第九話 貿易都市ウェスタ
「月光の森」を抜けて歩くこと数日。俺たちは無事、「ウェスタ」の町にたどり着いた。
「月光の森」に転移したのは偶然だったが、港町「アーメリア」からここまで十日は掛かる予定だったので、結果的に時間の短縮になった。
「すごい……。人がたくさんいる……!」
アミラが町の活気に目を見開いている。
実際、「ウェスタ」の町は活気に溢れていた。
至るところで露天が開かれ、道という道に人が溢れている。
「ウェスタ」は貿易都市として栄えた町で、この大陸では王都に次いで大きい都市だ。
冒険者ギルドの大陸本部もあり、大勢の冒険者がこの町を拠点に活動している。
邪竜が根城にしている「ミルノースの塔」に最も近い町でありながら、その活気を失っていないのは、大勢の冒険者たちが町を守っているからだそうだ。
もっとも、ここ「ウェスタ」と「ミルノースの塔」の間には、「暗黒の谷」と呼ばれる大きな谷があるので、魔物の大群が押し寄せてくるなんてことはない。
それでも、他の町と比べて魔物の目撃例が多いのもまた、事実なのだ。
軍が駐在している宿に移動し、ロビーで今後の話をする。
もっとも、邪竜討伐に向け、ミルノースの塔に向かうという基本方針は決まっているため、半分はアミラの歓迎会だ。
「アミラちゃんは月光の森に住んでるって話だけど、買い物はこの町でするのかしら?」
「かいもの……?」
「ほら、森では手に入らない生活必需品とかあるでしょう? お金はどうしてたの?」
「おかね……?」
エリスとアミラの会話がいまいち噛み合っていない。
これはまさか……。
エリスも同じことを思ったらしく、核心に迫る質問を繰り出す。
「アミラちゃん――今まで森から出たことはある?」
エリスの問い掛けに、アミラは表情を変えずに首を横に振った。
なんと、アミラは生粋の野生児だったのだ。
「森の外のことは、本で覚えた。言葉も話せる。大丈夫」
「そういうことじゃなくて……。ごはんはどうしてたのかしら?」
「木の実とか、死んじゃった動物を食べてた」
「お風呂は?」
「森の泉に入ってた」
「お洋服は?」
「おばあちゃんのお下がり」
「スキンケアは!?」
「すきんけあ……?」
エリスが遠い目で、アミラの肌を眺めている。
「と、ともかく、これは一大事よ。年頃の女の子が、そんな質素な生活しか知らないなんて!」
エリスが椅子から立ち上がると同時に、俺の耳元でエリトが囁く。
「ニシヤ、ちょっと来い。大事な話がある」
「えっ?」
訳もわからず、エリトに肩を掴まれ宿屋を後にする。
しばらく歩き続けた先には、人気のない空き地があった。
「ここまで来れば大丈夫だろう」
「エリト、一体どうしたって言うんだ?」
「あそこにいたら、一日中買い物袋を持たされて、歩き続けることになっていただろうからな」
「あぁ……なるほど」
女の人との買い物は大変だっていうのはよく聞く話だ。
実際俺も、高校生の頃までは、母さんの買い物に付き合わされて休日が潰れたことは何度かあった。
「それにな、大事な話というのも嘘じゃない」
「それって……」
まさか……。やめてくれよ。確かに俺に彼女はいないが、理由はそういうことじゃない。
「『月光の森』で、変異種になりかけた狼人間を、お前は1人で倒した。ここ最近の実戦訓練を見ても、魔術も剣術も、出会った頃とは比べ物にならないほど伸びている」
普通に大事な話だった。ふざけてすみませんでした。
「そろそろお前にも、<身体強化>の魔術を教えて良いだろうと思ってな」
「身体強化?」
「そうだ。言葉の通り、自分の身体に魔力を流し、一時的に身体能力を上昇させる魔術だ」
そんな便利な魔術があるなら、最初に知りたかった。
そんな俺の気持ちを態度から察したのか、エリトが言葉を続ける。
「<身体強化>は確かに強力だが、魔力制御が未熟なまま扱えば怪我にも繋がるし、攻撃魔術も疎かになる。剣の技術が未熟なら、<身体強化>無しでは何も出来なくなってしまう」
なるほどな。言われてみれば納得だ。
いきなり魔術2つを同時発動なんて出来ないし、始めから身体能力が高かったら、剣術の鍛練なんてしないだろう。
「だが、今からお前に<身体強化>を教える。この意味がわかるな?」
エリトの言葉に、静かに頷く。そして同時に、納得もした。
「この魔術が、エリトの強さの秘密でもあったんだね。」
「<身体強化>は、最も魔力制御がものを言う魔術だ。そういった意味では、俺の得意な魔術ではある。だが、一応言っておくが、俺はお前との模擬戦では一度も<身体強化>を使っていないぞ」
「えっ!?」
「当然だろう。不公平だからな。だが、今日からはそれもない。一人の騎士として、全力で相手をしよう」
この日から、エリトとの模擬戦は常に〈身体強化〉を発動しながらの鍛練となり、更に過酷なものとなっていくのだった。
――§――
翌朝。宿屋のロビーでみんなと合流する。
昨日は夜遅くまで、エリトに〈身体強化〉の魔術を教わっていたので、エリスとアミラとは、昨日の昼ぶりだ。
「これ……エリスに買って貰った」
アミラが、身の丈程の大きな杖を見せてきた。
木製で先端に青い水晶が埋め込まれた、いかにも「魔法の杖」って感じのやつだ。
相変わらず表情は乏しいが、喜んでいるのが伝わってきた。
魔術や魔法を扱う際には、水晶付きの杖を使った方が効果が上がるらしい。
確かにエリスも、片手で持てる小ぶりな杖を持って戦ってるな。
「買い物ってね、遊びじゃないのよ」
意味はわからないが、エリスは得意気だ。
というか、やっぱり買い物に行ってたんだな。
「さて、これからの大まかな流れだが、まずは西にある『暗黒の谷』を越える。そして、その先の『ミルノースの塔』にいる邪竜を倒す。直ぐに出発したいが、問題ないか?」
エリトが今後の話をし、俺たちに意思確認をする。
だが、俺にはこの町でやり残したことがひとつある。
「この町に学校はある? 森で助けてくれたフィアに、挨拶だけでもしておきたいんだ」
「学校? 彼女がそこにいると言ったのか?」
「ああ。学校で先生をやってるって」
「そうか。助けて貰った礼はしなければな。学校へ向かおう」
エリトたちの同意を得られたので、俺たちは町にある学校に向かう。
この学校は古い教会をそのまま使っているらしく、外観も内装も教会そのものだ。
恐らく、礼拝用の椅子に生徒が座り、授業を受けるのだろう。
恐らくと言ったのは他でもない。学校には、ほとんど人がいないのである。
「お兄さんたち、だあれ?」
1人の少女が、俺たちに気付いて声を掛けてきた。
7~8歳くらいだろうか。緑の瞳に、明るい金髪の癖毛が特徴的な少女だ。
「えっと、俺は西谷。フィア先生に会いに来たんだけど、どこにいるのかな?」
少女の目線に合わせ、少し屈んで問いかける。
「わかんない」
「そうなんだ。それにしても、人が全然いないけど、いつもこうなの?」
「違うよ」
聞いたことしか答えてくれない。いや、聞いたことに答えてくれるというべきだな。
素直な子なんだろう。
どうやらこの学校は、邪悪な竜出現の影響で休校しているらしい。
ただし、身寄りが無く、学校に住んでいる子供もいるため、開放しているのだそうだ。
かなり物騒だと思ったが、この学校には<結界式遠視魔法>というものが掛けられているという。
平たく言えば「監視カメラ」みたいなものだ。
そして、有事の際には<結界式転移魔法>で、警備の傭兵が一瞬で駆けつけるらしい。
さすがはフィアの学校だ。警備は万全だな。
「いろいろ教えてくれてありがとう」
「うん。大丈夫。……あの、ニシヤさん」
「ん?」
「フィア先生がね、『勇者様』が、悪い竜をやっつけてくれるって。本当かな」
こんな小さい子も、邪竜の被害に怯えているんだな。
「大丈夫。先生の言うことは本当だよ」
「私ね、大きくなったら魔術師になって、世界を旅するのが夢なの!」
「そっか。叶うといいね!」
「うん!」
この世界の命運は、俺たちの戦いに掛かってる。この子の夢を潰さないためにも、頑張らないとな。
決意を新たに、俺たちは学校を後にした。
――§――
「薄々気付いてると思うけれど、魔法には『詠唱式』と『結界式』があるのよ」
俺は「暗黒の谷」へ向かう間、いつも通りエリスの座学を受けていた。
結界式魔法は魔法陣を描いて発動するものだ。
詠唱式魔法と比べて発動が難しく、範囲も限定的ではあるが、その分威力が高かったり、効果時間が長かったりと強力なものが多い。
もちろん、結界式魔法も無詠唱で発動可能だが、習得の難易度は詠唱式魔法の比ではないのだとか。
確かに、エリスでも無詠唱の転移魔法は不完全だもんな。
転移魔法は、本来2か所に魔法陣を描いて発動するものなので、無詠唱発動は特に難しいのだそうだ。
「おい! お前たち止まれ!」
しばらく歩いていた俺たちの前方に一人の少年が立ち塞がった。
今日は……すごく楽しかった……! あれが、お買い物……!
本当に初めて町に来たのね。あんなに喜んでもらえると、私も嬉しいわ。
ところで、お兄ちゃんとニシヤさんはどこに行ってたのよ? 気づいたらいないんだから。
エリス。前から言おうと思っていたのだが、お前は買い物が長すぎる。必要なものを揃えればそれで終わりだろう?
どうしてそんなこと言うの? 買い物ってね……遊びじゃないのよ? お兄ちゃん! ニシヤさん! 今からもう一回買い物に行くわよ! ついてらっしゃい!
なんで俺まで!?