80話 ハイン、例の部屋に侵入を試みる
「……それでは失礼いたします。奥様、それにシーホ様にナノハ様。自分は茶葉の在庫と冷暗所の温度に異常がないかを確認して部屋に戻らせていただきます」
そう言って夫人と姉妹に一礼する。穏やかな笑みを浮かべて夫人が言葉を返す。
「えぇ。今日もご苦労様でしたカノアさん。よろしくお願いしますね」
夫人の言葉に無言で改めて三人に一礼して部屋を後にする。
(……さてと。これでまた少しあの辺りを調べられるな)
時間が惜しいので足早に保管庫近くの例の部屋へと向かう。
「……よし、辺りに人の気配はねぇな」
慎重に周囲を見渡しながら、例の部屋の近くへ辿り着く。警戒しながら部屋周りを見渡す。
(……やっぱり、増築されている部分はこの部屋で間違いねぇ。まずはこの部屋に入る必要があるな)
そう思いドアノブを慎重に回す。当然だが鍵がかかっている。
(当たり前だよな。さて、この鍵の形状は……)
鍵穴を見つめ、形状を確認する。
(……よし。このタイプの鍵なら何とかなりそうだ)
冒険者として旅立ち、とある盗賊をふとしたきっかけで助けることとなり、そのお礼として鍵の解除に複製技術や侵入時の注意点などを過去に教わった事がある。彼は盗賊連中の中でも極めて優秀で、未経験の自分でも簡単に出来る手法を教えてくれたし、盗賊としての知識は人を魔物へ置き換えれば奇襲や逃走経路の確保手段に始まり、自分の冒険に大いに活用出来るものばかりであった。
いくら恩人とはいえ、自分の飯の種でもある貴重な知識や技術をそんなに簡単に教えてしまって良いのかと、当時尋ねた自分に彼は笑って言った。
『商売敵の連中や役人なら、たとえ殺されたって教えないよ。あんたなら、たとえ出来ても間違った事には使わないって思うからだよ。悪党の俺が教えたことがいつかあんたの役に立つならちょっとはお天道様に顔向け出来るってもんさ』
そう言って笑った彼の顔を思い出す。事実、彼のその技術や知識には何度も助けられた。そして、今まさにまたその技術に助けられる事になる。
「……よし、今日はここまでだな。まずは必要な道具を揃えるところからはじめなきゃいけねぇとな」
そう思い部屋から離れ、本来の業務である茶葉の確認をするために保管庫へと向かった。
「……よし、これで材料は揃ったな」
あれから二、三日かけ、鍵を開けるための道具を揃えた。とはいっても、さほど難しい材料はなかった。鍵穴を回せる最低限の薄さと幅の金属、それより更に薄い金属板、あとは針金程度である。これを少し加工すれば、あの鍵を開けることは可能だろう。
(……まぁ、中にまた鍵がある可能性もあるからな。その時はまた考える必要があるが、今はあの部屋に入るのが最優先だ)
そう思いながらも手に入れた金属板を削り、鍵穴に入れやすいように加工する。改めて相部屋から個室になった事に感謝する。一人の時間がなければこの作業は不可能であった。
しばし無言で金属を削る作業に集中する。
「よし……もう少しだ。あとは先端部分をもう少し薄くして……」
そう思っていると、突如部屋をノックする音が聞こえ、慌てて我に返る。
「おーいカノア。いるんだろ?たまには飲もうぜ。酒もタバコも用意したからよー」
ドアの向こうからリーゼの声が聞こえる。……あと一息だというのにタイミングの悪い男だ。だが、ここで下手に断ればあいつに下手な疑問を抱かせることになりかねない。やむなく作業を中断し、作業道具一式を見えないところに隠して痕跡を残していないことを確認してからドア越しに返事をする。
「あぁ。分かったよ。開けるから少し待っててくれ」
用具一式は決して見られない場所へ隠したのを再度確認し、作業で汚れていた手を入念に洗い、付いていた金属片を洗い流す。タバコに加えてあらかじめ作業中は香を焚いていたので匂いの心配も無いだろう。手の汚れを落としたのを最後に確かめ、窓を開けてようやくリーゼを招き入れる。
「待たせたな。さ、入ってくれ」
自分が言うと同時に酒瓶を手にしたリーゼが口を開く。
「ん?何だこの匂い。……あぁ、お香の香りかよ。白檀か?お前さん、男の癖にそんなのも焚くんだな」
やはり匂いに対して突っ込んでくるリーゼ。タバコを吸いながら煙を一口吐き出しながら言葉を返す。
「……あぁ。リラックスしたい時に時々な。タバコの匂い消しって目的も兼ねてって感じだけどな」
その言葉に特に疑問を感じた様子もなく、自分もタバコに火をつけリーゼが言う。
「へぇ。そんなの気にするタイプだったんだな。俺は全く気にしたこともないぜ」
そう言いながらタバコを吸いつつ、勝手に自分の部屋のグラスを二つ用意したかと思うとさっそくグラスに酒を注ぎ始める。この様子なら大丈夫だろう。
「さ、まずは飲もうぜ。今日は一日お嬢様のお稽古事の話し相手になって疲れちまったんだよ。寝酒するにも話し相手がいないとつまらなくてよ」
そう言ってから飲み会が始まった。もっとも、リーゼが一方的に自分はどれだけお嬢様と親密になったとか、使用人同士でのトラブルや好き嫌いによる愚痴を延々と語り、それに自分が相槌を打ったり適当に返事を返す程度のものだったが。
(……こりゃ、残りの作業は明日だな)
深酒になる事を覚悟し、今日の作業は諦めてリーゼに付き合うことにした。翌日、眠気を堪えて作業を再開し無事に作業は完了した。
「……それではシーホお嬢様。ご希望された銘柄のブレンド茶葉を用意して参ります。茶葉を合わせるのに少々お時間を頂きますので、しばしお待ちください」
そう言ってシーホに一礼する。椅子に座ったままのシーホがにこやかに笑う。
「急がなくて大丈夫ですよカノアさん。面倒な注文をしてごめんなさいね。待っていますのでゆっくり準備なさってくださいね」
改めて一礼してから部屋を出て、足早に保管庫に向かう。……計画通りだ。
シーホから要望された茶葉は、既にブレンドを事前に済ませ用意してある。あとはここに運ぶだけの状態にして準備済みである。つまり、その時間を利用して例の部屋の鍵を開ける時間が確保出来る状況なのだ。
(……このチャンスを逃すわけにはいかねぇ。何としてもここで鍵を開ける必要がある)
最新の注意を払い、例の部屋の前へと辿り着く。幸いにも周りに人気がない事を確認し、懐から開錠のための道具を取り出し、鍵穴へ慎重に差し込む。
(開け……開いてくれ……)
片方の手に力を込めつつ、もう片方の手で慎重に鍵穴を回す。その状態で一、二分経過したその時であった。
かちり、と音がしたかと思うと同時にドアノブが回り、扉が開いた。




