第十九話 迫る魔の手
セルラとの戦いから数時間後、俺は「暗黒の谷」の縁に立っていた。
時計がある訳じゃ無いから、太陽の傾き具合と感覚による判断だけどな。
確かこの辺に……お? あれか?
3年前、カラムに教えてもらった隠し通路は今でも健在だった。
「ミルノースの塔」への参道から少し逸れた所にある林。その中の地面に掘られた穴が、「暗黒の谷」の底、すなわちカラムが暮らす村「シリカ」への近道なのだ。
奴はカラムを襲うと言っていた。その真偽は不明だが、一刻も早く谷底へ向かった方が良いのは確かだ。
俺は迷いなく地面の穴に入る。
穴の中は、削られた岩が梯子のようになっている部分が約七割で、残りは緩やかな下り坂だ。
人がすれ違える程度には広いので、一人で降りる分には不自由はない。
日の光は当然差し込まないが、所々に「サレーティエの花」が咲いており、ぼんやりとした明かりを放っているため、視界も良好である。
ここまでなら快適な谷下りだが、問題はここからだ。
「……暑い」
思わずそう呟く。
谷の底の方に近づくにつれ、どんどん蒸し暑くなっていくのだ。
以前エリスが、地熱の影響と言っていたような気もするが、個人的には、風通しが悪いことも原因のひとつだと思う。
いずれにしても、蒸し暑いことには変わり無いからどっちでも良いけどな。
それにしても、クライミングの逆走版みたいな重労働と蒸し暑さが相まって、汗が止まらない。体温を下げる魔法とか無いもんだろうか?
まぁ、無いんだろうな。あるなら以前来たタイミングで、エリスが使ってるだろうし。
こんな能天気なことを考えながらも、目的は忘れていない。移動自体は急いでいるので、かなり谷底に近いところまでは来ているはずだ。
カラムのことだから、そう簡単にやられたりはしないだろうが、セルラは俺との戦いで、本気を出していないようにも感じられた。
何とかして、セルラに追い付かないとな。
「着いた……!」
過酷な逆クライミングの果てに、俺はついに、カラムが暮らす村「シリカ」にたどり着いた。
だが、休んでいる暇はない。とりあえず、カラムがいると思われる、族長の家を目指すことにする。
「シリカ」の村は相変わらず、動物の骨と革で作られていた建造物が建ち並んでいた。強いて言えば、少し建物が増えただろうか?
村を見て回り、被害が出ていないことを確認しつつ、族長の家に向かう。
「カラム様! あっ、いや……えっ!? 『勇者様』!? これは天啓か!」
族長の家に入ると、取り乱した様子の老人が駆け寄ってきた。この家の執事「ゲイル」である。
「ちょっと、落ち着いてください。カラムに何かあったんですか?」
「実は……」
ゲイルから事情を聞く。
今から2時間ほど前、冒険者を名乗る緑眼緑髪の青年が訪ねて来た。
その青年は、なんとカラムに決闘を挑んできたという。
ゲイルは相手にすることはないと進言したが、売られた喧嘩を買わなかったら、一族の名に傷が付くということで、カラムは青年について出ていってしまったらしい。
そう。カラムは俺がいない間に、一族の族長になっていたのである。
流石に村の中で戦う訳にも行かないので、村を出ていったらしい。
危ないからついてくるなと厳命されたゲイルは、不安を堪えながら、一向に帰ってくる気配のない主を待ち続けていた。
そんなとき、俺がこの家を訪ねて来たのである。
「『勇者様』! 勝手なお願いとは承知しておりますが、どうか、カラム様の様子を見てきて頂けませんか!」
「わ、わかりましたから、落ち着いて」
ゲイルに両肩を掴まれて懇願され、思わず了承してしまう。
もっとも、最初からそのつもりだったので、断る理由もないのだが。
それにしても、初めて会ったときから思っていたが、感情表現の豊かな爺さんだ。
今だって、「ありがとうございます!」と叫びながら、俺の右手を両手で握り、上下に大きく動かしている。
どっかの自称王様よりも遥かに好印象だな。
カラムが出ていった方向を聞き、村の出口に向かおうとして振り替えると、俺の足元から、カランという小気味良い音が響いた。
落ちていたのは、1.5L容量のペットボトルサイズの木製の樽。他でもない、俺が持っていた水筒だ。ここに来るまでに中身を飲み干してしまったので、今は空っぽである。
リュックのサイドポケットに入れていたが、今のゲイルとのやり取りで落ちてしまったようだ。
「これは……すぐに中身を補充して参ります!」
気付いたときには、ゲイルが水筒を拾い上げ、家の中へと駆け込んでいた。
「お待たせ致しました! 我が家にある最高の茶葉で入れたお茶でございます!」
1分も経たない内に、ゲイルが重くなった水筒を差し出してくる。
早いな。しかも水じゃなくてお茶を用意するとは。茶葉の抽出時間とか詳しいことはわからないが、ゲイルは執事としては優秀なのだろう。
「ありがとうございます。行ってきます!」
ゲイルにお礼を言い、今度こそカラムを探しに出発する。時間も無いので、水分補給は歩きながらだ。
実のところ、この暑さで喉はカラカラだった。水分補給は喉が乾く前にするのが望ましいとは良く言われるが、贅沢も言ってられない。
水どころか、高い茶葉を使ったお茶まで貰ったのだ。これ以上望むのは欲張りというものだろう。
喉を潤すため、早速水筒の中身を口に流し込む。
「うぶっ!」
俺が口に流し込んだ液体……というより粘性体は、「上級魔力回復薬」だった。
間違えようもない。魔力制御の練習や魔術隷剣の乱用により、この回復薬で何度も(物理的な意味で)苦汁をなめてきたのだから。
そうだ。この村の飲み物は水と"これ"だけだ。前にカラムの家に行ったときにも同じことがあったじゃないか。馬鹿か俺は。
だが、悪いことばかりじゃ無い。セルラとの戦いで消耗した魔力も回復したしな。喉の乾きは……まぁいいや。先を急ごう。
苦くなった自分の吐息を感じながら、俺はカラムが向かったという村の北へと歩いていくのだった。
――§――
「この程度じゃないだろう? もっと楽しませておくれよ」
「ちっ、うるせえよ」
「暗黒の谷」の底。村の族長カラムは、冒険者の青年相手に苦戦を強いられていた。
突然訪ねてきて、族長である自分に決闘を挑んできた、セルラと名乗る緑眼緑髪の青年。
邪悪な竜を倒した英雄のひとりであるカラム相手に力試しをしたいというので、挑戦を受けることにしたのだ。
冒険者として名を上げたいのか、或いはただの力試しか。いずれにしても、単身ではるばるここまでやって来たのだ。無下にする訳にも行かない。
「売られた喧嘩を買う」などと言うのはただの方便だ。
カラム自身は気にしていないが、端から見れば失礼な態度の青年に対して、相応の態度で接しなければ一族の威厳を損なう。そう考える村人も出てくるだろうという判断である。
自分より年下の無謀な青年に胸を貸してやろうくらいに考えていたのだ。つい先程までは。
青年は魔術師だった。
左手に細身のレイピアを構えており、接近戦の実力はそこら辺の冒険者では歯が立たない程度には高い。だが、それだけだ。
カラムにして見れば、本気を出すまでもなく対処できる相手だった。
しかし、彼の身体に拳を叩き込んだところで状況は一変した。
粘性の高い液体を叩きつけた様な感触と同時に、青年が大きく後退すると、レイピアをくるりと逆手に持ち替え、柄に付いた水晶を魔術師の杖のように掲げた。
そして、今までの接近戦は小手調べだったとばかりに、無詠唱で魔法を連発し始めたのだ。
火の玉、風の刃、雷の槍。青年は高速で飛び回りながら、多彩な魔法を放ってきた。
風属性の中級魔法〈ウインドルート〉によって作り出した風のレールに乗って高速で移動しながら、更に複数の無詠唱魔法を同時に発動する。並外れた魔力制御力の成せる業である。
しかも、ただ魔法を発動しているのではない。カラムが攻撃を回避した先を先読みするかのように、的確に魔法を放っているのだ。
もっともそれは、セルラが最初から相手の逃げ道を誘導するように魔法を放っている結果なのだが。
それに加え、カラムが踏んだ地面が一気に冷たくなることもあった。
かつて邪竜を共に打倒した魔術師が使っていた氷の中級魔法。<フロストサークル>だ。
ここで動きを止めてしまえば、カラムの足は凍った地面に固定され、無数の魔法により蜂の巣にされてしまうだろう。
それを理解しているカラムは、風の<精霊憑依>により移動速度を高速化し、足を止めることなく全ての魔法を回避していた。
精霊の魔力のほとんどを回避に割いているため、魔力には余裕があるが、体力はその限りではない。
このままでは、カラムの敗北は時間の問題だった。だが、カラムにとってはそれでも構わなかった。
自分は「魔界の勇者」の末裔である一族の族長であり、村では最も強いという自負もある。たが、世界にはもっと強い奴もいる。
そんな当たり前のことは、とっくの昔に受け入れていた。
(こりゃあ、降参だな)
青年の実力を認め、降参しようとしたカラムだったが、その瞬間、青年がとんでもないことを言い出した。
「かつての勇者パーティーの一人がこんなもんか。この分なら他のメンバーも大したこと無さそうだし、キミたちを皆殺しにして、僕が世界を支配するってのも面白いかな?」
カラムの思考が一瞬止まる。青年の言葉の意味を理解できなかったからだ。
だが、理解より先に感情が沸き起こる。それは純粋な「怒り」だ。
族長として、物事を冷静に考える癖をつけてきたが、本来、カラムは感情で動くタイプなのである。
自分が貶されるのは構わない。この青年が自分より強いことは事実だから。だが、仲間を貶されるのは別だ。
長い付き合いでこそなかったものの、自分の命を救い、両親の敵討ちにも協力してもらい、共に苦難を乗り越えた仲間たち。
彼らを侮辱されることは、カラムにとって決して許容できないことだった。
そして、そんな仲間たちと共に守った世界を、この青年は支配しようと言う。
この瞬間、青年はカラムにとって「倒すべき敵」となった。
「双霊憑依! 〈ムスペルフォーム〉!」
一族に伝わる<精霊憑依>は精霊の力を自らの身体に宿して戦う奥義だ。
契約できる精霊は、普通は一人につき一体。カラムのように、複数の精霊と契約できる者は稀だ。
そんな者ですら、複数の精霊の能力を同時に行使することは困難だ。精々一体の精霊の力を主体とし、もう一体の力の一部を補助として使用する程度。
自分というひとつの器に異なる精霊を同時に入れれば、精霊同士の意思や力が干渉し合い、本来の力を失うのは道理である。
では、精霊たちの意思を上回る精神力を持って、彼らの力を同時に制御できたならばどうなるか……。
普段はカラムの拳のみに集中させている炎の精霊の力が、風の精霊の力により、カラムの全身を包み込む。
その姿は、炎の纏った人間というより、人形を象った炎そのものであった。
そんな彼に、氷の拘束など通用するはずもない。それどころか、殆どの魔法は、着弾と同時に炎に飲み込まれて消えて行く。
「望み通り、楽しませてやるよ!」
炎の化身と化したカラムが、風の様な速さで青年に突っ込んで行く。
その速度は、風の精霊の力の一部を行使していた時の比ではない。今のカラムは、炎と風、2体の精霊の100%の力を完全に制御しているのだから。
「くっ……!」
青年が初めて表情をしかめる。攻防一体のカラムを前に、今度は青年が防戦に回るようになっていた。
一方的に攻撃を仕掛けるカラムに対し、それを避け続ける青年。スピードは拮抗していた。
だが、その拮抗はすぐに崩れることになる。
青年のスピードが上がっていく。カラムはそう感じていたが、実際にはカラムのスピードが落ちていた。
"それ"は、本人にも自覚できない程にゆっくりと、カラムを蝕んでいた。そして――
「がはっ!?」
カラムが突然口から血を吐き、その場に倒れ込む。その身に纏った炎も消え失せていた。
「てめぇ……何しやがった!?」
「ようやく効いたか。月影魔法<腐敗の沼>。空気中に、僕たちの一族以外に拒絶反応を引き起こす特殊な魔力を蔓延させておいた。まぁ、平たく言えば、毒みたいなものかな」
「毒……だと!?」
「あぁ、心配しなくて良い。既に魔法は解いたから、周りに影響はないよ。言ったろ? 『キミ相手に力試しがしたい』ってさ。さて、ここでの目的は果たしたし、次は『月光の森』かな」
青年は、自分の言いたいことだけ話すと、踵を返して去っていった。
「待ちやがれ……!」
声を振り絞るカラムだったが、その声は誰にも届かない。
朦朧とする意識の中、いるはずのない友の声が聞こえた気がした。
(幻聴かよ……。ここで死ぬって訳でもねぇのにな。はっ、笑えねぇ)
そのまま、カラムの意識は闇に落ちていった。
――§――
「カラム!」
激しい轟音と高熱を感じて走って来てみると、そこには意識を失ったカラムの姿があった。
外傷は殆ど無かったが、吐血しており、かなり衰弱しているようだ。
地面や壁が所々大きく抉れているので、ここで戦闘があったことは間違いなさそうだ。
ともかく、このままではカラムの命が危ない。カラムを背負い、村まで急いで戻ることにする。
大の大人をひとり担いで移動するという重労働も、<身体強化>の魔術のおかげで苦ではないのだ。
族長の屋敷に着くと、ゲイルがひっくり返りそうなくらい驚いていたが、すぐに我に返り、ベッドの用意と、<結界式念話魔法>で医者の手配をしてくれた。
執事の名に恥じない見事な手際だ。
ちなみに、たった今〈念話魔法〉に使った結界は、数百年前に魔界の勇者パーティーにいた魔術師が用意してくれたとされているらしい。
エリスが使うような無詠唱の〈念話魔法〉とは違い、同じ結界がある場所にしか繋がらないが、結界を介してさえいれば、誰でも会話ができるという。
エリスのが携帯電話なら、こいつは固定電話ってところか。
当然ながら、医者もこの村に住んでいるため、到着も早かった。
医者が言うには、命に別状はないらしく、暫く安静にしていれば目を覚ますだろうとのこと。
その言葉通り、カラムは数時間で目を覚ました。
「俺は……一体――」
「カラム様!!」
ゆっくりと身体を起こしたカラムに、ゲイルが勢いよく抱きついた。
それだけ心配していたのだろう。ある意味予想通りの反応だ。
「うおっ、爺やか。脅かすなよ。……って、お前! ニシヤか!?」
俺に気付いたカラムが、驚きに目を見開く。
「あぁ。久しぶりだ。元気……ではなさそうだけど、無事でなにより」
改めて見たカラムは、俺の記憶よりだいぶ大人びていた。顔つきもそうだが、身体も少しがっちりした様な気がする。
俺にとっては数日ぶりだが、向こうにとっては3年ぶりなので、若干の温度差があるのだが、ここまで喜んで貰えると、こちらも嬉しくなってくる。
だが、喜んでばかりもいられない。つい先程まで、カラムは死にかけていたのだ。先ずは状況を確認しないと。
「それで、一体何があったんだ?」
「ああ」
カラムを追い詰めたのは、やはりセルラだった。
俺からも、同じ奴に襲われたことを話す。
確かにあいつは強かったが、カラムでも勝てなかったようだ。
腕試しとか言っていたそうだが、俺の時といい今回といい、どうにも目的が読めないな。
俺やカラムがこうして生きている以上、殺意は無いようだが。
「そうだ! あの野郎、『次は月光の森』とか言ってたぜ!」
「なんだって!?」
カラムから衝撃の報告が入る。
「月光の森」といえば、アミラの故郷だ。ここまでの流れから言って、俺たち、つまり邪竜討伐に関わった人間が標的にされているのは間違いない。
「こうしちゃいられねぇ!」
カラムも同じ事を考えたらしく、顔を顰めながらもベッドから起き上がる。
「カラム様! どうかまだ安静に――」
「仲間が危険だってのに、いつまでも寝てられるか!」
制止するゲイルを、カラムが押し退ける。
「本当に大丈夫か?」
「おう。行こうぜ、ニシヤ」
少し足元がおぼつかないカラムに対して、一応聞いてはみるものの、予想通りの答えが返ってきた。
カラムの人柄を考えれば、仲間の為なら無理してでも行こうとするよな。
ならば、これ以上の説得は時間の無駄だろう。
それに、カラムには悪いが、アミラが心配なのもあるしな。
「わかった。ただ、本当に辛くなったら必ず言って欲しい」
「おうよ! んじゃ、ゲイル。暫く留守にするからな!」
散歩にでも行くかのように話しながら、リュックに必要なものを手早く詰め込むカラムに対して、ゲイルは深く溜め息を付く。
「……わかりました。くれぐれもお気を付けて。『勇者様』、勝手なお願いで恐縮ですが、カラム様をよろしくお願い申し上げます」
「わかりました」
ゲイルは驚くほどあっさりと引き下がった。
長い付き合いなんだろうし、言っても無駄だと諦めているのかもしれない。
「それじゃ、行こうぜ」
こうして俺たちは、貿易都市「ウェスタ」方面の抜け道から「暗黒の谷」を抜け、「月光の森」へと歩き出すのだった。




