5︰運命は音を立てて
「は………?」
信じられなかった。
トマスから告げられたあの弟の言葉が、信じられなかった。
「…何かの間違いでは無いのか…?」
「いいえ、間違い無く若様が仰られた事にございます。ご主人様にお伝えする訳には参りませんでしたので…」
「……少し、1人にしてくれないか。」
「畏まりました。」
トマスは此方を気遣う様に見ながらも、静かに扉を開けた。
そして部屋を出る直前に迷った様に口を開く。
「アルカリウム様。私達は、何かとんでもないものを見過ごしていたのかもしれません。」
「………」
「では、失礼致します。」
扉の方を向くことは出来なかった。
私の弟は、悪逆非道と名高いあのオルフェンである。
あの悪事の数々はとても14の少年が行ったとは思えない程で、法に触れる1歩手前まで行ってしまっている。
父も私もそれを我が家の恥だと思っていて、彼の卒業次第、彼をコーデルート侯爵家に養子に出すつもりだと父から聞いた事がある。だから、公爵はお前が継ぐのだと。私もそのつもりでいた。
オルフェンが、死にたいと考えているなど、予想だにしていなかった。
どんな思いをすれば死を望むようになるのか。
どんな思いをすれば自身を穢れた血だと思うようになるのか。
どんな思いで彼はその手を汚し続けていたのか。
どうして、彼が孤独に苛まれているのか。
「……あの子と最後に話したのは、何時だ……?」
分からない、思い当たらない。
そもそもまともに話した事など1度もないが、義母上に代わって彼が私を虐げるようになってからは特にそうだ。そしてその後は直ぐに私は彼の生活圏内から追い出された。
「待て、それは何時からだった?」
彼が私を遠ざけ始めたのは。
「……デビュタントの日。そうだ、あの子が可笑しくなったのはあの事件からだ。」
忘れもしない、彼のデビュタントの日。
少し目を離した隙に彼が命の危機に陥っていた日。
……私が、何も出来なかったあの日。
彼が此方を見て助けを求めていたのにも関わらず、父の背で怯える事しか出来なかった。
あの日からあの子は目を合わせてくれなくなった。
「…少し、外の空気が吸いたい。」
1度頭を冷そうと、庭園へ行く事にした。
四半刻程歩いて庭園から戻ると、階段を降りてくる彼と鉢合わせた。
食事時以外にこの屋敷で彼と私が会う事は滅多に無いので彼も一瞬驚いた表情を見せたが、直ぐに眉をひそめて私の横を通り過ぎる。
先の件を思い出し、思わず声を掛けてしまった。
「……体はもう平気なのか。」
「…は?」
オルフェンは目を見開いて此方を振り向いた。
何だ急にと、そう思っているのがありありと分かる。
しかし彼は直ぐに姿勢を変えて、あの余裕ぶった態度で態と人を苛立たせるような口調で答えた。
「一体どうしたんですか、ねぇ兄上?…俺達はそんな会話をするような関係でしたっけ。」
ハッとした。
衝動的に話し掛けてしまったが、私達は互いを気遣う様な普通の兄弟ではない。
ましてや互いに無視を決めていたのに突然それを破るなど、怪しまれるだけでしかない。
「…いや、何でもない。」
彼があの態度の裏にどれ程の思いを秘めているのだろうと思うと胸が痛んだ。
未だ何かの間違いだと思う心もあるが、彼が何かしらを抱えている事だけは確実だろうと思う。
この10数年間何も気付かず父に守られてのうのうと生きてきた私に出来ることは何も無い。そう思うと悔しくて、彼に背を向けて自室へと向かう足が速くなった。