72話 ハイン、進級に向け動き出す
「テスト……ですか?」
ムシック教官の言葉に、思わずそう呟いた。
「そそ。普通なら進級試験に面談、加えて認定試練を踏まえて特級に上がるのが本来の流れなのだけれど、多分君なら時間はかかっても、きっと順調にそれをクリアしちゃうと思うんだよね」
教官の言葉に確かに、と思った。
実際、当時の自分は言われる通りの手順で特級へ進んだ。そして、その流れで特級へ進むのであれば今の自分なら教官の言うとおり、時間さえかければ間違いなく進級出来るだろう。
(別に、施設を早く出る事が目標って訳じゃねぇ。……ただ、少しでも早く特級に上がり、高みを目指したいという気持ちは変わらねぇ。ましてや、ハキンスの卒業までには間に合わなくても、特級クラスにのみ許される権限やクエスト受注は上級までのそれとは段違いだ。なら、この提案を断る理由はねぇ)
そう思い、顔を上げムシック教官に尋ねる。
「聞かせてください。……その、テストの内容を」
自分がそう言うと、またムシック教官は美しい顔に意地悪く笑みを浮かべて言った。
「うん。良い顔だ。では、テストの内容を伝えるとしようか」
そう言って、ムシック教官はテストの詳細を口にした。
「では、もったいぶらずに話すとしよう。そのテストの内容だが、まず——」
「し、正気ですか師匠!?い、いくら師匠とはいえ、その条件はあまりに無謀では……」
「ハ、ハインさまが特級になれるのは嬉しいけど、わ、私……心配……」
ヤムとプランが口々に言う。
ムシック教官が出した、最初のテストの条件。その時の会話を思い出す。
『君に、とある街の館の潜入捜査をして貰いたい。しかも、施設や勇者としての身分を隠してね』
施設を出て、やや離れた場所にある街のとある館で、時折人が消えるという噂がある。その噂の内容及び真相を解明、もしくは解決せよとの事だった。
「その館で、近々使用人を複数人募集するという話がある。そこに身分を隠し、使用人として内部調査を行なって貰いたいんだよ。採用されるには勿論、厳しい審査もあるし、武器の持ち込みは御法度だ。万一の時も魔法を使うのは最後の最後の手段になるだろう。最悪、バレてしまえば噂が本当なら君が始末される可能性もあるだろうね」
ムシック教官がそこまで言った時、ミス教官が口を挟む。
「ムシック、話が違うのでは?……彼には、こちらが指定したSランクのクエストをソロで達成してもらう手筈だったと思うが」
ミス教官に続き、ザラ教官も口を開く。
「……それに、進級の条件が潜入捜査とはあまりにリスクが高過ぎる。その内容では既に特級クラス、しかもかなりの場数と経験を積んだ者でようやく行うレベルだと思うが」
二人の言葉にムシック教官が言葉を続ける。
「うーん。でもさそれ、多分試験同様クリアするよ?彼。そもそも、戦闘技術ではそのレベルに達していると皆が思っているからこの話が起きたんだしさ」
その言葉に二人の教官も確かに、といった表情を浮かべる。その反応を見て更に言葉を続ける。
「だろう?なら、そんなのは後回しで良いのさ。進級にあたって、実績としてやっては貰うだろうけどね。なら、本来なら難しい内容をクリアして貰う事こそ今回の条件に相応しいと私は思う訳さ」
そこまで言って、またムシック教官が今度は自分の方を向いて意地悪く笑う。……あぁ、そうだ。この人はこういう人だった。
……なら、そろそろお決まりの台詞が出る筈だ。自分がそう思っていると、やはりその言葉を口にした。
「私はね。頑張っている若者の姿を見るのが大好きなのさ。それも、本人が持てる力と知恵を振り絞り、苦労に苦労を重ねて苦悶の表情を浮かべて必死に努力する姿がね」
ムシック=ホース。美人であるがドが付くS女である。隊士での影のあだ名は『女帝』。
二十年ぶり以上に見る彼女のその笑みは、意地悪くも相変わらずの美しさであった。
かくして、自分はこの潜入捜査という任務を受けることとなった。
「えぇと……食器を並べる位置と順番は……と」
かくなる訳で、与えられた準備期間の間に、使用人として採用されるべく作法やマナー、言葉使いを必死に勉強している次第である。
(……しかし参ったな。流石にこれは二十五年前と違って初めての勉強だ。過去の遺産や経験の中にマナーや作法は関係ないからな)
先程、ヤムとプランが心配していた理由がこれである。任務自体も勿論危険ではあるが、二人がもっと心配しているのが自分のマナーや所作であった。
『(師匠)(ハインさま)が、誰に対しても礼儀正しく振舞うなんて、無理だと思います!』
潜入捜査の内容の詳細を三人に告げた時、ヤムとプランが放った台詞がこれである。ご丁寧にハモりのタイミングまで完璧に。
「お前ら……無事受かったら覚えてろよ?」
……まぁ、自覚が無いかと言えば確かに嘘にはなるのだが。ちなみに、仲間に相談して知識を借りたり助言を貰う件に関してはムシック教官に許可を得ていた。
「うん。君の場合はそれがベストだろうね。ちなみに使用人とあるが、面接の段階である程度選別されて、使用人ではなく庭仕事や掃除人として採用されるパターンもあるだろう。不合格になるよりマシかもしれないが、得られる情報や捜査出来る場所は限られてしまうだろうから、より内部事情を探れる使用人で採用されるのがベストだろうね」
という訳で、こうして必死に一から様々なマナーや礼儀作法を学んでいる次第である。
「ほら、二人ともハインの邪魔をしないの。ハインは今真剣なんだから」
そう言って唯一茶化すことなく話を聞いてくれたイスタハがお茶の差し入れをこちらに差し出しながら言う。
「あぁ。悪いなイスタハ……待てよ?」
差し出されたお茶を一口飲みながら、イスタハの顔を見つめる。
「え?どうしたの、ハイン?お茶よりコーヒーが良かった?」
何故自分が見つめられているか分からないイスタハを見つめたまま言う。
「……イスタハ。確かお前、かなり高貴な家柄だったよな。しかも、結構厳しい家庭に育った筈だよな」
そう自分に聞かれ、顎に手を当てイスタハが口を開く。
「あ……そ、そうだね。確かにバーナン家は貴族の出入りも多かったし、会食や人の出入りは多かったかな。確かに父さんからは剣技だけじゃなく、所作やマナーも厳しく仕込まれたかな」
……なんてこった。本なんかよりも、もっと詳しく学べる教材が目の前にいるではないか。
「イスタハ。悪いがしばらく付き合ってもらうぜ。お前の分かる範囲での礼儀作法。それと、ここにある本や教材の内容の補足もだ。多分、それが一番確実だ」
自分の言葉に一瞬驚くイスタハだが、すぐに真面目な表情で答える。
「……分かった。その代わり、かなり厳しく教えるよ?ハインの成功というより、命に関わる事になるんだからさ」
こうして、捜査に向けて、イスタハのマナーについてのスパルタ講義が始まった。




