4 奇妙で愛しい結婚式
屋敷に戻り着替えが済んだ頃、リン様は私の部屋にやって来て、「大事な話があるからちょっと待っていてね」と言いながら『誰か』を部屋の外へ出す。
テーブルを挟んで私の前へ座ると、紅茶の湯気の向こうで話を切り出した。
「当時のことを調査したり、どうやって貴女にお伝えしたらいいかを考えているうちに、一週間も経ってしまいました。遅くなって申し訳ありません」
「いえ……」
十九年も前の出来事を、改めて調査しなければいけないような何かが、背景にあったのだろうか。
私は身を硬くする。
「貴女が此処へ嫁いできた日……私の元へ、貴女のお母様がいらっしゃいました」
「お母様が!?」
「ええ。いつも後ろで貴女のことを見守っていらっしゃいますよ。貴女とよく似た美しい方ですね」
私は後ろを振り向くも、もちろん何も視えないし聞こえない。だけど肩が……誰かに手を置かれたみたいに、ほんのり温かくなった気がした。
「母は……何と?」
「ご自身が亡くなった理由についてお話しくださいました。貴女が『死神姫』と呼ばれるようになった、あの一連の死についてです」
お母様が直接リン様へ語ってくださったなんて……
固唾を呑んで、次の言葉に耳を傾ける。
「前国王陛下……貴方のお父様は、お若い頃から少々……手癖の悪い方でした。侍女から下女まで、目を付けた女性という女性を寝所に引きずり込んでは、一晩限りの後腐れのない快楽を楽しんでいたそうです」
お父様が……なんてこと。
「申し訳ありません……貴女にこんなお話を」
「……いえ、構いません。続けてください」
キッパリ言うと、リン様も強く頷いてくれた。
「お母様が貴女と妹さんを妊った時、もう一人、お父様の子を妊っている女性がいました。当時お父様が気に入って、何度も寝所に呼んでいた下女です。彼女は身分が低い為側室にはなれませんし、子供が生まれたら面倒だと考えたお父様は、彼女に堕胎薬を渡しました」
「酷い……」
「結局、彼女はその堕胎薬を使うことはありませんでした。何故なら、薬を渡された翌日に、崖から身を投げてしまったからです」
崖から……
何かが繋がる感覚に、胸がざわざわと苦しくなる。
「強い怨念を抱いたまま自死した彼女の魂は、天へ昇ることなく、その怨みの矛先を貴女のお母様とお腹の子へ向けました」
「それで……そのせいで母と妹は?」
「はい。次に亡くなった方達ですが……皆さんお母様の方のご親戚ですよね?」
「はい……そうです。母方の祖母、そして母の姉と妹です。私に会う為、王宮を訪れたその日に」
「お二人の命を奪ってもまだ収まらない怨念は、王宮に留まり続け、今度はお母様と血縁関係のある女性へ向けられたようです」
「そんな……そこまで! では、血の繋がりのない私の乳母や侍女が亡くなったのは? 無関係でしょう?」
「それがどうやら……無関係ではないようです。妻と娘、妻の親戚が不自然な死を遂げた後も、前国王は身近な女性を寝所に呼んでは快楽を貪り続けていたらしいですから。……一人残った大切な娘の、乳母や侍女まで」
リン様はもう、“ お父様 ” とは言わない。穏やかで優しいその紫色の瞳は、静かな怒りに満ちていた。
「当時のことを調べた所、貴女と接した接していないにかかわらず、同じ時期に何人もの侍女や下女が亡くなっています。恐らく全員、前国王が手を付けた女性なのでしょう」
「……父が崖から身を投げたのは」
「ええ。引きずり込まれたからです。道連れにしたことでやっと怨念が収まり、今頃は果てしない闇の中を、二人で彷徨っているのではないでしょうか」
「……何故、父の命を真っ先に奪わなかったのでしょう? 多くの人を犠牲にして」
「国王も貴女と同じく、非常に生気が強い人だった為に、なかなか命を奪えなかったそうですよ。長い時間を掛けて、やっと引きずり込めたようです」
「生気が強いから……だから私も生き残ったのですね」
「はい。でもそれだけではありません。お母様が、小さな貴女を、ずっと傍で守っていてくださったんですよ。小さな妹さんや、伯母様方、お祖母様もね」
リン様の優しい微笑みに、肩がじわりと熱く重くなっていく。まるで沢山の手が……愛が重なっているみたいに。
そこに自分の手を重ね、温もりを確かめていると、いつの間にか隣にしゃがんでいたリン様も手を重ねてくれた。
ぽかぽかぽかぽか……温かいなあ。
残酷な話で冷えきっていた心に沁みわたる。
肩の手はそのままに、もう片方の手で私の涙を拭うと、リン様はまた少し険しい顔で口を開いた。
「今の国王と当時の大臣らも、前国王の手癖の悪さには頭を抱えていました。侍女が身を投げたことも把握していましたし、祟りを恐れて何度も王宮に神官を呼んでいたそうです。現国王が即位するにあたり、王宮の不吉なイメージを払拭したかったのでしょう。兄の悪事がもたらした一連の死の責任を、『死神姫』という名と共に貴女に背負わせてね」
「そうだったのですか……」
「貴女を神殿へ預けたことで、王宮が落ち着いたのだと人々は信じてしまいました。本当は関係ないのに。……現国王は幼い姪の幸せよりも、王位を守ることを選んだのです。まあ、一人逞しく生き残った貴女に、恐れを抱いていたのもあると思いますが」
リン様が語る真実に、私はやり場のない何かを息に変えて、ほうっと吐く。
「……仕方ありません。誰かが王位を守らなくてはならなかったのですから。それに、王宮で叔父一家と暮らすよりも、神殿でアムと暮らした方が、私は幸せだったと思います。何より……『死神姫』だったからこそ、貴方と結婚することが出来たのですし。今は新しい幸せでいっぱいです」
「……本当に? 王宮で平穏に暮らしていたかもしれない人生よりも、『死神姫』と蔑まれた挙げ句、強制的に私の元へ嫁がされたことの方が幸せだと……そう仰るのですか?」
「はい。初めてお会いした時から、薄い貴方の表情を見たいと……お声をもっと聴きたいと、気になって仕方がありませんでした。貴方にも、このお屋敷にもときめいて、毎日がとても楽しくて幸せで」
美しい顔をくしゃくしゃにしながら笑うリン様に、私の顔もくしゃりとなる。顔に当ててくれた大きな手に、すりすりと頬を寄せた。
「今ではもう、リン様は濃すぎて……素敵過ぎて、私の方がユラフラと消えてしまいそうです」
「その心配はありません。貴女は生気が強いと言ったでしょう? 薄くなるどころか、有り余る生気を、屋敷の者みんなに分け与えているのです。私の影が濃くなったのも、貴女のお陰なんですよ」
「そうなのですか?」
「はい。貴女は『死神姫』どころか、聖女かもしれません。実は生きている私達だけではなく、友達もみんな元気になっているんです」
「えっ!?」
「五歳のアムは苦しんでいたぜんそくが治りましたし、九十歳のアロマさんは腰が伸びて歩けるようになりました。貴女の生気に触れることで、生前の痛みや苦しみから解放されて自由になったのですよ」
「それは良いことですか?」
「もちろん。ただ……」
「ただ?」
「この世が快適過ぎて、なかなか天に昇ってくれないかもしれませんね」
「ああ! それは困りますね。お屋敷がますます賑やかになっちゃう」
私達は顔を寄せ、子供みたいにくすくす笑い合った。
「リン様……此処には、父が傷付けた侍女のように、怨念を抱いている人はいないのですか?」
「たまにいますよ。でも時間を掛けて心から話を訊いてあげると、大体本来の姿に戻ってくれます。それに、怨念など忘れるくらい、此処の生活は楽しいみたいですよ」
「それなら良かったです。悲しみや憎しみが連鎖するなんて……辛すぎるもの」
母や妹、沢山の命を奪った恐ろしい怨念。だけどそれは……恐ろしいほどに純粋な想いだったのではないだろうか。身分の違いを理解していても、身体だけを求められていると分かっていても、彼女はきっと、父のことを愛してしまったんだ。堕胎薬を渡された時の彼女の哀しみを思うと……胸が凍り付きそうになる。
どうか……彼女が父の手を離し、冷たい暗闇から、温かな光の中へ行けますように。
祈る私を、リン様は黙って胸に抱き寄せる。
冷たい涙もリン様のシャツに染みると、ぽかぽかと温かく広がっていった。
◇◇◇
あれから三週間が経ち────嫁いでから一ヶ月目の今日。
リン様もアムも他の使用人達も、朝からなんとなくそわそわして、落ち着かないのは気のせいだろうか。
午後になり、日が暮れ始める前に、アムから突然着替えをするよう言われた。
何処へ行く訳でも、何処から帰る訳でもないのに……どうしてだろう。
疑問を口にするも、アムにぐいぐい背中を押され部屋を移動する。開けられたドアの向こう……甘い香りと共に飛び込んできた室内の景色に、私はあっと声を上げた。
山盛りの花と共に飾られているのは、光沢のある美しい純白のドレス。その前には白い靴や、白い毛皮のショール、アクセサリーなどの装飾品が丁寧に並べられている。
「これは……」
「結婚式のドレスです」
大好きな声に振り向くと、そこには白い礼服姿のリン様が、眩しい笑みを浮かべ立っていた。
「今から、私達を祝福してくれる人達と、ささやかな式を挙げましょう。ドレス……貴女のイメージで作ったのですが……もしよければ……着ていただけますか?」
こんなに影が濃くて素敵なのに、ユラフラと不安そうな顔で尋ねるリン様。堪らなく可愛くて……愛しい。
「はいっ、ありがとうございます!」
その愛に真っ直ぐ飛び込んだ。
逢魔が時の、クロスフォード家の庭……というか墓地。
王族が眠る丘へ伸びる道の両側には、青い光が美しく並び、行く手を照らしてくれている。
一歩一歩進むたびに、集まった使用人や領民達、あと……それ以外の『誰か』が温かい祝福の声や音をくれる。
丘へ辿り着くと、私達は向かい合い、子犬のノクスが運んでくれた指輪を交換した。
「ユーレイリア……貴女の瞳は人魂のように青く神秘的で、その銀色の髪は雨に濡れた墓石のように美しい。春の墓地に舞うオーブのように優しい貴女を、一生愛し守り抜くことを誓おう」
ああ……なんて素敵な言葉なの。うっとりしちゃう。
どうしよう。私、誓いの言葉なんて何も用意していないわ。何て返せばいいの?
……まあ、いいか! ストレートで!
「私も貴方を……」
『愛しています』。続けようとしたありきたりな言葉は、リン様の極上の唇で塞がれてしまった。
甘くて……温かくて…………すっごく濃厚。
息も絶え絶えに味わっていると、閉じていた瞼がふと暗くなった。
「……ん?」
甘い吐息と共に、名残惜しそうに離れた唇。暗闇の中でリン様に肩を抱かれていると……
目の前に、パッと鮮やかな光が広がった。
丘の中心に生えている大きなもみの木。その枝や葉の色々な所に、赤と黄色の命の星がキラキラと輝いている。
「綺麗……」
「幼い頃童話で見た、生命を象徴する木なんです。神が生まれた聖なる日に、もみの木に明かりを灯してご馳走を食べ、夜には魔法使いのお爺さんがソリで空を飛び、子供達にプレゼントを配ってくれる。大好きで何度も読みました」
「まあ……素敵なお話」
「貴女のお蔭で赤や黄色にも光れるようになったらしいので、手伝ってもらいました。ああ……本当に綺麗だ」
空からはチラチラと粉雪が舞い始め、鮮やかなもみの木を幻想的に彩っていく。時も忘れてそれを眺める私の肩に、リン様が自分の上着を掛けてくれた。
「そろそろ屋敷へ戻って、みんなで温かいご馳走を食べましょうか。身体が冷えてしまう」
「……はい」
歩き出そうとするリン様の手を、私はくいっと引っ張った。
「ユーレイリア?」
「あの……今夜は寒そうなので……リン様と……一緒に寝たいです」
「私も……そうしたいと……考えていました」
二人とも赤くなってユラフラしてしまう。
『誰か』に覗かれたら恥ずかしいけど。シムティさんが全員追い出すと約束してくれたから、大丈夫……よね?
足元のノクスは青から黄色へ変わると、楽しそうに空へ駆け上がる。もみの木の天辺に止まり、一際眩しく光り出した。
◇◇◇
『墓守公爵』の元へ嫁いだ『死神姫』────
その後の領地は、優秀な領民や天然資源に恵まれどんどん栄えていった。
世継ぎに恵まれなかった王太子の退位後、ストーン公爵とユーレイリア王女の嫡男が王位を継ぐことになるのだが、それはまた別のお話。
ありがとうございました。