03 宇都木千流
「じ、ジン様!? いったい何故床に倒れ伏していらっしゃるんですのっ!?」
前回のオチからわずか十秒後、部室の扉が開いたかと思うと厄介なヤツが顔面を蒼白にして俺の元へと駆け寄ってきた。
そして俺を抱き起こそうと、その陶磁器のような白い腕を伸ばしてきたのだが、何やら手つきがもにょもにょとしていて気持ちが悪い。
とりあえずいつものようにその魔手をかわし、一メートルほど距離をとってから立ち上がってそいつと向き合った。
「……何でもねえから気にすんな。それより、随分遅かったな宇都木。何か用事でもあったのか?」
アサシン倶楽部の部室にやって来たのは、俺とルウと同い年、三人いるうちの二年生部員の三人目、宇都木千流だ。
夜の闇を思わせるような漆黒の艶髪、人の良さそうなタレ目の縁にある泣きボクロが特徴的で、見た目だけなら大和撫子という言葉がふさわしいといえるだろう。金髪碧眼のルウとはまるで対照的な、純和風といった感じだ。
まあ……しかし外見と中身はそぐわないもので。
そしてこの宇都木に関してもそれは言うことができる。
「ちょっと浅倉さん! 貴女、私がいないのをいいことにいったいジン様に何をしてくれやがりましたの!?」
「え――ってあぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅあああああ!?」
ほら、早速俺の話聞かねえでルウに掴みかかってぶんぶん振り回してるし。
ああ……ルウの目がマンガみたいな渦巻きになってる。
宇都木も決して背が高いわけではないのだが、小柄なルウに掴みかかってる様は子供をいじめる大人気無い高校生にしか見えない。
「あぅあぅ言ってないで何とか言ってくださいですの! ジン様を押し倒した挙句馬乗りになって頬を上気させはぁはぁと舌なめずりをしていただなんてただ事で済む話じゃありませんの!」
しかも何か脚色されてんぞオイ。
大幅に加筆修正しすぎだろ。この状況をどう解釈したらそんな言葉が出てくるんだよ。
このまま黙って眺めていることもできるが、流石に気の毒というか俺のせいでもあるんだから助けておくか……。
「おい宇都木、ルウは別に何もしてねえんだから離してやれよ。お前の勘違いだ」
「え……そ、そうでしたの? ごめんなさい、私ったらついつい取り乱してしまって……」
「わかってくれりゃいい。さ、離してやれ」
「はい、ジン様。ポイッ」
「ぐぇっ」
ポイって、お前ゴミみたいに捨てるんじゃねえよ。
一応人だぜ、それ。
「それはそうとジン様、倒れていたのは確かなのですし、お体のほうは大丈夫なんですの? 何ともありませんの?」
「何ともねえってば。気にすんなよ」
「そういうわけには参りませんの! ジン様にもしものことがあったら、私、私……生きていられなくなりますのっ!」
「大げさな……。つか何で俺の安否とお前の生死が関係あんだよ」
「?? ジン様、私は女ですからせいしはありませんの」
「何言ってんだお前」
「とにかく、御無事だったなら何よりですの! 本当に安心しましたの♪」
そう言って、優しく微笑む宇都木。
色々と行動や言動に問題のある女だが、基本的には品行方正・成績優秀・容姿端麗と三拍子揃ったすごいヤツである。
そんな宇都木に俺は「ある出来事」を境にして何故か気に入られてしまったらしく、俺に対しては事あるごとに大げさな反応をして四六時中べたべたべたべたと付きまとってくる。
普通なら男冥利に尽きる嬉し恥ずかしな状況なのだろうが――正直、宇都木のことは嫌いではないが現時点で恋愛感情を抱いているわけでもないから、いい加減うんざりしてきている。なるべく突っぱねるような態度をとるようには心がけているものの、宇都木はそんなことで挫けてくれる女ではなかったらしく、むしろ前より激しくなったような気もするようなしないような……。
「……ぅ……ウザキぃ……! い、いきなり何すんのよぉ……っ!」
と、ここで先程宇都木によって床にポイ捨てされていたルウがよろよろとしながらも復活した。
まだ目線がぐらぐらと落ち着いていないことから、目が回ったままなのだろう。今にもふらついてずっこけそうである。生まれたばかりの小鹿、みたいな。
対して、そんなルウの様子を目にした宇都木といえば――小鹿を狩る獰猛な獣のごとき鋭い殺気を振りまいていた。
……って、何でだ。
「あら、浅倉さんまだいらしたんですの? 視界に入らなかったからてっきりどこかへ消えてくださったのかと思って感謝していましたのに」
「消えるも何も、ウザキのおかげで立ち上がるのすらやっとだよ! 毎度のこととはいえ、何なのよいきなりー!」
「何なのよって、もちろん浅倉さんの毒牙からジン様をお守りしたに過ぎませんの。まったく、私が休んでも青葵さんが来るでしょうから部室で二人きりなんて状況にはなっていないと思っていましたのに……甘かったですの」
「ふ、二人きりの何が問題だってのよ! 別にウザキとジンは付き合ってるわけでもないんだから別にいいでしょ!? 実際、何の問題も起きなかったし!」
「問題が起きてからでは困りますの! まあ、浅倉さんからジン様に何かをしでかすことはあってもジン様から浅倉さんに何かをしでかすことはありえないでしょうけど? 私のリサーチによると、ジン様の性的嗜好にロリ属性は含まれていませんでしたから」
どこで調べたそんなこと……。
まあ、確かに好みのジャンルではないがって何を言わせんだオイ。
「誰がロリ属性よ誰がああああああああ! あたしはロリじゃないの、ただ少し背が低めでちょこっと童顔だってだけだもん! どぅーゆーあんだーすたんっ!?」
「あらやだ、それがロリ属性っていうんですのよ? 現実を素直に受け止めたくないという悪あがきにも似た醜い気持ちはわからなくありませんけれど、同じ女性として同情しますのーうふふ」
「う、うううううううっしゃーい! ウザキなんてただのペタ子じゃない! ブラ取れば特Aカップのくせにパッド入れすぎなのよ! 同じ女性として同情しますううううううううっだ!」
「ぺ、ぺぺぺぺぺペタ子ですって!? 胸の話をするのは反則ですの! ロリのくせに胸だけはちょっとばかり恵まれたからって調子に乗らないでほしいですの! それとももう一度締め上げられたいんですの……!?」
……あーあーあー。
途中からケンカの内容は耳からシャットアウトしていたが、本当に仲悪いなこいつら……。
ルウと宇都木、ギリギリといがみ合いながら交錯する二人の視線は火花を散らすどころか小規模な爆発さえ引き起こしそうな状態となっている。それはもはや人間が出せる視線ではない……バトル漫画とかで出てくる主人公レベルの視線だ(どんなだ)。
ともあれ、このまま放置しておけば大規模な戦争へと発展し、第三国である俺にまで飛び火してこないとは限らないのでそろそろ止めるべきだろうか。
「ルウも宇都木もそのへんでやめとけ。ケンカなんかより話さなきゃならねえことあんだろ? 宣伝活動の報告とか、休んでた理由とかよ」
俺がそう言うと、やはりまだ睨み合いながらも多少の落ち着きは取り戻したようで、ルウと宇都木は距離を取ってぷいっとそっぽを向いた。その動きがあまりにも揃っていたので少し可笑しかったのだが……二人の関係を考えると笑ってもいられないんだな、これが。
さて、そっぽ向き合ったやつらが自主的に話し合いを始めるとも思えない。引き続き進行は俺が務めさせていただこう。
「……んじゃ、まずは宇都木、宣伝の首尾と成果を報告してくれないか?」
「はい、ジン様♪ えーと、宣伝の首尾はバッチリですの。噂好きだったり広い交友関係を持つ友人を中心に、かなり多くの方々に伝えることができたと思いますの」
「へえ、すげえな。何だかんだ言ってちゃんとやってたんだなお前」
「もちろんですの。ジン様と私の将来のためですもの♪」
「あ? …………ちょっと待て、お前何を宣伝した?」
「何って、ジン様と私は固い肉体関係で結ばれているということに決まってますの♪」
「「何を宣伝してんだ何をおおおおおおおおおおおおおおお!?」」
それまでそっぽを向いて我関せずといった態度だったルウも突っ込みに加わってくれた。やはりこいつは根っからの突っ込み体質らしい。
……じゃなくて。
何ふざけたこと言ってやがるんだ宇都木いいいいいいいいいいいいい!
「何広めようとしてんだバカ肉体関係って何だバカありえねえだろバカふざけんなバカ責任取れよバカ」
「そうよそうよ、責任取りなさいよ! そんなありえないこと言いまわってただなんて信じらんないよ!」
「では責任を取りますので、ジン様は床に寝ていただいてもよろしいですの? 浅倉さんは邪魔なのでその辺の公園で二時間程ブランコでもしてきて下さいですの」
「噂を現実にしろって意味じゃないよ、その噂をどうにか抹消しろって意味だよ!? ていうか二時間もブランコなんてしてられないしそもそもあたしは子供じゃないって言ってんでしょおおおおおおおおお!」
「そうだそうだ、ルウにはブランコなんてまだ早いに決まってんだろ」
「そこを否定する意味がわからないよジン!? 乗れるよ!? 全然問題なく普通に乗れるよブランコくらい!」
「浅倉さん、ブランコをバカにしてるとケガしますの。もう少し大きくなってからにしたほうがいいですの」
「いやブランコとか言い出したのあんたでしょ!? ていうか何この流れ!? 何であたしがバカにされてるの!?」
いやまあ。
何となくだよ。
「……ま、宣伝の話に関しては冗談ですの。宣伝をしたというのは嘘ではありませんけれど、ちゃんとアサシン倶楽部の宣伝をしましたの。抜かりはありませんの!」
「冗談じゃなかったら困るっつうの。本当に言ってたら宇宙の果てまでぶっ飛ばしてたぞコラ」
「じ、ジン様ってそんなに勢い良く出せるんですの!?」
「何の話だ」
「で、でも私は受け止めますの! ええ、たとえこの身が張り裂けようとも!」
「だから何の話だ」
……いや、意味がわかってないわけではないのだが。
突っ込みたくねえ。
「それより宇都木、休んでた理由は何だ? ぶっちゃけもうどうでもいいっちゃいいんだが、一応聞いておく」
「ジン様……やはり私がいなくて寂しかったですのね……♪」
「うるせえバカんなわけねえだろとっとと答えろ」
「はいですの♪ とはいっても、特段大した理由があるわけではありませんの。父に頼まれて少し仕事をお手伝いしていただけですの」
「へえ、親父さんの仕事を――」
――って、ちょっと待て。
確か俺の記憶が正しければ、宇都木の親父さんはとある会社の社長だったはず。
しかし、そのとある会社というのが――
「あ、そういえばそのお手伝いの際に父から会社の新製品のサンプルを頂きましたの。良かったらジン様いかがですの?」
「……い、いや俺はいらん。ルウにでもやれ」
「そうですの? では仕方ありませんの、浅倉さん、手を出してくださいですの」
「え、なあに? 物によってはもらってあげなくもないけど――」
そうしてルウの手に置かれた物は、手で開けやすいよう両端にギザギザとした加工が施されたパッケージに包まれた、リング状の何かだった。よくよく見ればそのパッケージは半透明で、中には僅かに水気があることがわかる。
一度でも実物を見たことがある者ならば一目で判断ができたのだろうが、どうやらルウは初めて見るものだったらしく、不思議そうに小首を傾げながら宇都木に訊ねた。
「……ねえウザキ、何これ? なんかゴムっぽい触感だけど、知恵の輪か何か?」
「いいえ、これは私の父の会社が現在総力を挙げて開発に取り組んでいる新作のスキン、『イボイボ快楽天ツイストドリップ・イチゴ味』で――」
「そんなもの学校で配るなあああああああああああああああああああああああああああああ!」
――宇都木の父親の会社は、避妊具の製造メーカーなのだった。
そしてその会社で、宇都木がどんな仕事を手伝ったのかは不明である。
不明でいいと思う。
部員紹介が続きます。