1︰オルフェン・フォン・トゥレライラ
は、と目を覚ましたのは、自分が死んだからだ。
順風満帆な人生では無かった。
それでもいつか、日の目を浴びるのだと汚い手を黒く、黒く染めた。
時には余裕ぶった笑みで、時には表情を殺して、時には人好きする笑顔で、時には、
「………片付けておけ。」
ドタドタと走り回る音を聴きながら、床に伏せて動かない体はその振動を拾った。
この世の全てを見下した様な男は、この世界では頂点に近かった。本当ならば1度だって関わりたくない相手だった。
この世に生を受けた瞬間から付き纏ってきた父親の借金。母はとっくに逃げ去った。
返しても返しても膨れ上がるそれに耐え切れず、14の時に父を殺した。それから俺は、日の下を歩けなくなった。
奴を殺したところで借金は返せない。
仕方なく俺は希少で割の良い情報屋の仕事を始めた。
その世界ではある程度の地位を手に入れた。
だが借金は13年経っても半分以上残っていた。
そんな時に来たのが、あの男からの依頼だった。
報酬は、9860万。
有り得ない額だが、借金を返すには十分だった。
だから、受けた。
危険だとは、分かっていた。
「ご確認ください。」
1時間程振り続けている雨音の中に、ぺらり、ぺらりと男が紙面をめくる音が鳴る。
3分としない内にその音が止み、男が顔を上げる。
「確かに。」
おお、満足頂けたようで。
「そちらはお渡ししておきます。」
「感謝する。…ああ、報酬は既に振り込んであるから心配するな。」
「ありがとうございます。では、これにて。」
報酬が大きいだけあって対象から情報を抜き取るのにはかなりの労を要したのだが、取引はいやに滞り無く進んだ。
徹夜明けの身体に鞭打って、後は帰るだけだとほんの少しだけ気を抜いて、会釈をして背を向けた。
その瞬間、俺は刺された。
瞬間、認識出来なくて、違和感のある横腹を見た。
銀色の、光に反射したナイフが3分の1だけ見えた。残りの3分の2は俺の体に埋まっている。
「…ぇ、ぁ」
満足に呻くことも出来ずにそこに手を当てる。
ダメ押しとばかりに背後から背を押されてあっさりと倒れ伏す。
片付けておけ、と男が命じる。
誰も居ないはずの扉の奥から屈強な男が数人飛び出して、地面を揺らす。
ぬるま湯に浸ったような温かさと、体の芯の冷えを感じて、それを最後に俺は意識を手放した。
薄い黒の瞳が、ともすれば刃の色にも見えるそれが、ずっと此方を見下ろしていた。
くそ、憎たらしい。思い出すだけでゾワリと悪寒が走る。
あの男も、ナイフも、嫌いだ。
あの世界が、嫌いだ。
いずれこうなる事は分かっていたが、まともな人間になれるまであと一歩のところでこれとは、お日様は余程俺の事を憎んでいると見える。
と、くだらない過去と現実逃避に浸るのはここまでにしておこう。
「……どうして俺は生きているのかな?」
部屋には誰も居ないというのに、つい肩を潜めて不遜に小憎たらしく笑んでしまう。
情報屋時代の癖が出てしまったと少し面白くなって、くつりと喉の奥で音を立てる。
あの時確実に俺は死んだと言うのに、一体これはどういう状況だ?
周りを見渡せば、全体的に黒や金銀が多い高級感溢れるかなり広い部屋だと分かる。勿論、こんな場所は知らないが。
ズキ
「っ、ぐ」
突然激しい頭痛を覚え唸りながら頭を押える。
頭の中に膨大な情報が流れ込んできて、破裂しそうだ。
「ぁあ"、ぐぅ、ぅ、ぃあ"」
これはアレだ、21の時に仕事でヘマをやらかして右手と左脚を折られたあの時と同じくらいの痛みだ。
悶える事数分、体感的には数時間と経ち、漸く軽い偏頭痛位の痛みに治まってきた。ので、たった今壮絶な痛みと引き換えに得た情報を辿る。
「……オルフェン・フォン・トゥレライラ。」
これは、この名を持つ男の14年の記憶か。
そしてきっと、俺はこの男に成ったのだろう。
ここグウィルデラ王国にて王家をも凌ぐ権力を持つ公爵家、トゥレライラ家の次男かつ嫡子として産まれたこの男は、王国では珍しく、またトゥレライラ家の象徴ともされる黒髪を持ち、さらに現公爵で父親であるイグリード・フォン・トゥレライラと瓜二つな顔立ちと高貴な紫眼を備えている。
だが恵まれた家柄と美しい容姿を持ちながらも、この男の人生は甘くない。第1夫人かつ実母であるシャメル・フォン・トゥレライラからは鬱陶しい程に過保護に溺愛され、父は第2夫人である故クレア・フォン・トゥレライラとその実子であり兄であるアルカリウム・フォン・トゥレライラを愛している為オルフェンには関心を向けない。
そんな最悪な家庭環境で育った彼は、しかしともすれば不幸な事に頭が良かった。ので、堕落出来なかった。…最も、性根は腐っていた様だが。
「……死に、たい。」
死んだ直後にこう言うのもアレだが。
最早笑えてしまった。
転生したと言うのなら、よりにもよって何故こんな面倒臭い人間に。
オルフェンは、国内最高峰と名高いグウィルデラ学園に首席として合格した後、本来5年かける所をたったの2年で高等部2年生になってしまった優秀で貴重な飛び級マンだ。
しかも、学園全体を取り仕切る生徒会の副会長に抜擢されたらしい。会長である第1王子かつ王太子のユリーテイル・ロイヤル・グウィルデラとはその関係でかなり関わりがある。ついでに言ってしまえば、第2王子のレイモンド・ロイヤル・グウィルデラとは同じSクラスの仲間だ。文武両道、衆目美麗で優しい第1王子と兄を慕う生真面目で賢く冷酷な第2王子。
うん、素晴らしく優秀な兄弟ではないか。
……決して、関わり合いたいとは思わないが。
そしてこれらの輝かしい成績と共に貴族間で名を轟かせている俺だが、その裏で、否、此方の方が有名になる程に悪名をも馳せている。
【トゥレラ】
自身の家名にも似たその言葉は、俺が行った数々の悪行から付けられた。
母に代わり兄をいびるところから始まり、次に家に仕える優秀なメイドや騎士を家を取り仕切る母に頼みクビにしたり、時には徒に奴隷を買い占めてより厳しい環境である家領の炭鉱に労働力として送ったり、学園では必要以上に下級貴族や平民を取り締まったり、教師を買収して授業内容を操ったり、場所は変わって社交パーティーでは勢い付いている貴族の権威を失墜させてみたり。等。
数え切れないほどあるが、どれもこれもが未だたった14の少年であるオルフェンが短い人生で犯してきた悪事達だ。このまま成長して歳を重ねれば、これ以上の悪事を、もっと言えば法を犯す程の罪を犯していたやもしれない。
……実母の方は既に法を犯しているみたいだが。
と言った風に、俺は既に多方面から恨みを買いまくっている。
なんということでしょう。
「穢れた血だ……こんな汚い体で生きていかなければならないと?」
はあ、面倒臭い。
ついつい嘲る様な笑みが漏れてしまう。
折角、後ろ暗い事をせずとも将来が確約されていると言うのに、恨みを買ってまた死ぬのは御免だ。
「この手を汚さずとも良かったはずだ。」
「痛みも苦しみも、もう味わいたくは無い。」
「願わくば、ただ普通の人に…」
そうすれば、日の下を堂々と歩けるのに。
「ふは、来世にでも期待しようか。」
自分自身を嘲笑しナイーブな気持ちになっていると、段々と熱が上がって来たようで寒気と耳鳴りがする。
そもそも俺はオルフェンが高熱で死にかけていたところに転生したらしいから、そりゃ体が怠くて当然だ。
こうやって体が辛いと、心も少し弱ってくる。
俺の時は風邪を引いても怪我をしても寄り添ってくれる人肌なんてありはしなかったが、……ああ、それはオルフェン君もそうだね。
唯一自身を愛してくれる、鬱陶しい母親も、本当に辛い時には寄り添ってくれなかったらしい。
俺達、案外似た者同士かもね。
「1人は、嫌だ。」
ね、オルフェン君。
「寂しい。」
寂しいね、俺達は。
あの時と同じ様に、意識は闇の中へと落ちていった。




