148話 ハイン三番勝負 ヤム編(延長戦)
「よし、この辺りで良いか。ほれ、これ下に敷いて座れ。せっかくの服が汚れるといけねぇからな」
あれからすぐ、店で酒や乾き物のつまみをいくつか購入して二人で少し丘を登った展望台へと移動した。特別見晴らしが良いという訳でもないがその分周りに人気はなく、二人で話す場所としては最適であった。
「はい。ありがとうございます師匠。それでは少しの間お借りします」
適当なベンチを見つけて小さなシートを敷き、ヤムをそこに座らせる。横に座る前に酒瓶とタバコを手に取りヤムに声をかける。
「っと、その前にちょっとそっちで一服してくるわ。お前も好きなのを飲んで待っててくれ。一応水や果実水も買ってあるから酒でも好きな方を飲んでくれ」
ヤムが頷くのを見て、少し離れてタバコに火をつける。合間に一、二本は吸わせて貰っていたが一応デートという体なので極力我慢していたためまずは一服する。先程の店がタバコを吸える雰囲気ではなかったのも大きいのだが。
(ふぅ……ようやく落ち着いたな。今日のヤムの様子からして、心配していた様な事は言い出さない感じだが一体何を言い出すのやら)
ヤムが果実酒の瓶を手に取るのを見ながらゆっくりとタバコを吸う。無いと思うが良からぬ事を言い出す様なら回避する手段を考えながらタバコを吸い終えてヤムの元へと戻る。
「待たせたな。じゃ、改めて乾杯」
そう言って互いに持った酒瓶を合わせる。かちん、と言う音が周りに響く。
「はい、乾杯です師匠。……では、よろしくお願いいたします」
そう言ってヤムが酒瓶を傾け一口酒を飲む。ほぅ、と一息ついてからヤムが口を開く。
「……今日、師匠と二人で過ごして改めて思ったのです。師匠をきっかけにイスタハやプランたちと出会い、ここまで来れました。それもひとえに全て師匠のおかげなのだと」
開口一番の言葉がそれだったので、思わず少し笑ってしまう。
「おいおい。お前も大袈裟だな。出会いのきっかけはそりゃ多少はアレだったが、その後の結果はみんなお前自身の努力と才能だっただろ。俺はほんの少しそいつを手伝っただけだぜ」
そう返すものの、真面目な表情のままヤムが言葉を続ける。
「いえ。そんな事はありません師匠。あの時、己の実力を顧みずいきなり愚かな愚行を働いた私に師匠は……正直、今でも時々思い返して身悶えしてしまいます」
……そこまで思い込んでいたのか。確かに自分の実力を過信して赤っ恥をかく事は自分にも経験があるが、ヤムにとっても余程の事だったのだろう。
「ははっ。そんなに気にするなって。あの一件があったからこそ今の俺たちがあるんだからよ」
そう自分で言いつつ、イスタハを救うべく起こした行動が結果的にヤムとの出会いに繋がり今があるということを改めて再認識する。
(……実際、過去の世界では俺の代わりに誰かがヤムに現実を突きつけた訳だ。結果、その後のヤムがどうなったからは分からねぇが少なくとも旅の途中でヤムの名前を聞くことはなかったからな)
クラス内で相手になる者がいない、と言い放った当時のヤムだが、あの時点では正直特級クラスの面々にはヤム以上の実力を兼ね備えていた者はいたはずだ。その者たちが最初からヤムのことを相手にしていないか本気を出さなかったのだろうと推察する。それが若い芽を摘まないようにとの気遣いか、鼻で笑う対象でしかなかったかは分からないが。
ただ、そんなヤムに誰かが引導を渡したのだ。おそらくヤムにとって最も無慈悲な形で。自分の様にアドバイスを含めた形ではなく、容赦なく心をへし折るように実力の差を示して叩きのめしたのだろう。結果、生死はさておき少なくともその後ヤムが剣士として名を残す可能性がある未来が過去には存在しなかったという訳だ。
(……ヤムの心をへし折った奴が、もし施設の中にいたとしたら今のヤムを見てどう思っているんだろうな。少なくとも今のヤムは万一負けたとしても決して心が折れる事はないだろうからな)
事実、自分との敗戦を機にヤムの運命が変わったのは確実で、本来ならば二刀流に開眼する事も属性を開発する事も無かっただろう。ここに至るまでに自分も厳しい課題を課したし、時には強く叱責した事もあった。だが、そんな時にもヤムは弱音一つ吐かずに乗り越えてきた。それ故に才能が開花したのだと思う。そんな事を考えているとヤムが口を開く。
「はい。……あの日を境に私の人生は変わりました。剣士としても一人の人間としても人生を掛けてお慕い出来る存在に出会えたのです」
店にいた時よりもハイペースで酒を口にしながらヤムが言う。ペースが速いが大丈夫だろうか。そんな自分の心配をよそにヤムが更に続ける。
「始めて話しますが……私は、家族に捨てられた人間です。剣士である父と妾の間に生まれた私には剣の才が引き継がれましたが、残念ながら正妻との子には引き継がれませんでした。その事もあり私は母が死別したと同時に父に引き取られたのです」
突然の告白に思わずヤムの顔を見る。自分と一瞬だけ目を合わせ、苦笑しながらヤムが話を再開する。
「母との暮らしは貧しかったですが、辛くはありませんでした。逆に、引き取られてからの生活は衣食住に困る事はありませんでしたが私にとっては地獄でした。剣技に関する事以外は会話を交わさない父。それを見て妬みや呪詛のような言葉を吐き捨てる義理の母と兄。そんな毎日でした」
ヤムがそこで言葉を切り、一口酒を飲んで更に続ける。
「きっかけはある日の夜でした。稽古で疲れ果て眠る私の寝床に義理の兄が突然押しかけ私を襲ってきたのです。全力で抵抗し、気付いた時には血まみれで意識を失う義兄の姿がありました」
あまりの内容に口を挿めずにいると少し慌ててヤムが言う。
「あ、心配しないでください師匠。勿論未遂ですので。剣ではないのが幸いして命までは奪えませんでしたし、事に及ばれるよりも先に顔面に拳を叩き込みましたので」
そう言ってまた酒を口に運ぶヤム。そこでようやく自分が口を開く。
「……そうか。それは不幸中の幸いだな。もしかしてそれがきっかけで、施設に入ることになったって訳か?」
自分の問いにヤムが頷く。
「はい。騒ぎを聞き付けた父と義母、使用人たちが部屋に入って目にしたものは肩で息をし拳を血塗れにした私と顔を腫らして気絶する義兄の姿です。何があったかは彼らにも容易に想像出来たことでしょう」
剣の腕でも敵わず、義理とはいえ妹に情欲に負け手を出す男に同情の余地はない。だが、こうしてヤムがここにいるという事はそういう事だろう。
「剣の才が無いとはいえ、後継に対しそのような振る舞いをした私を義母は許しませんでした。義父も私の剣の腕は認めるものの、決して正式な後継者にはなれない私を持て余しているのは分かりました。故に私は家を飛び出し母の姓を名乗り、施設に入った次第です」
……なるほど。血筋と才能に加えて既に手ほどきというには充分すぎる鍛錬を積み、かつそのような思いをしていればヤムがあのような態度であったのも納得である。初級クラスでは相手になる者がおらず、上級に上がるころには孤高の存在になったのが容易に想像出来た。
「……そうか。お前も過去に色々あったんだな。普段のお前の態度からはそんな事があったなんて想像もつかなかったよ」
そう自分が言うとヤムがくすっと笑いながら酒を口にする。かなり顔が赤くなっているため、そろそろ止めようかと思っているとヤムが口を開く。
「ふふっ。それも全て師匠のおかげです。師匠だけでなくイスタハやプランもですが。この出会いがあったからこそ今こうして剣の高みを目指せる上に日々を笑って過ごせる日々が来るとは思いませんでした。……それが何より幸せです」
そう言って微笑むヤムの表情に一瞬ではあるが見とれてしまう。この笑顔が見られただけで未来を変えて良かったと思ってしまうほどに。咄嗟にヤムから顔を背けながら言葉を返す。
「……おう。お前がそう思うのなら良かったよ。ただ、そろそろ暗くなってきたがお前のしたい事っていうのは大丈夫なのか?正直、そろそろ時間的に厳しいと思うんだが」
そう自分が言うと、またヤムが酔いの影響なのか顔を赤らめつつも微笑みながら言う。
「はい。もう充分に叶いました。……私の望みは師匠と二人きりの時を過ごすこと。そして、その際に私の過去を話すこと。イスタハたちにもいずれは話すことになるでしょうが、まずは二人だけで師匠にお伝えしたかったのです。過去を受け止めこの先に進むために。改めて今日は本当にありがとうございました師匠」
そう言って一瞬だけ決意を込めた真剣な目をした後にヤムが微笑む。……どうにもその笑顔を見ると調子が狂う。自分も思っていたより酔いが回っているのだろうか。ぶんぶんと軽く頭を振り、ひと呼吸置いてから言葉を返す。
「……そうか。そう思ってくれたのなら何よりだよ。さ、暗くなってきたし今日はそろそろお開きとするか。片付けて宿舎に戻ろうぜ」
自分の言葉にヤムも頷き、二人で飲んだ酒の瓶やゴミを集めて片付けを始める。酒瓶が多めではあるが程なくして作業を完了する。
「ん。これでオーケーだな。悪いが帰る前にもう一本だけタバコを吸わせてくれ」
そう言うとヤムが頷いたため、少し離れてタバコに火をつける。煙を吐き出しながらヤムの様子を見ると大分酔いが回っているようで少しふらついている。
(……あいつ、少し飲み過ぎたみてぇだな。宿舎の前まできちんと送らないといけねぇな)
そう思いながらヤムの元へと戻る。そして宿舎に戻りながら二人で軽い世間話をする。やがてヤムの宿舎へと向かう道へと辿り着いた。大分暗くなっていたため、辺りに人影はない。この辺りまで来れば一人で大丈夫かと思いヤムに声をかける。
「お、もうすぐお前の宿舎だな。ここからなら流石に一人で大丈夫だよな?」
そう自分が言うと、若干呂律の怪しい状態でヤムが言葉を返す。
「らいじょうぶですよ〜。ししょーは心配し過ぎです〜」
……どこからどう見ても酔ってるだろう。やはり呂律も怪しいし足元は先程よりふらついている。
「……ったく。普段お前そんなに酔わねぇだろうに。ってか皆との時は今日みてぇな飲み方しねぇだろが」
何度も皆で飲んでいるがヤムがここまでハイペースで飲む事は珍しかった。どちらかと言えばプランの方が自分に近い感じで飲み、イスタハやヤムは割と控えめに飲む方だった。
(……まぁ、こいつらに酒を教えたのは俺だしな。最初は控えようとしていたイスタハだって今じゃ普通に飲んでるからな)
とはいえ、これで酔って何かをやらかしてしまえば今まで暗黙の了解で見逃してくれていた店や施設の連中も黙っていないのは確実だ。少なくともヤムが宿舎に入るまでは見届ける必要がある。
「まぁ、次は程々にな。よし、ゴミは俺が持ち帰って処分してやるからそれ貸せ」
そう言ってヤムが片手に持っていた軽いゴミの入った袋をさっと取る。だが、そこでヤムがこっちを振り返り言う。
「あー!大丈夫れすってばー!ししょーが重たい瓶のゴミを持ってくれてるんれすから、こっちは私が捨てます!」
そう言ってゴミ袋を握った自分の手を取ろうとするヤム。だが、酔っていたのか足元がふらつき目の前で体制を崩し、自分の手首を掴むような形で倒れ込む。
「ばっ……!!」
「きゃっ……!!」
慌てて支えようにも片手は瓶の入った袋を持っており、もう片方の手はヤムに掴まれている。押し倒されるような形でそのまま地面に倒れ込む。背中と頭をしたたかに打ちつけた。
「っ痛え……瓶は……よし、割れてねぇな。おいヤム、大丈夫か?」
幸い、倒れた地面の先が舗装された場所ではなく草が生い茂るところだったので痛みもそこまでではなかったためヤムに声をかける。だが、ヤムからの返事が返ってこない。
「……おい。どうしたヤム?とにかく起こして……」
そこまで言ったところでヤムの様子がおかしい事に気付いた。先程までの酔った感じではなく、自分の顔を真っ直ぐ見つめている。少し息が荒くなっているようにも見えた。そう思っているとヤムが口を開く。
「……師匠。これ、あの時と逆の形になりますよね……」
そう言ってこちらに顔を近付けてくるヤム。咄嗟に対抗しようとするものの、ヤムが自分に伸しかかる形で上に乗っている上に袋が指に引っかかっている。加えて手首をがっしりとヤムに押さえつけられている。
「お……おいヤム?いいから早くどいて……」
そう自分が言うものの、ヤムの顔がどんどん近付いてくる。
「師匠……思えば私はあの頃から……し、失礼します……!」
そう言ってヤムが更にぐいっと顔を近付けてきた。……駄目だ。もう動けないと思い思わず目をつむる。……次の瞬間、額に柔らかな感触が伝わる。
「……へ?」
思わず間の抜けた声を出してしまう。てっきりこの流れなら唇に来る事を覚悟していたからだ。自分の反応とは裏腹に、ヤムが驚くほどの素早さで自分からさっと飛び退くような形で離れる。
「い、今はこれが私の限界です!す、少しでも師匠に追い付けた時は次の段階に進ませていただきたいと思います!き、今日は一日ありがとうございました!それでは失礼します!おやすみなさい師匠!」
まくしたてるようにそう言うが早いか、先程までの酔いはどこへやらという勢いで脱兎の如く宿舎へと一目散に駆け出していくヤム。あまりの突然の出来事に呆気に取られる。
「はぁ……。何なんだよいったい。いきなり過ぎてまだ状況が理解出来ねぇ」
上半身だけゆっくり体を起こしてようやく冷静になる。同時に、額への感触が鮮明に蘇る。思わず口から言葉が漏れる。
「……ったく。ヤムといいプランといい、何してくれてんだよ……数日後にはまた四人でのクエストもあるっていうのに……あぁもう!部屋に戻って一人で飲み直しだ!」
言いながらもゆっくりと体を起こし、自分の宿舎に向かって早足で歩き出した。
……こうして、無事とは言わずとも三人とのミッションはどうにか終わりを告げた。




