緋夏の日常
緋夏は、大手化粧品メーカーのスキンケア用品企画部で働いている。
ピッ。コツコツコツ。
社員証をかざし、会社に入る。
ふぅーーー……。
ため息とも取れる深呼吸をして、笑顔を作る。
ガチャッ。
「おはようございまーす!!」
元気よく挨拶しながら、自分のデスクに向かう。
コンコン。
ふと隣を見ると、一年後輩の澪ちゃんが声をかけてきた。
「先輩、これ、サンプル届きました!」
そう言って、ハンドクリームを差し出してくる。
「ありがとう!」
受け取ると、引き出しからノートを取り出し、サンプルのチェックを始めた。
まずは、香り。
……合格。
ほんのりと香る匂いに、まるでお風呂上がりのような気分になる。
サラサラサラーッ。
ノートに評価を書き込んでいく。
次にパソコンを開き、報告書を仕上げる。
それから、モニターをお願いしている一階の美容室で働く女の子たちと、本屋のお姉様方にサンプルを配り、評価とアンケートへの協力をお願いした。
「これは、2ヶ月後に発売予定のボディークリーム兼ハンドクリームになります。できれば、手を洗った後やお風呂上がりに使ってみて、感想をこの紙に書いてほしいです!」
一人ひとりに商品の説明をし、モニターとしてお願いしたいことを伝えていく。
しっかりと説明を終え、澪ちゃんが担当している大容量の部分用マスクパックの評価も行い、その結果を澪ちゃんに伝えた。
「よーーし……企画部、ご飯の時間だ。休めよ〜」
愛妻弁当を持った部長がそう言いながら、部屋を出ていく。
それを皮切りに、
「じゃあ、私もご飯に行ってきます」
「お弁当、買ってきます」
などと、みんな次々に立ち上がり、部屋を出ていった。
そして、取り残されたのは私一人。
ハァーーーーッ……。
背伸びをしながら椅子に深く座り、ため息を吐く。
時計を振り返ると、
12時05分。
私はカバンと、お弁当の入ったバッグを手に取り、立ち上がった。
会社の外に出て、近くの公園に入る。
日差しが強いため、大きな木の木陰にある芝生に小さなレジャーシートを敷き、作ってきたお弁当を広げた。
今日のメニューは、オムライス弁当だ。
そよそよと流れる風。
そして、流れていく雲。
一秒一秒を感じながら、ゆっくりとお弁当を一口、また一口と食べていく。
……正直、私は集団が苦手だ。
少しずつ慣れていこうと頑張っても、どうしても空回りしてしまう。
だから今は、当たり障りのない態度でやり過ごしている。
フワーーーッ。
「風が気持ちいいな……」
そうしているうちに、お弁当を食べ終えた。
木陰にある椅子に移動し、ぼーっとする。
私は、この時間が何よりも好きだ。
誰にも左右されない、自分だけの時間。
スマホを触るでもなく、本やパソコンを開くでもなく。
ただ、ぼーっとする。
そして、穏やかな時間もあっという間に終わる。
午後の始業時間が近づき、私は会社に戻った。
すると、
「緋夏先輩、どこ行ってたんですか〜?」
「私、部長たちとランチに行きました!」
澪ちゃんは、企画部の何人かとランチに行っていたらしい。
理由は、部長のおごりだからだろうな〜……。
そんなことを考えながら、私は答えた。
「いつものとこ〜!」
「また、公園ですか〜?! まだ暑いですよ〜……」
澪ちゃんは、日差しは苦手だと言うように両腕を抱きしめている。
「ぼーっとできる時間が好きなんだよ〜」
そう言いながら、部長からの視線を感じた私は、
「ほらほら、仕事、仕事!!」
「ぷぅ〜、はーい……」
澪ちゃんは頬を膨らませながらも、仕事に戻った。
よし、私も仕事しなきゃ。
パソコンと企画書を睨めっこしながら、カタカタと作業を進めていく。
サンプルを手の甲で試し、香りの持続時間を確認したり、テクスチャーを確かめたり。
確認することは山ほどある。
――チェリーブロッサム。
このサンプルを手にしたとき、ふと手が止まった。
これ……なんだか懐かしい。
ほんのりと桜の香りがして、いい!!
すっかり仕事モードに入った私は、新しい企画書の作成を始めた。
企画するのは、ヘアコロン。
桜をモチーフにした、春の期間限定商品だ。
パッケージや機能性についても考えなければならない。
一度背伸びをして、再び作業に取り掛かる。
そのまま終業時間まで、カタカタと作業を続けた。
終業時間。
私は自分の仕事を終えていたため、周りの同僚に声をかけながら帰り支度を始めた。
「澪ちゃん、私、終わったから帰るね〜」
「緋夏先輩〜……。私はサンプルの分析が終わってなくて……今日は残業です〜……」
「あらあら。なら、これ食べて頑張りな!」
カバンの中に入れていた、いちごミルクの飴を手渡す。
「……ううーー……。先輩〜、1時間で帰ってみせます!!」
やる気が出たようで、澪ちゃんはパソコンに向き直った。
その様子を見届け、私はオフィスを後にした。
会社を出ると、自宅の方向へ歩き出す。
本当は、一駅乗るだけですぐに着くのだが、帰宅ラッシュの電車はどうも苦手で……。
私は毎日、一駅分歩いて帰る。
テクテク。
歩きながら、
このお店、いいな〜。
ここの香水ショップ、気になるな〜。
などと考える。
仕事モードがまだ抜けきらないまま、ゆっくりと歩いていく。
しばらくすると、あの喫茶店の入り口が見えてきた。
植物に囲まれた、隠れ家カフェ。
――喫茶リアン。
今日もまた、仕事の疲れを癒やすために……。
カランカラン。
私は、ドアの向こうへと吸い込まれていくのだった。




