辺境伯令嬢ですが武闘派の王子に決闘を挑まれ続けています
「頼もう! 俺の名はエイデン・ヴァランス! この国の第一王子だ! この領地で一番強い男を出せ!」
辺境伯令嬢、リア・コーニッシュの優雅なティータイムは突然の闖入者によって終わりを告げた。リアは叩きのめしてやろうと飲みかけのティーカップを置いて立ち上がったが、男の輝ける銀髪を見て考えを改めた。
銀髪は王家の血筋を継ぐものに特有の髪色だ。リアは表情を笑顔に作り変えて淑女の礼をした。
「お初にお目にかかります、殿下。本日は事前の知らせもなくどういったご用件で?」
エイデン王子はリアに一瞥を与えると、面倒そうに言い直した。
「先程も言った通りだ。俺はこの国で最強の男であることを証明するために各地の領で最強の人間と決闘をして周っている。国を治める王になる以上、この国で最も強い男でなくてはならんからな。わかったらさっさとこの領で最強の男を出せ」
意気揚々と言う王子にリアは哀れみの視線を浴びせた。底抜けの馬鹿だ。お付きの者は全員目をそらしている。誰も止める人がいないのだろう。相当甘やかされて育ったらしい。
「……お言葉ですが殿下。国を治めるのに殿下ご自身の強さは別に必要ではありません。もう少しお勉強なさった方がよろしいかと」
リアの言葉に王子は驚くように目を剝いた。
「なんだと!? ど田舎貴族の分際で王子であるこの俺に意見するのか!?」
「はい。私はあなたをこの国の王にふさわしいとは思えませんので」
リアは臆さず答えた。辺境伯は国王より国境付近の領地を任された貴族だ。国王の信頼は厚く、広大な領地と権力を与えられている。子供でも言わないような理論を振りかざす馬鹿王子にどうこう出来る立場ではない。
リアが動じないでいると、王子は不機嫌そうにそっぽを向いた。
「ふん、俺は自分より弱い人間の言うことなど聞く気はない!」
リアは嘲るような表情を浮かべた。
「そうですか。なら私の言うことは聞くべきですね。さっさと城に戻って勉強して来てください」
「……どういうことだ」
王子がリアに顔を近づけて問いただす。それは乙女をときめかせるような近づけ方ではなく、悪漢が市民を脅すときのようなものだった。
しかしそんなものに怯むようでは過酷な辺境の令嬢は務まらない。
「言葉通りの意味です。私はあなたより強い。この領地最強の騎士を出すまでもない」
リアの言葉に王子は顔を赤らめた。もちろん怒りによるものだ。
「言ったな! ならば俺と勝負しろ! 負けたら俺こそが次の王にふさわしい存在だと地に額ずいて謝って貰うからな!!」
「では殿下が負ければ城に帰って帝王学を修めて頂きましょう。私が指定した教師が良いと言うまでですよ。あなたの横暴に屈しない人間です」
「無論だ! 男に二言はない! 言っておくが俺はここ以外の全ての領地で勝利して来たんだからな!」
王子は剣を抜いた。
※※※※※
勝負は一瞬でついた。リアの恐ろしく速い手刀が王子の首筋を捉え、気絶させた。スカートに汚れがつくことすら無かった。
リアは王子の服の襟を掴んで医務室に引きずっていった。咎める者は誰もいなかった。よほど信頼がないのだろう。
数刻後に王子が目覚めた。あと少し遅ければリアは王子の頭に水をかけているところだった。
王子はリアの顔を見るなり口をパクパクさせた。
「あ、ありえない……この俺が女に負けるなんて……」
「他の領地の人達は気を使って負けてあげていただけだと思いますよ」
「ふざけるな! 俺は真剣に勝負して来たんだ。あれは何かの間違いだ。もう一度勝負しろ!」
「男に二言はないのでしょう? さ、お勉強してきなさいな」
「くっ……覚えていろよ! 必ずまた来るからな!」
王子は逃げるように去っていった。王子のお付きの者の一人がリアの元に近づき、深々と礼をした。
「ありがとうございます、リア・コーニッシュ様。王宮の者は皆、殿下に手を焼いていたのです。あなたが殿下を倒してくれて胸がスッとしました。王城の騎士団長でも王子には敵わず、誰もいうことを聞かせることができなかったのです。これで王子も変わってくれるでしょう」
「は、はぁ」
リアはどう答えていいものかわからず困惑の表情を浮かべた。
※※※※※
「お前に言われた通り教師の許可を得てきたぞ。もう一度俺と勝負しろ!」
一ヶ月後、エイデン王子は帝王学の修了考査合格証明書を持ってリアの前に現れた。リアは合格証が偽造でないことを確認すると、王子に同伴して来た教師に向けて言った。
「どう考えても早すぎます。忖度する必要はないと言ったはずですが」
「いえ、殿下は間違いなく帝王学を修めています。その熱心さたるや、ついに殿下が心を入れ替えて次の王となる自覚を持ったのだと王宮で噂になるほどです」
教師はにこやかな笑みを浮かべて言った。一ヶ月前に王子に伴って現れた時とは別人のような尊敬の念に満ちている。事実に間違いはないのだろう。リアはため息をついて王子に向き合った。
「……その割には子女の屋敷を訪れるのに事前の知らせもないのですね。まあ、いいでしょう。相手になります、私が勝ったら次は社交マナーでも学んで貰いましょうかね」
「よし! なら俺が勝ったら俺が王としてふさわしい人間だと認めろ! 以前の俺と同じだと思うなよ! 今の俺は魔法も使いこなせるのだからな!」
王子は剣を抜いた。
※※※※※※
「では社交マナーを学んで来てもらいましょう。次はちゃんと事前に知らせを送ってくださいね。それで判断します」
「くっ……いいだろう。いつか絶対に俺が王としてふさわしい人間だと認めさせてやるからな!」
王子は逃げるように去っていった。王子に付き添っていた教師がリアのもとにきて深々と礼をした。
「ありがとうございます、リア・コーニッシュ様。殿下が正しい道に進んでくださったのは貴方様のおかげです。どうか、これからも殿下の指導をよろしくお願いします」
「は、はあ」
リアはどう答えていいものかわからず困惑の表情を浮かべた。
※※※※※※
「約束通りマナー講習を終えてきたぞ! さあ、俺と勝負しろ!」
「あんなに丁寧に書かれた果たし状は初めて見ました。いいでしょう。次は財政学でも学んでもらいましょうかね」
「ふん、以前の俺と同じだと思うなよ!」
王子は剣を抜いた。
「では、頑張ってお勉強してきて下さい」
「くっ、覚えていろよ! 次こそは俺が勝つからな!」
王子は逃げるように去っていった。王子お付きのメイドの一人がリアの元にきて深々と礼をした。
「ありがとうございます、リア様。殿下は変わられました。これまでは使用人たちはみな殿下に怯えて働いていたというのに、今では殿下が使用人たちの労働環境も気にかけてくださっています。これも皆、あなたのおかげです」
「は、はあ」
リアは困惑の表情を浮かべた。
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「これが財政学の修了書だ! 俺と勝負しろ!」
「も、もう終わったのですか。では次はその財政学の知識で破産したササール領を立て直してきてもらいましょうかね」
「ササール領の経営は軌道に乗った! さあ俺ともう一度勝負しろ!」
「あ、あの何も名産品のないササール領を再生したのですか……えーと、なら次は異民族の侵略に脅かされているマナドゥ地方を平定してきて貰いましょうか」
「マナドゥ地方の異民族と講和を結んできた。さあ、勝負だ!」
「数百年戦争状態だった場所ですよ? なら次はターリ地方を……」
「終わったぞ! 勝負だ!」
「では次は──」
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「……殿下はどうしてこんな辺境まで何度も訪ねて来るのでしょうか」
リアは侍女のエマにそう問いかけた。エマとは幼いころから一緒に過ごしてきたので、主従というよりは親友のような間柄だった。
「それはお嬢様に王として相応しいと認めてもらうためでは?」
「もう既に謝罪しています。失礼なことを言いました、今のあなたは国を治めるに足る人間です、と。それでも何もなかったように戦いを挑んで来るのですよ」
エマは首を傾げた。
「では、やはりお嬢様に勝つために来ているのでは?」
「……殿下はこの領地の最強の騎士を倒しています。間違いなく殿下のほうが強いですよ」
「わざと負けているということですか?」
「そうとしか思えないのですが…………手を抜いているようにも見えないのですよね……」
「……単純にお嬢様に会いに来ているだけとか?」
「まさか」
リアはひらひらと手を振って笑った。しかしエマは真剣な表情をしていた。
「実際のところ、ありえなくもない話ですよ。お嬢様は領地から出ることがないので知らないでしょうが、王宮ではお嬢様を殿下の婚約者として推す声も強いそうです。殿下の手綱を握れるのはお嬢様だけだと」
「それはまた無責任な……」
リアは渋い表情をした。
「それにお嬢様にも婚約者はいませんよね。悪くない話だと思いますよ。努力家ですし、能力もあるし、顔もいい」
「一国の王子を品定めするようなことはやめなさい」
そう窘めながらもリアはまんざらでもない表情をしていた。
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「くっ、どうして勝てないんだ……」
エイデン王子は練兵場で一人剣を振るっていた。いまや彼は王城に勤めるすべての兵を相手にしても負けないほどに強くなっていた。それでもリア・コーニッシュに勝つことは出来なかった。
彼女が出す課題をこなすにつれ、王子を見る周囲の目はみるみるうちに変わっていった。今では賢王と評されるほどだ。彼が道を歩けば皆が笑顔で挨拶してくれる。ここまで信頼を取り戻したのはすべて彼女のおかげだった。
だからこそ勝たなければならない。今、エイデンをもてはやしている人間は、自分のすべての功績がリアの指示だと気づいていないだけだ。エイデンの中で最強の人間が国を治めるべきであるという考えは変わっていない。彼女に勝たない限り、彼女こそがこの国の王であり、自分は偽物でしかなかった。
「……殿下、そろそろお休みになられたらどうですか」
騎士団長に声をかけられた。しかしエイデンは手を止めなかった。
「まだだ、このままでは彼女に勝てない。もっと強くならなければならないんだ」
「……お言葉ですが殿下。リア・コーニッシュ嬢より今のあなたの方が間違いなくお強いです。私が彼女と手合わせした時も、特に苦もなく勝利することができました」
「なんだと!!?」
エイデンは剣を落とした。騎士団長はゆっくりと近づいて剣を拾い、渡した。
「殿下が勝てないのは精神的な問題です。あなたは自分がまだ彼女に勝てないと思いこんでいる。敗北してもまた挑戦する機会があると思っている。そしてなにより──」
エイデンはつばを飲み込んだ。
「──勝ってしまえば彼女に会いに行く口実を失ってしまうと思っている」
エイデンは顔を背けた。
「……そんなことはない。俺は王になる存在だ。辺境伯の令嬢に会いに行くなどいくらでも出来る」
「ええ、ですがその時は今とは違う関係性になります。王と家臣として会うことになります。今までのような気安い関係ではないでしょうね。ですが殿下には一つだけ良い方法があります。これならば彼女に勝つことが出来ます」
エイデンは額を押さえた。
「………………どうすればいい」
騎士団長は口の端を緩めた。これまで自分より弱い人間の言う事など聞きはしないと言っていた王子が、初めて自分の家臣を頼った瞬間だった。
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「リア・コーニッシュ! 課題をこなしてきた。俺と勝負しろ」
「相変わらず早いですね。まだ次の課題を考えていないのですが……」
リアは頬に手を当てて考えた。それを見て王子は決心するように深く息を吸って宣言した。
「待て、今回は俺が勝った時の条件を変える。もし俺が勝ったら──俺と結婚しろ」
いつもの風景だと無視して仕事をしていた使用人達が手を止めて二人を見た。周囲を沈黙が支配する。
リアは目を細めた。
「大きく出ましたね。いいでしょう。私が勝った時の条件は……何か一つ言うことを聞くことにしましょうか」
「問題ない」
王子は真剣な表情でリアを見つめていた。リアには彼が今までとは違うことを肌に感じた。
「では私も本気で戦いましょう。これまでと同じだとは思わないことですね!」
リアは剣を抜いた。