第1話 絶叫
この世には、魔法なんて非科学的なもの、存在しない。そのはずだった。
これから話すのは、魔法なんか微塵も信じていなかったはずの俺が、ひょんなことから魔法使いとして魔法学校に通うことになってしまったことから始まる、一年間の物語である。
*
「いいぃぃ〜〜やあぁぁ〜〜‼︎」
青空の下、断末魔のような叫び声が響き渡る。
「ご乗車、ありがとうございました〜!」
マシンが停止し、係員さんの声で俺は我に返った。
「零治〜。叫びすぎ! こんなんこの遊園地ん中じゃマシな方だぞ」
太一の声がする。誠が笑ってる。あー、そうか、俺、ジェットコースター乗ってたんだ……。隣に座っていた太一と誠に引きずられるようにして、なんとか出口に向かう。
「いやムリ。俺もうムリ。吐きそう!」
「何言ってんだよ~。せっかくの遠足、せっかくの遊園地だぞ。まだまだ絶叫マシン乗ろうって!」
俺の腕をぐいぐい引っ張りながら太一が言う。
確かに、今日は高校に入学して初めての遠足。俺だって出来ることなら楽しみたい。楽しみたいよ。けど……。
「なんで絶叫マシンばっかなんだよ! もっとこうなんか……ないの⁉︎ メリーゴーランドとか!」
すると、そばを歩く誠が呆れたように言う。
「ないよ。ここのウリは絶叫マシンばっかり揃ってるとこだから。ってか、メリーゴーランドあったとしてもやだよ。ゆっくり回るだけとか楽しくないじゃん」
「絶叫マシンよりは楽しいだろ」
「んなわけあるか。……あっ、次あれ乗ろうぜ〜。『スカイダイブコースター』!」
げっ。あのデカいやつ⁉︎ コイツら正気かよ⁉︎ 絶対ゼッタイ絶対ムリ!
俺は意を決し、両腕を引っ張り続けてくる二人を振りほどいた。
「ずぇっったい俺は行かねーからな! 行くなら二人で行ってこい! 待っててやるから!」
俺がそう言うと、二人はあからさまに残念そうな顔になる。いや、一緒に行きたいと思ってくれてるのは嬉しいけども。
「えー、しょーがないなー。じゃあちょっと休憩してな。落ち着いたらまた乗ろ!」
太一が「行こー誠」と呼びかけて、歩き出す。いや、俺はもうこの後も乗らないよ?
「じゃあ後でな!」
誠も、俺の肩をぽんと叩いて太一の後を追った。
「俺、この辺のベンチで休んでるからー!」
二人の背中に声をかけ、俺は近くにあったベンチにドサッと座り込んだ。
はあー、きっつ。マジか。もうホントに乗りたくないわ〜。
一人で絶望的な気持ちになっていると、ふと視線の先に一台のワゴンが目に入った。そばの看板には『ソフトクリーム』の文字。
あー美味そう。ソフトクリーム食おっかな〜。なんて思っていると、ちょうど隣のベンチに、美味しそうなソフトクリームを持ったカップルが座った。俺はなんとなく、聞こえてくる会話に耳を傾けた。
「ん、美味しい!」
女性のほうが、抹茶ソフトらしき緑の渦巻きをスプーンで口に運んで言った。その隣ではチョコソフトを持った男性が、ニコニコしながらその様子を見つめている。
「ほんと? 俺にも一口ちょーだい♡」
男性のほうがそう言うと、女性は抹茶ソフトを差し出した。
「いいよ。はい」
「えー、『あーん』じゃないの?」
男性が甘えた口調で言う。
「は? 自分で食べないんならあげないよ」
「ごめんって~」
女性に突き放すようにあしらわれても、男性はなおニコニコしながら、自分のスプーンで抹茶ソフトをすくった。
すごいなこの人。俺、絶対カノジョ出来てもこんな甘えらんないな。まあ、カノジョできる予定ないけど。
「ほら、口ついてる」
チョコソフトを完食した男性に、恋人らしき女性がハンカチを差し出した。
「あはは、ごめん。ありがとモモちゃん」
男性は淡いブルーのハンカチで口元を拭い、女性に返しながら尋ねる。
「モモちゃん次どこ行きたい?」
「んーとじゃあ……あれは?」
女性が指をさす。
「スカイダイブコースターね! よし行こー!」
げっ、この人達もあれ乗んの⁉︎ 胃からソフトクリーム出ちゃわない⁉︎
そう驚きつつも、ぼんやりと二人の背中を目で追っていると、視界の端に淡いブルーが見えた。
あ、これさっきの人のハンカチ……。落としてったのか。俺は慌ててハンカチを拾い、二人を追いかけた。
「すいませーん!」
幸い、二人はすぐにつかまった。
「あの、これ、落としましたよ!」
女性は、「あっ」と言って、俺が差し出したハンカチを受け取ろうと手を伸ばした。
「すみません、ありがとうござい……!」
突然、女性は驚いたようにちょっと目を見開き、意外そうに俺の顔を見上げた。
「あれ、その学ラン……どこの高校だったっけ?」
「えっ?」
急に何なんだ。なんでこの人、急に俺の個人情報聞いてきたんだ? え、教えたらヤバいやつ?
「たしかこの校章、島山高校じゃなかった?」
男性のほうが、俺の制服に付いた校章を指して言う。
確かにそうだけど、何で今その話?
俺がキョトンとしていると、女性が再び口を開いた。
「今手ぇ触れた時に気付いたけど、キミ、魔力あるよね? なんで魔法学校通ってないの?」
「………………………………は?」
え、真顔で何言ってるんだこの人。新手の詐欺か?
混乱していると、男性も俺の肩にポンと触れて言う。
「あ、ほんとだ! 魔法使いだね!」
待て待て待て待て。怖い。怖すぎる。さっきまでの絶叫マシンとは違う怖さ。この人達何を言ってるんだよ? なんか俺のこと、怪しい犯罪とかに巻き込むつもりか? ここはきっぱり突き放さないと。
「あの、すみません! ふざけないでください。何のつもりか知りませんけど、からかわないでくださいっ!」
俺は二人に背を向け、早足で歩いた。
せっかくハンカチ届けてあげたのにどういうつもりなんだよ。普通のデートしてるカップルだと思ったのにな。
そう思っていると、右手をグッと引っ張られた。驚いて振り返ると、さっきのカップルが立っている。女性が俺の手首を掴んだまま言う。
「もしかして無自覚?」
「無自覚もなにも、俺が魔法使いなわけないでしょ! 俺もう高校生ですよ⁉︎ さすがに騙されませんって」
俺が言い返すと、女性はニヤリと笑う。
「でも、感じるでしょ。今私に掴まれてる手、ちょっと変な感じしない?」
「は⁉」
そう言われて、俺はやっと異変に気が付いた。女性に掴まれている手首が、変だ。磁石の同じ極どうしを近づけた時みたいに、俺の手とこの女性の手が反発しあっているというか……。上手く説明できない、初めての感覚だ。
「なんだこれ……」
俺が思わず呟くと、女性が言った。
「魔力のある者どうしは、触れると分かるんだよ。キミ、間違いなく魔法使い」
「ま、まさか⁉」
こわっ。漫画とか小説だと、ワクワクするようなファンタジックな生活の始まりのシーンになるはずのセリフも、実際に言われるとめっちゃ怖いんだな、と俺はこの時思った。
「ちょっとこっち来て! 説明してあげるから!」
「え、え、ちょっと!」
女性は、すごい力でぐいぐいと俺を引っ張って歩き出した。
*
「でもさモモちゃん、なんで無自覚なの? 普通、生活してたら気付くでしょ」
「私の予想が正しければ、気付かなくてもおかしくない。かなりレアなケースだけどね」
俺は、怪しげなことを言うカップルに、従業員用通路近くの少し奥まった小道に連れ込まれた。人通りがちょっと減って、不安だ。
「なんなんですかホントに……」
「まあまあちょっと待って。これ見て」
女性は、右手の人差し指を俺の前に立てて見せた。次の瞬間……。
「も、燃えてる⁉︎」
ロウソクのように、人差し指の先から小さい炎が上がっていた。
え、幻覚……じゃないよな⁉︎
俺は目をこすって、もう一度女性の指先を見た。やっぱり燃えてる!
「ちょっと手のひら広げて、火に近づけてみて」
女性が俺の方を見て言う。
「えっと、これは……」
「いいからいいから。モモちゃんの言う通りにしてみて。手のひらの真ん中に意識集中させて」
男性が、俺を安心させようとするように微笑んで言う。俺は、渋々言われた通りに手のひらを出した。すると、その瞬間。
「あ、消えた⁉︎」
俺は思わず声を上げた。女性の指先の炎がシュッと消え、あとに細い煙が立ち上ったのだ。
「やっぱり。キミ、キャンセルの使い手だね」
女性が満足そうに微笑んで言う。
「キャンセル?」
「そう。魔法使いといっても、人によって使える魔法はそれぞれなの。私の場合は今みたいな炎の魔法が得意なんだけど、キミの場合はキャンセルって呼ばれる魔法が使えるみたいだね」
男性が「あっ」と声を出す。
「だから自分じゃ気付かなかったのか!」
「そう」と女性が微笑んで続ける。
「普通、魔法を解除できるのはその魔法をかけた本人だけ。でも、キャンセルって魔法は、簡単に言うと相手の魔法を無効化できる。つまり、他の魔法使いが魔法を使って初めて、効力を発揮する魔法なんだよね」
えー! 俺、魔法使いなの⁉︎ いや、この人たちのことどこまで信じていいんだ?
「魔法使いってそんなに周りにたくさんいるもんじゃないから、今まで気付かなかったみたいだね。たぶんご家族の中にも魔法使いの方がいらっしゃらないんでしょう。それ自体は珍しいことじゃないからね」
女性が説明を終えても、俺はしばらく呆然としていた。魔法使い……。魔法使い……。
「あ、そういえば私たち名乗ってなかったね。アナスタシア学園高校っていう魔法学校で教師をしてます、遊佐萌々果です」
「俺は、同じくアナ高で養護教諭をしてます、篠宮唯人です」
差し出された二人の手を見て、俺はここまでの出来事がぐるぐると脳内を駆け巡り、そして、ゆっくりと理解されていくのを感じた。
俺が……魔法使い……。魔法使い⁉ 魔法使いだって⁉
「っええええぇぇぇぇーー‼」
俺の絶叫が、遊園地じゅうにこだました。