92話 独白のち、戦闘再開す
「ぐっ……!!」
突然したたかに地面へ叩きつけられた痛みと衝撃で、あやうく気を失いそうになった。背中越しに咆哮が聞こえる。
「……ぐううっ!」
夫人との会話に気を取られている間に、意識を取り戻したラジブが自分を押さえて叩きつけたのだとそこでようやく把握した。
「……このっ!」
トキヒが身を挺してラジブに体当たりをかましてくれたおかげでラジブが倒れて拘束が解け、すかさず痛みに耐えつつ立ち上がって呼吸を整える。
(痛っ……油断したな。あの状態からこんなに早く意識を取り戻すとは想定外だった。しっかり拘束しておかなきゃいけなかったな)
そう思いながらラジブから視線を外さずに身構える。先程まで無言を貫いていたラジブが立ち上がり口を開く。
「……離れていてください奥様、お嬢様。……こやつらの始末は……私が」
壁の近くにあった火かき棒を手に取りながらラジブが言う。
「……あんた、そうやって何人もの人間を殺めてきたんだな」
ナイフを構えつつトキヒがラジブに言う。少しの間を置いてラジブが答える。
「……お前たちに何が分かる。……私の申し出が発端で、奥様やお嬢様は今も苦しんでおられるのだ。ならば、私は命を賭してでも……己の手を汚してでも、お二人を守る必要があるのだ」
「……お嬢様たちは、それで良いのかよ?」
トキヒが夫人の後ろにいる姉妹に目を向けて言う。
「……仕方ないじゃない。でないと、私たち死んじゃうんだから」
小さな声でナノハが口を開く。隣のシーホは無言で俯いたまま何も言わなかった。
「……いや、にわかには信じられないけどよ、生きるためとはいえ人間の血とか心臓とか……」
トキヒがそこまで言った時、トキヒの言葉を遮りナノハが突如激昂して叫ぶ。
「……仕方ないじゃない!貴方に何が分かるの!?発作が起きた途端に肌がひび割れ、痛くて……苦しくて……とても立っていられなくなって地面に這いつくばって呼吸すらままならなくなる気持ち、貴方に分かるの!?分かる訳ないわよね!」
その勢いに圧倒され、黙り込んだトキヒを無視してナノハが言葉を続ける。
「……人の血を口にして、供えられた心臓に触れて、ようやくその痛みから解放されるの。私たち姉妹の生き方が正しいとは思ってない。でもね、私たちはそうしないと生きられないのよ。お母様やラジブの為にも私たちは生きていく。……この館でずっとね」
最後のナノハの言葉に一瞬の躊躇いがあったのを見逃さなかった。彼女もそれが正しい事だとは本心から思っている訳ではないのだろう。ただ、自分たちの為に手を汚し続けている母親やラジブの事を慮って言葉を飲み込んだのだと思った。
「……カノアさんは、どう思いますか?そして、どうしますか」
一連の流れを無言で見ていた自分に夫人が声をかけてくる。シーホも自分の方を見つめている。
「……正直、俺には分かりません。その立場に立っていない自分が何を言ったところで……綺麗事や理想論にしかならないと思うので」
そこまで言った後、思わずシーホから目を逸らしながらもはっきりと顔を上げて言う。
「……ですが、この事態を見過ごす事は出来ません。この館が存在する限り、犠牲者が出続けるというのなら、自分はそれを止めなければいけないと思います」
そう言って改めて剣を構え直した。
「……残念ですね。では貴方達にはここで消えていただきます。……ラジブ、準備を」
そう夫人がラジブに言うとラジブは無言で頷き、ローブの中から何かを取り出す。ガラス製のコルクの蓋がされた液体の入った小さな小瓶だった。蓋を開け、それを口にするラジブ。
「……おいハイン。あいつ、何を飲んでるんだ?」
ラジブの様子を見ながらトキヒがこちらに尋ねてくる。
「……さぁな。だがこの状態でわざわざ口にするんだ。俺たちにとってろくでもねぇ物だって事は間違いないだろうな。身体強化系の類だろうな。しかも即効性のな」
魔術具や呪術具のなかには飲料タイプの物も存在する。回復薬や解毒薬のように、飲むことによって効力を発揮する物である。この状況で飲むという事は『筋力強化』や『速度強化』の類のブースト関連のものであろう。そう思っていると自分たちの会話が聞こえた夫人が口を開く。
「その程度の薬だと思いますか?それならば貴方達はこの後、死の間際まで後悔する事になるでしょうね」
夫人のその言葉に、思わずラジブから視線を外し夫人へ問いかける。その口ぶりに思い当たる節があったからだ。
「……まさか、今あいつが飲んだ薬も……『外法』の類か……?」
自分の言葉に夫人が言葉を返す。
「……いくら自分に罪の意識があるとはいえ、それで簡単に人を殺める事が出来ると思いますか?ラジブが今口にしたのは麻薬を元にして調合された薬です。痛覚遮断や興奮剤をはじめ、理性を麻痺させて自らを戦闘狂と化すためのね。薬が切れるまでの間、ラジブは私たち以外の存在の心臓を抉り取る存在と化すでしょう」
夫人がそう述べると同時、ラジブの咆哮が室内に響き渡った。
「おい!ヤバいぞハイン。……あいつ、明らかにさっきまでと雰囲気が違うぞ」
ナイフを握り構えるトキヒの横で、殺気を放つラジブから視線を外さずに剣を握り締めた。




