第5話 悪女と五人の魔法使い(前編)
キーンコーンカーンコーン。
チャイムの音色が授業の終了を告げた。やっと昼休みだ。
俺が転校してきて一週間。まだまだ慣れないことも多いが、俺はなんとか魔法学校での生活を送っていた。
「食堂行くか」
「うん」
教科書とノートを片付けながら優と話していると、ミヤビがやって来た。
「俺も〜。めっちゃ腹減ったわ。早よ行こ」
しかし、いつもいるはずのもう一人の姿が見当たらない。
「あれ? 駿太郎は?」
俺がキョロキョロと教室を見回していると、ミヤビがひょこっと俺の目の前に回り込んできた。
「今日は当番やから、一緒に食べられへんのやって」
「当番?」
「あいつ、図書委員だから。たまに図書室の仕事やらないといけないらしい」
優が教えてくれる。
「駿太郎が図書委員? なんか意外」
優なら分かるけど。駿太郎が本を読んでるところなんて、一度も見た記憶がない。
「そうよな! まあ、ジャンケンでボロ負けして押し付けられただけやけど」
ミヤビがクスクス笑う。なるほど、そういうことか。
「零治はまだうちの学校の図書室行ったことないだろ? あとで駿太郎の仕事のお手並み拝見がてら、行ってみねえ?」
優がニヤッと笑って言う。
「あ、行ってみたい!」
「それやったらなおさら早よメシ食いに行こ。腹減った〜!」
ミヤビがスタスタと歩き出す。
「今日はカレーにしよかな~。あ、零治知ってる? 裏メニューに超激辛カレーってのがあってな、それがめっちゃ美味いねん!」
「何それ激辛って⁉︎」
「おいちょっと待てって!」
俺と優は、先を歩くミヤビを追いかけた。
*
「あー辛れー。まだ口の中痛ぇ……」
食堂で激辛カレーにノックアウトされた俺は、トボトボと力なく図書室への階段を登る。
「だからやめとけっつっただろ。ミヤビはバカ舌なんだから、メシに関しては信用すんな」
優が呆れ顔で言う。
「なんか裏メニューって聞いてテンション上がって、注文してしまいまひた……」
やべ、舌まわんねー。
「え、俺はバカ舌ちゃうって優」
「あの口の中の全てを破壊するような辛味を感じないのは完全にバカ舌だろ」
そんな話をしながら階段を上りきると、すぐ左手に扉が現れた。上には『図書室』と書かれた看板が掲げられている。
「ここ」
優が扉に手をかけた。二人について、俺も中に足を踏み入れる。
「ひっろ……!」
想像の何倍、いや何十倍も広い部屋の中に、所狭しと本棚が並んでいる。天井もかなり高くて、上の方まで本がびっしりだ。これは、思ったより広いとかいうレベルじゃない。
俺が戸惑っていると、優が説明してくれる。
「ここは空間拡張の魔法で部屋を広げてるから、外から見るのと広さが違うんだよ。蔵書数が増えすぎて、普通に使うと本が収まらないらしい」
「ほぇー、スゲー……」
すると、ミヤビがニヤッと笑う。
「零治、キャンセルしたらあかんで」
「いやしないよ。てか、こんな大規模な魔法、俺じゃたぶんキャンセルできないし」
練習してはいるものの、まだまだキャンセルを使いこなすには程遠い。
「お、駿太郎だ」
優が指さす方を見ると、カウンターに駿太郎の姿があった。今は手が空いているのか、座って本を読んでいる。もともと端正な顔立ちの駿太郎だ。なにやら真剣な表情で手元の本に視線を落とし、時折すらりとした長い指でメガネをクイっと上げる仕草は、なんだか絵になる。
「駿太郎って、黙ってたら賢そうなんやけどな」
ミヤビのセリフに、俺と優は思わず頷く。
しかし、俺たちがカウンターに近づくと、駿太郎は一瞬にしていつものふにゃりとした笑顔になった。
「あれ〜、みんなしてどうしたの?」
「零治に図書室案内するついでに、お前の様子見に来たんだよ。……っていうかお前、本とか読むんだな」
優が駿太郎の手元を指すと、駿太郎は読んでいた本をこちらに見せる。
「あ、これ? これはねー、間違い探し!」
「まちがい……さがし?」
優が唖然として固まる。俺とミヤビは吹き出さないようこらえるので必死だ。
「駿太郎が本なんか読むと思った俺らがアホやったな」
そう言いつつもなんだか気になってしまい、四人揃って難問間違い探しとにらめっこをしていると、アンダーリムの眼鏡をかけた生徒が、カウンター横のブックトラックの方から駿太郎に声をかけた。
「来栖。ここにある本、本棚に戻したいんだけど、いま踏み台が使用中でさ。下から八段目の棚までなら僕でも届くんだけど、来栖、どこまで届く?」
話の内容からして、どうやら駿太郎と同じ図書委員の人のようだ。
「えーっと……九……いや、頑張れば十段目くらいまでならいけます!」
駿太郎がカウンターから出てきて、近くの本棚に向かって実際に手を伸ばしてみる。なるほど、確かにこのもう一人の図書委員さんも決して背は低くないが、それでも駿太郎の方が十五センチくらいは高そうだ。
「オッケー。じゃあ九段目と十段目の本は来栖に任せてもいいか? それより下は僕がやっとくから」
「はい!」
「ありがとう、助かる。今度の委員会で踏み台の数増やしてもらえないか掛け合ってみるよ」
そう言いながら、その人はブックトラックから手早く本を取り出していく。
「九、十段目の本はこれで全部かな」
そう言って眼鏡をカチャリと押し上げ、ブックトラックに並んだ本の背表紙にもう一度ざっと目を通すその人に、駿太郎が聞いた。
「あの、背表紙に貼ってある番号を見れば戻す棚の場所が分かるってのは覚えたんですけど、棚の中の何段目かまで分かるんですか?」
すると、その人が微笑んで答えた。
「ああ、それは別に見ても分かんないよ。三年も図書委員やってたら、だいたいこれぐらいの番号の本はこれぐらいの段にあったなーって覚えちゃっただけ」
「スゲー……」
驚く駿太郎に、その人は取り出した十冊くらいの本を手渡す。
「じゃ、これよろしく」
「はい!」
「じゃあ」と俺たちに言うと、駿太郎は本を抱えて本棚の間を進んでいった。背表紙の番号と棚の番号を確認しながら、腕を伸ばして本を立てていく駿太郎を見て、優がポツリと言う。
「案外活躍してるな。……主に踏み台代わりとしてだけど」
確かに、駿太郎の長身がよく活かされている。案外、適材適所なのかも。
そう思っていると、駿太郎に本を渡していた図書委員さんが自分の分の本を棚に戻し終えて帰って来た。駿太郎より少し多いくらいの本を持って行ったはずなのに、本の場所を覚えているからか、並べ終わるのがめちゃくちゃはやい。
「さっきの『図書室を案内しに来た』って会話、少し聞こえてしまったんだけど、もしかしてキミが噂の転校生?」
その人が俺に話しかけてきた。
「あっ、はい。藤巻零治と申します」
噂の、か。俺ってそんなに噂になっているんだろうか、と思いながら、俺は名乗った。
「図書委員長をやってます、三年B組ウインド寮の海貝翔吾です。図書室のことでわからないことがあったらいつでも聞いて」
海貝先輩はそう言って微笑む。眼鏡のせいか、真面目な表情をしていると少し堅物そうな印象があったが、話してみると優しそうな人だ。
「ありがとうございます」
「聞いたよ、バレー部入ったんだってね」
「あ、はい……」
俺は戸惑いながら頷いた。まさかそんなことまで噂になっているのか? すると先輩はこう続ける。
「良いセッターが入ってくれたって、璃久が大喜びしてたぞ」
「リク、さん……?」
俺はそれが誰だったのか思い出せず、首をひねった。
「ほら、キャプテンの真壁璃久っているだろ?」
先輩が言う。
「ああー!」
俺は驚いて頷いた。そういえばキャプテンの下の名前は璃久さんだった。
「すいません、大喜びって、真壁先輩にそんなイメージなかったので……」
練習中は、スパイクやブロックを決めるとガッツポーズをしたりすることはあるものの、集中していて真剣な表情は崩れないという感じなので、大喜びしているところは想像できない。しかし、海貝先輩は笑って続ける。
「ははは、そうなの? アイツよっぽど嬉しかったみたいで、藤巻が入部決めたって日に軽くスキップしながら僕のとこ来て、藤巻はトスもサーブも上手いだの、自分も後輩には負けてられないからどーのこーのだの、ベラベラベラベラ一方的にしゃべっていったよ」
「へー……」
それ、別の人格かなにかなのではなかろうか。それくらい俺の抱く真壁先輩の強面なイメージとはかけ離れている。
「嬉しいなら直接言ってやればいいのにって言ったんだけどね。不器用なやつでごめんね」
「いえいえ、とんでもない!」
そんな言い方に、海貝先輩は真壁先輩と仲が良いのかな、なんて思っていると、駿太郎が一冊の本を抱えて戻ってきた。
「委員長、これ、通路に落ちてたんですけど、変なんです」
駿太郎が海貝先輩に本を手渡す。
「どうした?」
俺たちも何があったのかと海貝先輩の手元を覗き込んだ。
「何だこれ……?」
海貝先輩が呟く。
それは、真っ白な本だった。表紙はもちろん、中を開いても文字や絵は何一つない。文字通り真っ白なのである。
「もしかして、封印魔法かな?」
先輩が言う。
「封印魔法って何ですか?」
俺が尋ねると、先輩は本から顔を上げ、眼鏡のレンズ越しに俺を見た。
「その名の通り、何かを封じ込める時に使う基本魔法。二年生になったら習うよ。たぶんこれ、封印魔法で内容が全部封じ込められてるから読めないんだと思う」
先輩は、もう一度本をじっと見つめる。
すると優が、「あの」と口を開いた。
「それって、零治のキャンセルで解除できるんじゃないですか?」
「あ、そうか! そう言えば藤巻はキャンセル使いだったね」
先輩はパチンと指を鳴らし、真っ白な本を俺に差し出す。
「お願いしてもいいかな」
「えっと、出来るかわかりませんけど、やってみます!」
俺は本の表紙に手を載せ、目を閉じた。
「頑張れ零治!」
駿太郎の応援に後押しされ、俺は手のひらにぐっと力を込める。
集中……。
「あっ!」
ミヤビの声がして目を開けた俺は、目の前の光景に驚愕した。
「文字も絵ぇも出て来たで……」
ミヤビの言う通り、表紙はみるみる色付いていき、なにやら文字が浮かび上がってきた。
「これって……」
タイトルが確認できたと思った瞬間、目の前が真っ白になった。
「うわああぁぁー‼︎」