3 影が……濃すぎる!
「あっ……失礼致しました。王女さ、じゃなくて奥様。お帰りなさいませ」
慌てて立ち上がり、泣き笑いの目元を拭っている。
「ただいま……」
もしかして、視えないお友達が?
そんな心の問いに答えるように、アムは『誰か』を私に紹介してくれた。
「奥様、こちらは二代前にこちらの侍女長を務めていらっしゃったシムティさんです。もうお話が面白くて面白くて、つい時間を忘れてしまいました。ぐふっ……申し訳ありません」
「視えるの?」
「いいえ、聞こえるだけです。最初は怖かったけど、シムティさんとはお友達になったので、もう大丈夫です!」
やっぱり。
その後も、「もう~その話はやめてくださいよお!」と手を振ったり、ぐふぐふと笑いを堪えながら、荷物を片付けている。
アムはお喋りだから、楽しいお友達が出来たなら良かったわね。リン様のお母様のお話を思い出し、私もぐふっと笑った。
◇◇◇
クロスフォード家へ嫁いでから、一週間が経った。
アムはまだ夜だけは怖いみたいで、こっそり私と一緒に寝ているけど、シムティさんがうるさい人達を叱ってくれたおかげで、大分落ち着いてきたみたい。
私は相変わらず視えも聞こえもしないけど、気配を感じることは多くなった。リン様と一緒にいる時は特に気配が強くなり、ノクスと遊んだ時みたいに、何かに触れることもある。
そう! そのリン様!
一週間経った今、驚くことに全然影が薄くないの!
薄い日とそうでない日と、波があるのかなって見守っていたのだけど、毎日どんどん濃くなっていって。
表情だけでなく、今でははっきりその姿が見えるようになった。
「ユーレイリア、私の顔に何か付いていますか?」
低くて甘くて優しい……最高に素敵な声をくれる旦那様に、今朝も鼓膜から胸までを一直線に撃ち抜かれる。
「いえ……何も……」
私はもう最初とは違う意味で、ユラユラフラフラしてしまう。
一体、あの薄さはどこへやら……
耳の下まで流れるサラサラの濃い黒髪に、濃い紫色の瞳。目頭から美しい曲線を描きつつ、目尻だけシャープに上がっているそれは、まるで高価な宝石みたいだ。鼻梁は細く、高く、鼻の穴まで整っていてバランスが良い。そして口は……薄めの上唇を、少しだけ厚い下唇が受け止める素晴らしい形。おまけに艶やかで……口角もキュッと上がっていて……
うっとり見惚れていると、それは優雅に開く。
「私、濃くなりましたか?」
ほら……素敵なお声があの唇の奥から…………うん? 今、なんて?
「鏡には、濃くなったように映るのですが……ユーレイリアからはどう見えていますか?」
どうって、そりゃ……!
「濃いです! とっても! 頭の天辺から、爪先まで全部、はっきりくっきり見えます。お姿だけでなくお声も!」
「そうですか……それは安心しました」
にこっと微笑まれ、もじもじどころか、もう息が出来なくなる。
胸を押さえ、スーハーと懸命に呼吸を繰り返す私に、リン様は歌うようにさらりと言った。
「ユーレイリア、今日は街をデートしませんか?」
◇
お出掛け用の華やかなジャケットにクラヴァットを締めたリン様は、もう本当に素敵で美しくてカッコいい。
折角なので、馬車には乗らず歩きましょうという提案に従い、こうして二人で街をてくてくと歩いている。
『死神姫』が出歩いたら、街の人が嫌な思いをするんじゃ……と言ったけど、リン様はにこにこしながら、「だからこそです」とキッパリ答えた。
それにしても……今日は何でこんなに距離が近いの!?
いつも敷地を散歩する時は手を繋ぐだけ(それでも息が苦しい)なのに、今日は腰に手が……身体もピッタリくっついて……!
ひょろひょろのユラフラだと思っていたリン様の身体は、しなやかなのに筋肉質だったことに気付く。
背は高く、肩幅は広く……それでもって、足はスラリと長い。
何より全身からオーラと気品が溢れていて……まさに貴公子のお手本みたい。あの薄さは一体どこに?
「遅くなってしまいましたが、結婚指輪を作りに行きましょう」
サイズを測ったり石を選ぶ間も、ずうっと腰の手は離れず、身体が密着している。
彼の熱がとくとく流れて……温もりどころか……熱い。熱くて息が……ううっ!
冷静になりたくて、気付けば青い石を選んでいた。
仕立て屋、雑貨屋、花屋、お菓子屋……密着したまま色々なお店を回り続ける。
少しでも前で立ち止まったり手に取った商品は、リン様が全て店員に言い包ませてしまうので、あまり止まらずさくさく歩くことにした。
公爵様は新しい人に会うたびに、私の容姿や性格を褒めてくれたり、新婚生活がどんなに素晴らしいかを幸せそうに語ってくれた。
街の人がどんな反応をするか……怖かったけれど、最初は少し戸惑っていた人達も、みんな優しく接してくれた。
「公爵様!」
向こうから篭を背負った中年の男性が、帽子を取り駆けて来た。土で汚れた手足と篭の中身から、畑仕事をしていたことが分かる。
「おや……こちらが!」
挨拶もそこそこに、円らな目で私をじっと見つめる。
「私の妻、ユーレイリアだ」
「いやあ……こんなに可愛らしいお姫様だったとは! どうりで、公爵様の影も濃くなる訳ですよ! ……ったく、どこが『死神姫』なんだか。もし今日俺が死ななかったら、ホラ吹き王宮に尻向けて屁えこいてや……いてっ!」
いつの間にか後ろに来ていた女性に、頭を叩かれてしまった。
「あんた、何てこと言うの! 申し訳ありません……主人が大変失礼致しました」
そのまま男性の頭を押さえつけ、一緒に深々と腰を折り曲げる。
「いや、構わない。『死神姫』に『墓守公爵』……なかなかロマンチックな夫婦だと思わないか?」
公爵様は笑いながらそう言うと、私の頭にチュッと唇を落とした。……髪が燃えちゃう。
どうやら夫婦らしい男女は、あらあら~と顔を赤くし、よく似た仕草で口元を押さえている。でもそんな楽しそうな表情も束の間、男性は眉を下げ、鼻をぐすんと啜り出した。
「……わたしゃ安心しました。ずっと影の薄いままお一人なんじゃないかと……だけどこんなに幸せそうなお姿が見られるなんて夢のようです。うちの子供らが亡くなった時、公爵様にはどんなに世話になったか……その公爵様にやっと春が……ああ……こんなに嬉しいことはない」
土だらけの手で擦ったものだから、目が真っ黒になっている。女性も鼻を豪快に啜りながら、私へ向かう。
「奥様、後でお屋敷に新鮮な野菜をお届け致しますからね。 奥様はほうれん草がお好きだと公爵様から伺っておりますので……今日も沢山採ったんですよ」
妻の言葉に男性は篭を下ろすと、中から「ほら!」と立派なほうれん草を取り出す。リン様は綺麗な手が汚れることも厭わず、それを受け取り嬉しそうに眺めた。
そうか……リン様は領民にとても愛されているんだわ。そのリン様が幸せそうに笑ってくれるから、領民も私を認め大切にしてくれた。
夫婦と笑い合うリン様を見ながら、私もぐすんと鼻を啜っていた。
◇
「今日はありがとうございました。デート……とっても楽しかったです」
「こちらこそ、とても楽しかったです」
屋敷までの一本道。護衛兵以外はもう誰も見ていないのに、リン様はずっと私の腰を抱き続けている。
すごく熱いけれど……屋敷が近付くにつれて寒くなってきたから、ちょうどいいかもしれない。
「……私の為ですよね。『死神姫』を公爵夫人として認めてもらう為に」
「そうですね。もちろんそれもありますが……ただ自慢したかったのですよ。こんなに可愛い女性を妻を迎えたのだと」
日が暮れて、もうかなり薄暗いのに、リン様の優しい笑顔だけは鮮やかに見える。
ねえ……そんなに影が濃くなったら、困ってしまうわ。
下を向けばほろっと落ちる涙。リン様はそれを指で拭うと、私を胸に抱き締めてくれた。
あ……胸板……厚くて熱い。
目を閉じて彼の鼓動にうっとり身を任せていると、瞼が急にもやもやと明るくなった。
いいところなのに……眩しくて集中出来ないじゃない。
怒りに目を勢いよく開き、バッと顔を上げた私は、その光景に思わず息を呑む。
「うっ……うわあああ……」
逢魔が時に佇む荘厳な屋敷。その周りを、青白い光が無数に取り囲んでいた。
心の奥まで射すような……清らかで、純粋で、神秘的な光。大きさも、燃え方もバラバラなのに、全部眩しくて全部が尊い。
「綺麗……」
「でしょう? 毎晩こうして照らしてくれるから、我が家は外灯が要らないのです。今夜は特に大勢出てきてくれていますね」
リン様が私の肩を優しく抱き寄せる。
美しい輝きを二人で眺めていると、心がどんどんユラフラして……柔らかい場所から、素直に不安が溢れた。
「私……あんなに沢山の人と会ってしまったけど、大丈夫かしら。本当に……誰も不幸にならない? あんなに優しくしてもらったのに……」
ユラフラの私とは反対に、リン様は力強く言う。
「ええ、なりませんよ。貴女が本当に『死神姫』なら、屋敷の者も私もとっくに命を落としているでしょう。それどころかみんな影が濃くなって、生き生きと動いているじゃないですか」
そうね……確かにリン様だけじゃなく、屋敷の人達の影も濃くなったわ。
「……どうしてかしら」
「それは……屋敷に着いたらお話し致します。それまではもう少し、デートを楽しみましょう」
再びリン様に腰を抱かれ、命の星が舞う明るい屋敷へと歩き出した。