺しまくって……。それで倒れた、と思う。そこから運ばれたのか。……誰に?
周りを見渡してみると、答えはすぐに見つかった。あまり広くは無い室内は壁面もベージュに統一されていて、落ち着いた雰囲気を感じる。俺が寝ていたのは白いベッドで、同色ベースのクローゼットや本棚、テーブルなどが並べられていた。質素というか、自室として使う分には十分な部屋。
そしてテーブルに備え付けられていた椅子に、「彼女」は座っていた。思い出すのは、《疵物》の最初の一人を倒した際に見えた、《疵物》の奴らが取り囲んでいた人物。その少女が此処に居たのだ。眠っているらしく、微かな吐息が聞こえた。
茶髪でポニーテール。見た目は俺より年下っぽいから、高校生位だろうか。俺が戦闘していた場所では何か防具を付けていた気がするが、今の彼女は簡素なブラウスとスカートを着用していた。俺はと言えば当たり前だがまだ『冒険者の服』で、少し小恥ずかしい気もするがそれについてはまぁ放っておこう。
HPゲージを見ると全回復しており、大斧の白仮面に飛ばされた右腕もちゃんと治っていた。精神的なダメージも寝た事で回復したのか、戦っている時はあんなに感情が渦巻いていたのに今では頭の中がスッキリとしていた。アイツらを倒したお蔭でもあるだろう。
目の前の少女が回復してくれたのか、そんな事を思いつつ、とりあえず彼女を起こす事にした。
「……お、おーい……?」
流石に初対面の女の子に触れるのは気が引ける。そんなだから軽く声を掛けてみたのだが、それで十分だったらしい。パチリと目を開けばまだ眠そうな少女だったが、大分複雑な表情になっているだろう俺を見てパッと顔を輝かせた。
「あっ!? ……起きられたんですね! 良かったです、3時間くらい眠ってたのでもうてっきり目を覚まさないかと……」
恐らく自分も寝てしまっていた事に慌てた彼女だが、その混乱が収まると俺に微笑みかけた。勝手に殺すなよとは思うも、戦いが終わってばたりと倒れ、そのまま三時間意識を失った状態ならそう思われても仕方が無い……のかも知れない。いや、でもHPゲージはちゃんと残ってた(と思う)し……。その大人しそうな外見とは違って、気が早い性格なのかもしれない。
体は大丈夫ですか? と、先ほどとは違って心配そうな彼女に、俺は首を縦に振った。
「え、えっと……何がどうなって……?」
だが、まだ状況がうまく呑み込めていない俺。分っているのは俺が全回復されて此処に寝ていた事だけだ。回復してくれたのは少女で間違いないだろうが、そもそも此処が何処で、少女が誰なのかすら分っていない。分らないことだらけの現状。俺の知っている単語で説明してくれ! と心の中で切に願う俺だったが、少女はにっこり笑ってこう言った。
「此処は私達『ワンステップ』の本拠地です! 僭越ながら、助けさせて頂きました!」
……『ワンステップ』?
……知らない単語がまた増えた。
数分後。俺は《シトリンクラウド》にある、ギルド『ワンステップ』の本拠地の一階に居た。と言っても、俺が先ほどまで寝ていた所の下の階だ。この部屋に向かう際、ギルドのホームにしてはあまり作りが豪華で無く普通の一軒家という印象を受けたのだが、それは『ワンステップ』というギルドが大きなそれではない事を示していて。
もしかするとギルドを作ることが出来る最低ラインの6人だけしか団員が居ないんじゃないか、とも思った。そしてその予想は、見事に当たるのだった。
「―――……で、名前は?」
大きなリビングらしき部屋に着いた時、まず最初に目を引いたのは壁に飾られた両手剣だった。《始まりの両手剣》……俺の使っている、初期装備の両手剣だった。改めて見てみると、黒い柄に金の横に伸びた鍔、そして白銀に輝く長い刀身。初期装備にしては良いデザインをしているのかもしれない。
そして、その中央にある8人掛けテーブルに座っているのは、俺含め7人。最初に俺に話しかけてきたのは、俺の向かい側に座った柔らかく微笑む女性だった。軽くウェーブした長い水色の髪が目につく。見た目的には……俺より年上で、二十台前半と言う印象を受ける。俺が名前を明かすと、『ワンステップ』のメンバーが自己紹介を始めた。水色の髪の彼女は『ワンステップ』のギルドマスターで、ウィストと名乗った。
「じゃあヒカル君。先ずは、ウチの泉希を助けてくれてありがとう。泉希は私の妹でね、大事な存在なんだ」
「おねーちゃん。そのセリフ、聞いてる私としては結構恥ずかしいんだけど……」
ウィストの言葉に、俺の隣に座っている泉希はそう言って顔を赤くした。
そう言われてみると、ウィストも泉希も、顔立ちがどこか似ているような気がする。性格はまるで違うし、髪型もポニーテールとロングウェーブ。けど何処か雰囲気が他人では無いという事を思わせているのは、流石姉妹なのかと思う。ウィストは泉希のその反応にもご満悦の様で、この十数秒間で何となく姉妹間の関係が見えた気がした。
「……ヒカル……で良いんだな? なんでお前、一年半も経って初期装備なんかしてんだよ?」
「そーそー。あちきも最初にそれが気になったんですおー?」
頬杖をつきながら俺にそう疑問をぶつけてきたのは、さんぽと名乗った男だ。そのほんわかした名前とは裏腹に、外見は浅黒い肌と逆立てた髪、筋骨隆々なマッチョ……と言えば大体わかるだろうか。目つきも正直怖くて、ワイルドと言う言葉がめちゃくちゃ似合う。
そして、さんぽの言葉に続けて何故か廓言葉みたいな一人称と変な語尾で喋るのは、しぇうりーと言った少女。ショートの黒髪と顔立ちははそれなりに可愛いのだが、言葉からわかるようにかなりの不思議ちゃんだ。一人称はコロコロ変わるようで、さらに机に座っているときは殆ど顎をつけているという謎の癖を持っているらしい。(さんぽの情報だ。今もそうなのだが)
二人の問いに、俺は話して良い物かと最初こそ躊躇ったものの、最終的には打ち明けることにした。……友人と共に《Brave Worlds Online》を始めたこと。開始三日目、俺が死に、友人も殺されたこと。目を覚ましたら強くなっていて、《シトリンクラウド》のモンスターハウスでクラウダを狩りまくっていたこと。そして……、《疵物》のメンバー達を殺し、泉希を助けたこと。
デスゲーム内でのこの異常すぎるこの出来事を、『ワンステップ』の6人は馬鹿にもせず、むしろ真剣に聞いてくれた。彼らの目は一様に同情……に近い、そんな色をこちらに向けていた。
「不思議な事もあるもんやなぁ……」
「バグ……? にしても、ヒカル君だけにこんなバグが起きるなんて……んー……」
「……俺にも、正直何が起こっているのかまだ理解が追い付かなくて……」
また別の声がする。長いストレートの金髪を首で止めた女性、キタミはどうやら関西出身らしく、それっぽい方言が出ている。関西人と言うと明るく喋りまくるイメージがあるが、少なくとも今のキタミには、そんな雰囲気は感じられなかった。
コウタの様に考え込んだのは、赤行。聞けば俺と同じ大学生だと。普通の日本人という見た目で、この濃い面子の中では少々影が薄そうなイメージが湧いた。……しぇうりーに「あれ、あっくん居たのー?」とか言われているのを見て確信したが。
今でも、殺された俺が今此処に居ることが信じられない部分がある。赤行が言ったように、バグである可能性が高いのだろう。俺はゲーム内のバグで生き返り、コウタや牡丹はそのまま死んだ。幸運、ツいてるとも言えるだろう。だが、素直に喜べるはずがない。大切な友人が二人死んだ。それだけで理由は十分だ。
なんで先に死んでしまったんだ。出来れば、二人と一緒に死にたかった。……いつの間にか、涙が頬を伝っていた。
空気が重苦しくなってしまうことは分っていた。けれど、俺には大切なものを失う覚悟なんて、あいにく持ち合わせていなかったのだ。
パンパンと、唐突に聞こえたのは手を叩く音。それのした方向へ顔を向けると、先ほどと変わらない柔らかな笑顔のウィストがいた。彼女はまるで一家の母の様に、穏やかな視線を俺へと向ける。
「お腹が空いたね。そろそろご飯にしようか?」
《Brave Worlds Online》には、職業と言う概念が無い。剣士、槍使い、生産系で言えば鍛冶屋、料理人etc……。それらは全て、"今こんな武器や道具を持っているから、こんな事が出来ている"という事に過ぎない。……裏を返せばそれは、道具さえ持つことが出来ればどんな役職にもなれるという事。そんな自由度の高さは、このゲームの人気要因の一つになっていた。
「……本当に良いんですか、ウィストさん? 夕食を奢ってくれるなんて……」
……なんじゃこりゃ、とテーブルの上に並べられた数々の料理を目の当たりにして喉を鳴らしてしまった俺は、調理を終え、定位置なのか俺の真正面へと腰を下ろしたウィストへと恐る恐る聞いてみた。
「勿論だよ。ヒカル君の境遇を聞いて親身になってやれないのは、それこそPKの奴ら位さ」
ウィストはそう言って、またニコリと微笑んだ。その優しさで、俺は涙が出そうになる。妹を助けてもらったとはいえ、相手は誰かも分らないし、怪しい格好をしている。泉希やウィストに広い心が無ければ、俺はまたすぐに死んでいたかもしれない。良い人に巡り合ったな、と素直に思った。
「ウィストさんのご飯はいつも美味しいんだ。『調理:Lv7』は伊達じゃないね」
「自分のレベルもギルドの中で一番高いくせに料理も作れるって、ひーくんはズルいと思わないかね?」
俺と同じように目を料理に釘付けにされている赤行の言う『調理:Lv7』は、その名の通り料理が出来る称号だ。『包丁』と『フライパン』を手に入れれば『調理:Lv1』が獲得でき、後は料理をすればするほど熟練度が溜まり、レベルが上がっていく。最高がLv10だったはずだから……ウィストはかなり料理が出来る部類ということになる。β版からあったこの『熟練度』システムは、他の道具や武器にも勿論有る。
確かに、ウィストの作った料理はどれも美味しそうなものばかり。目の前で甘く香ばしい匂いを漂わせているのは、家庭料理の代名詞である肉じゃが。横には葉野菜のおひたしと具沢山の味噌汁、そして白飯と、日本の夕食風景をそのまま切り取ったような光景が広がっていた。思わず目移りしてしまう。
いつの間にやら俺への呼び名が「ひーくん」になっていたしぇうりーは、いつもの癖は何処へやら、既に箸を取ってどれから食べようか迷い箸しながら俺に尋ねる。そう、『ワンステップ』のメンバーで一番レベルが高いのは何を隠そうウィストだ。そして料理のスキルもギルドトップ、と。
……確かに「道具さえ持つことが出来ればどんな役職にもなれる」のが《Brave Worlds Online》の特徴だが、二つの異なる武器や道具を同時に究めようと思えば両方が中途半端になるのがオチだと、数々のRPGをプレイしてきた俺には容易に分かることだ。しかし、現にウィストは両立を成功させている。その為の努力や執念たるや、想像を絶するのだろう。
「じゃあ、食べようか。皆、手を合わせて」
だけど、今のウィストにはそれが全く感じられなかった。それどころかメンバーのみんなへと慈愛の笑みを浮かべるその姿は、まさに一家の母のようだと俺は思う。けれど、見ず知らずの他人にこんな笑顔が見せられるのか? と疑問に思う部分もあった。『ワンステップ』のメンバーはともかく、俺にまで。
その答えは、ウィストにしかわからないだろう。……だから考えるのはやめて、今はこの優しい恩人の料理を頂きたいと、素直に思う事が出来た。
『いただきます』
7人の声が揃って、一斉に食べ始める。俺の中では4日しか経っていないものの、その言葉の響きが物凄く懐かしく感じられた。箸を取ってまず手を伸ばしたのは肉じゃが。湯気を放つ肉とジャガイモを取って口に運ぶと、醤油と砂糖、味醂の甘辛い味が口の中へと広がった。牛肉も柔らかく、ジャガイモもホクホクだ。
「美味い……」
なんて、肉じゃがなど何度食べたか分らないほどに食している俺は思わずそう口にした。お浸しも、味噌汁も、ご飯も、と次々に食べていく。どれも美味しかった。母の作る料理はいつも俺の好みに合わせているんじゃないかと思うほどに美味しかったが、ウィストの料理もそれに匹敵する。何故だろうと考えてみると、理由は三つ見つかった。
一つは、ウィストの料理スキルの高さ。二つ目は、食べた物が俺が長い間――俺にとっては四日程度だが――食べていなかった素朴な家庭料理だったから。そして三つ目は、周りを見渡してみるとわかった。
「はい、泉希。口を開けて」
「ちょ、ま、待っておねーちゃん。今日はヒカルさんが居るのに……って全然聞いてない!? ……むぐっ」
ウィストが泉希に、いわゆる「あーん」をしていた。泉希は顔を赤くして嫌がっているように見えるが、何となくまんざらでもないような表情だ。一方のウィストはそんな泉希を面白がっている。もしかして泉希の対応まで計算してこれをやっているのかとも思うほどだ。
「さーて、ふふふー。どーれから食っちゃいましょうかぬーん……アウチッ!」
「……お行儀悪いでー……まぁ、いつもの事やけども……」
相変わらず迷い箸で最初に食べるメニューを決めかねているしぇうりーの右手を軽く叩き、箸の動きを中止させたのはキタミ。しぇうりーはしょうがなく肉じゃがから食べ、「美味い! テーレッテレー」とか何とか言いながら他の献立を驚異的な速さで食べ進めていく。キタミはそんな彼女に軽く呆れている様子。
「うむ。今日も変わらず美味いな」
「ですね。出来れば現実の世界に持って帰りたいぐらいですよ」
さんぽと赤行は、それぞれそんな事を話しながら黙々と食べ進めている。女性陣が五月蠅いのももう慣れてしまったのか、彼女たちに何か言う様子も無く。というより、この女性たちが五月蠅い食卓を何処か楽しんでいるのかも知れなかった。
『家族』だと思った。誰が父親、誰が妹……では無く、料理を共有して、各々が食事を楽しんでいるこの光景を「赤の他人同士」と一括りには出来ない。ギルドが出来て何ヶ月か知らないが、この6人は家族として成り立っている。そんな温かい雰囲気の中で食べた料理だから、美味しかったのだ。
ここ最近を冷め切った中で暮らしていた俺の中で何か熱いものが込み上げてきた。それを必死に押しとどめて食べていると、ウィストがこちらに笑顔を向けている。やはり母のような、温かいそれを。
「どうだい? 私の『家族』は」
俺はその時、蘇ってから初めて、心から笑う事が出来た。
「……とても楽しい『家族』だと思います。温かくて、優しいです」
そうかい、とウィストは笑ってくれた。
因みに、包丁とかフライパンだけでは料理は出来ないので、『料理:Lv1』を手に入れたプレイヤーには調理器具や調味料などがセットになった「調理セット」が配布されます。