2︰そして知らぬ間に賽は投げられた
「……死に、たい。」
高熱で3日間寝たきりになってしまった若様の衣服をお取替えしようと部屋の扉に手を掛けたその時。信じられない言葉が鼓膜を震わせた。
聞いたことも無い弱々しく頼りない声に、心臓が嫌な音を立てる。
思わず、隠密の魔法を発動させた。
初代グウィルデラ王の弟君が臣籍降下の際に王に直接家名を与えられて出来た公爵家、言うなれば王家の親戚であり、代々優れた公爵によって今では王家をも凌ぐ権力を持つと言われるトゥレライラ公爵家。
その次期侯爵である若様ことオルフェン様は、若干14歳にして歴代最高の才と悪名を轟かせていた。
その悪行の多さは正に狂気、魔法を使えば非道な闇の冷帝。王族どころか帝国の皇族に対しても不敬であるようなその名をほしいままにしている。
父君であられるイグリード公爵様からは疎まれ、母君であられるシャメル公爵夫人様から溺愛され、兄君であられるアルカリウム様からは呆れられている若様は、この家に仕える者共や他の貴族達から酷く恐怖、または憎まれている。
そんな若様が何故、この様な言葉を。
「穢れた血だ……こんな汚い体で生きていかなければならないと?」
億が一にでも聞き間違いだと信じたくて、しかし次に聞こえた言葉と嘲笑で否定される。
穢れた血?汚い体?一体何を。
「この手を汚さずとも良かったはずだ。」
「痛みも苦しみも、もう味わいたくは無い。」
「願わくば、ただ普通の人に…」
畳み掛けるように発される一言一言に心臓が突き刺される思いがした。
「ふは、来世にでも期待しようか。」
生を諦める様な声に、息が詰まりそうだ。
一体何があったらこうも苦しげな言葉が出る?
公爵子息として、高貴な身分で保護される立場にある若様が何故苦しむ様な事がある?
「1人は、嫌だ。」
あの悪逆非道な若様が、どうして。
「寂しい。」
私達は、一体何を見逃した?
ハ、と思い至る。
若様があまりにも優秀で、かつ悪行ばかりが目に付くので忘れがちになってしまうが、若様はまだ14の子供だ。本来なら中等部3年生で遊び盛りのところを、飛び級で高等部2年生にもなってしかも生徒会の副会長で、しかしその努力と才能を実父は見てくれない。だと言うのに優秀だが若様ほどではない兄君が父君に目の前で褒められることを若様は幾度も幾度も唇を噛んで耐えている。
それは、切なくて虚しくて孤独な事だろう。
「…それに、」
シャメル公爵夫人はあの様子だ。
若様の勉強時間、人間関係にまで口を出して貴方のためだと、愛してるわと言っておきながら、公爵様の気を引くこととアルカリウム様を貶める事に夢中で若様を本当に見てはいない。
しかも、シャメル公爵夫人が法を犯している事に、若様はお気付きになられている。失礼ながら、穢れた血とはその事だろうか。
若様も数多の悪行を繰り返しているが、法を犯してはいない。そこまでは堕ちていない。
ともすれば、愛情不足の子供がしがちな親の気を引く行為とも程度は違えど同じなのかもしれない。
悪行を繰り返した若様を庇う事は出来ないが、しかしそうするに至ったのは私達大人が原因だろう。
だから、それは私達の罪でもある。
寂しいと、そう言った若様の心を拾い上げる事の出来なかった私達の、罪だ。
「……この事を、ご主人様に申し上げて良いものか…」
公爵様に申し上げたとて、オルフェン様に気を掛けてくださるかは分からない。
……それならば。
「アルカリウム様に申し上げよう。」
あの御方はオルフェン様に呆れはしても、あんなにも酷い扱いを受けても憎みはしなかった。
今となっては殆ど関わらない御二人だが、何か、何かのきっかけにはなるかもしれない。
そう決めて、若様の部屋の扉を今度こそ開けて、衣服をお取替えしに向かった。