73話 ハイン、潜入のため面接を受ける
「お待ちしておりました。えぇと……カノア=ルーブさんでお間違いなかったですか?」
いかにも、といった風体の品の良い老紳士がテーブル越しに自分に問いかけてくる。
一瞬偽名を呼ばれて反応が遅れたが、面接という雰囲気だったのが幸いし、違和感を与える形にはならなかった。
「はい。本日はよろしくお願いいたします」
着慣れない礼服に居心地の悪さを感じながらも、自然な所作を心掛けながら答える。つくづく心の中でイスタハに感謝する。……かなりのスパルタではあったが。
『ほら、食器の並べ方また間違ってるよハイン。ナイフは右側、フォークは左側だよ』
『また歩き方がいつもの形に戻ってる!もっと顎を引いて!上に引っ張られるイメージで背筋を伸ばす!』
『きちんと襟を正す!ボタンはきっちり上まで留める!食事の時は音を立てない!』
……思い出すだけで身震いする。まぁ、そのお陰で今こうして違和感なく目の前の相手と対峙し面談が出来ている訳だが。
「……なるほど。以前の奉公先が主人の不幸により無くなったため、新たに勤め先を探しているという事ですね。お伺いした感じとこうしてやり取りを見たところ、一通りの作法や技術はお持ちのようですね」
自分の顔と目の前の書類を見比べながら老紳士が言う。ムシック教官が手配した偽の身分証明書なのだが、完璧に作り込まれてあるのでまずバレる恐れはないだろう。勿論、内容は事前に完璧に頭に叩き込んである。
(礼服の着こなしや相応しい髪型も、イスタハや教官に教わりきっちり覚えたからな。馬子にも衣装、じゃねぇが、見た目はそこそこ様になっているはずだから、この面談を乗り切れば何とかなる)
事実、着こなすには苦労したが、いざ髪型を整え礼服に身を包んだ自分の姿を鏡で見た時は思った以上の出来映えに驚いた。自分以上に驚いていたのはヤムとプランであったが。
『す……素敵です師匠……!普段の姿ももちろん素敵ですが、これは師匠の新たな一面を垣間見たというか……!』
『ハ、ハインさまのお姿……素敵……ネ、ネイルス家親族とのお顔合わせは、是非その格好で……うふふ……』
興奮気味な二人の反応がやけに怖かった。イスタハは仕上がりに満足気だったし、所用があってそのままの格好で会いに行ったタースには爆笑されたのを思い出す。
(……ともあれ、ここまでのやり取りは問題ないはずだ。あとは、自分も含めかなりの人数が面談されているから、どこでふるいに掛けられるかと、どれだけ面談が続くか、だな)
胸中で色々と考えながらも、老紳士からの淡々とした質問に受け答えをし、ひとまず面談が終了した。
「はい、以上で面接は終了です。結果はこの後すぐにお知らせいたしますので、こちらの部屋でしばらくお待ちください」
老紳士にそう言われ、部屋の前へと案内される。その時、部屋の扉の前に飾られた調度品が目に付いた。
「……すみません。その前に少し失礼いたします」
そう言って懐からハンカチを取り出し、指紋が付かないように慎重に調度品の向きを整える。調度品の位置を直し、ハンカチを再び懐にしまったところで老紳士が声をかけてくる。
「おや、これは失礼。どうやら、館の者が磨いた際に向きを違えたままにしていたようで。……しかし、よくそれをお気づきになられましたな」
感心しきり、といった表情の老紳士に向かって冷静を装い答える。
「……いえ、こちらの調度品ですが、扉の前に左右で対になるように並べられている物のように見受けられたので。向きが揃っていた方がより美しく見えると思ったまでです。出すぎた真似をして申し訳ございません」
そう言って頭を下げつつ、胸中では面接官を努めているであろう老紳士に好印象を与えた事を確信した。改めてイスタハに心の中で感謝する。
『あ、参考程度に覚えておいてね?大きな屋敷に飾られている美術品や調度品って、結構こだわりを持って飾られている場合が多いんだよ。単純に成金趣味の連中は、むやみやたらに価値のある物をこれ見よがしに並べたり、無造作に並べている事もあるから一概には言えないけれどさ。ただ、対になっている物や色違いで綺麗に揃えている場合は、ちゃんと価値とこだわりがあってそこに展示していたり飾っている場合が多いから、一応教えておくね』
事前にイスタハからそう聞いていなかったら、当然だが調度品の置き方など気付かずにスルーしていただろう。無論、今の一連の流れが査定にどれほどプラスになるかはさておき、老紳士へのアピールポイントになった事は間違いない。自分の行為が正解だった事に安堵していると、老紳士が扉を開きながらこちらに声をかけてくる。
「ではカノアさん、こちらの部屋でしばしお待ちください。有り合わせではございますが軽食とお飲み物をご用意しておりますので、合否の連絡があるまでこちらで待機をお願いいたします」
そう言ってこちらに一礼して老紳士は部屋を後にする。ひとまず解放された事に安堵し、まずは喉の渇きを癒すべく用意されたドリンクコーナーへと足を運ぶ。
老紳士に通された大部屋には、既に面接を終えた連中が集まり、思い思いの時間を過ごしているようだ。
(……思ったより多いな。まぁ、使用人にしても下働きにしても高めの賃金と待遇だから無理もねぇか)
ざっと部屋内を見渡しても、明らかにどちらを目当てに面接を受けに来たのかは明確に分かった。
自分の様に使用人側で面接を受けに来た面子は礼服に身を包み、最初から下働きや外仕事を応募したであろう連中は私服姿である。
(面接の感じならまず問題はないとは思うが、最悪外仕事でも構わないからまずは受からないと話にならねぇからな。さて、どうなるか)
一時間ほどその場で待機していると、先程の老紳士と同じく身なりの良い面々が扉を開き、会場に響き渡るボリュームかつ、良い声で話し始めた。
「皆様、大変お待たせいたしました。これより、採用された皆様の名前をお呼びいたします。名前を呼ばれた方はこちらへお越しください」
その後、外仕事の面々から採用者の名前が呼ばれ、いよいよ使用人の採用者の名前が呼ばれ始める。
「……最後の方になります。カノア=ルーブさん。使用人の採用者は以上になります」
自分の名前が呼ばれた事に安堵し胸を撫でおろす。どうにか最初のミッションは無事に達成出来たようだ。
かくして、自分は使用人として館に潜入する事に成功した。




