139話 ハイン、一人宣戦布告する
(……馬鹿な!魔王がこんなところにいるはずがねぇ!だが……この気配は確かに……!)
忘れようにも忘れられない魔王の気配。自分の仲間を何人も殺し絶望を与え、今際の際まで自分を苦しめたあの存在。
信じたくはないが、今自分が感じた気配はあの忌まわしき魔王のものに間違いなかった。
(……どうする!?今の俺じゃまだ魔王には絶対に勝てねぇ!ましてや、さっきの戦いで魔力も体力も大分消耗している!)
全盛期にはまだ遠く及ばない今の自分では魔王には絶対に勝てない。それだけは間違いない。仮に体調が万全だとしてもそれは変わらない。ならば自分が出来る事はただ一つだ。たとえ自分がどうなろうともイスタハたちを守りきる事だ。
(……絶対にイスタハたちの所へ魔王を近付ける訳にはいかねぇ。今、あいつらがここに来てしまえば全てが終わる)
心臓が激しく脈打つ。何としてもここで食い止めねばいけない。そう思いながら更に気配を探る。やがてその気配が着実に色濃くなっていく。
(……どうする!?どう足掻いても勝ち目が無い中、どうやってこの場を乗り切る?逃げの一択だが、イスタハたちの方へ向かわせる訳にはいかねぇ!)
頭の中で必死に思考を張り巡らせ、そのまま気配を探る。少し冷静になったところで任務内容の詳細を思い出す。【備考及び注意点】の項目の一文を。
(……そうだ。あくまでここは偵察範囲区域と言われていたはずだ。なら、魔王本人がここにいる可能性は限りなく低い。そもそも、魔王がここを根城の一つにしているのならこの辺りはとっくに魔族で溢れているはずだ。それこそドラゴンや魔獣は魔族たちによって駆逐されていてもおかしくねぇ。だが、ここにはドラゴンや他の魔獣も普通に生息している……にも関わらず、ここに魔王の気配を感じるという事は……)
万が一の事態を覚悟しつつも、自分の中で一つの答えに辿り着いたため意を決し歩みを進める。気配が強くなっていくが構わず歩き続ける。
「……多分、俺の勘が当たっているなら……」
心の中ではなく、はっきりと口にしながら気配の元へ向かう。程なくして気配の元へと辿り着く。
「……やっぱりそうか。こいつは……魔王の『残留思念』だ」
感じた気配の先には禍々しい偶像が備えられていた。その偶像の姿を捉えて自分の予想が当たっていた事に安堵する。少なくとも今ここで魔王と相対するという最悪の事態は避けられたからだ。
『残留思念』とは、魔王がその場におらずとも依代となる何かを用いてその空間の景色や状況を永続的に把握するための術式である。
別の場所にいながらも依代を経由して周囲を見渡し、己の声で指示を伝える事が可能なため、侵略先や偵察先、己にとって重要と思われる拠点には必ずと言っていいほどこの依代が設置されていた。
(……魔王にとって、ここはそこまで重要視される程の拠点ではなかったんだろうな。辺りに魔獣ばかりで魔族の姿が見当たらないのがその証拠だ)
もしもここが魔王にとって拠点に値する場所であれば、とっくにここは周囲に魔族が徘徊し、施設がここを任務先に選ぶ事は絶対にあり得ない程の危険区域になっている筈だ。偵察のために依代を設置はしたものの、侵略に値する程ではなかったのだと推察する。
(おそらくだが、施設の偵察部隊がこの依代の気配をおぼろげながらに感知したんだろう。そのため調査が中途半端になってあの形での報告になったって訳だ)
施設の調査部隊の中に優秀な探知能力を持っている面子がいればこの依代に気付いたかもしれないが、未開拓の地域に派遣される隊士はどうしても戦闘能力や回復役を務める者が優先されるため仕方のない事だと思った。
(純粋な戦闘力と探知や探索能力を両立出来る隊士は少ないからな。そう考えたら無理はねぇ。当時の俺も回復魔法や探知魔法を習得するより剣技や攻撃魔法を身に付ける事しか考えていなかったからな)
そう思いながらも依代である偶像の元へ近付く。先程までの焦りや恐怖は収まり、冷静になって偶像を見つめる。焦りや恐怖の変わりに湧き上がった自分の新たな感情は『怒り』であった。
間接的にとはいえ生まれ変わってから初めて対峙した魔王の気配。それを受けて今の自分が魔王に勝てないという事は分かっていても過去の記憶が次々に湧き上がってくる。
目の前で自分を庇い、四肢を吹き飛ばされた仲間の事。
自分を生き残らせるために、自らの身を犠牲にした戦友の顔。
自分を魔王の元へと辿り着かせるため、罠と知りつつそれを隠して敢えて死地へと向かった同期の笑顔。
……そして、悲願の末にようやく跳ね飛ばした首だけの状態で自分を見て嘲笑うかのようにこちらを見る魔王の顔。
様々な過去の思いが脳内に沸き起こる。同時に剣を抜いて構える。
(……ムシックの姐さんには報告の際に怒られるか、何らかの処分があるかもしれねぇな。だが構わねぇ。こいつを目の前にして放置する選択肢は俺にはない)
そう心の中でつぶやきつつ、剣を偶像に向け口を開く。
「……おい魔王。俺の声が聞こえているか?まぁ、聞こえていようがいまいがどうでもいいか。勝手に話させて貰うぜ」
そう言って剣を握りしめながら偶像を睨みつける。魔王が全ての依代を正確に把握しているかなど自分には知る由もない。構わない。あくまでこれは自分の意思表示だ。そう思い言葉を続ける。
「いいか。俺の名前を覚えておけ。俺の名はハイン……ハイン=ディアンだ。将来お前の首を斬り落とす男の名前だ。いつか必ず、仲間たちと共に俺はお前の元に現れる。そして、必ずお前を倒す。これは俺からの宣戦布告だ」
そう言い終えると同時に、剣を振りかざし偶像を一撃で破壊した。




