ダブル・フェイス(後編)
「ナイスサーブ!」
ついに三対三の試合が始まった。久しぶりのボールの感触に、なんだかテンションが上がる。
最初の指示通り、俺は一年生の二人とチームになった。一年E組の和泉哲太くんは、にかっと笑った笑顔が印象的なとっても元気な人で、G組の天野平介くんは、柔和な表情の優しそうな人だ。ゲームを進めるうちに分かってきたが、そんな第一印象の通り、哲太くんはパワフルで大胆な攻撃型、平介くんは冷静で安定したプレーをする選手のようだ。
「零治くんナイストス!」
哲太くんのスパイクが決まり、三人でハイタッチをする。初めて組んだにしては、まずまずのチームワークだ。
その後も一進一退の攻防を続け、結局俺たちは二年生チームになんとか競り勝った。ここでしばらく休憩時間となる。
「零治は良いセッターだね〜! ますますうちに欲しくなっちゃったよ〜!」
無事に予備の綺麗な体育館シューズに履き替えた先生が、ワクワクした顔で言ってくれる。
「そうだよ零治くん! ぜひ入って下さい!」
「一緒にやろう!」
哲太くんと平介くんも熱心に勧誘してくれる。俺は決心して、姿勢を正した。
「こちらこそ、ぜひ入部させて下さい!」
俺が言うと、峰岸先生がどこから出したのか、いきなり紙を差し出してきた。
「そうと決まれば気が変わらないうちに入部届書いちゃって! 廉、ペン持ってる?」
「持ってますけど……そんな悪徳業者の契約の取り方みたいなことしなくても、ゆっくり考えてもらったらよくないですか?」
そう言いながら、利根川先輩がしぶしぶボールペンを先生に手渡す。
「いやいや、うちとしてはこの逸材を逃すわけにはいかないでしょ! もちろんムリにとは言わないけど」
「いえ、出来ることならバレーは続けたいと思ってたんで! ……書けました、お願いします」
俺は学年、クラス、出席番号、名前、所属寮を書いて、先生に提出した。
「ひっ⁉︎」
突然、キャプテンの真壁先輩に両手をガシッと掴まれた。鋭い眼光が俺を捉える。
「……ありがとう。これから一緒に頑張ろう」
「あっはい! よろしくお願いします!」
真壁先輩が一瞬、ふっと微笑んだように見えた。一色先輩や利根川先輩が言っていた通り、もしかしたらシャイなだけで優しい人なのかもしれない、とその時俺は思った。
*
その後も、対戦相手を変えながら何度か試合が行われた。
「次、一年生チーム対三年生チーム! これで時間的には最後になりそうです!」
スコアボードの横から利根川先輩が声をかける。
最後の試合、俺たちは三年の先輩がたに押されつつも、なんとか食い下がっていた。しかし、ゲームも終盤に差し掛かったその時。
「うっ⁉︎」
哲太くんが着地の瞬間、うめき声を上げてしゃがみ込んだ。どうやら足を捻ってしまったようだ。
「大丈夫?」
すぐに先生や部員が集まってくる。
「すいません、大丈夫で……イテッ」
「大丈夫じゃないね」
痛みに顔を顰める哲太くんに、先生が困ったように言う。
「保健室までは歩ける? 零治と平介、肩貸してあげて」
「「はい」」
俺と平介くんは、哲太くんを連れてすぐに保健室へと向かった。
*
「失礼しまーす」
保健室には初めて来た。暖かい色の照明が部屋の中を優しく照らしていて、なんだか落ち着く雰囲気だ。
「はい」と部屋の奥から返事がして、見覚えのある男性が姿を現した。養護教諭の篠宮唯人先生だ。
「どうしたの?」
篠宮先生が心配そうな顔付きで、俺たち三人を見る。先生は俺に気が付いて、一瞬ハッとした表情になったが、すぐに元の顔に戻った。
「ジャンプの着地で足捻っちゃって」
哲太くんが顔を顰めながら言う。
「そこ座って」
先生は足早に哲太くんに近づく。篠宮先生に会うのは遊園地での一件以来だが、今日は白衣を着ているせいか、なんだか雰囲気が違うように感じられる。
「イテッ」
先生が足に触れると、哲太くんは悲痛な声を上げた。
「捻挫かな。湿布貼るから、痛みが引くまでは絶対安静。いいね?」
先生が湿布を取りに立ち上がる。
……ん? なんか変だ。
「えーっと、平介くん、あの先生って、篠宮先生だよね?」
俺は平介くんに尋ねた。遊園地で見た篠宮先生は、終始ふにゃふにゃの笑顔を浮かべていた。が、いま目の前にいる先生は、テキパキとしていて頼もしい感じで、全くの別人みたいなのだ。
「そうだよ。零治くんは保健室来るの初めて? 篠宮先生はアクア使いで、カッコよくて優しいんだよ~!」
平介くんがニコニコして答えてくれる。
「へーえ……」
カ、カッコいい……?
俺の記憶の中の篠宮先生がフラッシュバックする。
『一口ちょーだい♡』
『あーんじゃないの?』
『モモちゃん』
いやいやいやいや。甘えん坊男子の間違いでは⁉︎
とはいえ、あの時遊佐先生と篠宮先生のデート現場を見てしまったことは内密にしてほしい、と遊佐先生に頼まれている。ここは心の中の混乱を悟られないよう、大人しく処置が終わるのを待とう……。
そう思っていると、湿布を取ってきた先生が俺の方を見て言う。
「ああ、キミが転校生の子ね。養護教諭の篠宮です。はじめまして」
いや、いま気が付いたみたいに言ってるけど、絶対俺が入ってきた時から気付いてたでしょ。『はじめまして』を妙に強調してくるあたり、『例の件、絶対に言うなよ』という圧を感じる。
「あ、はじめまして、藤巻零治です」
すると、「はあああ~」とそばで大きなため息が聞こえた。
「今度の日曜……美結ちゃんに『お兄ちゃんの誕生日プレゼント買いに行くの付き合って』って言われてたのに……」
哲太くんがしょんぼりと俯く。
「美結ちゃんって?」
俺が尋ねると、哲太くんが、「幼なじみ」としょんぼりしたまま答える。
「哲太くん、絶賛片想い中なんだよねー」
平介くんが補足する。
そんな俺たちの会話を聞いた先生は、湿布を貼りながら哲太くんに言った。
「結構痛むみたいだし、念のため日曜はまだ動き回らない方がいいと思うよ」
「そんなあ! 久しぶりに会えると思ったのに!」
哲太くんは悲痛な声を上げて天を仰ぐ。
先生が微笑んで続ける。
「プレゼント選びなら、電話とかメールでも相談乗ってあげられるんじゃない? そんで足が治ってから、この前の埋め合わせするねって言ってまたお出かけ誘ってあげればいいじゃん」
途端に哲太くんの瞳に輝きが戻った。
「そっか! そうだよね! 先生ありがと〜!」
「どういたしまして」
先生はクルクルと包帯を巻く手を止めずに答える。
「さっすが先生! 先生って、付き合ったら絶対リードしてくれるタイプじゃん!」
いやいやいやいや、ないないないない。真実を知ってしまった俺は、心の中で首を大きく横に振る。リードなんて…………げっ。ふと視線を移すと、ジトーっとした目で俺を睨みつける先生と目が合ってしまった。い、言いませんよ先生が恋人の前ではデレデレに甘えるタイプだなんて!
「デートとかもオシャレなとこ連れてってくれそうじゃない? 俺なんかは遊園地とかでワイワイ騒ぎたいとか思っちゃうんだけど、子どもっぽいかなあ? オシャレな人ってどんなとこ行くの?」
せ、先生の視線が痛い……。言いません言いません、絶叫マシンで有名な遊園地で大はしゃぎしてたなんて。
「先生は大人の余裕があるって感じだもんね」
平介くんまでそんなことを! 俺は言いませんよ先生、先生がチョコソフトを口の周りに付けちゃうわんぱく少年だなんて言いませんよ。
「先生も好きな人の前では甘えたりすんの?」
「えー、なんか想像できないね~」
もうやめてくれ、二人とも! これ以上やられたら俺は吹き出してしまう!
さっきから先生の視線も怖い。ミヤビのテレパシーがなくとも、『言えばどうなるか分かってるだろうな?』と言ってるのがはっきり分かる……。
「もう、俺の話はいいから! はい、とりあえずこれで様子見てみて。なんかあったらすぐにまた来ること」
「はーい。ありがとうございまーす!」
よかった、終わった……。早いとこ逃げよう。
そそくさと立ち去ろうとする俺の背中に、篠宮先生の声が飛んでくる。
「藤巻くん、来てくれたついでにちょっといいかな? 学校に提出してくれた保健関係の書類で確認したいことがあって」
「はい……」
「すぐ終わるから、二人はもういいよ」
先生がそう言って、保健室には俺だけが取り残された。
「さて……」
ガラガラッと扉を閉めて、先生が俺の方を振り返る。
……もしや、俺は口封じとして消されてしまうのだろうか。さっきの先生の殺気に溢れる視線を思い出し、背中に冷や汗が流れる。
「さっきは遊佐先生とのこと、黙っててくれてありがとう」
先生は低い声でそう言うが、表情は強張っている。
「いえ……遊佐先生からも内密にしてほしいとは聞いてましたし……」
やっぱり書類の話じゃねー! 俺はドキドキしながら答えた。アクア使いってことは、水系の魔法が使えるんだよな? もしかして、氷漬けにされて葬られる感じ?
「遊佐先生はさ、今の教師の仕事、すごく好きなんだよね。俺も、生徒のために一生懸命頑張ってる遊佐先生が大好きだし、力不足だけど応援していきたいと思ってる。だからその、俺のせいで遊佐先生に迷惑かけるわけにはいかないんだよね。それで、その……」
先生は一瞬言い淀んだあと、意を決したように口を開く。
「今後も、内密にお願いします!」
そう言って、先生はぺこりと頭を下げた。
「あ、そういう話ですか。俺てっきり、氷漬けの刑なのかと……」
「は? 氷漬け?」
「いえ、こっちの話です。……先生は絶対にリードしてくれるタイプじゃなさそうですけど、いい人ですね」
「はあ」と先生は戸惑った顔になる。
「大丈夫です! 誰にも言いませんので安心して下さい!」
俺は胸を張って言い切った。ていうか真摯な目でそんな誠実なこと言われて、断れるわけないし! 俺は応援しますよ先生!
「……ありがとう。あーそれから、俺が余計なこと言ったって、モモちゃ……遊佐先生に、言わないでね?」
「わかりました」
「よし」と言って、先生は白衣のポケットから個包装の飴玉を一つ取り出した。
「じゃ、口止め料。大人しく買収されなさい」
先生はニヤッと笑って俺の手の上に黄色い包みを置く。
「別に何もくれなくても言いませんよ」
「いーからいーから。それだけ念押ししときたかっただけだから、もう行っていいよ」
先生はヒラヒラと手を振る。
「失礼しました」と、俺は保健室をあとにした。
篠宮先生は裏表のある人だけど、多分良い人なんだなー。そう思いながら、俺は口止め料を口に放り込んだ。爽やかなレモンの酸味が、口いっぱいに広がった。