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夢寐の独白  作者: H
12/15

四 中編

性的な描写があります。苦手な方は注意してください

 あの祭の日から数日が経った。私と鶴子は毎日のように蜜月の日々を過ごしていた。それはとても幸せだった。携えていた空白に何か別のものが埋め立てられていく感覚。私はそれを嬉しいと思うと同時に、しかし違和感も覚えていた。確かにあれは恋だろう。私はそれを確信していた。あの胸の高まりは、大切にしたいという思いは確かに私の中で渦巻いていた。ただ、彼女と触れ合いたいという思いは全く湧いてこなかった。私は、鶴子と共に平穏に過ごしていければそれでもかまわないと考えていた。それは、果たして本当に愛と言えるのだろうか。肉体関係のない愛は果たして愛なのだろうか。いや、そもそも肉体関係があれば愛があるという話も正しいか眉唾物である。そんな気持ちの悪いことを考えているうちに私は堂々巡りになってしまっていた。そんなことを大学の友人に相談していると、彼はこんなことを言ってきた。


「ならば遊郭に行って、そのお前の言う肉体関係とやらを実体験してみればよかろう」


「それは不誠実でないのか」


「愛も誇れぬ男が誠実不誠実を気にするな。一度確かめ、それから本気で謝り、愛せばよいではないか」


 本当にそうなのだろうか。だが女っ気のなかった私が恋愛について尋ねたというのはその友人にとっては浮かれるほどのことのようで、彼は嬉々としてこの後に遊郭を訪れる約束を取り付けた。私は、行く前に鶴子へ報告しておいた方が良いのではないかという恐怖を覚えたが、その友人は私のその言を気にしはしなかった。そして大学の講義も終わり、自由の身となった我らは街へ繰り出した。とはいえ私は遊郭の場所を知らないので、その友人に案内してもらう。


「お前は遊郭をよく利用するのか」


「時々であるな。男に生まれた定めか知らぬけれども、情慾を抑えられない。だがそれはそれとして仲を深めたいと思いを募らす女性はいる。男というのはみなそうさ。愛すると心に決めた女性が居ながら、別の女で性慾を満たす」


「それはお前が不誠実なだけではないのか」


「そうである可能性は、否定はできんな。私とてこの世の全ての男に聞いて回ったわけではない。事実、お前という反例もいるのだから私の堂々たる言論など掃き溜めに書かれた落書き同然に扱ってくれても構わないが、今は私が正しいのだと信じて話を聞いてほしいものだな」


 そうだった。私が忌避していた恋愛にはこのような輩もいた。私にはそれが言行不一致であるかのように見え、そのような男たちが愛する女性を不憫に思ったものだった。そして、女性の中にも男のその慾を利用して小銭を稼ぐものがいると聞き、愛とは何だと暗黒に陥れられたような気分がした。私はそれに再び向き合おうとしている。しかも、鶴子という相手もいながらだ。それが私には人間としての道徳を打ち破っている行為に思えてならなかった。


「その性慾を満たすための別の女には、愛は抱いていないのか」


「抱くものもいるかもしれないが、少なくとも私はないな。愛と性慾は違うのだよ」


「では、愛するものに性慾は求めないのか」


「それとは話が違うのであるよ」


「もはや、お前が何を言っているのか、大学の幾何学の講義よりも分からぬ」


「フーテン、お前はちと視野が狭すぎる。いや、広すぎるというべきなのかもしれぬが、愛とは定義するものではないのだよ。…………ほら、着いたぞ。話は終わってからにしよう」


 暗い路地裏でその友人は立ち止まった。何の装飾もなされていない店の扉がそこにはあった。これでは客が入らないではないか。いや、お天道様の下でやるような商売ではないから、このように日陰に位置しているのかもしれん。私は扉を開けて入っていく友人の後を追った。

 つられるがままに私は代金を支払い、薄着の女に浴室へと案内された。その女は乳隠をしたのみだった。私自身も服は脱いだ。しばらくは体を洗われ、他愛のない世間話をしていた。彼女の柔らかな四肢がふとすれば私自身の体に触れた。その女は天女であるかのように慈愛を持った作り笑いを見せながら、従者でもこれほどまでしてくれるのかというほど至れり尽くせりに私の身体を浄めてくれた。そして、気がつけば彼女は私の下にあった。夢心地なまま、私はその女に尋ねられる。


「怖い顔をなされて、私には何もしないのですか?」


「何でそんなことを聞くんだい」


「仕事ですから」


 私はふっと笑ってしまった。


「愛したものがいるのだ。それなのに、君に身体を差し出させるのは人間道徳に反した事ではないかと逡巡しているのだよ」


「あなたは聖人君子なのですか?」


 優しく問われて、私はどうだろうかと考える。アタナシウスやケテヴァン、また彼らに並ぶ多くの聖人たちのように、私は聖人君子であろうか。決してそんなことはない。

 私は彼女の乳隠を脱がせた。一糸まとわぬ姿の女がすぐ真下にいた。私は避妊具を付けた。

 いつしか、彼女とは重なっていた。唇ではなく、もっと深いところで私たちは結合していた。それはいわば心が通じ合うという抽象的な事象よりももっと分かりやすい統合で、私の性器が生暖かな存在によって包み込まれているのを目視で確認できた。彼女は微笑む。作った笑顔で微笑む。彼女は私を抱きとめる。鶴子と接吻した時よりも、ずっと密着していた。私は自分の意志で腰を振り、彼女とのまぐわいを続けた。試しに、鶴子の善性ほど柔らかそうな彼女の乳房にも手を伸ばし、振れる。事実それは生身の柔らかさがあった。彼女の練乳のような白磁肌にも触れる。胸元から臍へと人差し指でなぞったり、腰を掴んで撫でたりもした。そうすると彼女は、本当に高揚して興奮しているかのように、顔を赤らめて嬌声を聞かせた。私は鶴子にしたように、唇と唇を重ね合わせた。この女の唇も柔らかく、熱を私に伝えてきた。鶴子の時と違ったのは、この女は舌と舌を絡めようとしてきた。私はそれに応え、艶めかしく動く彼女の舌に合わせて熱情的な接吻を続けた。そうしている間に快感が蓄積して私は絶頂した。

 それからは、本当によく覚えていない。路地裏から出て月明かりに照らされた街へと躍り出た時、友人が私に聞いて来た。


「どうであったか?」


 私は、正直に吐き捨てて答えた。


「あれの何が面白い。埋め立てたはずの空白が肥大化して私を埋め尽くし返すかと思ったほどだ」


「何がそんなに君のお気に召さなかった」


「あれは、明確に愛とは違う。ただ野獣のように重なり、互いの恥を暴き立てようとする無様な行為ではないか」


 本当に、気分が悪かった。彼女から向けられるものは愛ではなかった。彼女は何も考えずに、ただ事務的に、愛がある女と同じことをしてきた。それが、私には倒錯しているように見えて、恐ろしかった。接吻もそうだ。鶴子のときと全く違う。行為がという話ではない。心臓の拍動が感じられなかった。そして何より、鶴子に対する罪悪感が湧き上がってしようがなかった。彼女の肢体の全てが鶴子と重なり、彼女に春を鬻がせておきながら、私の胸中には鶴子が常にあった。この女が鶴子であったのなら、どんなによかっただろうかと。それはどちらの女性に対しても礼を失している気がして、それもまたこの得体のしれない嘔吐感を加速させていた。私は掻痒感を覚え、髪や腕を掻きむしる。

 友人はそんな私の様子を見て呆れたように溜息をつく。


「まあ、そんなに嫌だったのなら謝罪しよう。悪い体験をさせてしまった」


「いや、これはオレが悪いのだが性慾を満たそうとすると、鶴子が浮かんで、どちらに対しても申し訳ない気分になるのだ。私にはあのような行為は向いていないらしい」


 そんなことを朦朧と呟く私に、友人は注射器を手渡しながらこんな提案をしてきた。


「まあ、落ち着け。飲みに行こうではないか。悪いことは全て忘れろ」


「ああ、そうだな。行こう」


 私は左腕にパビナールを注射しながら頷いた。そしていつもの、行きつけの酒屋へと向かった。酒屋は賑わっていた。私達は二人で下衆男の近くに座った。酒を頼む。友人が下衆男に、フーテンが女を抱いたが、てんで駄目で性慾のせの字も分かっていないと、まだ酒を飲んでもいないのに酔っ払いのような口調で言った。下衆男は答えた。


「女というのは例の女か?」


「いや、店の女だ。私の紹介で向かったのだが」


「フーテン、性行為は合わないか」


 私は答えた。


「合わないというか、鶴子に申し訳ない気がしたのだ」


「その考え方から違うのだ」


 酒が運び込まれてきた。私はそれを喉の奥に流し込む。亜爾箇保児(アルコール)を体にいれ、己を酔わせる。


「違うって?」


「ああ。まあ、一度その鶴子とまぐわえばいいのさ。愛するものとすれば、お前も分かるだろう」


「嫌がるかもしれん」


「愛するものの頼みなら断らないだろう。それに、駄目なら襲えばいいじゃないか」


 私は驚いた。


「それこそ犯罪ではないか」


「そんなもの、犯罪のうちには入らない」


 下衆男は勝手な理論を展開して、酒を流し込む。私はそれに呆れてしまった。それからは話は変わり、くだらない世情の話や、戦争の話になった。私はとたんに話への興味を失い、酒を浴びるように飲んで、そのまま酒場を出ていった。千鳥足で家へと向かう。今日は飲み過ぎてしまった。そう、あの日のように、あの日、鶴子に出会った前日のように、いや当日であったか?酩酊して分からない。当日だった。そういうことにしておこう。そして私は家に辿り着いた。フラフラしながら、戸を叩く。中から声がして、戸が開いた。鶴子が姿を見せた。髪はおさげで、服はあの女ほど露出は多くない。だが、朝からそのような話ばかりしていたせいだろうか。それとも酒のせいだろうか。薬のせいだろうか。鶴子は私の欲情をかつてないほど掻き立てた。私はずんずんと家の中に入る。鶴子は私の様子に気圧され、退いていく。私は戸を閉め、鍵を掛けた。私の眼前で鶴子が立っている。いつものように美しい笑顔だった。ただ、少し戸惑っているようでもあった。私はもう、我慢ならないような気がした。なぜだろう。あの女と行為をするときは気分が悪くなるほど避けたかったのに、鶴子を見ていると、どうしても慾が抑えられない。私はそのまま鶴子を押し倒した。鶴子は混乱した様子で、私を見上げている。私は衝動のままに、鶴子の服を脱がせようとする。鶴子の目になぜか恐怖のようなものが宿り、私から逃れようとする。私はそれが奇妙な行動に見えた。必死に肩を床に押さえつけて、動けないようにする。そうすると鶴子は今度、足をばたつかせた。私の膝に蹴りを入れる。私は酔いが回っていたこともあり、それにカッとしてしまい、思わず頬を叩いた。鶴子の肩が怯えたように跳ねる。彼女は必死にもがいて逃げようとした。抵抗が激しく、私は彼女を離れさせてしまった。彼女は玄関の鍵を開けようとしていた。私がそれをさせまいと彼女の両腕を掴むと、訳のわからぬ叫び声をあげた。私はそのまま自分事彼女の身体を倒した。そして強く抱きしめる。彼女の胸が手に触れる。私と同様、凄く波打っているのが分かった。それを愛おしく感じた。私は身体を横に倒し、彼女の服の隙間から手を入れ、身体をまさぐった。柔らかい。だが、それだけではない。あの女にはなかった安心が鶴子には存在していた。私は腹を撫でるだけにとどめていたが、彼女の抵抗を必死に力を入れて抑えながら、乳房へと手を伸ばしていく。そして私は、ああ、これが性慾を抱く所以かと悟った。そのまま私は彼女に馬乗りになった。これで身体を動かしにくくなっただろう。彼女のズボンを脱がせようとする。彼女はその際も抵抗したが、時間をかけてようやく脱がせることができた。彼女の下着が外気に晒される。私の興奮はさらに掻き立てられ、その一枚布すら剥ぎ取ろうと手を掛けた。鶴子はそれだけでも死守しようとでもいうかのように必死に足をばたつかせる。何度も私の腹部や脚部に蹴りを入れられた。私はその回数だけ彼女の頬を叩いた。そんなことを繰り返していくうちに、鶴子の身体からだんだんと力が抜けていくのを感じた。どうやら私を受け入れてくれたようだった。私は彼女の下着を脱がせる。暗くて良く見えないが、彼女の可憐な陰部が一糸まとわずそこにはあった。私は自身のズボンと下着も脱ぎ、陰部を露出させる。彼女はそれを見て再び恐怖の色を目に宿らせたように、必死に抵抗を再開した。私はもうあの茶番を繰り返すのも面倒になっていたので、彼女の腹部を殴りつけた。彼女のそれに、私のそれを近づけていく。鶴子の目から一筋の涙が零れるのを見た。大海原から零れたそれを私は人差し指で掬う。そして私は挿入しようとした。鶴子は身を強張らせ、叫んだ。抵抗しようとしたが、私が拳を振りかぶったのを見て止めた。私も拳を下げた。彼女の内部は狭く、だが包み込む柔らかさと心臓とはまた違った暖かさを内包していた。彼女のそこから血が流れる。私は、確かに満たされていた。そして、限りない興奮に襲われていた。この女性のなんと愛おしいことだろう。一生大切にしたい。添い遂げたい。愛している。そんな思いが溢れ出した。私は腰を振り始める。彼女の口から何かを堪えるような息が漏れる。口元が歪む。私はそれを笑みだと解釈した。あの女では満たされなかった、嘔吐感の助長にしかならなかった行為は、鶴子であったらどうなるのだろうと好奇心が湧いた。私は彼女に密着する。互いに裸ではないため、少し感触は違ったが、それでもあの祭の夜よりも大きな充足を私に与えた。彼女の白雪の肌や、臍、腰にも触れて撫でる。しかし彼女はあの女のように喘いだり、演技っぽく体を揺らすこともなかった。それがまた、真実を見せてくれていることが、私にはたまらなくうれしかった。彼女の唇から薄い息が漏れる。私は接吻したいと思った。あの女とした熱い接吻を鶴子ともしたい。そう思い、唇を彼女の唇と重ねた。舌を入れようとしたが、それは阻まれた。歯を閉じていて、それは叶わなかった。残念だが、それは追々の楽しみに取り置くことにした。

 そして時間の終わりがやってくる。私はついに絶頂に達した。彼女の中で果てた。私はゆっくりと陰部を引き抜く。彼女のそれから、子種が垂れるのを見た。それと同時に、鶴子が大声で泣き始めた。その泣き声は、嬉し泣きとか、そういうものではなかった。あの夫婦の死体を見た時を彷彿とさせる泣き声であった。彼女は目元を隠して泣く。私にはそれが理解できなかった。いま、私にはついに恋だけでなく愛慾を完全に理解したのである。その体験を共有できた喜びを、鶴子と分かち合うはずであった。にもかかわらず、鶴子のその様子は私の理解が追い付かなかった。

 次第に鶴子は泣き止んだ。しかしどちらからも声をかけようとはしなかった。彼女と話していると時折訪れる、穏やかな静謐が訪れる。私は彼女をじっと見ている。彼女はじっと目を伏せている。その静謐を、私から破った。


「鶴子。私は、君を愛しているのだよ」


 彼女もいま胸の内で確かめているであろう想いを、私から簡単に、言葉にして話した。鶴子は歯を食いしばり、倒れながら私の方を見た。その目は、虚ろで、私を見ていながら、私ではない何かを見ているような、そんな恐怖を感じた。


「私モ、愛シテオリマシタ」


 鯉が一匹死ぬ、そんな錯覚を見た。私はそれに気づかず、右往左往に泳ぎ回り、訳の分からぬ場所に出て、番を置いてけぼりにしている。そんな鯉に思えた。彼女の声はひどく、褪めた厭世の色を塗りたくったような、聞いているだけでその絶望を五感で共有しているような、厭な耳障りを与えた。

 嗚呼、嗚呼!私はまた失敗したのか?私の悪癖が、出てしまったのか。もう取り返しがつかないやもしれぬ。確実に私は鶴子を傷つけた。心も、肉体も。この隔たりはもう取り戻すことができないだろう。なんてことをしてしまったのだ。再び、妄想で、全てを壊してしまった。

 そんなだから、言われてしまうのだ。フーテン、フウテン、瘋癲と。私の誰に届きもしない慟哭が、家に響き渡った。理解したはずの何かが消え去り、空白が生まれたところに、犯してしまった罪悪が溶け込んでいくのが分かった。私は孤独になった。

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