学校七不思議その③ 奏者がいないのに流れる音楽室のピアノの謎
弓彦が高校の用務員として勤め始めて一週間は経っただろうか。朝に起床して夜に寝る、そんな人間のあたりまえの生活に慣れてしまった。
今は朝の校門掃除が終わって10時の休憩時間である。用務員室のちゃぶ台には熱めの緑茶が2つ、饅頭も置いてある。今村は午前中にやっている時代劇を眺めながらケラケラと笑っている。ジョージとマツケンのやりとりでそんなに笑えるのだろうか。
ふと思う。
弓彦がこの学校で用務員として勤務することになったのは学校七不思議の謎を解明することにあった。今村はその謎を解き明かすためにここで用務員として勤務しているはずである。しかも住み込みで。食事は3食出ている。うち、昼食は食堂で食事ができる。しかも校長から渡されたクーポン券を渡せばなんでも食べられる。朝食・夕食は冷蔵庫に補充されている食材を使って今村が作ってくれる。そのため。弓彦は住み込みで働いている間の食費を1円も払っていない。そもそもこのお金はどこから出ているのだろうか。しかも捜査が進展しているとは傍目に見ても思えない。謎の多い仕事である。弓彦は尋ねた。
「おいって」
「今楽しいところなんですから。これからシンノスケさんが『この桜吹雪に』って言うんでしょう?」
「おいって、それは遠山の…」
「で、話は何ですか」
「俺っちは学校七不思議の解明に来てるってもんよ」
「そうですよ」
弓彦を見向きもせず、平然と今村は言う。
「学校七不思議って何だってもんよ?どうして解明するってもんよ?」
「おっと、根本的なところからですか」
今村は笑ってお茶を飲んだ。視線はマツケンである。
「発端はSNSで北九州市内の学校七不思議がまことしやかに噂されて、怪奇現象が起きるから学校にいけないとかいう、困った欠席理由があちこちで出始めたことにあります。市内の複数の学校で同じような噂が流れ始めた。それを教育委員会が問題視して、何とかしろって各学校の校長に談判したんだそうです」
「おいって、噂を広げた人を探さないとずっと噂されるだけってもんよ」
「まあ、そうなんですよ。それでSNSの発信元などいろいろ調べたんですが、どうもこの学校から発信されたみたいでですね」
弓彦は驚いた。校内からそんな噂話が発信されるというのか。今村は続ける。
「生徒内の噂話をわざわざこの学校のアカウント付きで流した人間がいるんですね」
「おいって、じゃあ松井教頭…」
「ほう、あの方をご存知でしたか」
今村はにやりと笑った。
「松井教頭はもうすぐ定年とかいう年齢の教頭です。車いす生活をしていまして、3週間ほど前に行方不明になりました。伊豆さんがこちらに来られる1週間前です。急に学校に来なくなってツイッターやらラインに『危ない人から狙われている』『悪魔のノートを持っている。私は大変なことを知ってしまった』など煽情的なメールを送り付けてましてね。そのあたりも教育委員会が危惧している内容でして」
「おいって、じゃあ松井教頭が犯人って」
「可能性はありますね」
今村は冷静に答える。
「たしかに、犯人を特定するのは重要かもしれません。でも、噂の出どころの犯人を特定してそれで終わり、っていう問題でもないんですよ。噂が広まるっていうことは噂の出どころとそれを広める人がいることで成立するわけですから、広まる理由も考えないといけないんですよ」
弓彦はよくわからなかった。テレビの中では風呂屋に出かけるような小汚い格好をしたマツケンがジョージとどこかの町娘と噂話をしている。
「学校七不思議なんてどの学校でも噂される話じゃないですか。そんな噂話が流行るってことは昔からこの地域に何かあったってことですよ。たとえば墓場があったとか」
「おいって、墓場?」
「日本の人口が増えるのは戦後の第1次ベビーブームからです。ちょうど高度経済成長期でして、その時に建てられた学校が多くてですね。校舎もそこそこ面積がいるし、運動場だって整備しなきゃいけない。その辺の戸建て住宅とはと違いますから用地買収にはてこずったみたいでして、都市部では墓場を自治体が買い取りそこに学校を建設したという話はよくあるようなんですよ」
「おいって、この学校ももともとは墓場だったってもんよ?」
「そうかもしれませんねぇ」
今村はマツケンを見ながらお茶を飲んだ。
「それ以外にもメディアの風潮ってものもありますよね。たしか10年ほど前に、『学校の怪談』ブームが起こりました。知ってます?」
今村が尋ねたが、泰彦は知らなかった。10年前と言えば弓彦は30歳。父の働く店の副店長をやっていたころである。
「このブーム以前から学習雑誌などでも夏になれば怖い話を特集していたので、メディアによる情報過多が『学校の七不思議』を各学校に伝播させるのに一役買ったと考えることができますね。思春期までの子供は感受性が強く、大人よりも怖い話の体験者となる機会が遥かに多いものです。ポルターガイストなんて思春期の子供がよくみるそうですし。そんな学校だからこそ、自然に七不思議が生まれると思うんですよ」
今村は続ける。マツケンが先ほどジョージと噂話をしていた町娘と仲良く話している。
「それからですね、学校は『勉強をするための場所』なんですが、子供は親や先生といった目上の立場から何かを強制されるのは苦手なものです。苦手意識から生まれたフラストレーションは、授業以外の学校生活の中で解消していくわけですが、その解消手段の一つに『怖い話』があるみたいなんですよ」
「おいって」
「怖い話ってのは、非日常の体験を語るものです。祭りなどの非日常の出来事を体験することは、日常のストレスを解消する効果があります。つまり、怖い話は一種の『祭り』みたいなものとして学校で機能しているのです。学校の七不思議とは、子供たちにとっては学校生活を楽しく過ごすための話題なんですよ。だから、なくしちゃいけない。だってこれをなくしてしまうと、ただでさえストレスが多くて学校生活をいよいよストレス地獄にするんですよ」
弓彦はぼんやりとテレビを見る。正体のばれた、というか自分で将軍だと正体を打ち明けたマツケンだったのだが、それは嘘だと逆ギレして反抗した悪漢たちをなぎ倒すシーンを眺めていた。
「謎の大枠は解明しなければ教育委員会に説明できません。かといって、生徒のストレス解消の手段として謎を謎として残しておかなければなりません。難しいところです」
「おいって、もう解決したってもんよ?」
弓彦が聞いた。マツケンは死屍累々の中笑っていた。事件は解決したのだろうか。
「ある程度は、ですが落としどころが難しいですね」
今村はマツケンと一緒に笑った。
「おいって、俺っちはまだここで仕事しなければならないってもんよ?なんで俺っちはここにいるってもんよ?」
「私が用務員勤務でこの学園に赴任できたのは、今体調不良で療養中の方がいるからなんですよ」
「体調不良の用務員って誰ってもんよ?」
弓彦が尋ねた。今村は興味なさそうに答えた。
「ああ、その方ですね。渥美さんという方なんですが、よく仕事をすっぽかしてどこかに出かけたかと思うと旅先の女の子に片思いして振られるっていうのを繰り返すちょっと変な人でしてね。みんなから『フーテン』って呼ばれてましてね。趣味はギターで、よく作曲した歌を旅先で知り合った女の子にプレゼントしていたそうなんですよ」
ふう、と今村はため息をついた。
「その方が帰ってくれば私の仕事は終わりです。ともかくも、その時までに事件を解決しなければならないんですよ」
「でもなんで俺っちは用務員に?」
弓彦が尋ねた。
「用務員の仕事は重労働なので1人では大変だ、というのを前江田さんが察したからじゃないですか。それに店の仕事は夜勤だらけで不健康でしょう?伊豆さん、最近顔色いいですよ。少し健康になったんじゃないですか?」
今村はにやりと笑った。
「お金に関してですけど、食費も二人分教育委員会の特別会計からもらっていますし、事件解決の折にはきちんと報酬を払いますよ」
唐突に弓彦のスマートフォンが鳴った。
「珍しいですね。電話ですか。お店の人かもしれませんね。伊豆さんは親子2代で店長ですし。あ、そうそう、一応この話は内密にしてくださいね」
今村がそういった。店長なのだが何週間も店を開けていてはさすがに問題だと思うだが、あまり気にしないのだろうか。弓彦は通話を取った。
「おいって、誰だってもんよ?」
『誰だ、じゃないですよ店長』
その声は店員の史銘陽だった。
「久しぶりってもんよ」
『久しぶりじゃないですよ。店に顔出さずになにをやっているんですか?』
「何って高校のようむ…」
一応口止めされている。史銘陽は続ける。
「…ちょっと旅に出たってもんよ。ナマコ採りに。世界中のナマコを食べるのが俺っちの夢だってもんよ」
『でも急にいなくなるのはちょっと困りますよ。一応あっちの店長が店長の代理ってことになってますが』
「おいって」
『ところで今、店は大変なことになってるんですよ。前江田さんっていう店長の天敵が送り込んできた店長、実質的には副店長なんですが』
「前江田さんが天敵なんて本人の前で言ったら殺されるってもんよ」
弓彦は冷や汗をかいた。横で今村がお茶を飲みながらサブちゃんの歌で踊り狂うマツケンとジョージを眺めている。
史銘陽はとにかくまくしたてる。
『その副店長、初日から突然駐車場にテントを張ってどっかからもってきた魚を売り始めてそれがバカ売れなんですよ。手ごたえを感じたのか次の日にはこれまたどっかから持ってきた野菜を売り始めてそれもバカ売れなんですよ。うん、ここはまだまだイケる、って言って。やっぱり聖水のベースがあるから強いんでしょうね』
「おいって」
『それから県道沿いで弁当の販売やジュースの販売、聖水も引き続き売ってますよ。最近はテキ屋まで集めてきて毎日お祭りになっています』
「おいって」
『「隣のバッティングセンターでホームラン打った人はビール1ケースプレゼント」なんてキャンペーン始めましてね。わんさか人がやってきてもうてんやわんやですよ』
「おいって、〝ご了承ください”はどうしたってもんよ?」
『え?』
「だから、ご了承ください、は?」
『あ』
史銘陽のマシンガントークが止まった。
『え、えっと、ご了承ください、は副店長がやめろって言ったからやめました』
「おいって、そんなに簡単に癖はなくせるってもんよ?」
『そんなわけではないんですが…あの副店長に言われると、何というかカリスマ性があって』
「俺っちにはないってもんよ?」
『いや、そういうわけではないんですが…、あ、副店長が呼んでいますので』
唐突に電話は切れた。今村が話しかける。
「どうしました?」
「いや、なんでもないって」
「これから音楽室のピアノの修理に行きますよ。」
高塔山学園は上空から見ると巨大なLの字をしている。Lの角に玄関と職員室・校長室があり、Lの右、通称東棟の端に音楽室があった。ちなみにLの一番上・北棟の端には弓彦が謎の人影を見た消火栓があり、北棟から渡り廊下を挟んだ先に体育館がある。
音楽室の中には、中央によくコンサート会場でみるようなグランドピアノが一台置いてあった。よく見ると、鍵盤に突っ伏している人の姿が見えた。髪の毛がもじゃもじゃで真っ黒な服を着ている。まったく何者なのかわからない。弓彦が尋ねる。
「おいって、誰だってもんよ」
「ああ、きっとあの人はサムラゴウチ先生」
「サムライ?」
「佐村河内先生です」
「サムラゴウチって前によくテレビで見た…」
「たぶん伊豆さんが思うその人と同姓ですが、別人です」
今村が弁解した。弓彦はサムラゴウチを見る。サングラスともじゃもじゃ頭だと、一時期ワイドショーをにぎわせた偽物作曲家に見えてしまう。
「飲塚さん、そんな不審そうな顔をしないでください。例の作曲家と同姓で風貌も似ていますが別人です」
「そっくりさんってもんよ」
「そっくりさんでもないです」
「名前も同じってもんよ」
「出身地も同じ広島県ですけど別人です」
「何がって、さっき音楽室に『担当・佐村河内譲』ってあったってもんよ。名前一緒ってもんよ」
「だから佐村河内譲。ほら、下の名前が違います。何度も言いますが別人でしょう?」
今村は汗をかきながら説明した。弓彦はサムラゴウチを見る。人差し指でおそるおそるピアノの鍵盤を叩いている。
「彼はこうやって作曲して。ときどきどこかのコンクールに応募しているそうですよ。よく作曲するとか言って職員会議を抜け出すんです」
今村が達観した表情で近くにあった教室の椅子に座り、スマートフォンをいじり始めた。話疲れたのだろうか。
「今日もダメなんです」
「え?」
突然もじゃもじゃがつぶやいた。男の声なのだが微妙に声が高い。
「今日も降りてこないんです。ショパンが、モーツァルトが、シューベルトが」
「え?」
弓彦が驚いて今村の方を見ると、今村はそれを無視するかのように「ああ、電波が」と呟いて窓際の席に座った。
「ですから降りてこないんですよ。大作曲家の霊が」
もじゃもじゃは顔を上げた。サングラスをかけていて表情はよくわからない。市中を歩いていると警察に職務質問されそうな風体である。
「ああ、今日はだめだ」
もじゃもじゃはピアノに突っ伏した。ガーンという悲しい音が音楽室に響き渡る。
「お、おいって、どうしたってもんよ」
弓彦は驚いて近づいたが全く動く気配がない。ちらりと今村を見たが、外をぼんやりと眺めている。もじゃもじゃの前には譜面が置いてあった。弓彦は譜面を眺めたが少し違和感を感じた。
「おいって、これって譜面じゃないってもんよ。変な落書きってもんよ」
「え?」
先ほどまで外を眺めていた今村が驚いてもじゃもじゃに近づく。弓彦は少しだけ音楽系サークルに在籍したことがあるのだ。譜面かそうではないかぐらいは見分けは付く。
「おいって、オタマジャクシがないってもんよ。これって線かただの落書きってもんよ」
今村がさらにびっくりして譜面に近づいた。
「何ですかこれは」
「よくわからないけど譜面じゃないってもんよ。五線譜に落書きしてるだけってもんよ」
教員の誰も気づかなかったのか。今村が尋ねる。
「毎日何時間も作曲と言って重要な会議を抜け出しているそうですが、本当はただ譜面に落書きしていただけなんですね?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。これはインスピレーションをまとめる段階のものなんだ。これからパソコンで整理して譜面を作るんだ。譜面はこれだ」
もじゃもじゃ・佐村河内先生は椅子の下にあった四角い黄土色のカバンからファイルを取り出した。
「これを見てください」
ファイルにはきっちりと譜面が書かれている。今村が無言で弓彦の顔を見た。
「おいって、これは譜面って。間違いないって」
「失礼しました。佐村河内先生」
今村は頭を下げた。弓彦もつられて頭を下げる。ただ、ちょっと今村が首をかしげるのが見えた。
「このかばんどこかで見たことがあるんだけどなぁ」
今村がつぶやいた。
「まあいいんだ。分かればいいんだ」
佐村河内先生はもじゃもじゃ頭を直した。弓彦が今村を見ると、ぶつぶつと何かを呟きながらスマートフォンをいじっている。弓彦はもじゃもじゃ頭の顔を見た。
「おいって、ピアノが壊れたって聞いたってもんよ」
「そうなんですよ。ピアノの一番高い音の鍵盤がなくなっているんですよ。ここです」
弓彦は鍵盤を眺めた。たしかに一番右側の鍵盤がない。しかも一本だけだ。
「おいって、いつから気づいたってもんよ?」
「今朝ですよ。作曲しようと音楽室に入って鍵盤を見たらこんなになっていたんで、今村さんを呼んだんです」
弓彦は今村の様子を見た。今村はスマートフォンで動画を開き、何かの時代劇を見ている。馬の嘶きが聞こえる。
なくなった鍵盤を眺めると、調律用の糸と木の裏側が見えるだけである。ピアノの鍵盤をはずすとなるとかなりの力技である。そう簡単にはできない。
「おいって、今村さん、直せるって?」
弓彦が見ると、今村はスマートフォンの時代劇に夢中だった。
「おいって今村さん」
「え」
今村がやっと気づいた。
「おいって、修理」
「無理ですよ。いくら万能ネギのようになんでも使える用務員だってピアノは調律師さんにたのまなきゃ無理ですよ」
今村がピアノを覗き込んだ。
「でも不思議ですね。どうやってこんなことになったんでしょうか」
「どういうことですか?」
佐村河内が聞く。今村は首をかしげながら尋ねた、
「先生が学校を出たのは午後7時ぐらいでしたよね」
「そうです」
「それから出勤されたのは朝の8時。この間に何者かが音楽室に入ってピアノの鍵盤をがっつりと抜き取ったということになります。私たちは午後9時頃に巡回します。その時は何ともありませんでしたから、実質深夜にこの事件、というか器物損壊事件は起きたことになりますな。しかもこの鍵盤の奥、何かが取り付けられたような跡が見えます。」
「おいって。そんなことやる必要があるってもんよ?学校の怪談を広めたいだけだってもんよ」
弓彦が尋ねると、今村はスマートフォンをいじる手を止め、にやりと笑った。
「まあ、それが目的のいたずらかもしれませんけどね」
「きゃあ!」
突然誰かの声が聞こえた。女子学生の声だ。
「今度は何ですか?」
今村が立ち上がった。泰彦もそれに続く。佐村河内が今村に聞く。
「ちょっと、待ってくださいよ。この壊れた鍵盤は」
「一郎!」
今村が言った。意味が分からない。弓彦が聞く。
「イチロウって、大リーグの?」
「違う!ザイツイチロウ!タケモトの!」
「え?」
今村は靴を履いて女子高生の声が聞こえた方へ駆け出した。佐村河内先生が弓彦に尋ねた。
「タケモトイチロウって誰ですか?」
「…俺っちよくわからないってもんよ。たぶんタケモトはピアノの買取メーカーでイチロウはザイツってもんよ」
「はあ。財津一郎さんですね。こてっちゃんの人ですよね。そういえば亡くなりましたね」
「たぶんピアノの専門家に見てもらった方がいい、もしくは売ってしまった方がいいってことだと思うってもんよ」
弓彦はそう推理した。今村の言動が理解できたらしい。佐村河内先生が尋ねた。
「ここはもういいんですか?」
「俺っちにはよくわからないってもんよ。でも何かあったみたいってもんよ」
「事件…ですか?」
「俺っちにはよくわからないってもんよ。でもアイツに解決してもらわないと店に帰れないってもんよ」
「よくわかりませんが頑張ってください」
「おうって、気合入れるってもんよ」
弓彦は今村を追った。佐村河内はそれを見届けると、再びピアノの前に向かい、腕を組んだ。