第2話 二〇四号室へようこそ(前編)
高校生になって初めての遠足の真っ最中に、自分が魔法使いであることが発覚した俺は、その後、魔法使いが魔法を学ぶための学校、つまり魔法学校に転校することになった。その名も、アナスタシア学園高校。あの日偶然出会ったカップル、遊佐先生と篠宮先生が働いている高校である。
「ついに来てしまった……」
俺は校門の前に立ち、目の前にそびえる校舎を見上げて呟いた。
アナスタシア学園高校は、街の中心部からかなり離れた山のほうにあった。特殊な学校ゆえ、外部の人間が近づかないようにあえて辺鄙な地にあるらしい。
ついに今日から、俺も魔法学校の生徒……。まだイマイチ実感ないな。本当に大丈夫だろうか? そう思っていると、小柄な女性が、敷地の中から小走りで門の所までやってきた。
「ごめんごめん! お待たせ。いらっしゃい、ようこそアナ高へ」
現れたのは、遊佐萌々果先生だ。
「先生。改めて、今日からよろしくお願いします」
俺がぺこりと頭を下げると、遊佐先生はニヤっと微笑んだ。
「こちらこそよろしく」
そして先生は、手の中に持っていたものを俺に差し出してくる。
「まずは、名札とバッジ渡しとくね。これで今日から、藤巻も正真正銘アナ高の生徒」
「ありがとうございます」
渡されたのは、ネームプレートと三種類のバッジ。横長のネームプレートには、『藤巻零治』としっかり俺の名前が刻印されていた。バッジの方は、何かのマークが描いてあるものと、『1B』と書いてあるもの、そして『X』と書いてあるものがあった。
「名札は後ろにクリップが付いてるから、ブレザーの胸ポケットにとめてね」
「はい」
アナ高の制服は金ボタンのついた黒のブレザーに、ピンクと黒のチェック柄ネクタイ、グレーのスラックスと決まっている。中学校も前の高校も学ランだった俺にとっては、なんだか新鮮な感じだ。
「で、バッジは三つともその名札の下につけて。このマークがうちの校章で、『1B』ってのが藤巻のクラス。一年B組。ちなみに担任は私ね」
「そうなんですね! よろしくお願いします」
「どーも。そんで、『X』っていうのは藤巻に入ってもらう寮。ちょうどその荷物、寮に置きに行かないといけないし、説明しながら向かおっか」
先生が、俺の足元にある大きなボストンバッグを見ながら言う。
「はい!」
アナ高は全寮制の男子高校である。というわけで、俺も今日から入寮するべく、荷物をまとめてきていたのだ。俺はバッグを肩にかけ、先を歩き出した先生を追いかけた。
「うちは一応、生徒が使う特殊魔法、要するに得意な魔法が何かによって、五つの寮にわかれてもらってるんだー。炎系の魔法が使える生徒ならフレーム寮、水系ならアクア寮、雷系がフラッシュ寮で、風系がウインド寮、で、それ以外はX寮って感じ。だから、キャンセル使いの藤巻はX寮ね」
先生はポニーテールを揺らしながら、ズボンの両ポケットに親指を引っ掛け、前をズンズン進んでいく。
「それ以外? なんかXだけ雑ですね」
「まあ他の四つに比べてかなり一つ一つの数が少ないからね、まとめてんの」
「なるほど」
そういうものなのか。魔法のことがまだよく分かっていない俺は、頷くしかない。
「あと、もう一つ気になるんですけど」
「ん?」
先生が歩きながら俺の方を振り返る。
「なんか、すごい色んな人に見られてる気がするんですけど」
学校の敷地内に足を踏み入れた途端、すれ違う生徒達にチラチラと見られているような気がするのだ。確かに転校生となるとある程度注目されるのは分かるのだが、なんだかそれだけではないというか……。
「ああ。それは珍しいから噂になってるんだよ」
先生が言う。
「転校生がですか?」
「違う違う」
先生はクスッと笑って続ける。
「藤巻のキャンセルってのはね、X寮に分類される魔法の中でもかなりレアなんだよ。百年に一人いるかいないかくらいじゃないかなー」
「ええっ⁉︎ そうなんですか⁉︎」
驚きのあまり大きな声が出てしまった。俺が百年に一人の魔法使い⁉︎ それサラッと言うことじゃないでしょ! 先生たちと出会って以来、驚くことが多すぎてなんか疲れた……。
「しかも魔法使いなら、幼稚園とか小学校の段階から魔法に関する教育を受けるのが普通だからね。高一から魔法始めるっていうのもめちゃくちゃ珍しい」
ということは魔法の知識ゼロの俺は、九年近く周りに遅れを取っていることになる。ついていけるか不安だ……。
「俺、大丈夫ですかね……」
「大丈夫大丈夫。私も他の先生も頑張るから、藤巻はあんまり気負いすぎずに高校生活楽しんでよ」
先生は明るい声で言う。
「はい……」
「あと、これは藤巻への個人的なお願いなんだけど……」
と、突然、それまで歯切れよく話していた先生が、辺りをキョロキョロと見回して声を落とした。
「何ですか?」
「そのー、私が篠宮先生とあの日遊園地にいたことは、ここだけの秘密ってことで……。別にその、決して仕事そっちのけで職場の後輩に手を出したわけではなく、篠宮先生は高校生の時からの知り合いで……」
「あ、はい。了解です」
俺はあっさりと頷いた。先生にもプライベートってもんはあるし、担任の先生の秘密を言いふらしても俺になんのメリットもないしな。
「はあ……。こんなこと生徒にお願いして申し訳ない」
先生はため息をついて言う。
「いえ、俺は全然大丈夫ですよ!」
「助かる。……はい、着いたよ。ここがX寮」
話をしている間に、俺たちは大きな建物の前にやってきていた。壁面には蔦が伸びていて、いかにも古めかしい趣がある。すると、そんな俺の心を読んだように先生が言った。
「見た目は古いけど、中の設備は結構新しいから、住むのに不便はないと思うんだけどね」
「なるほど」
「藤巻はここの二〇四号室。四人部屋だから、仲良くしてあげてね」
先生はそう言いながら寮に足を踏み入れ、トントンと階段を上り始める。いきなり知らない人と相部屋か〜。上手くやっていけるだろうか。一抹の不安を抱えながら先生の後について階段を上ると、すぐに目的の部屋に到着した。ドア横に『204』と書かれたプレートが掲げられていて、その下のネームホルダーに、三人の名前が書かれた紙が入っている。
「これでよし、と」
先生がそこに、俺の名前が書かれた紙を入れて言った。
「藤巻が来ることは言ってあるから、みんないると思うんだけど」
そう言って、先生は扉をコンコンコンとノックした。
「転校生連れて来たよ。入っていい?」
中から「はい」と返事が聞こえた。心臓がバクバクする。先生がドアを開けた。
「ようこそ、二〇四号室へ!」
「 ようこそ、二〇四号室へ!」
「 ようこそ、二〇四号室へ!」
パンパンパンッと音がして、ひらひらと部屋中に紙吹雪が舞った。見ると、恐らくドア横に名前のあった生徒達であろう三人が、クラッカーを持っていた。
「おい、タイミング揃えろよ」
「ごめん、ミスった〜」
「俺もやわ。ごめんごめん」
三人があーだこーだ言い合うのを見て、遊佐先生は呆れたように両手を腰に当てる。
「お前ら、サプライズするなら成功させろよ~」
「すいませーん」と謝る三人に、慌てて俺は声をかけた。
「いやいや、嬉しいです! 藤巻零治です! これからよろしくお願いします!」
クラッカーまで用意して歓迎してくれるなんて……。ちょっとホッとした。でも、この三人も魔法使いってことだよな。見えない……。三人とも、今日は休日だからかTシャツにチノパンやジーンズといったラフな格好をしていて、ごくごく普通の男子高校生に見える。
「さあさあ、お菓子とジュース買っといたから歓迎会やろ〜」
ルームメイトの一人がそう言ってくれたが、先生がそれを遮る。
「ごめんごめん。申し訳ないんだけど、一旦荷物置きにきただけで、まだこれからいろいろしないといけなくて。歓迎会はあとでゆっくりやってくれない?」
「「「はーい」」」
三人が返事をする。
「じゃ、行こうか」
「はい!」
こうして、俺は新しいルームメイトを残し、二〇四号室をあとにした。