98話 ハイン、引越しを経て特級クラスへ編入す
「へぇ……凄く広いんだねぇ、特級クラスの個室って。備え付けの設備も、上級とは段違いなんだね」
イスタハが荷物を手際良く箱から取り出しながら言う。
「あぁ。部屋で自炊はもちろん、小さいが湯船にも入れるからな。俺はこれで充分だけど、ハキンス級の首席や首席候補が入れる個室はこれ以上だぜ。広さも備え付けの設備もな。それよりもイスタハ、荷物の運び出し手伝ってくれてありがとな」
自分も同じように箱から取り出した荷物を机に並べていく。
「ううん、気にしないでいいよ。僕もヤムもプランもちょうどクエストや授業が無かったしね。それに、ハインも早く新しい環境に慣れてゆっくりした状態で特級クラスの初日を迎えたいでしょ?」
イスタハの言葉に頷きながら、箱の前で何やらわぁわぁ言っているヤムとプランの方を見る。
「くっ……重さ的にこれかと思ったが、軽めの書物と筆記具の箱だったか……無念……」
「わ……わたしもまた外れです……残念……ハ、ハインさまの肌着の箱……早く見つけないと……えへへ……」
……何やってんだあいつら。そう思っているとイスタハが二人に声をかける。
「ほらほら。サボってないで二人ともとっとと手を動かす。ここに来るまでに約束したでしょ?『開封した箱の中身は自分が責任持って整理しながら配置しつつ片付ける』ってさ」
イスタハにそう言われて、慌てててきぱきと動き出す二人。それを見ている自分にイスタハがそっと耳打ちする。
「……服や肌着の箱は、あらかじめ僕が別の場所に移してあるから安心してねハイン」
それを聞いて二人の意図を何となく察する。
「……ありがとなイスタハ。色んな意味で助かったわ」
かくして、三人の協力を得た事によって自分の新居の準備は期日を前にあっという間に整った。
「……よし。これで出来上がりだ。皆待たせたな。こんなんじゃお礼にゃならないだろうが、遠慮なく食ってくれ」
そう言って自分が作った料理を皆が座るテーブルの前に広げる。
「……うわぁ、具沢山なスープだなぁ。むしろ鍋っていっても良いね。それに美味しそう。ハインは本当何でも出来るよね」
「くっ……スープにサラダ、手軽につまめる一品料理の数々……師匠がここまで料理が出来るのは計算外でした……未来の妻としてはこのレベルを超えねばならないのですね……」
「う……うふふ……どれも美味しそうでよだれが……す、既に心が掴まれているのに胃袋まで掴まれてしまう私……えへへ……」
新居の支度が予想外に早く終わったため、手伝ってくれた三人に心ばかりの例として自分の手料理を振る舞う。気分転換にもなるし新しいキッチンに慣れるためにも良い機会であった。
「おう。具を食い終わったスープにはパンを浸しても良いし、米を入れて卵を落としてかき込んでも美味いぜ。ま、ひとまず食ってみてくれよ」
ヤムやプランはともかく、イスタハまで美味しそうに自分の作った料理をがっつくように食べてくれる光景を見ると作った甲斐がある。
イスタハたちが自分の料理を褒めてくれるのはありがたい。言ってみれば四十路男性の手料理を若者に食わせているようなものなのだから。必要に応じて覚えた料理の技術だが、新鮮な食材とそれを調理出来る環境と余裕がある事に改めて感謝する。
(……今のこいつらにはとても言えないが冒険者として旅に出たら、当たり前に火を起こせて調理器具や調味料が使える事の幸せを嫌でも実感する事になるからな)
旅の途中で死にかけながら口にしたとても食事とは言えない数々の体験が脳内によみがえる。
肉を手に入れたは良いものの、火を起こせる状況ではないため腐る前に塩だけを振りかけ生肉に必死に齧り付いた事。飢餓状態に陥る一歩手前の中、水も失った中で生き延びるために無毒の虫や青臭い野草を涙目で口に運び噛み潰して咀嚼した事。
いずれも魔王を倒すためという目的はあれども『ただ生きる』という己の生存本能が死に打ち勝ったからだという事は死ぬまで忘れる事はないだろう。自分の作った料理を美味しそうに頬張るイスタハたちを見て、自分はともかくこの三人には出来るだけあんな体験をさせたくないと思った。
「……ハイン?どうしたの?早く食べないと僕たちだけで食べ尽くしちゃうよ?」
三人の様子を眺めていると、それを不思議に思ったのかイスタハがこちらを見ながら言う。
「……あぁ。じゃ、俺も頂くとしようかね」
そこからは自分も食事に加わり、楽しい団欒の時間を過ごした。
「ふぅ……我ながら美味かったな。にしても、まさか全部平らげてくれるとは思わなかったぜ。余るつもりで仕込んだんだけどな」
イスタハと二人、食べ終えた皿や食器を洗いながらそうつぶやく。洗った食器を丁寧に布で拭きながら棚に戻しつつイスタハが言葉を返す。
「あはは……美味しかったのもあるけど、ハインが帰ってきて久しぶりに四人でこんなにゆっくり出来たのも大きいかもね。ヤムもプランもこんなにはしゃいでいたのは久しぶりだったと思うよ」
そう言ってソファで爆睡している二人を見つめる。よせば良いのに自分が酒を飲んだら自分らも飲みたいと言い出し、たかだか数杯でこの有様である。もっとも、二人からの過度のボディータッチが増えてきたので酷くなる前に酔いつぶれてくれたのは幸いではあったのだが。
片付けを終え、イスタハと自分のグラスに酒を注ぎ、皆に考慮し窓を開けてタバコに火を点ける。一服しているとイスタハが声をかけてくる。
「……ハイン、大丈夫?何か、考え込んでいるように見えるんだけど」
イスタハの言葉に無言でタバコを一口吸い、グラスの酒を一気に煽る。
「まぁな。いよいよ特級クラスに行くと思うと、色々思うことがあってな」
自分の言葉に無言になったイスタハを横目に、またタバコを一口吸いながら考える。
(今までは過去の経験や技術でどうにかなった。……ただ、特級クラスに進級したこの時点で、既にマイナスのスタートから始めなければいけねぇ事があるんだよな)
そんな事を考えている自分の横顔を不思議そうに見つめるイスタハ。その後はヤムとプランを叩き起こし、自分の部屋にこのまま泊まると騒ぐ二人を引き摺るようにイスタハが連れ帰りその日の宴は終わった。三人が帰った後、風呂を済ませてベッドに横たわりこれからの事を考える。
(さて……ここからだ。ここからがまた新たなスタートだ。……だが、転生前と違って嫌われた状態から出会わなくてはいけないっていうのが分かっているのはどうしたもんかな)
そんな事を思いながら眠りに就く。そうして、あっという間に特級クラス編入の日を迎えた。
「……では、本日より特級クラスに編入する隊士を紹介しよう。ハイン=ディアン君だ。皆、よろしく頼むよ」
ムシック教官の言葉の後に壇上に立ち、クラスを見渡した後に口を開く。
「ハイン=ディアンです。本日より特級クラスに編入しました。皆様、よろしくお願いいたします」
まばらに拍手が起こる中で、一人だけ本気で手を叩くテートの姿が見える。
「うむ!ようやく来たかハイン!これからは共に高みを目指そうぞ!」
苦笑しながらも普段と変わらぬ態度のテートに少しほっとする。申し訳程度に会釈をして挨拶を終える。そうしているとムシック教官が言う。
「うんうん。頑張ってくれたまえよハイン君。さ、君の席はあそこだ。では席に着いておくれ」
ムシック教官の言葉に頷き、窓際の後ろの席に向かおうとした時、小声で自分に向かって小さく声が聞こえる。
「……調子に乗るなよ。『成り上がり』組がよ」
吐き捨てるようにその言葉を自分に向けて放った声の主に視線を向ける。そこには自分を睨みつける黒髪の長髪の青年の姿があった。
……コーガ=ソビレーコ。
かつては特級クラスの親友であった彼から、隠そうともしない敵意の視線が向けられた。




