蛇足、あるいは真実
フーテンと、クラマと、ゲドウと、妖怪怪奇や精神病の蔑称の名で蔑まれ続けていた彼は頬ずりをしていた。精神病棟のある一室で、日光に照らされて他よりも暖かな観葉植物の葉に対して、愛おしそうに何度も頬ずりを繰り返していた。彼は譫言のように鶴子、鶴子と女性の名前を繰り返し呼んでいた。看護師はそれを気味悪そうに、また、気の毒そうに見ていた。男は観葉植物を抱きしめ、幹へ、葉へ、そして土へも接吻を始めた。
生涯、どんな女とも関係を持つことがなかった彼。妄想の中で抱いたその感情は、はたして愛と呼んでも差し支えないのだろうか。妄想をまともに聞く人などいないこの世界においては、精神病患者など差別の対象であるこの世界においては、いましばらく採り上げられることのない話題であるやもしれない。ただ言えるのは、表情がコロコロ変わり、妄想に精神を左右されるあの男は、少なくとも今の鶴子の愛を妄想しているときは幸せを感じているというそれだけのことだった。
これにて『夢寐の独白』、フーテンの物語は終わりとなります。妄想の中の愛は確実に存在していたはず。だがそれは愛と認めてもよいものなのだろうか。どうか考えていただけると幸いです。そして、この物語を最後まで読んでいただいたことに感謝を




