6︰白のテラスに心安らぐ小鳥の声
高熱で学校を休んでから6日後に、俺は学園に復帰した。
馬車を降りたその瞬間、学園の空気が張り詰めた気配がし、また生徒達が驚いた表情で此方を見るのが見えた。馬車には兄と共に乗ってきたのだが、着いたと同時に常と同じ様に離れた。
誰もが彼を避ける中、数人居る親に近付くように言われているだろう取り巻きの生徒達が話し掛けてきたが、少し言葉を返したら黙り込んでしまった。
俺に気兼ねなく話しかけてくる生徒は王子2人と、……兄はちょっと微妙だな、…とそれからテラスでの3人、あとはクラスと生徒会の数名程だ。合わせれば10人も居ない。
「オルフェン、もう体調は良いのか?」
席に着くと早速隣の席の令息が話しかけて来る。
長い金髪を揺らす碧眼の主であるその人は、レイモンド・ロイヤル・グウィルデラ。
この国の第2王子であり、幼い頃から交流がある俺と兄であるアルカリウム以外には常に敬語で物腰柔らかな態度をとる腹黒で冷酷な男だ。彼は兄である第1王子を尊敬していて、甘いところがある第1王子を常に補佐している。
この学園では風紀委員長を務めており、着いた渾名が【冷涼の貴公子】だ。
「これはレイモンド王子。私なんぞに気を使って頂くなど恐れ多い事です。」
「君は相変わらず鼻につく言い方をするな。」
「申し訳ありません、性分でございまして。」
本当に相も変わらず、俺の口は子憎たらしい話し方をするな。
第2王子と、否、王家と関わるのは面倒臭いので、言外に話し掛けるなと含んで返答すると、彼はそれ以上は話し掛けて来なかった。
教卓の方からディーザス先生の視線を感じたが、其方も無視する事にした。視界の隅で先生が教室を出るのが見えた。
清涼感を感じる風鈴の音の様なチャイムが鳴り、帝王学の授業が始まった。
この授業では上に立つ者としての心構え、ノブレス・オブリージュの精神や、それに伴う礼儀作法や経営学等多岐に渡る学習をする。
この教科担当の先生はドトーリオ・アグレイド侯爵で、貴族間での評判も高い礼儀作法のプロフェッショナルだ。
グウィルデラ学園の一時限は2時間に該当し、基本午前中に1時限目が、午後に2時限目と3時限目が行われる。授業時間が少ないように見えるが、貴族の子は皆家庭教師を雇うのが常識なので、家庭教師から出される課題等と合わせると割と忙しい。
開いた窓から吹き抜ける爽やかな風が頬を撫でる。
教室の席は前世の大学の講義室の様にひな壇状になっており、俺の席はその最後列で窓際だ。
現在習っている範囲は3年程前に家庭教師から習い終えた部分で、正直退屈だ。この授業では誰かが指名されることも無く、只管に説明を聞いて板書をするだけなのだから特に。
こういう時俺は、教室全体を1度眺めて、眠りかけている人を見つけたりして暇を潰している。流石に居眠りは公爵令息としての立場が許さないので。
一限を終えたら1時間の休憩時間が始まる。
昼休憩を兼ねるこの時間には、学生食堂に多くの生徒が集まる。また、上級貴族のみが使用出来るテラスというものが存在する。ここには公爵家以上の者しか入れないのだが、王子2人や俺の兄はあまり使用しない為今は俺とグリートリー公爵家の兄妹、それからアッセルファン公爵家の令嬢しかいない。彼等が使用しないのには公平を謳う学園内で身分を笠に着るのは、だか何だかとあるのだが、俺は人が大勢集まる場所に居るのは疲れるし、多分周囲の生徒達も俺が近くに居るのは嫌だろうからこのままテラスを使い続けるつもりだ。
グリートリー公爵家の子息の名はダグラム・グリートリーと言い、現在中等部3年で俺と同じ14歳だ。彼は燃えるような赤い髪と赤い瞳が特徴的で、気が強く口が悪い。だが兄貴肌で人一倍優しい人間だ。妹のメルディア・グリートリーは中等部1年で、12歳。入学したばかりだが、兄そっくりの容姿と気位の高い性格ですっかり1年生の長の様な立場となっている。しかし困っている人は見過ごせない性格で、皆からは慕われている。彼女は友人達との交友のためテラスに来るよりも食堂で食べる事の方が多い。と言っても、4日に1回くらいはテラスで食事を摂るのだが。
アッセルファン公爵家の令嬢であるフィアン・アッセルファンは高等部3年生で17歳、銀の髪と白い瞳が特徴的な、高嶺の花の様な存在だ。美しく気品に溢れ、成績優秀な上に聖女の最有力候補である彼女は既に社交界で白薔薇と囁かれている。彼女は第1王子であるユリーテイルと3歳の頃から婚約しており、仲は非常に良好な様だ。彼女が王妃となるならばこの国の将来も安泰だろうとは耳にタコが出来るほど聞いた話だ。
この3人は俺が唯一普通の学生のように関わる事が出来る、友達だ。多分。
貴族としての一線を守り深入りをせず、このテラス以外では殆ど関わらない、あまりにも限定的でしかし暖かい関係。ここは、とても心地が好い。
今日はサーモンのカルパッチョとポトフを頂くことにした。脂の乗ったサーモンの身が光に照らされテラテラと輝くのとポトフから香り立つスープの匂いに食欲がそそられる。
「お前相変わらず少ねぇな、足りんのかよ。」
ダグラムは牛ステーキとマッシュポテト、それからコンソメスープをそれぞれ大量に皿に乗せて幸せそうに頬張っている。大食いで早食いだがその姿は上品で、育ちがいい事が全面に出ている。俺が量が少ないのもいつもの事だが、彼が人並み以上に食事を摂るのもいつもの事だ。俺より背丈が低いのに一体何処にそんなに入るのかは甚だ疑問である。彼の美味しそうに食べる顔とよく焼けた肉の良い香りに1切れ欲しいと彼に頼んでいた。
「仕方ねぇな、ほら。」
彼はテーブルに置かれていた取り皿にステーキを2切れ乗せて渡してくれた。1切れと言ったのに2切れくれるお節介は実に彼らしい。
人から食事を貰うなど公の場では到底出来ないが、このテラスではそんな事誰も気にしない。上品なフィアン嬢も特に何も言わない。
ステーキを味わっていると、ダグラムの隣に座りシーザーサラダとクリームパスタを食していたメルディア嬢が口を開いた。大食いのダグラムと兄妹だが彼女の食事量は至って平均的だ。因みにだが席順は、俺とダグラムが向かい合ってその隣にそれぞれフィアン嬢とメルディア嬢が座っている。
「そう言えば、オルフェン様とは久々にお会いしますわね。」
「高熱で死にかけたらしいじゃねぇか。」
漸くと言えばそうだが、俺の話が出た。
俺と同じく少食で、しかし激辛を好むフィアン嬢もスパイスを施した白身魚のムニエルとオリーブオイルに浸したパンを食しながら此方を伺っている。
「平気だ、もう何ともない。」
「それなら良いけどよ。」
「やはりオルフェン様が居らっしゃると学園の雰囲気が引き締まりますわね。」
時折談笑しながら食事を終え、休憩時間は残り30分。
メルディア嬢が立ち上がり、食後のデザートにとミルクレープを2皿分持ってきた。
「1つはお兄様に差し上げますわ。」
「お、ありがとうなメル!」
「どういたしまして。」
仲睦まじい兄妹の姿は見ていて悪い気持ちがしない。
もうひと皿はメルディア嬢自身で食べるのかと思ったが、メルディア嬢は1口分をスプーンに救うとフィアンに差し出した。
「これ、とっても美味しいんですの。フィアン様にも召し上がって頂きたいですわ。」
「…メルディアの勧めなら、頂こうかしら。」
優しく上品に微笑んだフィアン嬢はゆっくりと口を開いてメルディア嬢の手がらミルクレープを食した。所謂、あーん、だ。
恐らく彼女のこんな姿は第1王子も知らないだろう。
「どうですか、フィアン様!」
「…ええ、とっても美味しいわ。ありがとうメルディア。」
「どういたしまして!」
メルディア嬢はフィアン嬢の事を非常に慕っている為、褒められて嬉しそうだ。
その間にダグラムはミルクレープを食し終えており、メルディアの完食を待ちつつ緩やかに時を過ごしていると、授業開始10分を報せる予鈴が鳴った。
誰からともなく席を立ち、立つ鳥跡を濁さずの精神で皿を片付けてテラスを出る。
「ではまた。」
「ああ。」
「またな。」
「ええ、また。」
簡潔に挨拶を交わすとそれぞれの教室に歩みを進める。
テラスでの暖かさは忘れ、貴族としての戦場へと発つのだ。3人の背中はピンと伸ばされ、一方は道を譲られ羨望の眼差しを受けながら廊下の真ん中を優雅に、二方は沢山の友人に囲まれ廊下を歩いて行った。
俺はと言うと、一方と同じく道を譲られ廊下の真ん中を歩いているが、送られる視線は畏怖と嫌悪のみ。取り巻きの挨拶を一言で終わらせて、勝手に着いてくるそいつ等を無視して、結果的には共に研究室1へと辿り着いた。