8︰カインの追憶1
春風は少し冷たく、小鳥達の鳴き声が穏やかな時を感じさせる今日この頃。
グウィルデラ学園に6日ぶりの日常が帰って来た。
高熱で休んでいた彼は久しぶりの登校だというのにも関わらず、病み上がりの気配も何も全く感じさせない堂々とした面持ちだった。
やはり彼が来ると空気が引き締まる。
悪名高く傲慢な彼は、皆に恐れられているのだから。
彼が席に座ると、その隣席である第2王子殿下が何やら話しかけていた。これは推測にしか過ぎないが、久しぶり、だとか体調は大丈夫か、だとか、そういう内容だろう。
物腰柔らかい第2王子殿下が敬語を使わない数少ない人物が彼で、逆に彼が敬語を使う数少ない人物が第2王子殿下だ。関係はどうであれ、身分が高く幼馴染だという彼等は互いに特別なのだろう。
会話は早々に終わってしまったようで、彼は窓の外を静かに眺めていた。その紫の双眸に映る景色は、きっと我々とは異なるんだろう。
さて、日常の最初を飾った授業は帝王学だ。
講師であるアグレイド侯爵様は、物静かで威厳と気品を持ち合わせている紳士の手本のような御方だ。
この授業は基本座学で、生徒は先生の話を聞いたり黒板の文字を写本(※ノートと同意)に書き写したりしてノブレス・オブリージュの精神やマナー、また領地を運営する為の経営学などを学ぶ。殆どの生徒は既に家庭教師に同じ内容を教わっているが、復習にもなるし、なにより先生のお話は分かりやすく実践的で為になる。
ずっと座っているままなので時偶眠気に襲われるが、俺が属するSクラスでは近くの席の生徒同士で起こし合い乗り切っている。
ふと気になって横目に彼を見ると、彼は写本に書き写していた筆を止めて教室全体を軽く見渡していた。目が合わないよう俺は1度黒板に目を向け、数秒してもう一度彼に目を向けると、既に彼は写本に目を戻していた。
彼は時々こうして我々を見渡していることがある。俺のような平々凡々な人間には分からないが、きっと何か理由があるのだろう。
それは最奥列の席だから出来ることだが、基本的に自由席であるこの学園で既に定席と化している彼の席は変わることがないだろう。と言うより、そこに座る勇気は我々には無い。それと、彼の隣の第2王子殿下の席にも。
授業が終わり、俺は友と共に食堂へと足を進めた。因みに、俺はAセットを頼んだ。日替わりメニューのAセットだが、その内容にハズレは無い。食堂の中でもかなりの人気メニューだ。この日は照り焼きチキン、キャベツのサラダ、それから雲パンというふわふわで少し甘いパンだった。とても美味しかった。
食堂には上級貴族専用のテラスがある。否、正確には元々は上級貴族専用では無かったが、そこで王族や公爵家等の子息令嬢のお茶会等が開かれる事が多々あり、いつの間にか暗黙の了解のように上級貴族しか立ち入らなくなったらしい。彼は、いつもそこで食事をとっている。
王子殿下や彼の兄であるアルカリウム様はそういった差別が嫌いだと仰いテラスには入らない。それぞれご友人や生徒会の方々と食堂で談笑しながら食事をする姿を我々は毎日見ている。
よくテラスで食事をとっているのは彼と、グリードリー公爵家の御子息と御令嬢、それからアッセルファン公爵家の御令嬢の4人だ。去年までは3人だったが、グリードリー公爵令嬢のご入学により人数が増えた。尤も、彼女は食堂で食事をとることの方が多いのだが。
食堂とテラスを隔てる壁はガラス張りだが、魔術によって食堂からはテラスが見えないようになっているし、声も聞こえない。その為様子は分からないのだが彼等が毎日テラスに集まって食事をするところを見るに、恐らく関係は悪くないのだろう。
食事を終えてテラスを後にした彼等が食堂を通過するとそれだけで皆が其方に視線をやる。それほどまでに彼等には圧倒的な存在感があった。勿論王子殿下のお2人にもアルカリウム様にもそれはあるのだが、4人で集まっている彼等には誰も近寄る事が出来ないため余計に。
彼等がそれぞれの授業へ向かう為別れると、あっという間にグリードリー家の御2人の周りには同級生と思わしき生徒達が集まり、アッセルファン公爵令嬢と彼が歩く道は皆端に寄り道を開けた。
彼等に集まる視線には様々な感情が含まれるが、彼等はそれをものともしない。その姿は生まれながらにして上に立つ人のそれだった。
昼休憩が終われば2限が始まる。この日は魔法研究の授業だった。
俺は食事を終えて友と共に研究室1へと向かった。