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あの時に戻りたい

作者: 南砂 碧海

 翔太は、窓辺で夏の陽射しを感じながら午後のコーヒーを楽しんでいた。翔太は三十歳の時に、妻を交通事故で失い一人暮らしとなっていた。二年前からは、生きる張りや気力もなく会社を辞め、妻の事故の賠償金で細々と暮らしている。こんな状況から二人で暮らしたマンションを離れ、小さな超格安とも言えるマンションに住み替えた。手狭だが明るい南向きの窓辺もありお気に入りの住まいだった。購入費用も安かったため事故物件かとも考えたが今の翔太にはどうでも良い事だ。窓の外には、歩道を歩く人々や車の動きが見える。仕事もせずに引き篭もりの毎日が続いていた。いつの日からか、こんな午後の窓辺に座りメモに願い事を書くとタイムスリップできるという現象が現れていた。


 翔太が三十五歳になったある日の午後、メモに『学生時代の楽しかった頃に戻りたい』と書くと、大学時代の二十歳当時にタイムスリップした。翔太の出身は、北関東の田舎町の出身で〇〇製作所の発祥の地だ。工場の壁ばかりが目立つ何もない街だった。そんな地元に興味のない翔太は、大学への進学では他の地域に住んでみたいと思っていた。


 翔太は、その当時ヒットした『青葉城恋歌』や『オフコース』への憧れもあり『杜の都仙台』にある大学を選んだ。みちのく東北の地での初めての一人暮らしは楽しかった。毎年、大学では新入生歓迎コンパがあり沢山の仲間との出会いがあった。そんな中でサークルへの勧誘で知り合った彼女がいた。岩手県から出てきた娘で『梨花(りんか)』という名前だった。都会的な派手さは無かったが素直で美しい()だった。サークルの勧誘で出会った翔太は一目惚れし梨花とのデートを重ねるようになる。


 梨花は、明るく話し好きで会うたびに色々なことを話してくれた。

「私の家は大船渡なの。大船渡って地名……知ってる? 家は漁師で、海のすぐ近く。美味しい魚が沢山獲れるんだ。近くの海はリアス式海岸で、広い砂浜は少ないけど磯遊びくらいは出来るよ」

「ウニやアワビとかも獲れるのかな?」


 翔太は、そんな食べ物の話題を出してしまった自分に気付いて恥ずかく感じていた。

「今度、大船渡の私の家に遊びにおいで。美味しい物を沢山ご馳走してあげるからね」

そんな流れを感じたのか、梨花が笑って応じてくれたので、翔太の気持ちは救われた。


 それからも、彼女は家族や大船渡の話を沢山してくれた。母親は、漁師の家庭の激務で、梨花の幼い頃に肺炎で亡くなった。それがきっかけで、梨花は看護師を目指し仙台の大学の看護学部に進学したのだ。彼女が仙台を選んだ気持ちは、翔太の旅行気分とは違い遥かに気高く立派なものだった。


 翔太の卒業が間近に迫ってきたある日、梨花が翔太の卒業後の就職希望や進路を尋ねてくる。

「卒業後はどうするの? 地元に戻るの? 北関東にも大きな病院があるから、就職先が分かれば近くの病院へ希望を出そうと思うんだけど。どう思う?」


 翔太は、就活中で何も決まっていなかった。

「まだ、どこも内定が決まってないし、どこに行くか分からないんだ。梨花だけ先に就職が決まってもなあ……。もう少し待ってくれるかな」

「私は、今のうちなら希望を出せば、どの地域へも行けると思うから。病院が決まっちゃうと変更できないからね。就活が決まったら早めに教えてもらうと嬉しいな。どこか就職で行きたい所はあるの?」

「地元周辺にも大きな企業はあるんだけど、東京で働いてみたいと思っているんだ」


 翔太は、今の気持ちを伝えた。

「東京か……。私には東京の生活は合わないかな。都会に行きたいの? 仙台では不満? 分かった……」

梨花は、今の気持ちの精一杯を翔太に伝えたが、それ以上、二人の将来についての話は進まなかった。


 十月も終わろうとしていたある日、翔太は梨花に就活の結果を伝えた。

「やっと、東京のベンチャー企業に内定したんだ。そこで頑張ろうと思う。住まいは、家賃も高いから通勤できる東京周辺部にしようかなと思う。梨花はどうする?」

「やっぱり東京なのか……私どうしようかな。私、やっぱり東京の生活には馴染めないな。北関東ならと思ったけど……」


 その言葉に、翔太は何も答えられず二人には沈黙が訪れた。翔太が地元や北関東に戻らないことが分かった時点で、梨花は仙台市内の大病院に勤務する事を決めた。翔太は、予定通り東京での生活を始めた。距離も東京から仙台へと遠く新幹線利用。お互いの仕事の関係からデートも月に一回程度となっていた。次第に二人が出会う間隔は長くなり、次第に梨花との連絡も自然に遠ざかっていった。その後の生活で、翔太は亡くなった妻と出会う事になり今に至っている。


 こんな場面で、この日のタイムスリップが終わり、目を覚ますとマンションの窓辺に戻っていた。あまり気持ちの良い過去への旅からの戻りではなかった。気持ちがスッキリしない。


 それから数日が過ぎたある日、いつものようにマンションの窓辺でコーヒーを飲みながら微睡(まどろ)んでいる。この日は、『働く意欲もないこんな自分が、こうして生きていられる事に感謝します。ありがとう……』と、今の素直なこんな気持ちをメモに書いてみた。その後、翔太は飲み掛けのコーヒーを残して、ある瞬間にタイムスリップした。


 翔太は、総武線で取引先に向かう途中の電車の中にいた。かなり大きな揺れで、電車が横倒しになるのではと思うくらいに激しく揺れた。いわゆる『3.11 東日本大震災』の揺れだった。


「大きな揺れが発生しています。急ぎ車内から離れてください」

車内アナウンスがあり、翔太は急ぎ電車から出て中野駅の外に移動した。ホームを見上げると電車が信じられないくらい大きく揺れているのが見える。持ち合わせていたスマホで状況を確認すると、東北地方太平洋沿岸に十メートル級の津波が来るとのニュース。翔太が今まで体験したことのない情報で、最初はネットに流れるフェイクニュースかと思った。取引先に電話して商談に行けないことを伝え、会社にも戻れない状況を報告した。交通機関もストップして容易に移動出来そうもない。既に夕暮れも近くなっていて、今日の自分の居場所の確保を考えた。今回のタイムスリップで、三十二歳になっていた翔太は、人生初めての帰宅困難者という状況を味わった。駅周辺の人々が無口で思うように行動している。


 全ての交通機関が停止し帰れないため近くのホテルの宿泊を考え電話してみたが、既に全て満室で宿泊は無理だった。何故か大江戸線だけが動いているのを確認できたので都心の新宿まで移動することにした。新宿なら大きな街なので、宿泊も何とかなるだろうと根拠もなく考えたのだ。足を使って中小のホテルも確認するが結果は全くダメだった。歩き疲れていると居酒屋で開いている所があり普通に客が座っている。流石に新宿だなと思いながら、疲れと空腹でフラッと店に入った。何ごとも無かったかのように、店内の客が静かに飲んでいる。


(この人達、今の状況分かってんの? こんな所でのんびりしていて大丈夫?)


 翔太は心の中で叫んでいたが、自分も同様な仲間であることは理解していた。翔太はカウンターに座って、ビールと摘みを注文した。誰も何も話さない……。こんな時に、誰も慌てず静かで不思議な空気が流れていた。

(ここに居るお客さんや店員さんは、今日はどうするのだろう? いつまで、ここに居るんだ……』

と思いながら、疲れた身体を休めていた。


 カウンターでビールを飲みながらスマホを眺めていると、東北沿岸に大津波が押し寄せかなり大きな被害が出ている映像とニュース、福島で原発事故が発生したことなどが報道されていた。その中で、大船渡などの地域も大きな被害と死傷者、行方不明者が出ている事や信じられない映像が報じられていた。


 翔太は、大船渡のニュースを聞いてお互いに何も言わずに別れてしまった梨花を想い出した。何故、この未来を選択してしまったんだろう。(梨花は結婚して幸せなのかな……)と考えていた。


(今はどうしているだろうか……。どこで暮らしているんだろう……。緊急事態で病院の仕事で忙しいのかな。それとも、結婚して家族と一緒? 家族と避難生活かな……)

など色々なことが後悔と共に脳裏を掠めていた。


 グラスを持ちながら、大震災だらけのスマホのニュースをずっと眺めている。翔太は、その中で気になる災害伝言板のメッセージを見付けた。不思議なメッセージだった。


『みんな無事ですか? 私は大船渡の避難所にいます。運良く津波を逃れました。元気なら連絡ください。梨花』


 そんな書き込みがある。『梨花』という名前はそう多くないように思えたので、あの梨花ではないかと考えていた。確信はない。今更ながら、大船渡生まれで何故、『梨の花』という名前なんだろうと今更ながら思っていた。


(結婚して大船渡に戻ったのだろうか? 避難所に誰と一緒に居るんだろう……)

と考えてみたが判る訳はなく、あの梨花だと確信はない。会いたいという想いだけが高まっていった。


(今は何もできない……。これが梨花でも、今更、無責任な自分が彼女に何を伝えられるんだ)

自分に言い訳をしながらスマホの画面を眺めていた。今は片思いの様な辛さが翔太を襲っていた。


(東京へ就職の話をしたあの瞬間に戻れたなら良かったのに。どうしてこの時間に戻るんだ……)


今回のタイムスリップを恨んでいた。そうしていると奇跡のメッセージが伝言板から飛び込んできた。


『翔太さん、お元気ですか。今回の震災で私の家や船、大船渡の街はすべて失いました。でも、家族がみんな無事なのが救いです。あの時は、ごめんなさい。その時の私は、東京には着いて行けなかった。今のあなたは幸せですか? 私は、これから大船渡の家族と生活を立て直そうと思います。あなたの今を聞いたりはしません。あの映画館の一緒の時間だけは忘れません。楽しかった……。大切な宝物です。本当にありがとう』


 (こんなメッセージが今届くなんて……)と翔太の心は乱れた。文面から、梨花が独身らしいことは予想できた。勇気を出して、翔太は梨花に宛て書き込みをした。

『梨花さん、元気ですか? あなたの伝言板を見ました。今更、許されない事は分かっています。あの時の返事をさせてください。今の僕は、何処でもどんな仕事でも良いから……君と暮らしたいと思っています。これが僕の今の気持ちです。もし許されるなら君の元に向かいます。こんな状況で時間は掛かるかもしれませんが、あなたの居る場所を教えてください』


 しばらくすると、災害伝言板にメッセージが上がってきた。

『翔太さん、ありがとう。今、私は大船渡の避難所に居ます。父と弟、兄の家族が一緒です。こんな事があるんですね。いけない事だとは思うけど、今はこの不幸に感謝します。梨花』


そんな風に、梨花からの伝言板に書かれていた。

『君の所に向かいます。翔太』


 災害伝言板に迷わず書き込んだ翔太は、次の日から数日を掛けて大船渡に行く準備を始めた。車と可能な限りの資材・食材・ガソリンを確保した。翔太は、ハンドルを握り大船渡へ向け北へ向かった。高速道路も閉鎖され利用が難しく、長い距離の一般道を走り続けた。原発事故の関係で福島県の海岸部は通れなかった。


(あちらに着いたら、生きるために漁師の修行でもするか!)

といつになく明るい気持ちになっていた。陸奥(みちのく)まで遠くても楽しいドライブだった。


 大船渡の避難所に着くと三十一歳の梨花が迎えてくれた。懐かしい梨花の笑顔に涙が光っていた。

「私、ずっと翔太さんを想ってました……。片思い。遠い昔に自分が選んだ道なので諦めていました」

「梨花、今までごめん。会いたかった。この街で一緒に暮らそう。良いかな……」

「嬉しい。今の私には何もないけど良いの? こんな不幸の中での出会いに感謝してます。今、こんな状況で言ってはいけない事なのは分かってるけど」

「ごめん……」


翔太は、涙を隠すように梨花を強く抱きしめると僅かに大船渡の潮の香りがした。懐かしい肌が触れる……。


 今回のタイムスリップでは、翔太がマンションの窓辺に戻ることは無かった。いつの日か、願いが叶えば元には戻らないタイムスリップだったようだ。翔太は、九人目の失踪者となり、マンションの管理者から警察に届けられた。窓辺には、飲み掛けのコーヒーと翔太の直筆でメモが置かれていた。


『働く意欲もないこんな自分が、こうして生きていられる事に感謝します。五〇三号室、あの瞬間に僕を導いてくれてありがとう。これからの幸せのため、この時間を大切にします』


 翔太の直筆で、前向きな文面が書き残されていた。警察は、翔太の筆跡からメモの内容は考慮されず遺書と断定した。これまでに、この部屋の失踪事件は九件有ったが、全てのケースで対象者は未だに見付かっていない。これまで全ての事件で、残されたメモは前向きで明るい文面が書き残されていたが、全ての捜査上で特に問題にはされる事はなかった。これらの事件は、全てが未解決ニュースとして報道されていた。ミステリアスを好む都市伝説ファンの間では、このマンションの五〇三号室は特別な場所……『奇跡と幸せを呼ぶ部屋』としてネットを賑わしていた。


  <終>



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