悪女と五人の魔法使い(中編)
「……ろ。……きろ。……起きろって零治!」
俺は、優の声で目を覚ました。目の前に、俺を心配そうに覗き込む優、駿太郎、ミヤビ、海貝先輩の顔が飛び込んできて、俺は慌てて起き上がる。
「あれ? 何が起こったんですか⁉︎ っていうかここどこ?」
俺たちは、薄暗くてジメッとした部屋にいた。なんだか不気味な所だ。さっきまで図書室にいたはずなのに、どうなってるんだ?
「申し訳ない、四人とも。あの封印魔法、解いちゃまずかったかもしれない」
海貝先輩が青ざめた顔で言う。
「あれ見ろ」
先輩が指さす方を見ると、部屋の奥にある大きな鏡が目に入った。……ん、鏡?
するとその時、バタン、と大きな音がして、部屋の扉が突然開いた。俺たちは慌てて物陰に隠れる。
カツカツと足音がして、黒いドレスを着た女性が部屋の奥に向かってくる。その人は鏡の前に立つと、こう言った。
「答えろ鏡、この世で最も美しいのは誰だ?」
え? やっぱこれって……。
すると、珍しくパニクった様子の優が言う。
「海貝先輩、これ、まずくないですか⁉︎」
「委員長、どうしましょう〜⁉︎」
「えらいことになりましたね……」
駿太郎もミヤビもかなり動揺している。
俺は、図書室で最後に見た光景を思い出していた。真っ白だった表紙に浮かび上がった文字は、『しらゆきひめ』。かの有名なグリム童話だ。
するとその時、鏡の奥から低い声が響いた。
「女王様、それは、白雪姫でございます」
海貝先輩が俯いた。
「確定だ。……僕たちは、あの本の中に迷い込んだらしい」
汗が一筋、背中を伝っていくのを感じた。全身から血の気が引いていく。
「恐らく、あの本には触れた者を物語の中に引き込む魔法がかかっていたんだ。それを封印魔法で抑えていたが、僕たちは封印を解いてしまった」
「す、すいません!」
俺のせいじゃん! これはさすがにまずいだろ……。
「いや、藤巻のせいじゃない。僕も迂闊だった。……とりあえず、戻る方法を探そう」
か、かっこいい……。先輩がいてくれて本当によかった……。
その時、ピコン、と電子音が部屋じゅうに響いた。
「あ、やば」
駿太郎が慌ててポケットからスマホを取り出すが、時すでに遅し。鏡の前に立っていた女性が叫んだ。
「誰かいるのか⁉︎ おい、すぐに捕らえよ!」
途端に、扉から召使いらしき人たちがなだれこんできた。
「やばいやばいやばいやばい!」
俺たちはあっという間に包囲され、女王様の前に跪かされた。
「何者だ、お前たち」
女王様が俺たちを見下ろして言う。どうすんだこれ……。
そう思っていると、海貝先輩が毅然とした態度で女王様を見上げた。
「アナスタシア学園高校三年、海貝翔吾と申します。こちらの四名は、私の後輩でございます」
「勝手に私の部屋に入るなど、どういうつもりだ。私は忙しい、手を煩わせるな」
女王様はかなり怒っているようだ。これ、殺されたりしないよな⁉︎ しかし先輩は臆せず続ける。
「お忙しいというのは、毒りんごを作らなければならないからですか」
女王様が怪訝な顔をする。先輩はさらに畳み掛けた。
「私どもでよければ、お手伝いいたしましょうか?」
ちょっと待ってちょっと待って!
「な、何言ってるんですか先輩⁉︎」
「そうですよ委員長! この人、『白雪姫』に出て来る悪役ですよね⁉︎」
「白雪姫に毒盛る手伝いする言うんですか!? ちゃいますよね!?」
俺と駿太郎とミヤビがあたふたしていると、優が先輩に尋ねた。
「何か考えがあるんですか?」
先輩が頷く。
「物語には必ず終わりがある。白雪姫が毒りんごを食べて、最後に王子に助けられるところまで物語を進めれば、僕たちも戻れるかもしれないと思ってね」
なるほど、そういうものなのか?
「そういうわけで今、我々は白雪姫に毒りんごを食べさせたいという点で利害が一致しているのです。いかがでしょう、女王陛下」
先輩に見上げられ、女王様はニヤッと笑った。
「何だかよく分からんが、そういうことならよいだろう。さっさとこっちへ来て手伝え」
女王様は、部屋のさらに奥にある扉へ向かった。
まさかの交渉成立⁉︎ 先輩すごいな……。
俺たちは顔を見合わせ、女王様の後を追った。
*
「おいお前、これをかき混ぜろ」
「任せてください!」
女王様に命令され、駿太郎が大鍋の中をかき混ぜる。女王様がネズミの死骸やトカゲのシッポ、得体の知れないドロドロの液体をぶち込んだ鍋の中は、紫色の液体がグツグツと煮立っている。
「でも、なんでそんなに白雪姫を恨むんですか? 別にこの世で一番じゃなくてもいいんじゃ?」
駿太郎がぐるぐると鍋を混ぜながら聞く。
「私は女王として、常に一番でなくてはならないのだ。そのために私は様々なことを犠牲にしてきた。貴様にその苦痛と重圧がわかってたまるか」
女王は不機嫌そうに腕組みして鍋の中を見下ろす。
「じゃあいっそのこと、その重圧をかけてくる奴らに毒を盛った方が楽になるのでは!?」
俺が言うと、女王様はフッと笑って俺を見る。
「馬鹿め。この鍋の中の毒、一人分だと思うか? お前に言われるまでもなくそのつもりだ」
あ、そうなんだ。
「しかし陛下、白雪姫に毒を盛っていただかないと、我々は帰れないのですが」
先輩が言う。なんかもう、先輩は悪の一味みたいになってるな。
「心配するな。私は白雪姫もちゃんと嫌いだ。あいつは自分が私よりも若くて美しいからといって、王の見ていない所で私をさんざん侮辱した。性格が悪いのだ。小人を馬車馬のように働かせて自分は呑気に歌っているところを見れば分かるだろう」
うわー聞きたくない情報。俺、もし無事に戻れても、二度と白雪姫の物語をまっさらな気持ちで見られないんだろうな。
「よし、こんなもんだろう。あとはこれをりんごに塗れば完成だ」
女王様は、どこからかりんごが山盛りに入ったカゴを取り出した。
「お、美味そうやな〜」
ミヤビが言うと、女王様はりんごを差し出す。
「毒を塗る前に味見させてやろう」
「え、ホンマですか? ありがとうございま〜す」
ミヤビがりんごをしゃくっとかじる。
「んー、みずみずしくてめっちゃうま……」
バタン、と音を立てて、ミヤビがその場に倒れた。
「あ、おいミヤビ!」
優がミヤビの体を揺さぶるが、反応がない。
「こっそり毒を塗ってみた。効果は問題なさそうだな。大丈夫、眠っているだけだ。死んではいない」
女王様が満足そうに微笑む。マジかよこの人。一応俺たち協力者なのに⁉︎ どーすんの⁉︎
「お前たち、さっさと毒を塗れ」
女王様に急かされ、俺たちはとりあえず残りの四人で毒りんご作りを終えた。
「よし、それじゃあ私はこれを、私を苦しめた城のやつらに配ってくる。お前たちには重大な仕事をやろう。森の奥の小屋に行き、白雪姫にこの毒りんごを食べさせてこい」
女王様はカゴに毒りんごを詰め、そのうちの一つを先輩に手渡す。
「しっかり頼むぞ」
「仰せのままに、女王陛下」
先輩が神妙な表情でりんごを受け取った。先輩、すっかり悪役が板についている。
「それじゃあ」と言って、女王様がパチンと指を鳴らすと、次の瞬間には、女王様はおばあさんの姿になっていた。おばあさんはスタスタとカゴを片手に部屋を出て行く。
うわ、変身魔法うまー! 俺も授業でちょっとやったけど、全然できなかった……。さすがおとぎの国の女王様だ。
「よし、僕たちも行こう」
海貝先輩に言われ、俺たちは森の奥にあるという小屋へと向かった。