学校七不思議その② 疾走する人体標本の謎
弓彦が高塔山学園に用務員として無理矢理勤務させられて数日が経った。住み込みの生活である。
食事は3食今村が用意してくれた。「一人暮らし長いんですよ」という今村の料理はなかなかよくできたものだった。朝6時に起床し夜10時には就寝する、きわめて健全な生活である。
そんなある日のことである。
「おいって、クサカリマサヲはどうやってやるってもんよ?」
「草刈やるんですね。だいぶ成長しましたね」
今村は笑った。
弓彦は今村と共に荒れ放題になった運動場の隅の草刈を始めた。
「あ、ちょっと、飲塚さん、それはだめです!痛い!痛い!」
弓彦は何も考えずに草刈り機を振り回した。小石がガンガン今村に当たる。
「お。おいって!」
ガリ。
草刈り機の刃が嫌な音を立てて止まった。安全装置が発動したようだ。
「ああ、壊れてしまいましたね」
今村はため息をついた。
草刈は実は奥が深い。草を極力地面から下の方から切らなければならない。あまり上の方になると切った草の長さが短いためすぐに草が伸びてしまう。また草刈り機で間違って大きな石に当ててしまうと刃がこぼれてしまって使い物にならなくなる。かといってあまり地面に近すぎると刃に小石が当たり、あちこちに飛んでしまい大変危険である。何も知らずに草刈中の草むら付近に新車を止めてしまうと小石のあとだらけになってしまうので大変危険である。
人数が多ければ、草刈り機の周りに二人ほど網を持った人員を配置し、小石をそこに当てることができる。こうすれば小石が付近住民や民家に当たらないので安全である。ただ、網を持っている人員に当たってしまうため、丈夫な服を着る必要がある。また、ゴーグルは必須である。ないと小石が当たって失明してしまう。
ともかくも奥が深い草刈道なのだが、弓彦は何も考えずに草刈り機を振り回したため石に刃が当たって壊れてしまったのである。
「どうしちゅう?」
変な音が聞こえたのか、顔の白い白衣を着た男がやってきた。背の高いかなりのイケメンである。今村があいさつした。
「湯川先生、こんにちは」
「どうも」
湯川先生はタバコを隠した。ここでタバコを吸っていたのか。
「なんちゃない。なんちゃない。変な音がして飛び出してきたちゃ」
「そうなんですね」
今村と弓彦は不審そうに湯川先生のしぐさを眺めた。弓彦が今村につぶやいた。
「…おいって、タバコ吸ってたってもんよ」
「…生徒に悪影響があるから教員は吸っていないなんて校長は言ってましたけど」
「どういたもんぜぇ?」
「え?」
湯川先生が密談する二人に話しかけたので、驚いた今村は逆に聞き返した。
「そういえば理科室に人体標本がありましたね」
「そうぜよ。それがどういたもんでぇ」
今にもギターを持ってラブソングを歌いだしそうなイケメンの湯川先生は化学の先生だったのか。ようやく弓彦は気づいた。
「最近変な噂がたっちょるじゃき、片付けよう思うちょる」
「変な噂?」
「そうじゃき。夜な夜な校舎を走るなんてあやかしい話ぜよ」
「ああ」
今村がうなずく。弓彦はそういえば、学校7不思議の一つだったことを思い出した。
「あこのもの授業じゃ使わんじゃき、箱ごと倉庫へ入れようと思っとるぜよ」
「はあ」
「おまんら手伝え」
急に言われたので、弓彦と今村は草刈り機の後片付けもそこそこに湯川先生と理科室に向かうことになった。
草刈り機の後片付けも奥が深い。刃こぼれのメンテナンスや潤滑油の点検がある。機械から刃だけ飛んでしまうと大惨事になるため、機械中心部の修正など事細かなメンテナンスが必要なのだがここでは説明をカットする。
湯川先生に理科室へ連れていかれた二人は、目の前に大きな縦長の箱が安置されているのを目撃した。
「おいって、棺桶?」
「これは例の人体模型を入れた箱ぜよ」
湯川先生は弓彦に解説した。横幅は1メートルないが、縦は3メートル近くある。そこそこ大きいため1人で運ぶのは難しそうだ。
今村は嫌そうに尋ねた。あまり体力仕事は好きではないらしい。
「これを持っていくんですね」
「そうぜよ」
湯川先生はうなづいた。弓彦がふたを開けると、2メートルちかい大柄の人体模型が転がっていた。箱に入っている姿はまさに死体である。よく見ると、腹の部分が欠けている。
「おいって、肝臓がないって」
弓彦が尋ねた。人体標本の臓器はすべてとれるようになっているので、部品がなくなると授業に支障があるのではないか。
「そうじゃき。この人体標本はなぜか肝臓がないぜよ。もうなくなったじゃき。ほれ、持たんか」
湯川に言われて弓彦と今村の二人が前と後ろを持つ。それなりに重量がある。人体模型というぐらいかから人間の体重はあるのだろう。それを眺めながらイケメンは笑う。
「大変じゃのう」
「先生は手伝わないんですか?」
今村が尋ねた。
「わしは虚弱体質ちや」
どう見てもそう見えない偉丈夫でしかもイケメンである。今村が睨み返した。
「そうは見えませんが」
「最近風邪ひいて体中がひやいぜよ」
湯川先生は寒そうにしたがそうは見えなかったが、あまりに運ぶやる気がない。仕方ないので弓彦と今村は二人で巨大な人体標本を倉庫まで運んだ。
倉庫は体育館の裏にある。ただでさえ校舎の奥の体育館のさらに奥なのだから遠いことこの上ない。
「おいって」
弓彦が湯川先生に尋ねた。良心の呵責があるのか、一応付き添っていたのである。
「これどうするってもんよ」
「燃やすぜよ」
「おいって!」
もったいない精神にはうるさい弓彦が叫んだ。
「そうかえ?こんな授業でも使わんものおいていても知らんぜよ。夜な夜な走るちゅう噂もあるんじゃき。おまんら、夜の見回りの時にこの人体標本が走ってきたら困るぜよ」
変な噂もあるし邪魔だから捨てるのか。それにしても庭の銅像やら人体標本やら無機物がよく動く学校である。仕方ないので今村と弓彦は汗だくになりながら人体標本の入った箱を運んだのだった。
「そうそう、ここでいいぜよ」
湯川先生は笑った。きっとこの笑顔をされるとどんな女性もいろんなことを許してしまうのだろう。男にとってはつくづく嫌味な人間である。
「ありがとうありがとう」
笑いながら湯川先生は今村と弓彦を追い出した。
「おいって、あいつなんだってもんよ。イケメンだからって…」
「彼は彼で重篤な秘密があるんでしょう。イケメンなのは被害妄想ですよ」
今村は弓彦をたしなめた。
「おいって、あの先生、土佐弁しゃべってたけど高知の人ってもんよ?」
「湯川先生はたしか出身は長崎県の平戸でしたよ」
「おいって、なんで長崎の人が土佐弁って?」
「以前飲み会の席で聞いたことがあるのですが、坂本龍馬を尊敬しているそうで、土佐弁をしゃべっているそうです。だからネイティブの人に聞かせると明らかに違うって言われるそうです」
よくタレントがやってるエセ関西弁みたいなものか。それにしても東北なまりだの土佐弁だの関西弁だのこの学校の教師は方言にこだわりを持っているようだ。
弓彦と今村はそんな話をしながら用務員室に戻った。
深夜のことである。
弓彦と今村の勤務は午後6時の夕食後、午後8時から午後9時にかけて校内の見回りをすることで終了する。それから用務員室に戻るので就寝時間は午後10時になる。今日はかなりの重量のある人体模型を倉庫に運んだので若干疲れていた。
夜の見回りは基本2人ペアである。もし相棒に何かがあったらもう一人が警察や警備員に通報するためである。だが、衝動的に2人して逃げ出してしまったり、まとめてやられたりした際はどうなるのだろうか、とどうでもよいことを弓彦は考えていた。
「今日も暗いですね」
誰もいない校舎を歩きながら今村がつぶやいた。いつもことなのだが、学園内は真っ暗である。懐中電灯であたりを照らしながら見回る。
ちょうど理科室を通り過ぎたあたりだった。
「ここの消火器が調子悪かったんですよ」
今村がリュックからペンチとドライバーを取り出し消火器をいじり始めた。よく見ると頭にトンネル工事の作業員がつけているようなヘッドライトをつけている。器用なものだ。この男は結婚相談所の所長じゃなかったのか?
「こうすると両手も使えますしよく見えますね。伊豆さんはその辺を見ていてください」
「わかったってもんよ」
弓彦は理科室付近を懐中電灯で照らしていた。特に何もない。今村は「ああ、ここが、ああ」と独り言をつぶやきながら真剣に作業していた。
その時である。物音が聞こえた。
「おいって、何か物音が聞こえるってもんよ」
「静かにしてください。集中しないとこの作業は…この赤い線を結びなおして…」
「おいって聞こえるって」
遠くから足音が聞こえる。誰かが走ってきている。しかもこんな深夜に。
「おいって、誰かいるって」
「だから静かにしてくださいよ。さっきここの教職員みんな見送ったでしょ?この学校に残っているのは私と伊豆さんと音楽の先生の3人だけですよ」
「おいって、だから誰か走ってきてるって」
「気のせいですよ。疲れてるんでしょう?」
今村は作業に夢中である。
走っている音がいよいよ近づいてくる。
「おいって、おいって」
その時、弓彦は恐ろしいものを見た。
蝋人形のような顔に血管のような体。こいつは今日捨てた人体標本じゃないのか?しかもその後ろには上半身、手だけで猛烈な勢いで走っていく?妖怪。これって七不思議の一つ、あのてけてけじゃないのか?
人体標本?と下半身のない妖怪は弓彦と今村を全く相手にせずそのまま走っていった。
弓彦は意識を失った。
窓から光がさしていた。
弓彦が目を覚ますと、となりには金髪で胸の大きい、というかかなり胸の大きさを強調する白衣を着た鼻の高い、外国人のような女性が座っていた。
「あら、元気になったのね」
「お、おいって」
「勤務中に倒れたのを今村さんが用務員室で休ませて、それからわざわざ保健室まで連れてきてくれたのよ」
金髪の女性はそういって後ろの方で放心して座っている今村の顔を見た。
「田中先生、すみません」
「アタシのことはキャサリンでいいのよ」
そういってキャサリンはいちいち胸を強調させるポーズをとる。癖なのか。
「お、おいって。俺っちはなんでこんなところにいるってもんよ」
「昨日の夜に消火器の修理中に急に倒れてましてね。それから頑張りましたよ。用務員室に連れて行って休ませて、人体標本だの足のない妖怪がどうのこうのとうわごとを繰り返すもんだからなんとか保健室で見てもらっていたんです。この学校に来て毎日風呂に無理矢理入れてますけどまだ日ごろの汚れが抜けきってないんですね。密着すると臭くて臭くて」
今村はぶつぶつ文句を言った。
ここは保健室なのか。学生時代は健康優良児だったため滅多に行かなかったのだが。
「あら、人体標本がどうしたの?」
キャサリンが胸を強調しながら会話に入る。目のやり場に困る。
「お、おいって。あんた誰って」
「田中先生ですよ」
今村がつぶやいた。今村は胸を強調する仕草にとくに興味を示していないようだった。弓彦は胸が気になって仕方がない。弓彦は齢40になるがまだまだ現役のつもりでいるので、煩悩の塊のような男である。今村はそんなことがなさそうなのだが。彼は仙人なのだろうか。
「今村さん、何言っているのよ。アタシはキャサリン・タナカ・ジョーンズよ。養護教諭の。その人体標本の話とてけてけの話興味あるわ」
ハリウッドの女優みたいな名前だと思いながら弓彦は話し始めた。
「おいって、見たってもんよ。走ってる人体標本を、それを追いかける下半身のない妖怪・てけてけを」
「そんな馬鹿な」
今村は笑った。横でキャサリンも笑っている。
「本当って。走ってたってもんよ」
「どこから走ってきたんですか?」
「あの先には音楽室があったってもんよ」
「ふうん」
今村はふと視線を遠くにやった。
「伊豆さんも元気になったことですし、そろそろ行きますか」
「おいって。おれっちはキャサリン先生が…」
まだ目の保養をしたいのだが。
「あら、お帰り?」
そうキャサリンが言うと、同じ室内のカーテンから「せんせい」と呼ぶ声が聞こえた。生徒がいるらしい。
「よばれちゃったわ~。じゃあ行くわね」
キャサリンはいちいち胸を強調させると去っていった。
保健室で一人、弓彦がぼんやりしているとカーテン越しから生徒たちの話声が聞こえてきた。
「校長先生の銅像が動くって?そんな馬鹿な話ないわよ」
「この前見たって鼓さんが。てけてけと合わせて」
「髭も外れたのよ。あの銅像、髭が外れるなんて」
「何で銅像の髭外すのよ」
「なんか髭外したら面白いじゃないかって盛り上がって」
弓彦は気になったのだが、今村は気にせず保健室を出た。廊下を足早に用務員室へ向かっている。弓彦はよたよたと付いていった。
「おいってどうしたって。あんな色っぽい人、俺っちは小倉の繁華街でしか見たことがないってもんよ」
「そうですか。じゃ、これを」
今村は懐に忍ばせていた写真を泰彦に渡した。教員の集合写真なのだろうか。以前会った湯川先生や永島先生、校長が写っている。
「これがどうしたって?」
「この人がキャサリンですよ」
今村は指差した。長い髪ののっぺりとした顔をした、ひょろひょろした女性が校長の横に立っている。校長の禿げ頭の横なので校長の髪の毛が伸びたようにも見えた。
「おいって、誰ってもんよ」
「だからこの人がキャサリンですよ」
「え?」
「2か月前に急に有休を使ってどこかに行ったと思ったらあんな感じで戻ってきました。本人はタイで100万円ぐらい使ったって言ってましたけどね」
「おいって、整形って」
「おとなしい、静かな方だったんですけど、容姿が変わると性格も変わるみたいでずいぶん言動や交友関係も派手になっているみたいですよ」
「おいって」
「気にしない人は気にしないですしね。ま、とくに今回の事件には関係してないですから」
そういって今村は笑った。




