ばあちゃんの天ぷら
ばあちゃんが揚げる天ぷらの中で一番おいしいのは、海老天でも舞茸天でもかき揚げ天でもなく、ピーマン天だった。ほかの天ぷらももちろんおいしい。ただ、ピーマン天だけが別格のおいしさだった。
ばあちゃんが作る天ぷらは、専門店の天ぷらと違って、衣が厚く、そして大きい。そしてどういうわけだか、そんな天ぷらでもばあちゃんが揚げると、油切れの良い天ぷらになる。
ばあちゃんはそんな天ぷらの揚げ方の秘密を人に教えなかった。だから、俺は初めて専門店の天ぷらを食べたときに、うちとはずいぶん違うなと思ったし、ピーマン天がないことを残念に思った。
ばあちゃんのピーマン天は、ピーマンの肉詰めくらい大きく切られたピーマンを、さっと揚げるだけだ。でも、前に書いたようにうちの天ぷらは衣が厚いので、出来上がった天ぷらはとても食べ応えがある大きさと味になる。衣が立っている揚げたての天ぷらを、冷たいうどんの汁にくぐらせたりなんかして食べたらもう最高である。
ばあちゃんは料理が好きで、いつも台所にいたから、俺がばあちゃんのことを想像するとき、まずはサラダ油の香りからイメージが立ち上がってくる。食用油の香り、ブーンと低い音でなる大型の冷蔵庫、台所用の小さな電灯の明かり、そこからゆっくりばあちゃんを思い出す。
ばあちゃんは女性の割に背が大きく、頬に大きなあざがあったから、見た目からはちょっと怖い印象を与える人だった。また、田舎に住んでいるということもあって、訛りも強く、言葉の怒気も強かった。イメージする田舎のおばあちゃん像と言ったらいいのか、そんなものに適度に合致した人だった。
そんなばあちゃんだが、俺たち孫にはよくよく飯を食わせた。これは田舎の人あるあるなんじゃないのかと思うのだが、とにかく飯を食わせることが愛情の証というか、もてなす時の行動指針であるということだ。大体は天ぷらが多かった。いつも孫たちのために山のように食材を買い込み、天ぷらの主役(と思わしき)海老などの食材がスーパーで売り切れていると、孫に対して「すまねえなぁ。今日は海老天がねぇんだぁ。野菜天だけでいいかぁ」と謝った。
でも、重ねて言うが、俺はばあちゃんの野菜天が、特にピーマン天が好きだった。油切れはしっかりしているのに、ジューシーで、程よく苦く、最高だと思った。だから孫たちは「全然いいよ」とばあちゃんに返した。
そんなばあちゃんの天ぷらが食べられなかった時が三回ある。
一つ目は大学入学に伴い上京した時だ。大学は実家からは遠く、俺は上京せざるを得なかった。でも、初めての一人暮らしで何ができるかワクワクしていた。ばあちゃんは実家を初めて離れる孫に心配しきりで、上京寸前まで、やれあれは持ったかだの、東京のここが危ないだの、声をかけてくれた。俺は、その言葉をはいはいと受け流していた。仕方ない。十八の少年の初めての一人暮らしのワクワクの前に、ばあちゃんの小言などチリに等しい。
だが、上京して半年もたった頃だろうか。ふいにばあちゃんの天ぷらが食べたくなってしまった時があった。その頃には俺も少し自炊に慣れてきて、ばあちゃんの天ぷらにもチャレンジできるんじゃないかという無謀な考えがうかんだ。
早速俺は天ぷらの材料を買って、天ぷらを揚げた。正確には揚げようとした。俺はその時手始めに舞茸を揚げようと思ったのだが、まずうまく天ぷらの衣が舞茸につかない。揚げる時も全然ばあちゃんの揚げる時と音が違う。大丈夫か、これ。
全然大丈夫じゃなかった。衣はバリバリでやや焦げ臭く、それでいて舞茸は半生だった。それを何とかなるだろうと思って食べたものだから、当然のように腹を下した。トイレで一時間以上うんうんとうなり続けた。
それ以降天ぷらを自分で揚げようという考えは、もはや俺の中にはなかった。ばあちゃんはすごいんだ、ということがはっきりわかった。
その後、実家に帰省した時、ふとばあちゃんにその話をしたことがある。いったい何がいけなかったんだろうね、という俺に、ばあちゃんはややあきれながら「あたりめぇだっぺ。年季が違うよ」といった。そして天ぷらを揚げてくれた。あたりまえだけど、うまかった。
二つ目は、大学を卒業した後、俺が謎の腹痛で入院した時である。その時は検査しても検査しても、何の病気かもわからず、やたらに入院が伸びてしまい、その間はずっと食事をとることが出来なかった。
ばあちゃんは、俺が上京するときにもまして俺のことを心配した。入院して、点滴で栄養を取っている俺の様相を実家で聞いたばあちゃんは、「早くうめぇもん食わせてやりてぇなあ」とずっと言っていたらしい。
結局、退院してもしばらくは油物が食べられなかったから、ばあちゃんの天ぷらが食べられるようになったのは、退院してから二か月ほどたった頃になる。久しぶりに食べた天ぷらは、懐かしく、美味しく、ちょっと涙が出そうだった。
そして三つめは、今だ。ばあちゃんは、もういい歳になってしまって、寝たきりになってしまった。数か月前から体調が急に悪くなって、今のよぼよぼの状態まで、あっという間に来てしまった。
だから俺が最後にばあちゃんの天ぷらを食べたのは、昨日ということになる。孫たちにもう一回天ぷらを食べさせたいと、ばあちゃんが無理を推して台所に立ったのだ。
もちろん、今のばあちゃんには、包丁も油の管理も任せることは出来なかった。だから、今では全国に散っているばあちゃんの孫たちが勢ぞろいして、ばあちゃんの手になることにした。
天ぷらを作って、孫たちが思ったのは、ばあちゃんが毎回よっぽど気合を込めて、天ぷらを揚げてくれていたということだ。
今回用意した家族の分の天ぷら種を切るだけでも、結構重労働だった。いわんや揚げる、である。よっぽど孫にうめぇもん食わせたかったんだろうなぁ、ばあちゃん。
ばあちゃんは孫の一人に支えられながら、油の前に陣取っていた。温度の調節や天ぷらの揚がった瞬間などを見極めるらしかった。
天ぷら種を切って、ばあちゃん監修のもと衣をつけ、油の中に入れる。天ぷらの揚がるジューといういい音が聞こえる。しばし時が流れる。
今、、とばあちゃんがいうので、慌てて孫たちで天ぷらを鍋から引き上げる。きつね色の衣を纏った天ぷら。その作業を何回も繰り返して、大量の天ぷらを揚げた。
一つ、試しに食べてみる。おいしい。でもやっぱりジューシーさと油切れの良さが足りない気がする。
ばあちゃんは結局、天ぷらを食べられなかった。それでも、孫たちから、「やっぱりばあちゃんの天ぷらのほうがうまいね」といわれると、いつものちょっと迫力ある笑顔で「あたりめぇだ、年季が違う」と笑った。
ばあちゃんは今日はずっと家で寝ている。容体は安定しているが、これから悪くなるかもしれないと医者は言う。元気になっても、もう揚げ物は作れないですね、とも言われてしまった。
ばあちゃんには元気になってほしい。それは俺の噓偽らざる願いだ。だが、それよりも、ばあちゃんの天ぷらがもう食べられなくなったことが俺は、たまらなく、悲しい。




