3︰不敬で厨二的二つ名
闇の冷帝。
そう呼ばれるようになったのは、飛び級試験の際に教官を闇魔法で叩きのめして失神させた事がきっかけだ。
何でも、その1歩たりとも動かず躊躇無く魔法を使う姿勢が冠を被って玉座にでも座っている様に見えたらしい。
オルフェンは闇、氷、雷の3属性に適性がある。
彼はその中でも闇魔法を好んで使っており、周囲より頭一つ抜けた魔力量といっそ異常とも言える魔力操作の技術で年に1度行われる学園の総力戦の個人部門で、既に中等部部門で2連覇を果たした。まだ高等部生となってから1年も経たないので高等部部門には参加した事がないが、優勝の最有力候補だとも噂されている。
また氷魔法はトゥレライラ家の家系魔法であり、直系の子は皆使う事が出来る魔法だ。
魔法には炎、水、風、土の基本四属性と、光、闇の特殊二属性がある。光、闇属性は使える者が少なく、光属性は聖力が無ければ使えないし、闇魔法を使う際には身体に代償を伴う。俺の代償は一時的な頭痛だ。
基本四属性から派生した魔法は沢山あり、俺の氷、雷もその類だ。
その他属性分類されない魔法として生活魔法があるが、これは魔力が殆ど無くても使えるものばかりで、この世界においては重要な役割を持つ。
魔力量は身分が高くなるほど多いとされ、平民には極稀に無い者もいる。生活魔法が使えない平民の為に魔術書という本があるのだが、それは割愛しよう。そして、王国内に代々男女1人づつ現れる膨大な聖力の持ち主をそれぞれ聖者、聖女と呼び、彼等は身分問わず高い地位を与えられる。それは、王族に連なるほど。
ちなみに現在の聖者は俺の兄であるアルカリウムで、聖女候補は同じ学園に通う高等部1年で平民のアリスメアとアッセルファン公爵家の令嬢であるフィアン・アッセルファンだ。
そしてもう1つ例外があり、それは生まれつきソードマスターの力を持つ人間だ。ソードマスターとは武器に魔法を纏わせる力を持つ者の事で、同じく1人だけ現れるその人は王国内で勇者と呼ばれ、平民であっても聖女、聖者に次ぐ地位を与えられる。現在の勇者は高等部1年のグリム。歴代の勇者は総じて正義感が強いとされるが、彼には特にその特性が強く、よくオルフェンに絡んでくる。
「それにしても総力戦か……面倒臭いな。」
【冷却】で冷やした右手を額に当てながら呟く。
未だに微熱を纏う身体には冷えた右手が気持ちいい。
オルフェン自身も総力戦を面倒臭がっており、これまで殆どの対戦相手を一撃で伸してきた。当時殆ど闇の魔法を使っていたから、それで付いた名が【非道で冷徹な闇の冷帝】だ。
オルフェンが楽しめるのは勇者、第一王子、それから王国内最強と名高く担任であるディーザス・ティモロウ先生だけだろう。ちなみにディーザス先生にはずっと負け越している。
「と言うか闇の冷帝って、あまりにも不敬だけれど大丈夫なのか?」
特に、海を渡った先にあるシューリッド帝国の皇帝様とかに対して。
一体誰が付けたんだか、こんな恥ずかしい二つ名。
「…そう言えば、母上はシューリッド帝国の皇女だったか。」
母上ことシャメル公爵夫人。
彼女はかのシューリッド帝国の第2皇女様らしい。
3歳で父と婚約した彼女はその美貌もあり、16歳で成婚し嫁いで来るまでは蝶よ花よと大切に育てられたらしい。
彼女は父に一目惚れしたらしいが、その時既に父には将来を誓い合った相手こと第2夫人のクレアがいた。クレアはミリア伯爵家の一人娘で、父とは幼い頃から親しく愛し合っていた。そしてシャメルの1年後に17歳で第2夫人として迎えられ、18歳でアルカリウムを産み、身体が弱かった彼女は亡くなった。クレアにそっくりなアルカリウムを父は愛しており、逆に美貌を持つがクレアを下女のように扱っていたシャメルの事は憎らしく思っておりその彼女から産まれた父そっくりの俺も悪行に手を染めてからは完全に見捨てている。
そして俺はきっと、学園を卒業次第父に悪行を理由に廃嫡されるだろう。最悪、修道院送りも有り得る。否、もっと悪いのは親戚であるコーデルート侯爵家に養子に出されることだ。この事は、オルフェンもずっと理解していた。
あの家からはずっと打診が来ており、しかし悪い噂が絶えない家だけに父はアルカリウムは絶対に養子に出さない。だが、俺ならば、悪行を繰り返している俺ならば嬉々として養子に出すだろう。その際、対価として領地も貰えるだろうし。オルフェンがそれでも悪行を続けたのは、廃嫡になったらその時は領地を出て何処かで静かに暮らそうと考えていたからだ。
父はずっと、俺の卒業を待ち望んでいる。
……アルカリウムに爵位を譲る為に。
だから俺がしなければならない事は、爵位はどうでもいいが、修道院送りとコーデルート家への養子を避ける為に、悪行で轟かせた悪名を雪ぐ事だ。
例えば、それで兄が庇ってくれるようなことがあれば父は情状酌量をくれるかもしれない。
そうと決まれば策を練らなければ、と意気込んだところで、扉の外から音が聞こえた。
足音という微かな音だが、情報屋時代に否応にも磨かれた聴力と気配察知能力がそれを感知する。……この世界で目覚めたばかりの、熱に魘されていたあの時も一瞬誰かがいた気がしたが、本調子では無く混乱していた体では正確に捉えきれなかった。まあ、家の者だろうし、というかきっとうちの執事だろう。
と、扉が叩かれる音がする。
「若様、昼食をお持ち致しました。」
「入れ。」
「失礼致します。」
静かに上品な仕草で入って来たのは、薄茶髪と片眼鏡と若葉色の瞳が特徴的な我が家の執事長、トマス・グラデモンドだ。まだ27歳と若いが、その手腕は確かだ。
グラデモンド子爵家は古くからトゥレライラ家に仕えている一家で、代々執事長を務めてくれている。
「お身体の具合は如何ですか。」
「ああ、問題無い。」
「左様ですか、それは宜しゅうございます。」
音一つ立てずに艶々と輝き鼻腔を擽り食欲を刺激する卵粥が目の前に置かれる。
目覚めて2日、身体の調子が良くなり漸くまともな食事が出来るようになった。
頂きます、と心の中で唱えて食べ始める。
口に出さないと違和感があるが、この習慣がないこの世界では訝しげに見られてしまうだろうから早々にやらない事に決めた。まあ、いずれ慣れるだろう。
俺が食べている間に、トマスはベッドのシーツ交換をしている。手際が良く、埃一つ飛ばさない手腕は見ていて飽きない。
卵粥はと言うと、当然美味い。ミシェランシェフの力作と言っても過言では無い程に。
「トマス。」
「は、お受け取り致します。」
食べ終わった食器類を回収し、トマスは部屋を出て行った。
今日まで学園を休んでいるので、十分な暇がある。
机の引き出しから紙と羽ペンを取り出して、計画を立てる事にした。
「…まずは悪行をどうやって無かったことにするか、だな。」
数々の悪行は思いっきり周囲にバレている。
その事実がある限り、俺は父に捨てられる可能性が高い。捨てられて平民になるのならば良いが、生涯神に尽くして厳しい規則の元生きる修道院にも、黒い噂が絶えないコーデルート侯爵家にも行きたくは無い。
それと目覚めてからトマスとしか会話していないが、気付いたことがある。
それは、元のオルフェンのように口調が乱暴で不遜に変換される事だ。独り言ならば良いのだが、人と会話するとなると基本タメ口見下し暴言のオンパレードだった。
これはオルフェン自身に染み付いている癖のようなもので、中々変えるのは難しい。否、癖と言うよりは強制されているような感覚だ。恐らくオルフェンの身体が変えることを許さないのだろう。
だが記憶を辿る限りでは、特定の人間に対しては異なる態度であったようだ。敬語も使う。例えば兄、第1王子、第2王子等割と関わりが多い者相手には。
舐められないように、しかし不興を買いすぎないように。飄々と小憎たらしいそれは、俺が情報屋時代に身に付けたものと同じだった。俺があの世界に飛び込んだのと同じ年齢で、オルフェンは自身の世渡り術を完成させていた。
「…お前も、俺と同じみたいだ。」
何の因果か知らないが俺がこの体に転生したのも、そしてそれをすんなりと受け入れる事が出来たのも、俺とオルフェンが結構似ていたからかもしれない。…俺自身、悪行とまではいかないけれど、違法に近い手段を用いた事は何度もあるから。
「で、計画だな。」
何度も逸れてしまったが、俺が今やるべきは脱悪の為の計画を立てる事。名付けて、【悲劇の少年計画】だ。
オルフェンなんてかつてありふれていた異世界ものの物語にありがちな名前で、多分それでいけば立場は悪役令息とかいうやつなのだろう。
俺はオルフェンという人間を、これから悲劇の少年に仕立て上げるつもりだ。
「つまり、これまでの悪行は全て何らかの布石だったということにしなければならない。」
では、どうするか。
取り敢えず、使える手札は3つ。
1つ、母が法を犯していること。
これが最も手っ取り早い。
つまりどういう事かと言うと、俺が犯した悪事を全て母親に擦り付けるという事だ。と言っても、母がやった事にするのでは無い。俺が母を断罪する為の布石を打ち続けていた事にするのだ。
母の罪を暴く為に悪名を背負う、正しく悲劇の少年だ。
2つ、兄が聖者であること。
兄をいびり続けた母に代わってオルフェンが兄をいびり始めたのが4つの時。だがそれによって兄は母から逃れられる事が多くなり、結果的には楽になっている。記憶を読み取る限りではそうだ。その上お披露目パーティーの後はオルフェンは兄に嫌がらせをする事ではなく、兄を自身の生活圏内から遠ざける事を目的としていたのだから直接的なものもなくなった。
つまり、兄を母から守る為にしていたと兄に認識させれば良い。
そして3つ、それはトゥレライラ公爵領には様々な問題があること。
例えば領内に住む貴族と奴隷商との関わりだったり、一部地域の貧困問題だったり、あと結構悪徳貴族がうちには多い。父は有能だしよく領地に尽くしているのだが、如何せんあまりに領地が広いので管理しきれていない部分がある。
この実情を利用すれば、今までの俺の悪行は領地の為だったと示す事もまあ出来るだろう。
これらを利用して俺はこれから、他者の為に自身を犠牲にする悲劇の少年になる。
と、纏めたところで半刻(1時間)程経った。
生活魔法程度には使う事ができる炎魔法で計画を綴った紙を燃やす。痕跡や証拠を残さないのは情報屋の鉄則だ。勿論内容は覚えた。
本調子では無いにしろもうだいぶ体調も良くなったので、公爵邸の庭園を散歩して暇を潰しつつこの身体に慣れる事にした。
一階に降りると儚げで如何にもお上品な人と目が合った。
俺より年上で白髪、青眼の人。
………アルカリウム、俺の兄だ。
姿を見た途端本能的に嫌悪感を覚えたので、恐らくオルフェン自身が彼を嫌っていたのだろう。彼を遠ざけていたのもきっと嫌いだからだ。
ここ数年殆ど会話をしていない為、突然話し掛けるのも変だろうと常のように無視を決めて横を通り過ぎたその時、声を掛けられた。
「……体はもう平気なのか。」
「…は?」
振り返れば何とも複雑そうな表情をして兄上は此方を見つめていた。
何だ、急に。
今まではお互い無視し合う関係だったんだろう?
混乱を他所に、オルフェンに染み付いた癖は俺に小憎たらしい笑みを浮かべて肩を竦めさせた。
「一体どうしたんですか、ねぇ兄上?…俺達はそんな会話をするような関係でしたっけ。」
小馬鹿にするような口調で言葉を返すと、兄はグッと握り拳を作って、それから背を向けた。
「…いや、何でもない。」
階段を上って行く背を見ながら首を傾げる。
一体何だったんだろう。
暫く呆けていると、足音がしたのでそちらを見る。メイド長であるカエナ・テスタが向かって来ていた。彼女はシャメルの成婚と共にシャメルに付き従って来た元皇宮のメイドで、もう36にもなると言うのに未だに老いが見えないクールビューティな淑女だ。
カエナは俺を見ると驚いた様子で早足で歩いて来た。それでも姿勢を崩さないのには流石我が家のメイドだけあると感心した。
「若様、お出かけですか?」
「庭を散歩するだけだ、一々聞くな愚図が。」
口が勝手に暴言を吐く。オルフェンの記憶通りだ。
カエナは90度頭を下げて俺に謝罪をする。これも、記憶通りだ。
「申し訳ございません。ですが、病み上がりですし外は少々冷えます。羽織をお持ち致します。」
「そんなものは生活魔法でどうとでもなる。言われないと分からないのか貴様は。」
「ご指導の程、感謝致します。お引き留めして申し訳ございませんでした。」
フンと鼻を鳴らして俺はカエナの元から去り、庭へ出た。
暴言を吐くことはオルフェンの性格がそうだったのだろうし、俺は気にしていない。それで下の者を怖がらせていたとしても今更だ。直す気はてんでない。
我が家の庭園は、王家をも凌ぐ権力を持つ家だけあってそれはそれは広く美しい。
色とりどりに咲き誇る花も、太陽の光を受けてキラキラと輝く湖も、白や金があしらわれたガゼボも全てが良く手入れされていて、澄み渡っている。
…それに、こんな風に真っ当に日の光を浴びたのは何年ぶりだろうか。
とても、暖かいな。
とは言えやはり風が吹けば少々冷えるので、身体に慣れる練習も兼ねて生活魔法【暖】で体を温める。直ぐに体全体が布団で包まれている様に温まり、魔法の便利さを感じた。
取り敢えず庭園を1周することを目標にゆっくりと歩き始めた。
オルフェンの記憶があるとは言え、情報屋時代の体とは違い成長しきっていないこの体とは若干の齟齬がある為、動いて体に慣れようという策である。そんなに深刻な程では無いが、偶につまづきそうにはなる。学園に通い始めてそれでは少し困るのだ。
一刻ほど経って、漸く1周し終えた。
前世では滅多に見られないような風景なので、全く飽きない。鳴く鳥の美しい声や、改めて大きい我が家を外から見る事が出来たのも新鮮だった。
部屋に戻ってからは、明日から復帰する学園の準備をする事にした。
明日の授業は帝王学、魔法研究、それから剣術訓練の3つだ。帝王学や魔法研究の授業は今までも優秀な成績を収め続けているし何も問題ないのだが、剣術訓練に関しては一度も受けたことが無い。
何故ならば、オルフェンには剣に対するトラウマがあるからだ。その上もう1つ、俺自身にも刃物、特にナイフに対するトラウマがある。
俺のトラウマは言わずもがな、ナイフで刺されて死んだことだが、オルフェンのトラウマは中々に衝撃的なものだった。