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ハラヤドリ  作者: 九式


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6/8

6話

 「昨夜は本殿の奥までお見せでき、我々も肩の荷が下りました」

 翌晩、多田が誠一の家を訪れた。背後には山根や若手たちが、一升瓶を数本抱えて控えている。多田の顔には穏やかで、身内を迎え入れるような慈愛さえ漂っていた。

 「誠一さん。和解の証として、今夜は私の家で直会なおらいを執り行いたい。村の者たちも、あなたと腹を割って話したがっています」

 誠一は内心で快哉を叫んだ。

 「(一度『秘密』を共有すれば、これほどまでに警戒心が解けるのか。多田の家なら、本殿にあった資料の控えや、村の血縁関係を示す生々しいネタがあるはずだ)」

 誠一は昨夜のSDカードを隠し、代わりに予備の小型録音機を袖口に仕込んだ。隣で立ち上がろうとする奈緒の肩を、誠一は静かに制した。

 「奈緒、君は家にいてくれ。男たちの飲み会だ、下品な話も出るだろうし、君を疲れさせたくない。……いい子で待っててくれよ」

 誠一の本音は違った。一人の方が「調査」には好都合だった。奈緒は一瞬、唇を震わせたが、すぐに視線を伏せて「分かりました」とだけ答えた。

 「さあ、佐伯さん。行きましょう」

 多田に導かれ、誠一が広間に通されると、囲炉裏には大振りの岩魚が並び、獣肉の焼ける香ばしい匂いが食欲をそそった。

 宴は想像以上に盛り上がった。若手たちが不器用な踊りを披露し、誠一も都会での成功体験を面白おかしく語った。

 「いやあ、佐伯さん! あんたはもう俺たちの恩人だ!」

 次々と注がれる『奥ノ沢の雫』。誠一は心地よい万能感に浸っていた。自らの社交術で、閉鎖的な村を完全に掌握したと確信していたのだ。だが、杯を重ねるにつれ、脳は冴えているはずなのに、手足が自分の意思とは無関係に浮き上がっているような、奇妙な感覚が彼を蝕み始めていた。

 意識が戻ったとき、誠一は自分がどこにいるのか分からなかった。行灯の微かな光が狭い部屋を照らしている。空気は湿り、どろりとした花のようなどこか甘い香りが立ち込めていた。

 「……ん、ここは……」

 身体が異様に熱い。心臓の鼓動が、耳元で鐘のように鳴り響いている。

 「佐伯さん……」

 暗がりから、震えるような声がした。そこにいたのは、村の若衆の妹で、高校生の「しおり」だった。彼女はブラウスのボタンを掛け違えたまま、乱れた姿で誠一の横に横たわっていた。その瞳は涙で潤み、怯えたように誠一を見つめている。

 「栞ちゃん……? どうして……」

 誠一は逃げ出そうとしたが、身体が沈み込むように重い。酔いによる昂揚と、密室の熱気が、彼の理性を容赦なく削り取っていく。栞が震える手で誠一の腕を掴んだ。

 「怖い……助けて……」

 彼女の拒絶とも誘惑とも取れる微かな声が、誠一の麻痺した脳をかき回す。都会で培った倫理観が、これが最悪の罠であると警鐘を鳴らしていた。だが、それ以上に強烈な「所有欲」と「支配欲」が、泥酔した誠一の肉体を突き動かす。

 誠一は彼女の肩に触れ、そのまま導かれるように重なり合った。栞が上げる掠れた声と、畳の軋む音だけが暗闇に響く。

 指先が触れる栞の肌は、驚くほど若く、瑞々しい弾力に満ちていた。都会の洗練された女性とは違う、土の匂いを含んだような、野性味のある、それでいて壊れそうなほど華奢な感触。誠一の喉が鳴り、抑制の効かない熱が下腹部を突き上げる。栞のブラウスの下で脈打つ、幼い心臓の鼓動が手のひらを通じて伝わり、それが誠一の残った理性を完全に溶かした。

 絡み合う肌の摩擦、湿った吐息、そして栞が漏らす震えるような啜り泣き。そのすべてが、誠一にはこの上ない悦楽のスパイスへと変換されていく。彼は自分が「強姦」という大罪を犯している自覚を持ちながらも、それを上回る圧倒的な生の実感に酔いしれていた。

 誠一が、取り返しのつかない一線を越え、その行為が「完遂」されるまで、襖の向こう側は死んだように静まり返っていた。村人たちは、この「証拠」を完璧なものにするため、少女の人権など微塵も顧みず、冷酷にその時が来るのを外で待ち続けていたのだ。

 行為が終わった直後、まるで測ったようなタイミングで、部屋の襖が激しく蹴破られた。

 「貴様ッ! 何をしている!!」

 眩しい光が、絡み合う二人を照らし出す。そこには栞の兄、多田、山根たちが、鬼のような形相で立っていた。

 誠一は慌てて離れようとしたが、栞はシーツを抱きしめ、激しく泣きじゃくった。

 「お兄ちゃん、助けて……急に、佐伯さんが……!」

 「証拠なら、ここにありますよ」

 多田が静かに差し出したデジタルカメラには、暗視モードで克明に記録された、誠一の「犯行」の全行程が映し出されていた。

 「さて、どうしましょうかな、佐伯さん」

 多田は、絶望に震える誠一を座らせ、氷のように冷徹な口調で話し始めた。誠一の前には、多田たちに没収された彼のMacBookが置かれていた。

 「あなたがやったことは、許されない裏切りだ。そして何より、この映像がネットに流れれば……あなたの輝かしいキャリアも、名声も、一瞬で汚物にまみれる」

 誠一の脳裏を過ったのは、栞への謝罪でも、奈緒への申し訳なさでもなかった。

 「(まずい。これがあいつら……大学の同期やIT業界の連中に知られたらどうなる? 僕を裏で冷笑している連中に、田舎で女子高生を襲って捕まったなんて知られたら……一生、ゴミのように見下される。それだけは、死んでも嫌だ!)」

 「頼む……消してくれ、その映像を! 言う通りにするから!」

 誠一は畳に額を擦り付けた。プライドを守るために、彼は今、プライドを捨てた。

 「佐伯さん、あなたが隠し撮りしていたデータをすべて、今ここで消去していただきたい。クラウドのパスワードも、バックアップも,、すべてだ」

 多田の指示の下、誠一は震える指で操作を開始した。昨日、人生を賭けて撮った社の内部映像、村人たちの独白、過去の因習の記録……。

 「消せ。それもだ」

 「……はい」

 誠一は自らの手で、自分の「城壁」を崩していった。画面の中のデータが消えるたびに、積み上げてきた武器が失われていく。だが、東京の知人たちに冷笑される現実に比べれば、この村のデータを差し出すことなど、安い代償だと自分に言い聞かせた。

 すべての作業が終わったとき、ストレージは空になり、彼の「スクープ」は電子の藻屑となって消え去った。

 「よろしい。これで、あなたは我々と同じ『持たざる者』になった」

 多田はMacBookを無造作に閉じ、山根に手渡した。

 多田の家を追い出された誠一は、夜明け前の冷え切った空気の中を、幽霊のようにふらふらと歩いた。

 「(大丈夫だ。データは消した。あいつらも証拠を消すと言った。都会の連中にはバレない。まだ、やり直せる……)」

 自分に言い聞かせる言葉は、霧の中に虚しく吸い込まれていった。

 自宅に戻ると、玄関の鍵が開いていた。リビングには奈緒が座っていた。彼女は、村人から贈られた古びた木製の椅子に深く腰掛け、窓の外を見つめていた。

 「……奈緒」

 誠一が掠れた声で呼ぶと、奈緒はゆっくりと顔を上げた。彼女は何も言わなかった。誠一がどこで何をしていたのか、一切問い詰めなかった。ただ、深く、淀んだ瞳で彼を見つめるだけだった。誠一は彼女の沈黙を、自分の不手際への怒りだと思い込んだ。

 「奈緒……ごめん。仕事のデータ、全部消しちゃったんだ。操作をミスして……ウイルスにやられたみたいで」

 嘘を重ねる誠一を、奈緒は憐れむように見つめた。

 「……そう。大変だったわね」

 彼女の反応はあまりにも薄く、他人事のようだった。

 「もう、どうでもいいわ。汚れを外から持ち込むのも、それを隠そうとするのも、あなたの悪い癖。……多田さんが言っていたわ。この村は、すべてを見ているって。あなたが思うより、ずっと深く」

 奈緒は答えず、自分の腹部にそっと手を当てた。その仕草には、誠一が入り込めないほどの絶対的な拒絶が宿っていた。Wi-Fiルーターのランプは赤く点滅し、外部との通信が途絶している。誠一は、自分が世界から、そして妻から完全に切り離されたことを悟った。

 窓の外、夜が明け始めた。

 村のあちこちから、木霊するような鐘の音が聞こえてくる。それは、誠一を「解体」するための、残酷な儀式の始まりを告げる合図だった。

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