08 笛吹き少年の謎
今回は会話少なめ。
続いて俺達が向かっているのは、生物準備室と同じく東校舎一階に位置する職員室だ。
その目的はもちろん二つ目の七不思議を解明するためで、正確な調査対象は職員室前の廊下に飾られている笛を吹くピエロ風の少年の絵画――通称「笛吹き少年の絵」である。
七不思議によると、この絵からは夜な夜な笛の演奏が鳴り響きだし、その演奏を最後まで聞いてしまうと命を落とすのだという。
そんな馬鹿な話があってたまるかとは思うが、七不思議とはこういうものなのだから仕方がない。何と思おうとも今日調査しなければならないということに変わりはないのだし、ささっと確認して次へ進んでしまいたいところだが――
「の、呪われちゃう……。人体模型の怨念に呪い殺されちゃう……!」
「大丈夫よルウ。現在の日本経済は円高でこそあるけれど、これからユーロがどんどん伸びてンジャメナの政府機関がパリジェンヌオルトワールを開催してビッグバンエンド・デイストリームよ」
「そっかー……じゃあすごいね安心だね……?」
「…………」
――相変わらず俺の制服を掴んだまま離さない、すっかり生気と正気を失っている二人が足枷になっている。
どうやら生物準備室での一件で完全にノックダウンされてしまったらしく、その足取りの重さは先程よりも酷い。そんな二つの錘を引きずって歩く俺の負担は相当なものだ。
いい加減離して欲しいのだが……この二人、引きずってでも歩かせないと朝まで廊下にうずくまっていそうで恐ろしい。
まったく、どうして俺がこんなお守りみたいなことをしなければならないんだか……。
誰だよこんなチーム分けをしたやつは。明らかにバランスおかしいだろうが。もう少し頭使えよ。
………………。
自業自得って、こういうことか……。
ともあれ、諦めるわけにはいかない。
俺たちが担当する七不思議はまだあと三つも残されているのだから、こんなところでもたもたしていたら日付が変わってしまう。
いやまあ、七不思議の調査自体に興味は無いのだが、ちゃんと調査を終えることができなかったらあちらのチームから何を言われるかわかったものではないし、終わらなかった分の調査を宇都木と二人でやる羽目になる可能性だってゼロではない。
それだけは何としても避けたい……。
七不思議よりも恐ろしい……。
どうにかしてこいつらを立ち直らせなければ。
「……なあオイ二人とも、そんなにビビらなくても大丈夫だって。さっきのも結局人体模型が動いたりしたわけじゃなかっただろ?」
「それはそうだけど……そういう問題でもないんだよ。頭では理解できても怖いものは怖いんだよぅ……。もう、誰よこんな恐ろしい企画提案したのは……」
「お前だよ馬鹿野郎」
「過去の私のバカヤロー!」
自分で自分のこと罵倒するくらいに怖いのかこいつ……。
「でも夜野、あなたにとって今の状況は満更でも無いのではないの? こんな美少女二人に縋られるだなんて一生に一度あるかどうかの体験よ。あなたには歓喜の声を上げる理由こそあれど、私達を非難する理由は無いはずだわ」
「自分で美少女とか言ってんじゃねえよ。それに嬉しいか嬉しくないかは別としても、歩きづれえから離れろって言ってるんだっつの」
「美少女だから美少女と言って何が悪いのかしら。それは置いておくとして、私に良い考えがあるわよ。これならあなたの主張も取り入れられているし、私とルウも満足できるはずだわ」
「何だよ、その考えってのは」
「あなたが私をおぶって、ルウを抱っこするのよ。そうすればあなたは引っ張る者がいなくなって歩きやすいはずだし、私もルウも置いていかれる心配がなくなって安心でしょう?」
「俺を殺す気か。潰す気か。壊す気か」
喋り方はいつも通りだというのに、やはり言っていることはおかしいぞこの先輩。
普段なら少しぶつかっただけでも散々罵倒してくるというのに、まさかおぶれと言われるだなんて……。
「失礼ね。この私が別に怖いわけではないけれど仕方なくあなたの我が侭を聞き入れた素晴らしい案を出したというのに満足できないなんて、邪な豚だわ。大体、私はそんなに重くないわよ。ルウだってきっと、多分、恐らくね」
「何でそんな疑問系!? あたしだって重くないよ!?」
「ルウ、残念ながら地球には重力というものがあるのよ」
「知ってるよ!? 知ってる上での突っ込みだよ!?」
「いや、どっちにしろ二人も抱えたら重いっつうの……」
まあ、できるならばその方法が一番楽だったのかもしれないが……俺はそこまで体力に自信がないし、そもそも精神が保たない気がする。
抱っこしたり、おぶったりしたら……その、なあ?
色々問題があるだろ……。
そうして俺が思わず甦ってしまった先程の感触に顔を赤らめていると、俺たちの話し声の他に妙な音が混じっていることに気付いた。
ルウと紅橋先輩の耳にもそれは聞こえていたらしく、怪訝な表情で辺りをきょろきょろと見渡している。
「ねえ、これ何の音かな……?」
「……遠いわね。それとも音量が低いのかしら。何にせよもう少し近づかないことには何の音だか判別ができないけれど――」
紅橋先輩はあえてその先は言わなかったが、もう大体の想像はついているのだろう。
ルウも。
そして、俺も。
しかし、俺たちは七不思議の調査にやってきているのだ。確かめないわけにはいかないだろう。
一歩、また一歩と進むたびに震えが増していく二人を引き連れながらも、音が聞こえてくる方へと着実に歩を進めていく。
そんな遅々とした歩みだったが、五分ほど歩いたところで俺たちは音の元凶の元へと辿り着いた。
音の元凶――それは、職員室前の廊下に飾られている「笛吹き少年」の絵。
ピエロ風の衣装に身を包んだ少年が無表情でフルートを演奏する、少し不気味な雰囲気のある絵だ。
だがいくら不気味であるとはいってもただの絵画であるため、当然絵の中の少年が演奏する笛の音など聞こえてくるはずがない。
聞こえてくるはずがない、のだが。
俺の耳には目の前の絵から笛の音が響いてきているようにしか聞こえなかった。
そう感じているのは俺だけでなく後ろの二人も同じだったようで、「笛吹き少年」の絵が奏でる華麗な演奏を目の当たりにすると、
「イヤあああああああああああああ!? 最後まで聞くと死んじゃうううううううううううううううううう!」
期待通りというか予想通り断末魔の叫びを上げて、脱兎の如く逃げ出すのだった。
その姿はあっという間に夜の校舎の奥へと消えていったが、どうやら逃げ出したのはルウだけだったようで、紅橋先輩は俺の制服を掴んだままだった。
いつの間にか落ち着きを取り戻していたのか――と感心したのも束の間、紅橋先輩の目に光が宿っていないことに気付く。目の前で軽く手を振ってみるが、全く反応が無い。完全に意識を失ってしまったようだ……。
試しに軽く揺さぶってみても目を覚ます気配がなかったため、仕方ないので床に寝させておくことにした。
さて。
ビビリーズがいなくなったところで俺にはやらなければならないことがある。
それは――この「笛吹き少年」の絵を壁から外すことだ。
そうすれば二つ目の七不思議の真偽もはっきりすることだろう。
絵から笛の音が鳴り響き、その演奏を最後まで聞くと命を落とすなどというのが七不思議だというのなら、そんなふざけた幻想はこの俺がぶち殺――
……と、危ないモノローグをやっている間にも絵の取り外しが完了し、絵に隠されていた秘密が露わになる。
絵が掛けられていた壁――そこには絵に隠れてしまう程度の幅だが、正方形にスペースが切り取られており、その中に小型のCDプレイヤーが設置されていた。
絵から響く笛の音の正体はこれだったというわけだ。
今もスピーカーからは先程から聞こえている笛の音と同じ旋律が流れ続けている。
ずっとおかしいとは思っていたのだ。
「笛吹き少年」の絵で少年が演奏しているのはフルートだ。だというのに、笛の種類まではわからないが響いてくる音は明らかにフルートのそれではなかった。もし絵の少年が演奏しているのだとしたらこの音色はおかしい――そう思えていなければ、俺も今頃ルウや紅橋先輩程までとはいかないにしても、少なからず恐怖していたかもしれない。
聞き分けることができたのは昔吹奏楽部に所属していた姉が家でちょくちょく演奏の練習をしていたおかげだろう。
過去の経験というのはいつどこで役に立つかわからないものだな……。
何はともあれ、これで「笛吹き少年」の絵の不思議は解決しただろう。
しかし、新たに生まれてしまった不思議もある。
いったい誰が、どんな目的でこんな仕掛けを施していたのだろうか……。
俺たちが校内に侵入したときには笛の音はしていなかったと思うから、このプレイヤーが動き出したのはつい先程ということになる。まさか勝手に動き出すはずもない、誰かが再生ボタンを押したのだ。
つまり――この校舎には俺たち三人以外の誰かがいるということになる。
CDプレイヤーを設置し、七不思議を再現しようとした誰かが。
「……面倒なことになったな」
床に寝たままの紅橋先輩とルウが消えていった方を交互に見やりながら、俺は一際大きなため息を吐くのだった。