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弓彦と学園七不思議  作者: 廣瀬智久
4/18

校長室

かなり歩かされた。

 

 生徒たちの入る学校玄関の2階に校長室、その横に職員室があった。麦わら帽子は何も言わずぶっきらぼうにドアを開けた。中には校長と思われる少し頭の禿げた初老の男性が来客らしき老婦人と話していた。


「ですからその話題は刑事訴追を受ける可能性がありますので」

「刑事事件とは関係ないでしょう?今時体育祭の開会式に『海ゆかば』を生徒に歌わせるなんて時代錯誤もいいところですよ」


 老婦人は追及を強める。理事長なのか校長なのかよくわからない初老の男は、若干関西弁の混じるイントネーションで、すこし汗をかきながら答えた。


「ですからその話は教育委員会からの要請でして、あまり触れると刑事訴追の…」

「どうせどこかの政治家から話が来たんでしょう?この学校だってもともとは使えない土地だったのを払下げで格安で買ったっていう噂ありますよ。普段の土地の価格の10分の1だったとか」


「よくわが校に来られる地元の政治家の方もおりますのや。払下げの件は刑事訴追の…」

「それはいいですから、その政治家って誰?」


「ここでお名前は申し上げにくいんですが…、地元では有名な先生でして、なぜか選挙区が違うのに…」

「そういうことですね。でしたら私も政治家先生には顔が利くんですよ」


 急に老婦人の態度が変わった。手元の鞄から何冊もの雑誌を取り出した。


「この雑誌はご存知ですか?」

「ああ、この雑誌ですな。うちに来ている政治家さんも気にしておられましたよ。この方が例の先生なんですな」


 雑誌を見ながら理事長校長は答えた。


「そうなんですよ!ぜひ先生のお言葉を。先生のお考えはみんなこの雑誌に書いてありますわ」

「そうですか。では1冊お借りしまひょ」

「まあ、ありがとうございます。2冊でも3冊でもよいですわ」


 老婦人はどさどさと雑誌をテーブルの上に置いた。雑誌の表紙には、どこかで見たような眼鏡をかけた老人が写っている。


 麦わら帽子はノックもせずに勝手に校長室に入ってきた。

「おや、永島先生。どうしたん?」

「理事長校長、不審者だべ」


 麦わら帽子が弓彦の背中を無理矢理押して校長室に入れた。この男は先生と呼ばれていた。教師だったのか。


「永島先生、できればノックを」

「緊急事態にノックはいらないべな」

「それでもノックはくださいよ」


 理事長校長はため息をついた。


「これ、体育館に無断で入って宗教の勧誘をしてたべ」

「宗教の勧誘?」

「違うって、でりばりー頼まれたってもんよ」

「デリバリー?この高塔山学園には立派な学食があるんですが、そんなものを頼むなんて」


 理事長校長が不審な顔をした。


「だから弁当のでりばりーってもんよ。コンビニなのに配達やらされて大変だってもんよ」

「コンビニ?」


 優雅にコーヒーを飲んでいた老婦人が振り向いた。その言葉に敏感に反応したようだった。弓彦は知った顔があったのでほんの少しだけ安心した。


「おいって、前江田さんってもんよ」

「あん?」


 永島先生がすこぶる不審そうに両者をにらみつけた。老婦人の前江田さんがあきれ顔で話しかけた。


「あらあんた。また会ったわね」

「お知合いですか?」


 理事長校長が聞いた。昔いろいろなマスコミ、ワイドショーを騒がせたどこかの学園の責任者によく似ている。よほどの汗かきのようで、エアコンの付いた校長室でも汗を拭いている。


「おほほほ、知りませんわ。こんな人。そんなことよりこの本にご興味がありましたら是非近くの会館へお越しください」


 そう言われて、理事長校長は前江田さんの名刺を眺めた。


「この会館私知ってますよ。自宅の近くですから犬の散歩がてらよく通りますよ」

「どのようなワンちゃんですか?」

 


「超大型犬です。ほら、なんとかのハイジに出てくるような」

「そのような犬が散歩してるのはよくあの会館で見ましたわ」

「そうでっか、結構有名なんですわ。えっと、この犬です」


 理事長校長がスーツのポケットから犬の写真を出した。毎日持ち歩いているというのか。弓彦と永島先生は会話に入れずぼんやりと突っ立っていた。


「ああ、この犬って…たしかあの会館の近くの曹洞宗のお寺にいるって…」

「そうですよ。よくご存じですな。私はあの寺の者なんですわ。長男が後を継いで次男の私はその敷地に土地をもらって一戸建ての家を建てましてね。土地代がただなのでウハウハですよ。おお、これはあまり話すとこわいこわい」


 理事長校長は笑った。前江田さんの表情が曇った。


「…そうなの」

「私は代々曹洞宗です。仏門に帰依するとその、教義なんかはよくわかりませんが心が落ち着きますな」


 理事長校長は笑いながら汗を拭いた。前江田さんは無言になった。理事長校長は続ける。


「わては不信心者でしてな。仏門にも帰依せず教員なんて言う、一見子どもたちを育てると言っておきながら、中身はただの上に下に頭を下げまくるというただの管理職になってしまっておるんですが。ただ、実家が寺というと何かと落ち着きますな。思想の根源というか、救いがあるというか。帰る場所がそこにあるんですわ。困ったとき、楽しかったとき、いろんな理由で仏さんに報告しましたよ。きっと、宗教というのはそんな効果があるんでしょうな」


 理事長校長はそう言って笑った。前江田さんはいよいよ不機嫌な顔になった。隣を見ると、永島先生は無表情のままぼそりとつぶやいた。


「うそだこと」

「え?」


 弓彦は驚いて永島先生を見た。


「おらにはこの前理事長は関西の出身で関西の大学を出て自治省に入って、天下りの天下りでここに来たから、あと二年もしたら関西のどこかの天下りの天下りに行くって言ってただ」


「おいって、じゃあ寺とか犬とか」

「そんなこと知らん」


 弓彦には意味が分からない。この校長というか理事長は何者なのか。その理事長校長はようやく弓彦の存在に気づいた。


「ああ、永島先生。で、こちらの方は?」

「ワタシがパートやってるコンビニの店長のバカ息子よ」


 前江田さんの口調が明らかに変わった。勧誘できないとなるとすぐに表情に出る。


「…オラはわかんないから後は頼んだべ」


 永島先生は校長室のドアを壊れるほど強く閉めると去っていった。校長はああ、またドアが痛む、と呟いた。校長室には理事長校長と前江田さん、弓彦の3人になった。理事長校長が口を開いた。


「ところでなんでそのバカ息子さんがこんなとこに」

 理事長校長は汗を拭きながら尋ねた。バカ息子さんは余計である。


「おいって、理事長」

「校長や」

「え?」

「ここは公立学校や。理事長はおまへんのですや。みんな理事長言っとるから誤解されとるんですよ。たぶんカゴノイケとかいう名前がいかんと思うのですが。ともかく私は校長です」


「おいって、電話があって『でりばりー』してくれっていうから弁当と水を持ってきたってもんよ。これはただであげるってもんよ」

「この、ペットボトルをですか?」


 理事長というか校長、紛らわしいのでここからは校長にする。この校長は汗を拭きながらペットボトルを眺める。それを横目で見た前江田さんが苦い顔をした。先ほど校長が犬の話をしてからというもの、前江田さんの目が座っている。


「最近売上がいいって聞いたらこんなもの売ってたのね」

「ところで何ですか?これは」

「ただの水よ。詐欺よ」

「へ?」


 校長が不審な顔をした。話についていけていないようだ。

 前江田さんは弓彦の持っているペットボトルに写った女の顔をにらみつけた。


「ただのペットボトルにそのくそ女のシール貼って若松の水道水入れただけの悪徳商法よ。こんなの持ってきたの?そりゃ変な宗教の勧誘に疑われるわよ」

「永島先生は厳しいですからな」


 校長は笑った。

「あの先生何かあったの?昔映画に出たことがあるって聞いたけど」

「なんや昔俳優だったそうなんですが」


 たしかに体格がよいのでそんなことをやっていてもおかしくはないと思うが。校長が説明する。


「戦争映画でよく海軍将校や自衛官の役をやっていたと聞きましたな。制服の似合う青年幹部の役が多くて。でも最終回まで生き残る確率はだいぶ低いとも話してましたわ。大河ドラマにも何度か出演しているそうや。俳優業の傍ら農業大学校に入って農業の先生になったそうなんですよ」


「東北弁が出てたけど東北の人なの?」


「出身は岡垣町や。東北弁は昔俳優をやっていた時に覚えた方言が抜けきれんと言っとりましたな。それはそうと、あんた、バカ息子さん、デリバリーってうちの生徒から連絡があったのですか?」

「俺っちはバカ息子じゃなくて伊豆弓彦ってもんよ」

 一応ここだけは修正しておこう。ところが前江田さんがかみついた。


「バカ息子じゃないの?」

「おいって、バカじゃないって」

「でもバカでしょう?」

「おいって、バカじゃないって」

「あなたのお父さん見てたらバカにしかみえなんだけど」

「おいって、バカじゃないってもんよ」

「あのトイレの掃除はバカしかできないわよ。なんで掃除したのに床に変なシミがあるのさ」


「おいって、しっかり掃除したってもんよ」

「汚れは汚れよ。いつも便器の裏は掃除してないじゃないの」

「おいって、掃除したって」

「掃除はいいけどあの店の経営状態みて誰がバカじゃないっていうのさ」

「そういい始めたら終わりまへんから、ここは伊豆はんでいきまひょ」


 会話が堂々巡りである。不毛な時間が流れる。校長は汗を拭いた。


「ところで伊豆はん、先ほどデリバリーが、とおっしゃいましたが、その電話の主はお弁当とは言わへんかったのですね?」

「そういえばお弁当とは言わなかったってもんよ。でりばりーとしか。俺っちは弁当の配達と思って弁当と水を持ってきたってもんよ」


「どこに持ってくるように言われましたか?」

「体育館の裏ってもんよ」

「ああそうでっか。やはりですね。あそこは悪い連中がたむろってましてね。どうやらそこにデリバリー、その、いかがわしい人たちを呼んでいるらしいんですよ」


「まあいやらしい」

 前江田さんが露骨に嫌な顔をした。


「今日みたいに永島先生や用務員がいればなんとか対応できるんですが、手引きしている生徒もいるみたいでなかなか尻尾をださへんものですから苦労してます」

 校長は汗を拭いた。弓彦は笑顔になった。


「だったら俺っちは無罪放免ってもんよ。おたくの生徒が間違えただけってもんよ」

「タバコ吸っていい?」

 突然前江田さんが尋ねた。校長が慌てた。


「校長室は禁煙でっせ」

「お客さんが来てるのにそんなことでいいの?」

「ですから禁煙でっせ」

「知らないわよ。どうで校舎の裏でみんなやってるんでしょ?」

「そんな生徒がいるから私たち教員が見本とならんといかへんのやって、あっ!」


 前江田さんはタバコに火をつけた。気持ちよさそうにふかす。


「灰皿ないんでしょ?携帯用があるからいいわよ」

「はぁ」


 校長はうつむいた。このおばさんに何を言っても無駄だと気付いたようだった。弓彦もタバコに火をつけようとしたが、校長ににらまれてやめてしまった。


「おいって、ところで何で前江田さんがここにいるってもんよ?」

「人生相談よ」


 前江田さんは深々と空中に煙を吐いた。先ほどのやり取りを見ると、宗教の勧誘にしか見えなかったのだが。


「アタシと校長は同い年でここの同級生なのよ」

「おいって」

「この学校の同級生なんですわ」


 校長は汗を拭いた。前江田さんがにやにやと笑った。


「昔はもっとふさふさだったのヨ」

「前江田さんも女優さんに似てると校内で評判でしたよ」


 二人は笑った。なんだ。仲が良いのではないか。校長は話をつづけた。


「じつは最近校内で噂が立ってまして、その、学校七不思議というやつで」

「学校七不思議?」

 弓彦は驚いた。

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